僕の組内(隣組近所内)のY君宅に溥傑の書がある。若い世代の人たちに、そう言ってもぴんと来る人が少ないかと思われるので、ヒントを与えよう。
愛新覚羅彗星さんの父である。http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/amagiyamasinnjyuu.htm それでも説明不足と思われる方には、例によって「広辞苑」の引用となる。
ふけつ【溥傑】(Pujie)清朝最期の皇帝、溥儀の弟。学習院・陸軍士官学校・陸軍大学校卒。満州国の軍人となる。第二次大戦後ソ連に抑留、1960年特赦。のち全国人民大会代表。書家としても有名。(1907-1994)
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夕刻Y君宅に徒歩で遊びに行く。ここに「魚躍鳶飛」の書があるのは、昔から知っていた。今豪邸に建替えてしまったので、これがどうなっているのか、急に確めたくなって出かけてきたのである。
十畳の奥座敷の長押の処に、上写真のように鎮座していた。そればかりではない。床の間にかけてある掛軸も溥傑の書であった。
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いま中国旅行をすれば、この高名な書家の書は、グラフ誌などに掲載されているのを入手できるけれど、実物の入手はどうなのか、その道の素人である僕には、全く分からないが、一農家の(Y君宅は農家だった)、奥座敷に60年近くも掲げられてあったのである。
実はY君の叔父は、旧軍人で陸軍士官学校卒の憲兵少佐(或いは中佐かも)であった。 終戦で満洲から奥さん共に引き上げてこられたのである。引き上げ当時の経緯については、全く聞く機を逸してしまった。
中学を終えたばかりの僕は、その頃ようやく左翼的本を読むようになっていて、当時抑留中洗脳されて帰国した人たちと、進んで交際するようになっていた。 「唯物論的弁証法」などという語彙の覚えて、さかんに会話に使用した。
青年会などが主催する弁論大会に出場して得意になっていたこともある。
Y叔父の話はさすがに憲兵上級士官だった為か、共産主義に対しても学問的解説を何回か聞かされた。
憲兵であった故、旧軍人の行動に責任を負う最先端の立場におられたわけで、帰国にあたっては、大分危険な橋を渡ってこられたと思う。
氏(Y叔父)は、暫らく此の家に寄寓していたが、プライベートな事情も続き、東京に住まわれる様になった。晩年は熱心な創価学会員になったという風の便りである。