牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

奇跡はない?ある?どちらが幸せ

2012-04-20 08:49:21 | Weblog
 アルバート・アインシュタインのことばに、

 「人生を生きる方法は二つある。

 一つは奇跡なんて存在しないと思っていきること。

 もう一つは、すべてが奇跡だと思って生きること!」

 目覚めの朝に、今日もまた天国の一日です!と、声に出して告白します。目覚めること自体が奇跡と考えています。

 続いて出てくることばは、「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い」(哀歌3:22-23)
と、聖書のことばを告白し、奇跡の一日のスタートを感謝します。

 目が覚めて生かされていることに奇跡の朝を感じます。奇跡はいのちがあり生きているそれだけでも嬉しい限りです。

 顔を洗う水があることも、今は春の息吹があふれています。美しい四季の日本にいることも感謝です。

 朝のチャペルで神学生たちがみんな元気で祈りの声をを上げていることも、素晴らしい感謝です。

 今日は、ゆとりの一万歩をスタートしてちょうど8年と6ケ月。脳内出血になってから、歩くことが少ないことに気づき、毎日1万歩くらいのゆとりがあってもと思いました。

 種子島での中学生活は、往復18キロという歩いての通学でした。月に一度は野間の本屋で一冊の雑誌を買うために歩き続けました。

 中学校まで9キロ、書店まで8キロ、書店から家まで12キロ。29キロを歩くことを何とも思わずでした。
   
 高校時代は家から学校まで20キロ余。とても通学できる距離ではなく、自炊下宿しながらの生活でした。

 西之表キリスト教会までも20キロで、朝早く起きて礼拝に歩いて出かけたものです。自動車に乗るようになり、時間の節約もありすぐ近くでもサアーと出かけてすぐ帰るという具合でした。

 いまでも車を使いますが、ゆとりのある1万歩を欠かすことなく、脳内出血も癒され元気に院長、また牧師として活動しています。それだけでも奇跡と言っても良いと思っています。

 人生は偶然の積み重ねではなく、すべてが奇跡だと思って生きる時、すべてのことに感謝が満ちあふれる、平安と喜びの日々です。

 生駒聖書学院の入学式から二週間が過ぎ、神学生たちも元気で過ごしています。来週の授業が終わると、33時間の研修会でさらに大きな変身と奇跡の日々を体験することになります。

 「人生を生きる方法は二つある。

 一つは奇跡なんて存在しないと思っていきること。

 もう一つは、すべてが奇跡だと思って生きること!」

あなたはどちらですか?

テサロニケ人への第一の手紙

5:16 いつも喜んでいなさい。

5:17 絶えず祈りなさい。

5:18 どんなこと(すべての事)に感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。