狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

杞憂ではあるが…

2007-03-11 10:43:35 | 阿呆塾
第2話
 最近気になることがある。医療費が高いと実感するようになったことだ。
ボクは高齢者医療保険なので自己負担分は1割の金額だが、医院でも病院でも会計受付の所を見ていると、4~5千円の支払いは珍しくない。それに薬代は医療費より大概は高いようだし、家計への影響も少なくはないだろう。

 因みに一昨日のボクの支払いは、合せて1,800円。つまり保険を使わないとすると、18,000円となる。これに交通費を加算すれば、タクシーは使わないけれどガソリン代、保険料、自動車維持費を加えると、タクシーを使った方が割安になるかもしれない。

 しかし、それはそうとである。ボクが考えたことは、ご病気が長引いておられるさる高貴なお方のことである。高貴な方々は保険が効かないのだそうだ。ボクが2~3分診て貰っただけで、これだけかかる。
 雲の上のことを考えるのは杞憂であることには間違えないが、ふとそんなことが脳裏を掠めた。
※(前日の写真、チラシの上の高貴薬これだけで一万三千百円である)。

今朝の杞憂

2007-03-10 09:53:49 | 怒ブログ

金曜日の新聞は折込広告でずっしりと重い。この広告の山は、効果があるからお金をかけるのだろうけれど、拙宅ではそのまま新聞整理袋行きである。
この袋には次のように印刷してある。
    MOTTAINAI
□←チックが入っている。Reduce
□←   〃      Reuse
□←   〃 Recycle

 第1話(これは杞憂ではありません)
 掛かり付け内科医に行く。特に具合が悪いわけではないが、最近呑み始めた血圧降下剤がなくなってきたので、それを頂きながらの定期健診のようなものである。
 金曜日は割合空いていると言う妻の話だったが、待合室は満席だった。
ボクは一つだけ空いていた席に座り新聞を見ていた。座席の傍は、畳2畳分位のところへ絨毯を敷いた幼児の遊び場になっている。縫いぐるみを入れた箱と、プラスチックの積み木の様な玩具を入れた箱が二つ置いてあった。そこだけが空いていた。

そこへ1~2年生ぐらいの男の子が、つかつかと来て靴を脱いで、更にその靴をつま先の方を外に置き直してから上がり、壁際に寄りかかって持参した電子ゲーム器みたいなものを操作し出したのである。
 ボクは感心な子供だと思った。マスクをしていた。今流行の花粉症なのだろう。

 ところが、さらに感心したのは、その傍の椅子の人が診察に呼ばれて空いた所へ子供の母親が来て、子供の靴の左右が少しずれていたのを、丁寧に直して椅子に腰をかけたのである。
 ボクは思わず母親の顔を横目で見てしまった。日頃あまりにも躾の悪い母親ばかり見せつけされている昨今である。
この人もマスクをしていたが、20代ぐらいに見える若い母親であった。
参照「2006.7.25雑然の美学」

明日は3月10日

2007-03-09 21:50:41 | 反戦基地
「東京大空襲の記憶を新たに」 作家 早乙女 勝三
朝日新聞「声」欄の声である。作家が投書欄に投稿するのは非常に珍しいことだ。戦後文壇の大家であった作家が、やはり朝日新聞の投書欄に「特攻隊の再教育」といったようなことを書いた記憶がある。

この時、あれ?一流作家も投書するんだ…等と思ったものだった。この文によると、早乙女氏は以前にもこの欄に載せたことを書いてる。

 恥ずかしながら、この投書を見なければ、ボクは3月10日を忘れる所だった。
去年だったか。一昨年だったか、数年前、身近なネットの、ある[掲示板]に〝3月10日は何の日か?〟と書いたら〝水戸の日かな?〟というコメントを戴いたことがあった。全く笑えない。

