牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

罪とはSIN=I(私)が真ん中に

2012-04-04 07:07:53 | Weblog
罪とはSIN=I(私)が真ん中に
英語で罪とはSINですが、その中心にはI(私)がいます。自己中心的な考えをすることが人間の罪なのです。
その罪はいくら努力しても自分で解決することはできません。従って罪からの解放は奇跡的なことです。私たちの罪を十字架に背負って下さったイエス・キリストをアーメンと信じることだけで、罪の問題は解決されるのです。
完了した!テテレスタイ!はその意味で救いが完成された勝利の宣言なのです。

その証拠として、心がきよめられました。雪よりも白く洗われました。
心が平安になりました。
喜びが与えられ、すべてのことに感謝できるようになりました。
実際的には罪が赦され、神の子とされたのです。永遠=神のいのちが与えられ、肉体の死後天国へ行くことができます。
そればかりではなく心は天国ですから、今日もまた天国の一日です!感謝しますと明るく生きることができます。
心は罪から解放され自由になりました。偉大なワンパターン人生を感謝します。
そのことをいつも思いつつ、信じる喜びを口に告白し、実際的に行動するので、その人は何をしても栄える!祝福の日々です。

ペテロの第一の手紙

2:19 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。

2:20 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。