恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

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憲法記念日に思う

2010年05月03日 | 憲法
 日本国憲法が施行されてから63年、今年も憲法記念日を迎えました。
 半月後に「改憲手続法」(いわゆる「国民投票法」)が完全施行されるということもあってか、今年は何かしら異様な雰囲気を感じます。

■ 「欠陥」

 そもそも、この「改憲手続法」とは何なのでしょうか。
 端的に言えば、それは「任期中の改憲」を掲げた安倍政権が、先の小泉政権による「郵政選挙」で自民党が得た議席を背景に、その目指す「改憲」を「ごり押し」するための手続きを定めた法律と言えるでしょう。法案は欠陥だらけで、まともな審議も行わないまま、当時の与党(自民党・公明党)が強行採決で押し切っていったものです。
 国の「最高法規」を左右するという重要な法律にもかかわらず、あまりにも多くの欠陥や疑問を残したままの強行採決でしたので、前代未聞の18項目にも及ぶ「附帯決議」が付けられました。
 この「附帯決議」は、本来ならば法律で定めるべきことが盛り込まれていない等の様々な問題点を列挙し、その不十分さを補うために、内閣にも国会にも「宿題」を課すものでした。
 しかし、「国民投票の対象」「最低投票率」「有料広告」「公務員や教員の運動の制約」、そして判定のための「分母をどうするか」などについて、施行前に「十分に検討しなさい」「適切な措置を講じなさい」という「宿題」が何一つ出来ていないのです。
 さらに決定的なことで言えば、「改憲手続法」では国民投票を行う「成人年齢」を「18歳以上」と定め、他の法律もこれに合わせて成人年齢の引き下げを行うよう付則で定めていますが、これも全くの「手付かず」です。
 ただでさえ「欠陥法」であり、しかも施行前に課された極めて基本的な「宿題」さえ出来ていない「改憲手続法」など、施行する価値さえありません。「施行延期」を望む声もありますが、私はむしろ、「憲法3原則の尊重」を「連立合意」で決めた現内閣の立場からすれば「廃止法案」を出すべきではないか、とさえ思います。

■ 「自主」

 さて、この「改憲手続法」を強行したのは自民党・公明党ですが、このほかにも「改憲」を唱える人々がいます。特に、自民党を離党・除名されながらも異口同音に「自主憲法制定」を唱える新党がいくつかあります。
 この「自主憲法」という言葉の裏側には、日本国憲法を「GHQによる押し付け憲法」だとする批判が込められているのですが、この「押し付け論」もまた「欺瞞」に満ちています。
 確かに、現憲法の草案はGHQが作りました。しかし、その草案作りに最も影響を与えたのは、高野岩三郎氏や鈴木安蔵氏ら「憲法研究会」の「憲法草案要綱」だと言われています。
 こうして出てきた「草案」について、日本人は、当時の「大日本帝國憲法」の改正手続に則って、初めての「改憲」作業を行います。
 枢密院から帝国議会へ、衆議院で一部修正し可決後に貴族院へ、貴族院で一部修正して可決、その修正部分を議論すべく再び衆議院で審議・可決後に枢密院へ、そして天皇がこれを裁可し、公布するまで約7ヶ月間、正に日本人が侃々諤々の議論を尽くしたのです。
 「主権の存する国民の総意に基づく」という天皇の権威付け、国会の「二院制」や、内閣の「文民」規定などなど、帝国議会での日本人の修正が、この日本国憲法を生んだのです。
 米軍のマッカーサー元帥は、この憲法を「天皇との合作」と呼びましたが、それ以上に日本人の「自主」制が反映されていることは間違いないところでしょう。
 
■ 「押し付け」

 この日本国憲法を「押し付け」だと否定する人々は、一体何をしたいのでしょうか。
 安倍政権が「改憲手続法」を強行してまで押し通したかった憲法とは、前の小泉政権が作った自民党「新憲法草案」です。
 よく「最大の焦点は憲法9条である」と言われる通り、彼らの願いは「再軍備」にあることは言うまでもありません。「自衛軍」という名の「軍隊」を保持し、「国際協調活動」という名の「軍事行動」などを行ない、さらに「軍事裁判所」を設置するなど、随分と勇ましいことが書かれています。
 もちろん、憲法9条での「戦争」「武力威嚇」「武力行使」という禁止事項を維持していますので、このような「自衛軍」になっても、日本がいきなりどこかの国に戦争を挑み始めると考えているわけではありません。
 最大の問題は「国際協調活動」にあります。
 「国際協調」と言いますが、これまで日本に軍事的な要請を行ってきた国がいくつあったでしょうか。
 「警察予備隊(保安隊、自衛隊)を作れ」「海上保安庁を作れ」「掃海艇を出せ」「軍資金を出せ」「無償で給油活動を行え」「地上部隊を出せ」。これらは全て米国からの要求です。
 すなわち、「国際協調活動」とは、世界中で絶え間なく戦争を引き起こしている米国の、強引な要求に応えるための「方便」に他なりません。
 自民党やその流れを汲む人々が声高に叫ぶ「自主憲法制定」の本質は、米国のための「軍」を創設することにあるのです。
 そして、それこそが米国の真の「押し付け」だったのです。