先ず大変失礼だが早乙女 勝三氏の投書を全文引用させていただく。

    
東京大空襲の記憶を新たに
          作家 早乙女 勝三
            (東京都足立区 74歳)
1945年の東京大空襲を伝える「子に語ろう3月10日」の拙文が声欄に載ったのは70年3月。私は30代で、同年夏に東京空襲を記録する会を設立した。記録運動のステップに翌年「東京大空襲」(岩波新書)を出版した。それから36年の歳月が過ぎた。

 都民10万人以上の生命が失われた惨禍を記録すべく、有志と民間募金で、篤志家から無償供与された江東区北砂1丁目の土地に02年3月、「東京大空襲・戦災資料センター」を設立した。

 増築資金を募ると、全国から反響があり、おかげさまで今月1日、リニューアルオープンにこぎつけた。
面積がほぼ倍増、会議室が拡大し、今後は修学行生にも対応できる。「戦争と子ども」と戦中の一室を新設し、展示室では写真など遺品・資料の所有者につながる情報を充実させた。

 とはいえ、助成もなく、民立民営の綱渡りだが、新資料も集まり、若い研究者も育ってきた。より充実した態勢での継承と研究、情報発信が可能になった。

 何事もすべては一人から始まる。一なる主体的な声を、特に若い世代に期待しながら、いのちと平和のバトンを手渡せたら、と思う。


桜前線

2007-03-09 07:38:56 | 日録
桜開花、23日の予想水戸地方気象台は7日、水戸市のソメイヨシノの開花予想日を23日と発表した。平年の開花よりも12日早く、昨年よりも7日早いと予想している。
 同気象台によると、2月の平均気温が、5.8度と平年よりも2.5度高かったことや、3月も平年より高めに気温が推移することが予想されることから、平年よりもかなり早め」の開花を予想している。平年は満開までは開花してから6日ほどという。

  平年より12日早め     気象庁
この桜は、昨年2006年、4月3日に撮影したるものなり。




休憩室

2007-03-08 07:17:50 | 

Tさんから、昨日今日連続の「花」の便り。
昨日は
   1.ジシバリ 
   2.シャガ 
   3.シュンラン 
   4.ミスミソウ 
   5.ジロボウエンゴサク 
   6.リュウキンカ
今日は                  
   1.キブシ 
   2.ユリワサビ 
の花の写真の他、雪の写真である。道理で寒いと思った。
T氏は北海道出身。雪を見るとさぞ心が躍ることであろう。

昨日本の整理(さっぱり整理にはなっちゃおらん)で、「原色牧野日本植物図鑑」昭和60年北隆館なる本が出てきた。(学生版)なのでチャチナものだが、定価はかなり高い表示である。流石は図鑑である。ちゃんと載っている。早速利用させていただく。
681.ユリワサビ
Wasabia tenuis Matsum. [ ワサビ属] あぶらな科
 葉柄は上部が枯死しても基部が残り、ユリの鱗茎のようになり、香辛がワサビと同じであるから。本州、四国、九州の山地の谷川ぞいの林内にはえる多年草。全株無毛。根茎は細い。根生葉は長柄に径2~6cm、茎上葉は互生で長さ1~2.5cm。花は4~5月、高さ15cmくらいの茎に総状花序。がく片4。花弁4。長さ0.6cmくらい。雄しべ6、うち4は長い。



仏教聖典般若心経講義

2007-03-07 08:01:27 | 日録
題して「般若心境」

わが尊敬するNさんの<「般若心経の話」ダイソー」>というお話をブログで読みました。余計な事ですけど、ダイソーとは有名な100円ショップ大創産業系列の大創出版のことです。

Nさんのお話は、ひろさちや先生顔負けの名解説でした。
実は、この私も以前「般若心経講義」という駄文を書いた覚えがありましたので、過去を拡げて見ました。
06・06.13のブログにありました。
 これは戦時中、国策に沿って書かれた般若心経講義です。
仏教聖典 般若心経講義 高神覚昇著 第一書房(戦時制版)によるものです。―安部総理大臣が読んだら「推薦序文」をお書きになるかもしれません。

