牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

天国行きエレベーター

2012-04-05 06:59:04 | Weblog
こんな話があります。ひとりの男が天国行きのエレベーターへ乗ろうとしていました。エレベーターに一歩足を踏み入れた瞬間、ブザーがありました。「どうして?」男が叫ぶと、機械的な声が、「このエレベーターは1人乗りです。重量オーバーです」

 「私ひとりしか乗っていませんよ!」と男は怒って叫びました。すると「背中に背負った人たちを降ろしてください」男はあわてて後ろを振り向きました。でも誰もいません。

 「どういうことなんだ?」男は叫び、「だれもいないぞ!」と怒鳴りました。

 すると今度は機械意的な音声に変わって、優しく静かにさとすように声が響きました。

 「あなたが許していない人たちが、あなたの背中に乗っています。その人たちを降ろしてあげない限り、あなたは上っていくことはできません」

 だれでも許せない人を背負っています。普段は忘れていても、何かの拍子に思い出すと、深い悲しみに支配されたり、むらむらと怒りの感情が湧いてきたりします。

 そんな経験があれば、それはもうその人たちは過去の人ではなく、今も影響を与えている人たちです。もうこの世にいない人かも知れません。二度と会うこともない教師や同級生かもしれません。

 別れた夫や妻かもしれません。いつもいじめられたあの人やこの人かも知れません。

 でも天国は別としても、上へ行きたかったら、幸せや成功人生を生きたかったら、どんなに理不尽なことをされたとしても、そろそろそのような人たちを赦してしまうことです。

 その人の為ではなく、自分自身のために背負っている彼らを降ろしてしまいましょう。あなたの心は軽くなります。そのことを彼らに「あなたを赦しました」と言輪なくてもかまいません。

 ただ、彼らの祝福を祈るだけでよいのです。祝福を与えれば祝福は与えられます。どうしても赦すことができないとしたら・・・・、どうしても許すことのできない自分を赦してください。そうする時、考えられないような平安と自由が与えられます。

人を赦すことができないのは、ほんとうは自分を赦すことができない悲しさであり、悲劇なのです。十字架上で「父よ。彼らをお赦すください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」と、祈られた主イエス様の祈りにより、すべてが赦されているのです。

 人を許し忘れる勇気を聖霊により与えられ続けましょう。十字架の赦しの体験は、人を許す喜びで更に増し加わります。天国はすべてが赦されたパラダイスです。

今日もまた天国の一日です!感謝します。

エペソ人への手紙

4:22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、

4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、

4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。

4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。

4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。

4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。

4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。

4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。

4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。