■ 「売国」

 そもそも、ポツダム宣言によって武装解除した日本に、再び「軍」を持たせようと言い出したのは米国です。
 1948年、当時の米国の国防長官や陸軍長官が「日本と西ドイツの再軍備」を唱えたことが発端でした。しかも、彼らがそれを推進しようとした最大の理由は「米国の人的資源の節約のため」、すなわち今後想定する東側諸国との戦争において米兵を「節約」するために、日本や西ドイツの「兵士」たちに死んでもらおうというわけです。
 その後、日本では、例の「自主憲法制定」を唱える自民党が1955年に発足しますが、この自民党は1950年代から60年代後半まで、米国の諜報機関CIAからの工作資金を受け取り続けていたことが、米国側の史料で既に明らかになっています。そして彼らはその資金を背景に、国内で勢力を伸ばしていったのです。
 つまり自民党は元々、米国に金で買われ、米国の国益のために動く組織でした。米国側の史料によれば、その金を最も多く受け取っていたのは、自民党結党の「立役者」とも言うべき岸信介氏でした。岸氏は言うまでもなく、前述の安倍晋三氏の祖父です。 
 岸氏と言えば、強烈な「改憲」論者としてだけでなく、今から半世紀前の「60年安保」を決めた当時の首相としても有名な人物ですが、日米安保条約を締結するか否かを決める最高責任者が、交渉相手である米国から金をもらっていたのですから、これほどの「売国」はないでしょう。
 このような汚らわしい歴史を持つ自民党や米国のために、今も多くの日本国民が在日米軍基地の負担に苦しんでいる現状に、強い憤りを感じます。

■ 「感謝」

 さて、このような米国や自民党の「思惑」をよそに、日本国民は63年間、日本国憲法を堅持してきました。これは国民の良識の表われであり、誇りに思います。
 また、日本国憲法と、その憲法を守り抜いて下さった人々への「感謝」の念が込み上げてきます。

 この63年間は、私たち国民が戦死させられることなく平和に生きられた時代でした。自由に考えることができ、その考えを言うことができました。教育を受けることができました。一人一人の人権が尊重されました。本当に困ったときには生きていくことを支えてくれる世の中でした。
 私たちの人生の様々な場面に、日本国憲法は確かに私たちのすぐ側にいてくれましたし、私たちを優しく守ってくれました。
 日本国憲法には、これからも私たちのすぐ側にいてほしいと思います。もちろん、私たちの子どもや、その子ども、さらにその子ども…と、将来の世代を守り続けてもらわなくてはなりません。

 2010年の憲法記念日にあたり、あらためて日本国憲法に「いつもありがとう。これからもよろしくお願いします。私も頑張りますから」、そう言いたいと思います。
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憲法解釈をめぐる「政治主導」の暴走

2009年11月06日 | 憲法
 鳩山政権が掲げる「政治主導」が暴走を始めています。
 4日、平野官房長官は、憲法9条などの解釈について「政治主導だから政治判断で解釈していく」と語り、今後は内閣が判断する方針を表明しました。

■ 内閣法制局の「審査」と法的な整合性

 これまで憲法解釈の審査は、内閣法制局が担ってきました。
 内閣法制局は、内閣が新たに提出しようとする法案などについて、憲法や他の現行法との整合性を審査する「審査事務」の一環として、これに当たってきたわけです。
 実際、これまでの政権でも、内閣法制局の「審査」をクリアしなければ、法案を提出しませんでしたし、憲法解釈の変更には踏み込むことはありませんでした。彼らが「行政府における法の番人」と呼ばれる所以です。
 もちろん、これも内閣に属する法制局が判断を行うことで「解釈改憲」を引き起こしてきたという問題もありますが、こうした審査を経てきたからこそ、内閣の変遷や政界再編、政権交代の際でも、日本が「法治国家」として、法的な整合性は一定程度、保たれてきたという経緯があります。