Nさんは
>「空」を理解すれば仏教の教理はほとんど理解できたも同然らしいので…。>と仰っております。
この本には第五講「空に徹するもの」という講義がありますので、Nさんのためにその抜粋を引用して見たいと思います。

…始めから「一切は皆空なり」といへば、すぐに「なるほどさうだ」とわかるのですが、
未だ「空」の意味を理解しないものには、まづ「五薀」の空なることを説き、それでもわからぬものには、「六根」と「六境」の空なることを説明し、更にそれでもまだ理解し得ない者にはもう一層詳しく「六根」と「六境」と「六識」の関係を説明したのでありまして、つまりは、「因縁」によって作られてゐる、私どもの世界の存在は、悉く空なり」ということを説明したものに外ならぬのです。

まことに「因縁」より生ずる所の、一切の存在は悉く空です、従って一切の事物は、皆凡て相対依存の関係にあるわけです。もちつもたれつとは、独り人間同志の問題ではありません。世間の一切の万物、みなもちつもたれつであります。現今の物理学者は「相補性原理」といっています。相補性原理とは、もちつもたれつといふことです。

有名なアインシュタインはかつて「相対性原理」を唱へましたが、今日ではもはやそれは古典物理学だといはれてゐます。(略)
…昨日の私は、もう今日の私ではないのです。今日の私はもはや明日の私ではありません。従ってこの「万物流転」と「相対依存」とは、まさしく因縁といふ母体から生まれた二つの原理であるわけです。

竪から見れば万物流転、横から見れば相対依存、この二つの原理は実に疑ふことの出来ない、宇宙の真理です。

而もこの真理に目覚める時、私どもは、そこに始めて「国家社会の恩」を感じ、「人生の尊さ」をハッキリ知ることが出来るのです。自分独りの自分ではない。私独りの私ではない。凡てのものによって、養はれている私、一切のものによって、生かされてゐる自分を、本当に心から知った時、私どもは、そこに沁々と今更ながら父母はいふに及ばず広く「国家社会の恩」を感じます。いや皇国(みくに)に生まれたおかげを感ぜずには居られないのです。 自己の姿が国家社会の相(すがた)であり国家社会の相がそのまま自己の姿である以上、世の為人の為めに、いや君国のおんためにという報恩感謝の念は、湧然として、私どもの心の底よりほとばしり出づるのです。従って、自己の生活に対する何の懺悔、反省もなしに、ただ徒に人を呪ひ、世を怨むことは全く沙汰の限りといはざるを得ないのです


非常時の打開
時は正に非常時です。われらが祖国日本は、今や文字通り非常時です。(略)
…けだし如何にして、この非常時を克服すべきか、と云ふその方法は幾らもありましょう。しかし、非常時を打開する、最も根本的な道は、死の覚悟です。国の為に、大君のために、いつでも笑って、死ねるという覚悟があれば、たとひ如何なる非常時が来ても大丈夫です。(略)
…問題は、要するに頭の問題ではありません。肝の問題です。理屈や理論でなく意気です。精神です。実行です。実践です。正見による正精進、正しい見方によって、正しい生き方を主張する仏教は、現代日本に於いて、果たして如何なる役割をもつものでありましょうか。けだし一度び、般若の空を体験したものは、つねにその時、その場をば、よりよく生かしていきます。私どもは、少なくとも「世界的日本建設」の為めに、護国の礎として、あくまで、真剣に、尊く、後悔のないように、お互ひの生活を、立派に生かして行こうではありませんか。


Nさんは<「般若心経の話」ダイソー>の読後間を次のように述べていますが、この、ワタクシメのご感想はいかがでございましょうか。

>正直、なんだこれ?でした・・・。
この本にはこの後、
「逝かなくてはならない人は死者で、死者が悟るということは成仏すること。般若心経は法界が空であり無であることを差し示して、死者にも生存者にも、その根本義を理解させてくれているのです。」
・・・と書いてありました。

