牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

愛の福音

2016-12-02 13:27:05 | Weblog
ヨハネの福音書3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:16 "For God so loved the world that He gave His only begotten Son, that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.
旧約聖書と新約聖書66巻。使っている聖書で2段組みで1800ページ。それをギュと縮めると、ヨハネの福音書3章16節になり、また短くすると、神は愛です。
この聖書のことばで、多くの人がクリスチャンになり、臨終の床で救われ、天国を確信し安らかに召されています。
17歳の時、大阪救霊会館で暗い顔をした青年と出会いました。聖書を開き、神=愛の神。そのひとり子=イエス・キリスト。お与えになったほどに=十字架にいのちを捨てさせるほどに。世=あなたのことです。
それはアーメンとその事を信用し、信じるだけです。すべての罪が赦され神の愛され滅び=地獄に行かないで、永遠の天国です。
ポツリポツリ説明し、ふと顔を上げて見ると、その青年は泣いています。そして、いっしょにアーメンと祈りました。ほっとした顔になり分かれ、暫くして千葉の刑務所から手紙が届きました。
神奈川で人を殺し、大阪を逃げ回っていた時教会に入り出会い、神の愛とイエス・キリストの十字架を知り、アーメンと信じました。曾根崎警察に自首し、刑務所に収監されての便りでした。
一番最初に福音を伝え、救われた出会いです。その日から54年が過ぎ、今でも十字架と復活の救いを、神の愛を出会いの場で語り祈っています。
ありがとうございます。今日もまた神の愛あふれる天国の一日です。感謝してます。


光は輝く

2016-12-02 08:44:44 | Weblog
ヨハネの福音書3:17-21 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。
悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。
やみから抜け出る秘訣は、光のあるところへ出ることです。光がいっぱいの昼間でも、光のない所に幾と真っ暗です。
暗い暗い、この世はやみだ。何で自分の人生はこんなに暗いのか、と不平不満、文句たらたら言いながら生きる。暗い人生を人のせいにしたり、環境や出来事にしているなら、今から光が一杯の平安と幸せな人生へ。アーメン信じますと踏み出してください。
光はことばです。
ヨハネの福音書1:4 この方=ことばにいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
この方イエスキリスト=ことば=光=光はやみの中に輝いている。時代がどうであれ、何事が起ころうとも、やみはこれ=光に打ち勝てなかった。
創世記1:13 初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
その日以来、真の愛の光は輝き続けています。光はことばがあったとき輝いたように、イエス・キリストをアーメンと信じる時、どんな暗闇の人生を生きていても、輝く光に照らされ輝き始めます。
ヨハネの福音書8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
神の愛は裁く愛ではなく、光に導く愛です。光に照らされて歩む楽しい日々を祈ります。
テサロニケ人への第一の手紙5:89 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。
神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。