■ 時の権力者によって揺れ動く「憲法解釈」

 今回の平野氏の発言のように、憲法解釈を内閣が「政治判断」するとなれば、いずれは強引で恣意的な解釈に走ることもありえます。
 平野氏は5日、改めて「慎重に判断する」と述べましたし、政策合意に「憲法三原則の順守」を盛り込んだ現在の3党連立の間は、直ちに妙なことは起こらないとは思いますが、将来の政権にまでそれを望めるでしょうか。
 例えば、イラクへの自衛隊派遣について、何でも「憲法の枠内」と強弁した小泉純一郎氏のような人物が政権を握ったとき、誰も権力の暴走を抑えられなくなるということも考えなければなりません。
 言うまでもなく、憲法は「最高法規」であり、「国民の立場から権力を縛るもの」です。
 その憲法が、時の権力者の意のままに揺れ動くようでは、もはや「法治国家」とは言えません。
 こうした内閣の姿勢を、当時野党だった民主党も厳しく批判してきたはずです。

■ 「解釈でのごまかし」と「法治国家」の「尊厳」

 例えば、鳩山首相は5年前の国会で、当時の町村信孝外相に対してこう発言しています。
 
 「私どもは法治国家でありますから、法律、憲法をつくった以上、それは守らなければなりません。しかし、守られているふりをしながら、現実は種々のところでそれぞれの法律が守られていないのではないか、あるいは解釈でごまかそうとしているのではないか、こういうところがこの国の尊厳を失ってきているのではないか」(2004年10月27日 衆議院外務委員会)

 今回の平野氏の発言は、言わば内閣による「解釈でのごまかし」を助長するものであり、当時の鳩山発言の論旨に従うならば「国の尊厳を失う」ことにもつながるでしょう。

■ 「審査事務」を最高裁に移管せよ

 今回の件について鳩山首相は4日、「法制局長官の考え方を金科玉条にするのはおかしい」と述べ、平野氏の発言に同調しました。
 内閣法制局の長官が「官僚」であることが問題なのであれば、内閣法制局が担ってきた「審査事務」を最高裁判所に移管すべきです。
 「違憲立法審査権」を持つ最高裁判所が「審査」を行えば、「違憲立法」を未然に防ぐこともできます。

 いずれにせよ、恣意的な判断につながる「政治判断」などの出る幕ではありません。
 政治は「最高法規」に則って行うべきものであり、「政治主導」で「最高法規」の解釈の変更を行うというのは、正に本末転倒です。
 このような権力の暴走につながる「政治主導」は、明らかに誤りであり、厳に慎むべきです。
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「無法者」から守り抜くべき日本国憲法という「砦」

2009年05月03日 | 憲法
 日本国憲法が施行されてから62年、今年も憲法記念日がめぐってきました。
 新聞・テレビなど多くのメディアが憲法について取り上げ、各地でも、憲法をめぐる様々なイベントや取り組みが行われました。
 私も地元での取り組みに参加した一人ですが、そこでふと思ったことがありました。
 「彼ら」は何をしているのだろう、と。

■ 憲法を邪魔者扱いする「権力」

 憲法99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と定めています。
 「この憲法を尊重し擁護する義務」を負っている「彼ら」が、この憲法記念日に何をしているのか全く見えてこなかったのです。

 「法律は国民を縛るもの。憲法とは国民を守るために権力を縛るもの。」

 これが近代以後の「憲法」の位置づけを最も的確に表現した言葉だと思いますし、99条もその証ですが、その「尊重擁護義務」を負っている側が、この憲法記念日に「何もしない」のです。
 「権力」の側は、それほど自分たちを縛る「憲法」が邪魔なのでしょう。

■ 「最高法規」すら守らぬ「無法者」

 しかも、これは露骨な行動となって表れています。
 この憲法記念日、多くの自民党や一部の民主党の議員などは、「この憲法」を否定する立場で行動していたのです。
 「権力」を預かる与党議員、「権力」を預かろうとする一部の野党議員が、国内の「最高法規」によって自らに課せられた「義務」さえ遵守できないような「恥ずかしい」有様です。
 国の「最高法規」さえ守れないような人々は「無法者」と呼ばざるを得ませんが、そのような「無法者」が定めようとする「新憲法」とは、一体どのようなものなのでしょうか。果たして「憲法とは国民を守るために権力を縛るもの」という「最低条件」を満たすようなものなのでしょうか。

 そのような「無法者」や、憲法を「邪魔者」扱いする「権力」が牽引するような「改憲論」に、そのような期待が持てないことは、火を見るより明らかです。

■ 「無法者」による「開き直り」

 「憲法は現実に合わない。」
 これは彼らの常套句ですが、「冗談ではない」と言いたくなります。
 「現実」が示すものとは、「権力」が憲法を守ってこなかったという、「恥ずかしい」実態だけではありませんか。

 9条は「解釈改憲」が続けられ、自衛隊が作られ、その自衛隊にしても「専守防衛のための実力組織」だったはずが、日本の領土を「ほったらかし」にしてまで、中東やアフリカにまで送り出される始末です。

