牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

やりきれない人生

2014-12-06 07:31:27 | Weblog
聖書の一言;伝道者の書6章をリビングバイブル訳で。
所で、至る所に、鼻もちならない悪がはびこっています。ある人は、神様から巨万の富と名誉をいただき、欲しい物は何でも手に入る身分でありながら、人生を楽しむだけの健康に恵まれていません。そのため早死にして、全財産を他人の手に渡してしまいます。これは実に悪質な冗談で、やりきれない思いがします。
一方では、百人の息子と娘に恵まれ、長寿を全うしながら、わずかばかりの遺産もなく、子供たちは満足な葬式さえ出せないことがあります。この人は生まれて来なかったほうがましです。誕生が喜ばれず、闇から闇に葬られ、名前さえ付けてもらえず、陽の目も見ず、その存在さえ知られないとしても、みじめな老人になるよりずっとましです。何千年生きたとしても、満足することがなければ、生きていることに何の価値があるのでしょう。
りこうな人もばか者も、食べ物を得るために人生を費やしますが、もうこれで十分だということがありません。そういう意味ではどちらも同じです。しかし、貧しくてもりこうな人は、ずっとましな生活をしています。手の中の一羽の鳥は、藪の中の二羽より価値があります。
あこがれていることを夢見ているだけでは、ばかばかしいことで、風をつかまえるようなものです。
あらゆるものには定まった運命があります。それぞれの将来は、ずっと以前からわかっています。だから、自分の運命について神と議論してもむだです。しゃべればしゃべるだけ、口にすることば意味が薄れてきます。だから、全然しゃべらないほうがましです。
空しい人生のわずかの歳月だと言うのに、どうしたら最高の生き方ができるのかわかりません。死んだ先まで考えると、何が最善かを言い当てることはできません。将来の見通しのつく人は、一人もいないからです。

伝道者の書は300年前に書かれた聖書です。空の空なるかなと書き出されているように、神から離れた人生のむなしさを、徹頭徹尾教えています。
イエス・キリストの十字架と復活の救いがなかったら、地上でどんなに贅沢三昧快楽を楽しんでも、心のどん底からの喜びも平安もないまま、永遠の滅びへ向かいます。
しかし、アーメンと救いを信じるだけで、天国行きの予約ができ、毎日を何があろうとなかろうと満足して不平不満サヨウナラ。すべてのことに感謝しながら生きる幸いです。今朝から、アーメン信じます。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。