恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

マドリードの無差別テロに思う

2004年03月12日 | 外交・国際
 昨日、スペインの首都マドリードの3駅で起きた爆破テロで、死傷者合わせて1600名にのぼる被害が出ています。
 アルカイダ系の「アブハフス・アルマスリ旅団」が犯行声明を出したと伝えられており、またスペイン政府は「バスク祖国と自由」(ETA)による犯行と主張しています。真偽のほどは分かりませんが、誰であってもこのようなテロ行為は許されるものではありません。
 しかし単に怒りに任せるのでは、「テロとの闘い」と称して逆に侵略を行なうブッシュ大統領や、戦争国家づくりを進める勢力にその感情を利用されるだけであり、しっかりと歴史的背景を考える必要もあると思います。

 バスクはフランス国境に近い大西洋岸にあります。バスク人は「非欧印(インド・ヨーロッパ)語」のバスク語を母語とするなど全く独自の民族文化を持っていました。ETAが45年前に結成された背景には、バスク人に対し、スペイン政府がバスク語の禁止などの弾圧を行なってという背景がありました。

 日本においても、明治のアイヌ民族文化への弾圧や、朝鮮半島・台湾・中国への侵略と併合・日本語教育強要や創氏改名などを行なってきた歴史がありますが、こうしたことを肯定・正当化する動きが麻生太郎大臣や石原慎太郎都知事、新しい歴史教科書をつくる会等をはじめ、あちこちで起こっています。小泉首相の靖国神社参拝もその一つです。

 今回の事件が「バスク」の人々のものか定かではありませんが、政府や国民が歴史を真摯に省み、他民族との関係でお互いを尊重し合わなければ、どこの国でもこのような悲劇が起こりうるのではないかと思います。
 「民族」というものの独善性は、絶えずそのような危険と「隣り合わせ」なのです。