 「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 」という25条の規定が守られていれば、「高齢者切捨て」「障害者切捨て」「医療切捨て」「公害被害者切捨て」などは起こりえなかったはずですし、「ワーキングプア」など「貧困」の問題もかなり解消されていたことでしょう。

 「憲法が現実に合わない」などという主張は、「無法者」に「権力」を預け過ぎ、その「無法者」たちが好き勝手を続けた挙句、「開き直っている」だけではありませんか。

■ 憲法という「砦」を子どもたちに引き継ごう

 このような「無法者たち」の「開き直り」を許さず、「憲法とは国民を守るために権力を縛るもの」という近代憲法の原点に立ち返ることこそ、いま何よりも重要なことだと思います。

 私には自由があります。権利があります。誰かを殺すことも、また死ぬことも強制されませんでした。まだ自分自身が「生きる」という主張もできます。このように何とか「権力」「無法者」に蹂躙されない人生をおくることができたのは、ひとえに「無法者たち」の「開き直り」を許さなかった先人たちのおかげです。

 その「砦」を「無法者たち」に、やすやすと明け渡すことはできません。

 憲法という私たちの「砦」を「無法者」たちから守りぬき、次の世代である子どもたちに引き継ぐことこそ、いまを生きる私の使命だと考えます。
 その使命のために今後も力を尽くすことをお誓いし、今年の憲法記念日にあたっての私の決意と致します。
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憲法記念日に伝えたいこと

2008年05月03日 | 憲法
■ 平坦ではなかった憲法の歩み

 5月3日、日本国憲法は61回目の「誕生日」を迎えました。
 世界の各地で、戦争や人権弾圧が絶えぬ中、日本国民に比較的平穏と言える日々を過ごさせてくれた最大の功労者である日本国憲法に、私は感謝を捧げたいと思います。
 しかし、その歩んできた道のりは決して平坦なものではありませんでした。
 米国と財界から、金銭的支援とその意向を受けた自民党という政党が生まれて以来、絶えずこの「日本国憲法」は、彼らの敵視にさらされてきました。
 権力者の命令一つで、あらゆる人権を踏みにじり、国民を思いのままに操った時代を謳歌してきた彼らにとって、憲法の人権規定や民主主義はこの上なく邪魔なものでした。
 また、日本に再軍備を行わせ、米軍の指揮下に置くことで、米国の「人的資源の節約」を図ろうとする米国にとって、「戦争放棄」「戦力不保持」が邪魔でしたし、財界にとっては、労働者に保障された労働基本権なども邪魔で仕方ありませんでした。
 こうした人々の思惑は互いに融合しながら、様々な詭弁を弄して日本国憲法の破壊を目ざし、自分たちに便利な憲法を作ろうとしてきました。
 
■ 人類全体の財産
 
 憲法の果たすべき役割とは、国民の立場から権力の暴走を抑制し、権力から国民を守ることにあります。
 日本国憲法のみならず、いま挙げたような米国や財界、自民党などの思惑や利益と、憲法が守ろうとする国民の利益とは、本質的に相容れないものなのです。
 だからこそ、多くの先人たちが、「憲法擁護」を訴えながら「反米」「反独占(資本)」「反自民」を掲げ、平和と人権を守り抜き、今を生きる私たちに受け継いできたのです。
 もちろん、この努力は戦後の日本だけのものではありません。それこそ英国の「マグナカルタ」以来、三大市民革命を中心とした近代立憲主義に通じる世界中の人類の叡智と努力があり、その結晶としての日本国憲法の意義を忘れてはなりません。

 それは、日本国憲法第97条に、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と書かれている通りであり、この日本国憲法の権利章典としての役割は、人類全体の財産であると言っても過言ではありません。

■ 不断の努力

 私たちの祖先が築き上げてきたこの財産、そして「将来の国民」に受け継ぐべき財産こそ、私たちの「日本国憲法」であると考えます。
 この財産は、今を生きる一人の親として、何としても守り抜き、子どもたちに受け継いでいかなければならない、それが私自身の責務だと確信しています。
 日本国憲法第12条には、こう定められています。

 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」

 いま、国民が声をあげなくなったからこそ、改憲への動きが加速しています。
 私は、元より「非力」ですが決して「無力」ではないと信じ、「将来の国民」に恥じぬよう、この「不断の努力」を実践していきたいと思います。

 この決意こそ、今年の憲法記念日に、皆さんにお伝えしたいことです。
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戦争を止める力 ~名高裁判決が示したもの~

