牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

顔をパッと明るくする

2016-12-07 18:24:49 | Weblog
伝道者の書8:1知恵を身につけて、物事を正しく判断し、さらに分析し説明する能力があったらなんと素晴らしいことでしょう。知恵は人の顔をぱっと明るくし、顔の固さをほぐします。
聖書で知恵はイエス・キリストを象徴しています。伝道者の書でも同じです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、神の義と聖めと、贖いとなられました。事実、この世が、自分の知恵によって神を知ることができないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者救おうとされたのです。
アーメン=誠=言+成る、聖書の約束通りになるのです。アーメン信じますと言えば救われます。バプテスマはそう信じた証です。信じて59年目のクリスマスを迎え、イエス・キリストを信じる喜びの日々です。
聖書の約束は、あなた方の中で知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。
聖書の約束通りに知恵深く、平安で幸せな笑顔の人生を。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。

元気な日々を

2016-12-07 18:14:22 | Weblog
ヨハネの福音書5:17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」

牧師にも定年があるのですか?と、聞かれることもあります。団体によっては定年制を規則にしている教団もあり、定年を迎えた牧師も多くあります。

一般では定年制があり、その中でも定年後に迎えた第二の職場で88歳まで働き、100歳まで聖書研究し、毎日2時間は散策し、安らかに104歳長寿を全うした男性の葬儀を行いました。

牧師の働きは、一般の仕事と違い、永遠のいのちへの働きです。

なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。との上からの召しを受けての働きです。74歳で現役牧師。2年半前、愛妻を天国へ召され、天国がリアルになり、天国の慰めと平安が現実であることを体感している一人暮らしです。

無くなる食物のためだけに働く世界から、永遠のいのちに至る食物のために働く、牧師・伝道師・各夫人養成のためにも、現役で働いています。生駒聖書学院のためにお祈りありがとうございます。40名の神学生とともに元気です。

永遠のいのちに至る食物=神の口から出る一つ一つのことば=聖書の十字架と復活の救いを伝え続けています。

アーメンは天国予約のチケット、イエス・キリストを信じるだけで救われ、天国に入れる永遠のいのちを、伝え続ける恵みを楽しみながらクリスマスの12月です。

卒業生有志の発案で、75歳になったのを覚えて、2017年5月に祝福の会を開いてくれるとのこと。卒業生たちが祈り、励ましてくれ幸いです。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。



悪がはびこる

2016-12-07 07:20:08 | Weblog
伝道者の書6章をリビングバイブル訳で。
所で、至る所に、鼻もちならない悪がはびこっています。ある人は、神様から巨万の富と名誉をいただき、欲しい物は何でも手に入る身分でありながら、人生を楽しむだけの健康に恵まれていません。そのため早死にして、全財産を他人の手に渡してしまいます。これは実に悪質な冗談で、やりきれない思いがします。
一方では、百人の息子と娘に恵まれ、長寿を全うしながら、わずかばかりの遺産もなく、子供たちは満足な葬式さえ出せないことがあります。この人は生まれて来なかったほうがましです。誕生が喜ばれず、闇から闇に葬られ、名前さえ付けてもらえず、陽の目も見ず、その存在さえ知られないとしても、みじめな老人になるよりずっとましです。何千年生きたとしても、満足することがなければ、生きていることに何の価値があるのでしょう。
りこうな人もばか者も、食べ物を得るために人生を費やしますが、もうこれで十分だということがありません。そういう意味ではどちらも同じです。しかし、貧しくてもりこうな人は、ずっとましな生活をしています。手の中の一羽の鳥は、藪の中の二羽より価値があります。
あこがれていることを夢見ているだけでは、ばかばかしいことで、風をつかまえるようなものです。
あらゆるものには定まった運命があります。それぞれの将来は、ずっと以前からわかっています。だから、自分の運命について神と議論してもむだです。しゃべればしゃべるだけ、口にすることば意味が薄れてきます。だから、全然しゃべらないほうがましです。
空しい人生のわずかの歳月だと言うのに、どうしたら最高の生き方ができるのかわかりません。死んだ先まで考えると、何が最善かを言い当てることはできません。将来の見通しのつく人は、一人もいないからです。

伝道者の書は300年前に書かれた聖書です。空の空なるかなと書き出されているように、神から離れた人生のむなしさを、徹頭徹尾教えています。
イエス・キリストの十字架と復活の救いがなかったら、地上でどんなに贅沢三昧快楽を楽しんでも、心のどん底からの喜びも平安もないまま、永遠の滅びへ向かいます。
しかし、アーメンと救いを信じるだけで、天国行きの予約ができ、毎日を何があろうとなかろうと満足して不平不満サヨウナラ。すべてのことに感謝しながら生きる幸いです。今朝から、アーメン信じます。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。