ていうかゴメンナサイ、私には理解出来ませんでした。
まあ、「空」を理解すれば仏教の教理はほとんど理解できたも同然らしいので、理解出来ないのが普通のようですが。



明日は「大詔奉戴日」、まもなく、エープリル・フール、無責任の日「昭和節」、間違いました!「昭和の日」が近づきます。


古本遊覧

2007-03-04 12:32:29 | 本・読書

ふるほん【古本】①古くなった書物。読み古した書物。⇔新本。②時代を経た書物。古書。―-や【古本屋】古本を売買する店。またその人。
こしょ【古書】①むかしの書物。古い文書。②古本。新本でない書籍。[―即売会]                           (広辞苑第5版)

知り合いの古書店が、表通りに向けて大きな「古本」という看板を出した頃の話である。

小生「〝古本〟と書くより、〝古書〟と出した方が格好良いのに…」

店主(店内の漫画本のコーナーを案内しながら)「taniさん。これ〝古書〟と言える?」店主の話では、売り上げの半分以上が、この漫画本のコーナーで占めているのだという。

店主「このコーナー馬鹿に出来ません。だから「古本」でいいんです。」店主は快活に笑った。
ここに積み重ねた、雑本、殆ど均一本(100円程度)を年度別に重ねてみた。ここで発行年度が最も古いのは、
校注平家物語 内海弘蔵(明治書院)定価金弐円弐拾銭と印刷してあるが「改正定価金弐円十銭と赤色のゴム印がその脇に押してある。学生さんらしい。学校名と名前が万年筆書きで記されているがインキ消しで消されている。松崎の認印が押してあって、かすかに専門学校の字が読み取れる。
次は「万葉集古義」第一巻  (全12巻)昭和20年12月5日初版発行目黒書店
昭和20年代の本は粗悪な紙である上、450ページもある厚い本がホッチキス止めの製本である。
奥付に著者名が記されていないがそれは序文から知ることが出来る。
この序文教育勅語のように濁音がなく記されている。

万葉集古義刻本序
万葉しふはわか国古書の一にしてこれをひもとけは当事の人情風儀をしりまた事物の呼称沿革等をもしるに足れり。しかれとも其詞つかひ文字の用ゐやうなと後世の人の弁へかたきこと甚多し。故に先達の学者これか注釈をつくりこれか論説をなして其書すてに数十部おのおのきはむる所ありて後進の益をなせり。近世土佐の学士鹿持雅澄万葉集古義を著はせり蒐輯ことにひろし其労おもふへし。この書注釈書中の上位におくへき書なり。わか明治聖上の為にこれを奏する人あり。上命してこれを土佐にめさしむ。しかるにこの書もと雅澄か生涯の力をつくし世を去るに至るまて校正してやますまた巻帙甚多きゆゑに正本に乏し。雅澄か門派高知県士族福岡孝廉か蔵本ひとり全本たるのみ。其他雅澄の嗣子飛鳥井雅慶の家に蔵する所といへともまほ完全ならす。これによりて福岡孝廉をして奉らしむるに至れり。孝廉ふかくこれをかしこみよろこひ雅慶其他の門人等とはかりて更に校正浄書してつきつきに宮内省に出せり。本編百巻は福岡孝廉か奉れる所付録廿余巻は飛島井雅慶の奉れる所なり。上すなはち宮内の官吏に勅してこれを刻本となさんとしたまふ。わか輩かねて文学懸りの命を奉するを以て其事にあつかれり。ことし明治12年の夏その第1巻刻なれりと告く。実に万葉集注釈書中において殊に光栄ある1本世に出現せりといふへし。心あらん人はみな天意のかたしけなきをおもひまた福岡飛鳥井の輩は師のため父の為かなしみよろこひこもこもなるおもひをなすなるへし。今其刻本となしたるはかの福岡以下門人数名か校正して進献する所の原本にしたかひて加除添削をなささるものなり。今かく其刻本となれることのよしを聊しるしおきてこれか序文となす。この序文をそふるも上命によれるなり。あなかしこや。
明治12年8月      元老院議官 福羽美静