2008年04月18日 | 憲法
■ イラクでの自衛隊の活動は「違憲」「違法」

 17日、名古屋高等裁判所は、イラク特措法に基づく自衛隊の活動について「イラクで行われている空輸活動は、憲法9条に違反する活動を含んでいる」との判断を下しました。
 さらに、今も航空自衛隊が行き来しているバグダッドを、イラク特措法上の「戦闘地域」であると認め、この活動がイラク特措法にも違反していると判断したのです。

 この訴訟の最大のポイントは、憲法前文に定められている平和的生存権を、どこまで人権として認めるのか、という点にありました。
 従来、この平和的生存権は「抽象的権利」という扱いを受けてきました。つまり侵害されても救済されない可能性があり、平和的生存権を侵害する側に有利な捉え方だったのです。
 しかし、今回と同様の訴えについて前月23日には「平和的生存権は、・・・基底的権利」であり、「憲法9条に違反する国の行為によって個人の生命、自由が侵害されず、又侵害の危機にさらされない権利、同条に違反する戦争の遂行ないし武力の行使のために個人の基本的人権が制約されない権利」という判断がありましたが、今回の判決では、さらに前進がありました。

 すなわち、「9条に違反するような国の行為、すなわち戦争の遂行などによって個人の生命、自由が侵害される場合や、戦争への加担・協力を強制される場合には、その違憲行為の差し止め請求や損害賠償請求などの方法により裁判所に救済を求めることができる場合がある」と、救済の事例とその方法が示されたのです。

■ 「戦争」を止めることができる国民の力

 今後、「憲法9条に違反する国の行為」があるかもしれません。すなわち「戦争」です。
 例えば、既に施行されている有事関連法によれば首相が「武力攻撃事態だ」と言いさえすれば、日本は一斉に「戦争モード」に入ります。既に指定機関とされているところで働く数千万人をはじめ、大多数の国民に、一部罰則付きで「協力義務」が課せられる危険性があります。
 しかも、既に行われた自衛隊の「海外任務本務化」や、いま福田政権が法案提出を図っている自衛隊海外派遣「恒久法」、そして自民党改憲案に見られる「自衛軍」の海外派遣「任務化」の動きは、この「武力攻撃事態」誘発の危険性を、爆発的に高めます。

 今回の判決は、こうした「戦争」のとき、国民が「戦争への加担・協力への加担・協力を強制される場合」について、「裁判所に救済を求めることができる」と示しました。
 そればかりではありません。「その違憲行為の差し止め請求」、つまり「戦争協力」だけでなく「戦争」という政府の行為への「差し止め請求」が認められたのです。
 言い換えれば、私たち日本国民は、その一人一人が「戦争」を止めることができる「力」を持っていることが示されたのです。

 私は、これを原告団の一人として喜びながら、この憲法9条と前文に裏打ちされた「戦争を止めることができる力」を、子どもたちに受け継いでいきたいと思います。
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新テロ特措法案をめぐって ~「暴走」と「監視」

2007年10月19日 | 憲法
■ 監視体制

 福田内閣は17日、「新テロ特措法案」を閣議決定しました。そして18日の衆議院の議院運営委員会で、23日からの審議入りが了承されました。
 さて、この新法案で最も気になるのは、活動に対する監視体制の問題です。

 これまで活動内容については国会の「承認」が必要とされてきました。自衛隊が遠く離れたインド洋で実際にどういう活動をしているのか、それは適切なのか、という監視を、「国権の最高機関」である国会が、曲がりなりにも担ってきたわけです。
 しかし新法案では「(事後)報告」だけで良いということになっています。これは言うまでもなく、野党が過半数を占める参議院で「承認」を得られないことを恐れたものですが、「報告」だけということになれば、違法な活動がないかを監視するのは政府だけということになりかねませんし、不都合な事実も国会に対して「報告」するかどうかという点も疑問です。

■ 6年前の暴走

 このインド洋派遣について、私は6年前の事件を思い出します。
 「9・11テロ」の10日後、自民党元幹事長の野中広務氏の事務所に1本の電話がありました。その電話の主は海上自衛官の奥様からのものでした。
 「夫が乗った船がインド洋へ向けて出発しましたが、先生はそのことをご存じですか。」
 野中氏はすぐに当時の官房長官、つまり福田康夫氏に電話をし、「こういう情報があるが、何か聞いているか」と尋ねましたが、福田氏も当時の防衛庁長官もそのことを知らなかったそうです。調べたところ、それが事実であったことが分かり、慌てて引き返させたということでした。
 その後、その艦は現場の指揮官の独断によって行動していたことが分かりました。法的根拠もなく、命令もなく、日本を離れ、遠くインド洋まで「米軍のお手伝い」に向かったのですから、とんでもない「暴走」です。
 その「暴走」を、ときの首相や官房長官はもちろん、防衛庁長官ですら把握できていなかったのです。
 現場の「暴走」を政府が監視しきれないということは、そのときの当事者であった福田首相も、その事件の数ヵ月後に防衛庁長官になった石破防衛大臣も、正に身をもって知っているはずです。

