牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

良くなりたいのか

2016-12-06 20:16:42 | Weblog
ヨハネの福音書5:2-9 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。

イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」

イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。

聖地旅行に行くと、ベテスダの池も見学できます。イエス様に、良くなりたいかと聞かれ、38年間伏せっていたこの男は、だれも助けてくれる人がいません。と答えました。

天は自ら助くる者を助く=ベンジャミン・フランクリンとあります。

イエス様は、よくなりたいかといつも優しく語りかけてくれます。その時、本音でアーメン。ほんとに直りたいです。と素直に現実がどうであれ、おことばに信頼し、素直になる人は幸いです。

起きて床を取り上げて歩きなさい。38年間伏せっていた男は、すぐに直って、床を取り上げて歩き出しました。どんな状態であれ、アーメンと信じる時、新しいことが始まります。寝たままであっても、身の不遇を嘆いたり、自分にはそんな信仰はないと、自分を攻めたりせず、信仰、希望、愛の祈りで、ありがとうございます。不平不満よ、サヨウナラ。

神学生時代、サナトリウムで20年間寝たっきりの婦人を見舞いました。どういう声をかけ、どう同祈ればと思いながら訪れると、ベッドには天使がいました。40代の女性でしたが、美しく輝く笑顔があり、そのベッドで祈ってくれました。大きな励ましと勇気をもらって帰る見舞いでした。

よくなりたいかとの、イエス・キリストのことばを、アーメン。信じます、直りましたと受け止めて、起き上がり歩き続けています。一足あるくごとに、新しい力が与えられ、きょういくときょうようにあふれています。きょういく=今日行く。きょうよう=今日用がある。笑顔も輝き、細胞も活性化しています。クリスマスの喜びと平和を、世界中にと願い祈るクリスマスの12月です。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。






愛はすべてをがまんする

2016-12-06 07:33:39 | Weblog
第一コリント13:7 愛はすべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
もうチョとでうまくいくのにリタイアしたり、愛はすべてをがまんできます。人間関係でも仕事や勉強でも、うまくいかなとすぐ投げ出します。でも、すべてを我慢し、可能性へのチャレンジです。
物事がうまくいく時は、そう簡単にあきらめたりしません。きっと良くなる、大丈夫と思います。雨はいつまでも降り続くことはなく、嵐もいずれ静まります。深紅の闇も、すぐ明るい朝が来ます。
愛はすべてを我慢し、すべてを信じます、信じると言うことは、すべての可能性を期待することが出来ます。するとすべてを期待しながら、堪え忍ぶことが出来ます。
生駒聖書学院は、クリスマス期間を前に終業式を迎えます。式後は24号線沿いのランチバイキングへ。
いつまでも絶えることのない、イエス・キリストの愛が、聖霊によって豊かに満たされている朝です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。