人類はみな神の子、と言う言葉があります。
一つは神が人間を創造されたということで、この世に生を受けた者は、神が命を与えているので神の子どもです。尊い命、全世界よりも尊いいのちです。殺してはいけません。他殺も自殺も大きな犯罪です。戦争は最大の犯罪です。
二つ目は、確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのですからです。
ところが神の子であると言っても、この世には不幸があり悩みがあり、天国と言うより地獄だと思っている人もたくさんあります。 人類がみな神の子なら、世界は天国で当たり前だと思います。しかし世界は毎日地獄のニュースを発信しています。
その理由をイエス・キリストは教えてくださいました。
「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです」(ヨハネ8:44)
世界の混乱は人類みな神の子(最初は神の子)でしたが)、悪魔・サタンに誘惑されて、悪魔の子になったからです。イエス様は悪魔とは、我欲肉欲情欲、最初から人殺し、真理に立たず偽り者であると喝破しました。
あなたがたは、あなた方の父である悪魔から出た者であり、悪魔は偽りの父であると教えました。この世界の、また日本の現実を思う時、まさしく人殺しや嘘ツキが大手を振るっているような現実に出会います。
しかし素晴らしいことにイエス・キリストはその十字架の死によって、悪魔を滅ぼし、人類をその殺りくと偽りから救いだし、解放してくださったのです。ヘブル人への手紙2:14 そこで、子たち(人間)はみな血と肉とを持っているので、主(イエス・キリスト)もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
悪魔は、死の力を持つ者ですが、イエス・キリストの十字架の死と墓からよみがえった復活の力により、悪魔の支配と力はすべて打ち砕かれました。
そして本当の意味において人類が神の子とされるのです。「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」(ローマ8:14-17)
十字架の上にいのちを捨て、三日目に復活されたイエス・キリストを救い主、主としてアーメンと信じる者は、その瞬間に神の子とされ、神のいのち=永遠のいのちを受け天国へ召されます。
そればかりではなく「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼ら(悪魔&悪霊)に勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方(主イエス・キリスト)が、この世のうちにいる、あの者(悪魔)よりも力があるからです」(第一ヨハネ4:14)
だからイエス・キリスト信じて神の子とされたクリスチャンは、悪魔のウソや欺きに騙されれてはいけないのです。悪魔は十字架の死によってもう滅ぼされれているのです。悪魔ができることは、そのウソと欺きによって騙しているだけです。クリスチャンたちは欺かれないように気をつけましょう。
神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方(主イエス・キリスト)が彼を守っていてくださるので、悪い者(悪魔)は彼に触れることができないのです (第一ヨハネ5:18)
「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます」(ローマ16:20)「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」(第一ペテロ5:9-10)
ヨハネの福音書1:12ー13しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
です。感謝します。
一つは神が人間を創造されたということで、この世に生を受けた者は、神が命を与えているので神の子どもです。尊い命、全世界よりも尊いいのちです。殺してはいけません。他殺も自殺も大きな犯罪です。戦争は最大の犯罪です。
二つ目は、確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのですからです。
ところが神の子であると言っても、この世には不幸があり悩みがあり、天国と言うより地獄だと思っている人もたくさんあります。 人類がみな神の子なら、世界は天国で当たり前だと思います。しかし世界は毎日地獄のニュースを発信しています。
その理由をイエス・キリストは教えてくださいました。
「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです」(ヨハネ8:44)
世界の混乱は人類みな神の子(最初は神の子)でしたが)、悪魔・サタンに誘惑されて、悪魔の子になったからです。イエス様は悪魔とは、我欲肉欲情欲、最初から人殺し、真理に立たず偽り者であると喝破しました。
あなたがたは、あなた方の父である悪魔から出た者であり、悪魔は偽りの父であると教えました。この世界の、また日本の現実を思う時、まさしく人殺しや嘘ツキが大手を振るっているような現実に出会います。
しかし素晴らしいことにイエス・キリストはその十字架の死によって、悪魔を滅ぼし、人類をその殺りくと偽りから救いだし、解放してくださったのです。ヘブル人への手紙2:14 そこで、子たち(人間)はみな血と肉とを持っているので、主(イエス・キリスト)もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
悪魔は、死の力を持つ者ですが、イエス・キリストの十字架の死と墓からよみがえった復活の力により、悪魔の支配と力はすべて打ち砕かれました。
そして本当の意味において人類が神の子とされるのです。「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」(ローマ8:14-17)
十字架の上にいのちを捨て、三日目に復活されたイエス・キリストを救い主、主としてアーメンと信じる者は、その瞬間に神の子とされ、神のいのち=永遠のいのちを受け天国へ召されます。
そればかりではなく「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼ら(悪魔&悪霊)に勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方(主イエス・キリスト)が、この世のうちにいる、あの者(悪魔)よりも力があるからです」(第一ヨハネ4:14)
だからイエス・キリスト信じて神の子とされたクリスチャンは、悪魔のウソや欺きに騙されれてはいけないのです。悪魔は十字架の死によってもう滅ぼされれているのです。悪魔ができることは、そのウソと欺きによって騙しているだけです。クリスチャンたちは欺かれないように気をつけましょう。
神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方(主イエス・キリスト)が彼を守っていてくださるので、悪い者(悪魔)は彼に触れることができないのです (第一ヨハネ5:18)
「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます」(ローマ16:20)「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」(第一ペテロ5:9-10)
ヨハネの福音書1:12ー13しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
です。感謝します。