■ 隠蔽と追認

 さらに問題なのは、野中氏が引退して語り始めるまで、このときの「暴走」について政府が隠蔽してきたという点にあります。
 野中氏の話によれば、前述の艦船が帰港したのは3日後のことでしたので、結果的に政府は「暴走」を止めたことになりますが、「暴走」の責任者である指揮官がどのような処分を受けたのか、どのような再発防止策をとったのか、といった当然のことですら明らかにされていません。
 そればかりか、これを追認するかのように現行の「テロ特措法」を成立させ、「米軍のお手伝い」のために海自の艦船を次々とインド洋に送り出していったのです。
 加えて、現地で給油した米軍等の艦船がイラク攻撃を行っていたという「転用」疑惑が、次々と浮上しています。しかもその出所は米軍の記録や米軍関係者の発言などです。莫大な戦費に苦しむ米国にしてみれば、数億ドル分の燃料を「タダ」でくれる「戦争のスポンサー」を失いたくありませんので、火消しに躍起になっていますが、その度に新しい証拠や証言が出てきています。
 この「転用」疑惑については、実はイラク開戦直後から国会でも追及されてきました。対する政府の答弁は「各国には趣旨を説明する文書を出したので、転用はないと思う。」の一点張りでした。「監視したのか」という再質問に対しては、「信頼して大丈夫だと思う」と、ただ「希望的観測」を繰り返すのみでした。
 監視し、国会に「承認」を求める必要があったときでさえ、政府の監視体制はこのような有様でした。「承認」が「報告」だけで良いということになれば、一体どうなってしまうのか、分かったものではありません。

■ 国会対内閣

 私は、本当に情けない思いに駆られることがあります。
 それは、与党の国会議員が足並みを揃えて、この新法案を推し通そうとしていることです。
 「三権分立」は、国会・内閣・裁判所が互いに監視し合うという仕組みであることは言うまでもありません。国会と内閣で言えば、国会による内閣不信任決議、内閣による衆議院解散については授業で習うところですが、「国権の最高機関」である国会は、衆議院では「決算行政監視員会」、参議院では「決算委員会」「行政監視委員会」という委員会が常設されるほど、行政府の監視に重点を置く傾向にあります。選挙を通じて直接、国民の負託を受けた国会議員が、直接選ばれていない内閣や官僚の行うことを監視するという点において、民主主義的観点から大変良いことだと思います。
 しかし今回の法案は、活動についての監視という国会の責務なり権限を放棄させ、内閣に「白紙委任状」を差し出せ、という中身なのです。これは、民主主義のあり方を問われる問題であり、「与党対野党」という構図以前に「国会対内閣」という問題であるはずです。
 新法案を積極的に推進しようという国会議員に、果たして「国権の最高機関」である国会の一員たる自覚があるのでしょうか。直接、国民の負託を受けた「国民の代表者」たる気概は失われてしまったのでしょうか。
 もし、それに気付かない国会議員がいるならば、国会議員としての資質を問われるべきでしょうし、国民からの負託よりも「党が決めたから」を優先する議員であれば、議事堂を去ることも考えて頂くべきだと思います。

 内閣に「白紙委任状」を渡すような国会議員は、自分たちが最も監視しなければならない対象である内閣が「暴走」したときも、それを止めることができないことは明らかなのですから。
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戦後62年にあたって

2007年08月15日 | 憲法
■ 戦争再発防止策

 62年前、日本の本土は終戦記念日を迎えました。
 19世紀後半から続く旧大日本帝国による破壊と侵略と殺戮の歴史は、同時に自国民を恐怖と飢餓に陥れました。この軍国主義という戦争遂行第一主義は、ついには「一億玉砕」という「国民皆殺し」の掛け声まで上げました。
 挙句、米軍の空襲によって全国の主要都市は焦土と化し、広島・長崎への原爆投下により、ようやく1945年8月14日、ポツダム宣言を受諾し、翌15日の「玉音放送」により戦争終結を国民に告げたのでした。
 その数ヶ月前には海軍は壊滅し、他国に反撃する力もなかったのに、ただ戦争を続け、国民への被害を拡大させた軍国主義の愚かさ、それを称揚した戦争指導者たちの愚かさは言い尽くせるものではありませんし、また日本を焼き尽くし、殺戮の限りを尽くした「米国の残酷さ」も忘れてはならないと思います。

 その後、日本はついに占領の憂き目に遭います。
 占領軍は、いくつかの「戦争再発防止策」を日本に課しました。これは大別して「民主化」と「非軍事化」の二つに分かれます。