         

海軍航空機カレンダー

2007-03-02 18:20:30 | 日録

これは東京のある出版社が1986年(昭和61年)海軍航空機カレンダーとして市販したとき新聞広告に出した旧海軍飛行艇”2式飛行艇(十三試大艇)写真である。
この新聞広告写真を見ただけで、疑わず5~6部注文した。友人たちに贈った。

その頃は零細とはいえ運送店を経営していたから、名入れのカレンダーを作ろうかなとも考え出版社へ問い合わせなどもした。しかし得意先が4~5箇所しかなかったので経費がかかりすぎ注文は断念した。
出版社からは今でもダイレクト・メールが届く。
昨日、物置の古本を整理していて、この「海軍航空機シリーズ」カレンダーが物置の中から出て来た。思い出が駆け巡った。

 
真夏の空は抜けるように青かった。
 昭和20年8月15日正午。四国香川県詫間基地。天皇のラジオ放送は戦争の終結を告げていた。
「本当か?」
 突然の、信じ難い降伏の知らせに、航空隊仕官たちはしばし呆然と立ちつくし、士官室をひとときの真空が支配した。このとき、外では誰かの号泣が引き金となって感情の暴発がはじまっていた。どなり散らし、泣きわめき、日本刀を振りまわす者など。この基地には、飛行艇隊員ほかに水上偵察機の特攻隊たちもいた。終戦の放送は、彼らにとって考えようによっては、死刑免除の宣告に似たものがあったにちがいない。ただ一度の出撃の日にそなえて、極度の緊張にあった精神の糸がぷっつり切れたとき、若いかれらが度を失ったとしても責めることは出来ない。
 飛行隊長の日辻は、そっと士官室を出た。みずからの感情を整理すべく黙々と歩いたが、ふとふり返ると、飛行艇隊の士官たちが一団となってかれの後ろに続いていた。
 指揮所には、すでに敗戦を知った隊員たちが集まり、彼の指示をまっていた。歯をくいしばって耐えている者も見られたが、「やるだけはやった。あとは天命に委ねるのみ」といった諦観に似た落ち着きが大多数を支配しているのに、日辻は感動を覚えた。

最後の二式大艇―海軍飛行艇の記録 碇 義郎  文芸春秋刊より抜粋

碇 義郎の著書には、「海軍空技廠(上)(下)、「幻の戦闘機」「紫電改」「紫電改の六機」「海軍技術者たちの太平洋戦争」等、海軍航空機に関する著書が多数あるが、氏は(勿論陸軍機についての著書も多い)東京都立航空工業高卒。陸軍航空技術研究所などの陸軍の経歴のある方である。

やっと棚に納まった荷風全集

2007-03-01 16:00:55 | 日録
多分前に書いたと思う。〝「荷風全集」全28巻岩波書店昭和40年8月14日刊〟の第17巻欠本をお酒1升ぐらいの値段で7~8年以前に古本屋から購った事があった。
「第17巻は見つかり易いと思いますょ。」というご主人のお見立てだった。
ボクは全巻揃わなくても、それほど気にならなかった。
何はともあれ、新刊本1冊分の値段である。それに「断腸亭日乗」が全部揃っていたかえたから、それで充分だったからである。

その後、ボクは住まいの建て替え普請や、生業の運送店経営から手を引く準備や整理に忙殺されて、この全集はちりちりばらばらになったままにしておいた。
去年偶然ネットでその端本を見つけて購入した。
そして今日やっと棚に収めたのである。探したり、叩きをかけたり、雑巾がけをしたり…。昼休みも返上ガンバった。

ただ、この書棚はわがパソコン室の書棚ではない。庭に置いてあるスーパーハウス(移動可能簡易ハウス)で、窓にシャッターが付いてない。だからご覧のように西陽が差し込む。明日カーテンの取り付けを家内に外注した。

今日はこれでお終い。だが、このパソコン室どうすべと思案真っ最中なのであった。