狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

海軍航空機カレンダー

2007-03-02 18:20:30 | 日録

これは東京のある出版社が1986年(昭和61年)海軍航空機カレンダーとして市販したとき新聞広告に出した旧海軍飛行艇”2式飛行艇(十三試大艇)写真である。
この新聞広告写真を見ただけで、疑わず5~6部注文した。友人たちに贈った。

その頃は零細とはいえ運送店を経営していたから、名入れのカレンダーを作ろうかなとも考え出版社へ問い合わせなどもした。しかし得意先が4~5箇所しかなかったので経費がかかりすぎ注文は断念した。
出版社からは今でもダイレクト・メールが届く。
昨日、物置の古本を整理していて、この「海軍航空機シリーズ」カレンダーが物置の中から出て来た。思い出が駆け巡った。

 
真夏の空は抜けるように青かった。
 昭和20年8月15日正午。四国香川県詫間基地。天皇のラジオ放送は戦争の終結を告げていた。
「本当か?」
 突然の、信じ難い降伏の知らせに、航空隊仕官たちはしばし呆然と立ちつくし、士官室をひとときの真空が支配した。このとき、外では誰かの号泣が引き金となって感情の暴発がはじまっていた。どなり散らし、泣きわめき、日本刀を振りまわす者など。この基地には、飛行艇隊員ほかに水上偵察機の特攻隊たちもいた。終戦の放送は、彼らにとって考えようによっては、死刑免除の宣告に似たものがあったにちがいない。ただ一度の出撃の日にそなえて、極度の緊張にあった精神の糸がぷっつり切れたとき、若いかれらが度を失ったとしても責めることは出来ない。
 飛行隊長の日辻は、そっと士官室を出た。みずからの感情を整理すべく黙々と歩いたが、ふとふり返ると、飛行艇隊の士官たちが一団となってかれの後ろに続いていた。
 指揮所には、すでに敗戦を知った隊員たちが集まり、彼の指示をまっていた。歯をくいしばって耐えている者も見られたが、「やるだけはやった。あとは天命に委ねるのみ」といった諦観に似た落ち着きが大多数を支配しているのに、日辻は感動を覚えた。

最後の二式大艇―海軍飛行艇の記録 碇 義郎  文芸春秋刊より抜粋

碇 義郎の著書には、「海軍空技廠(上)(下)、「幻の戦闘機」「紫電改」「紫電改の六機」「海軍技術者たちの太平洋戦争」等、海軍航空機に関する著書が多数あるが、氏は(勿論陸軍機についての著書も多い)東京都立航空工業高卒。陸軍航空技術研究所などの陸軍の経歴のある方である。