■ 戦後レジーム

 まず、「民主化」策には次のようなものがありました。

 (a) 治安維持法・特高警察の廃止
 (b) 警察機能の地方分権化
 (c) 教育制度改革
 (d) 選挙の民主化(女性への参政権)
 (e) 財閥の解体
 (f) 農地改革
 (g) 労働組合の解禁
 (h) 地方分権化

 また、「非軍事化」策には次のようなものがありました。

 (1) 軍の武装解除・解体
 (2) 軍国主義者の公職追放
 (3) 軍国主義教育の廃止
 (4) 天皇の神格の否定
 (5) 国家神道の廃止
 (6) 立憲主義の再構築と憲法改正

 こうしたことが恐らく、安倍首相が否定する「戦後レジーム」なのでしょう。

■ 「民主化」の破壊

 では、この「戦後レジーム」は今どうなっているでしょうか。まず、「民主化」の(a)から(h)までの8項目について見てみましょう。

 (a)(b)については、公安調査庁・公安警察があり、自衛隊までもが政党や市民団体を監視しています。「共謀罪」ができれば思想すらも処罰の対象となりかねません。
 (c)については、教育基本法が改められ、既に「愛国」規定が盛り込まれています。また「モノ言わぬ教師」づくりのための免許更新制などを盛り込んだ教育関連3法も強行されました。
 (d)については制度上は守られていますが、低投票率を当て込んでの日程の移動、選挙結果を無視した前例のない政権への居座りなどが目にあまります。
 (e)については、既に経済団体が政治献金やパーティー券購入を餌に政党への圧力を強化すると同時に、外国資本が政策要求を行うための政治献金の規制緩和が行われています。彼らは防衛産業振興を推進していることも特筆すべきでしょう。
 (f)については、一定規模以上の農業者だけへの保護政策により、中山間地などの小規模農業者の切捨て政策を推進しています。
 (g)については、使用者側が一方的に労働条件を切り下げることを可能にすることなどを盛り込んだ労働関連法案が先の通常国会から継続審議となっています。また、「ただ働き」を推進する「日本版エグゼンプション」導入も断念された訳ではありません。その前には、森喜朗元首相が「参院選の争点は日教組・自治労の解体」と語るなど、労働組合否定が公然と言われています。
 (h)については、有事法制では知事を排除しての首相の代執行権を認めていますし、米軍再編特措法では、米軍再編や基地移転に協力しない自治体へは補助金を出さないという、厳しい締め付けがあります。

 極めて危機的な状況にあることが分かると思います。

■ 「非軍事化」の破壊

 次に、「非軍事化」の6項目について見てみることにしましょう。

 (1)については、既に1950年代に警察予備隊、保安隊を経て自衛隊が作られ、今や「防衛省」ができ「防衛」だけでなく、「海外任務」までもが本来任務になっています。実際にインド洋・中東などに自衛隊が常駐するに至っています。
 (2)についても、1950年前後に追放を解除された軍国主義者が次々と公職に復帰し、安倍首相の祖父・岸信介氏などは首相にまで登りつめています。以後、福田赳夫氏・中曽根康弘氏・小渕恵三氏・森喜朗氏・小泉純一郎氏など首相経験者を筆頭に、軍国主義者と目される政治家は数え切れません。
 (3)については、それこそ「愛国」規定を盛り込んだ教育基本法の改悪があり、教育関連3法の強行があり、さらに学習指導要領の改訂、旧日本軍の免罪を図ろうとする教科書記述問題など正に深刻化しています。
 (4)については、皇室報道における異様なまでの敬称により、「神聖視」の刷り込みが行われています。
 (5)については、今年は見送られたものの、相次ぐ首相や閣僚・国会議員らによる靖国参拝や供物などが公然と行われています。
 (6)については、「国民を守るために権力を抑える」という立憲主義を否定した、自民党の「新憲法草案」が一昨年つくられ、それを押し通すための改憲手続法が強行されています。「草案」の中身は、軍の保持、海外派兵、軍事裁判所の設置が盛り込まれ、そして「公益」「秩序」の下に、あらゆる自由や人権が規制されるという危険なものです。かつて、戦争遂行のために国民が苦しんだようにです。

■ 米国の圧力

 占領軍がつくった戦争再発防止策としての「戦後レジーム」は、これまで辛うじて62年間の平和を日本にもたらしました。
 しかし、安倍首相が提唱する「戦後レジームからの脱却」はここまで進んでいるのです。それを後押ししているのは、他ならぬ米国です。
 1948年、米国は日本の再軍備を検討し、次の理由から日本の再軍備を推進しようと考えました。

