Edo さん。
貴ブログ『縁故疎開』拝見しました。やはり同世代の、「ウンチクの蓄え」これは単に自慢話や、回想録はなく、貴重な歴史ページへの記録となると思います。
因みに私は、その『縁故疎開』を、早速ITで検索してみました。続々と戦争末期の状況が出てきて、否応なしに、空襲の恐怖、爆撃の恐ろしさを掻き立てられずにはいられませんでした。(縁故疎開)
「老年反戦委員会」のブログ記事「旗はた」に共鳴され、TBしたいのだけれども、
<老反戦委の御仁は世事にも幅広く、奥深い豊富な知識とその文章を見る限り普通人ではないようにも思え、結局、小生ごとき幼稚なレベルでは「TB・コメ」など投稿するには至りませんでした。>とメールを送ってくれました。
Edo さん。
確かに私たちは、元運ちゃん仲間だし、ベンキョウなど関係ない職業についておりました。それに学歴もあまりないのですから、共に論陣を張るのは不可能なことを、私自身もよく承知しております。
しかしそれはグログ上のことであって、委員会のご寛容を信じて、パソコンの勉強、頭の体操(?)と割り切って、私もコメントやTBを差し上げおります。
それに対して、丁重な返信も下さり、今年は委員会の指定席を頂戴いたして非常に感激しております。
Edo さん。
トン・ツーは私も知っております。「モーシとコーシ」「ノギトーゴー」「チカトーキ」なんちゅうのもありましたね。しかし51文字全部は覚えていませんので、平凡社「世界大百科事典」で調べてみましたが、ありませんでした。ITで調べられるかどうかこのあとやってみます。
それから、あの房だけとなった聯隊旗は、明治天皇御自ら授け給うた(本当かどうかわかりませんけど)水戸第2聯隊の聯隊旗なんですね。
昨年今上天皇が訪問されたサイパンでも、軍旗を恭しく焼却した後万歳突撃をしたのでしょう。嗚呼。
Edo さん。
ところで、貴兄は今の携帯電話の普及には、驚きませんか。あの、年がら年中歩きながらでも、パチパチやっている男女青少年たちの格好は、決して褒められたものではありませんが、時代の流れと受け止めます。
今年はパソコンからもう一歩進めて、あれをやって、頭の体操を始めてみようではありませんか。
話は飛躍します。今中国や、北朝鮮に対して、強硬姿勢で臨めとする、論調が自民党や、一部民主党の政治の間に高まりつつあります。その声に靡く世論もマスコミもないわけではありません。
それは、日本のハイテク技術は、彼等より勝っているという優越感が根底に潜んでいるからではないでしょうか。
自衛隊を堂々軍隊に仕立てれば、ロボットや、携帯電話で戦争ができる。或いは核兵器だって日本の技術から見れは、今すぐにでも造れるぞ。などと思いこんでいるのかも知れません。
Edo さん。
縁故疎開の画面は、あの頃の単なる回想ではありません。戦争を知らないコイズミや、政治家全体に知って欲しい願いからです。
空襲の恐ろしさ、灰燼と化した東京を我々には忘れろと言っても忘れられないことですから。S.20年3月10日の真っ赤な東京の空は、遥か茨城なるわが家からも見え、「あれはなんだっぺ!」と驚いたのものでした。
貴兄の「縁故疎開」全文を無断コピーしました。
不愉快でしたら、直ぐ削除します。
お互いの 録運長久なるを祈念して、稿を閉じます。 そんでわ。
≪昨日ブログを検索中「旗はた」の記事が目にとまる。と言っても冒頭に一寸だけだったが、僕の頭の中に眠っていた六十数年前の秋田の頃が突然目を醒ました。
米どころではあるが、戦時供出でご飯よりおかずの方が多かった。とくに冬場になると注文してあった箱入りの 「はたはた」を弟と二人で橇を引っ張って駅の丸通(日本通運)にとりにやらされた。
そして朝昼晩「はたはた」を食わされた記憶がある。そのくらい沢山漁れた。 (はたはた文化)
次に記事は「赤旗」「軍旗」に続いて「軍艦行進曲」のウンチク、僕もこれにはウンチクがある。昔昔と言っても明治の時代のことである。
瀬戸口藤吉の未完成交響曲が後に天皇の要請によって、瀬戸口藤吉の編曲により軍楽管弦楽に変わり、マ-チの名曲として世界中の音楽家に賞賛されている。
マ-チとして今日まで長きに亘って愛聴されているが、原曲は未完成交響曲のままである。 そんな名曲をパチンコ屋の煽り曲に使うとはなんと不謹慎なことぞ!!
更に記事は「手旗信号」と続いていたが、僕は当時「モ-ルス信号」の方が得意だった。
イ 「伊藤」 ロ 「路上歩行」 ハ 「ハ-モニカ」 だぞ!!
先日、元自衛官で通信隊にいたと言う、友人(50歳位)に訊いたら答えは全く知らない・・・と??? たのむぜ ”小泉総理” 頑張れっ! にっぽん!!≫
Edo さんのブログを無断盗用した。