牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

生きている不思議

2014-12-31 13:51:23 | Weblog
種子島で生まれ育ち、特に中学時代は星原通学校へ、往復18キロを3年間休まず通学。
月に一度は野間に一軒だけの和田書店に雑誌を買いに放課後8キロ歩き、生姜山の家まで12キロ、中学時代を読みながら歩き。その日は30キロ近く歩いたことになります。高校生でクリスチャンになり、往復40キロ歩いて教会の礼拝に行ったこともあります。
神様の恵みで健康に守られ、40年間風邪ひとつ引かず、ストレスもなく、お腹が痛くなったことも頭痛も知らず、髪の毛も白くならず黒々ふさふさです。
ところが1999年11月、東京北区で元気の出る集会の講演が終わってホテル宿泊の夜、右脳内出血で倒れいケ月余り赤羽で入院生活。退院帰宅後、良かったですね、病に倒れて、牧師は悲しみの人でしたが、病を知らない人でした。病をしってくださり幸いですと、病を持つ方から励まされました。
2012年7月、堺市で運転中右脳内出血になり電柱に激突の大交通事故。1か月余の入院で退院して冊子を書き、現場は自分しか分からないので、一万六千歩も歩き写真入り冊子を出版。ムリしたので今度は小脳内梗塞で、また堺市の馬場記念病院入院。15年前には左、2年前には右脳と真ん中の小脳、これでバランスの良い牧師になれそうです。
今年5月17日は、2011年肺がん末期余命一年を宣告された愛妻が、余命4年を生きて安らかに転移召されました。
主の恵みと多くの愛の祈りで、脳梗塞の言語の乱れは6月1日にきれいに直り、普通に話せるようになりました。主治医からの厳命で杖を持っていますが、毎日一万歩位は歩きます。
守られて生かされているのは、健康管理に留意し、食事も塩分制限し、糖分は1年間スイーツ立ちで過ごし、上質のサプリメントを愛用しているからか。否である、この世にまだやることがあるから生きている、これも否です。
言えることは、自分の努力や頑張りで一日を生きているわけではないように思う。100%生かされている恵みです。朝が来るたびに、朝ごとに恵みに生かされ、その真実の愛に守られていることに感謝し大晦日を感慨深く迎えています。
パウロの心境には程遠いと思いながらも、ピリピ人への手紙に励まされてそうありたいと祈らされております。そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。
こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう。(1:20-25)
脳内出血、脳梗塞になって不自由を覚えている近隣の方々、末期がんで余命宣告された家族の方々、新しい年は、悲しみと悩みや病にあるご家族のお話をお聞きすることができればと祈っております。2年前から自動車の運転を止めたので、迎えに来てもらうか、自宅まで訪ねてくだされば、ゆっくりお話しを聞けると思います。与えられたいのち続く限り現役ですので、お祈りさせていただきます。
いつくしみ深き 友なるイエスは われらの弱気を知りて憐れむ
悩み悲しみに 沈めるときも 祈りに答えて 慰めたまわん アーメン
すばらしい愛の眼差しが、いつも注がれています。それを知るだけでも、生かされている感激、死ぬと文字通り平安で天国へ。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。




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