 「米国の人的資源節約のためになる。」
 
 戦争で失われるのは命です。兵士は常に死と隣り合わせです。
 しかし米国の戦争の最前線で死ぬのは、何も米軍の兵士でなくても良いのです。米軍と同盟関係を結ぶ国の兵士ならば米国は何の責任を負わなくても済みますし、そうした他国の兵士に死んでもらった方が自国の「人的資源の節約」になるというのです。
 そして米国は日本に「戦後レジーム」転換を迫り始めたのです。
 冒頭に触れた「米国の残酷さ」は今なお息づいているのです。

■ 不断の努力

 命を「人的資源」と捉える考え方は好むところではありません。しかし天然資源に乏しいこの日本にとって「資源」と呼べるものは国民そのものであることは間違いのないところだと思います。
 私たちが最も大切にしなければならないもの、それは私たち自身であり、この国の将来を担う子どもたちの命です。
 その大切な命を守り抜くシステムである「戦後レジーム」は62年間、私たちの祖父母・両親から私たちへ、そして私たちの子どもたちの命を守り続けました。もちろん、そこには祖父母・両親らの「不断の努力」がありました。

 戦後、日本人が手にした「戦争再発防止策」は、「戦争から解放されたい」と願っていた日本人にとってどれほど有り難いものだったでしょうか。
 この62年という「戦後」を、「新たな戦前・戦中」にすることなく、1年1年積み重ね、再び「戦争の惨禍」を繰り返させないこと、これこそが今を生きる私たちの使命であると考えます。

 改めて、そのための「不断の努力」を続けていくことをここに誓い、「終戦の日」にあたっての私の決意と致します。
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憲法を語る資格

2007年07月27日 | 憲法
 先日、「憲法は『選挙』から始まります」との文書を日記に書いたところ、予想通りのご批判を頂きました。

 「日本国憲法を大切に思わない方々」には「無理に投票所へ行って頂く必要はありません。」などと言うのは、正確に民意を反映した選挙を真っ向から否定しているとしか思えません。参政権は国民の権利です。これを厳粛に受け止めるならば、参議院選挙に、思想を問わず、広く投票を呼びかけ、投票率100%を目指すべきではありませんか??それとも、選挙結果の数字だけを操り、勝敗を操作しようとでも思っているのでしょうか?」とのご意見。

 「確かに、このご主張は、とても違和感を抱きました。当該草案を支持するにしても、選挙権を行使することは、やはり別論ですからね。選挙の「せ」の字が無くともね。」とのご意見。

 大変ごもっともです。
 先の方は、「こんな人間が憲法の前文の書き出しを、偉そうに語る資格はない。」とさえ語っておられます。

 私も当然だと思います。
 何しろ、これは「与党の立場に立って書いたもの」なのですから。

 いま与党はこの選挙について何と言っているでしょうか。

 (自民)「参院選は政権選択の選挙ではない」
 (自民)「選挙結果に関わらず、安倍首相は続投を」
 (公明)「首相の責任問題には発展しない」
 (公明)「投票率が60%を上回るようならば脅威、50%台前半ならば勝機」
 
 すべて、「正確に民意を反映した選挙を真っ向から否定しているとしか思えません」し、「こんな人間が憲法の前文の書き出しを、偉そうに語る資格はない。」と思います。
 皆さんは、それでも「憲法の前文の書き出し」について「偉そうに語る」与党に、投票なさいますか。
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「無血虫」たちの改憲手続法案

2007年05月12日 | 憲法
■ 国会は「無血虫の陳列場」

 明治時代、「東洋のルソー」と呼ばれ、自由民権運動の論理的支柱であった中江兆民代議士は、「立憲自由新聞」に「無血虫の陳列場」と題する一文を発表しました。
 これは当時の国会と国会議員の体たらくを皮肉った言葉として当時、大いに話題になりました。すなわち国会議員を「血の通わない虫けら」とし、その「陳列場」が国会だと断じたのです。
 その文章の中には、次の一節があります。

 「竜頭蛇尾の文章を書き前後矛盾の論理を述べ、信を天下後世に失することとなれり。」

 彼のこの言葉は、今の国会にも当てはまるのではないでしょうか。

■ 「竜頭蛇尾」「前後矛盾」の改憲手続法案

 11日、参議院の憲法調査特別委員会で「日本国憲法の改正手続きに関する法律案」が、与党の賛成多数で可決され、14日の本会議で成立することが確実となりました。
 ところが、この法案をめぐっては、全てにおいて「竜頭蛇尾」「前後矛盾」ばかりでした。

■ 「無血虫」の与党議員

 「憲法に改正条項があるのに手続きを定める法律がないのは立法府である国会の怠慢」などと、あたかも国民の人権が侵害されているかのように宣伝しながら、その改憲の具体的な中身である「新憲法草案」には、「生きる」という当然の権利をはじめとして全ての基本的人権を一律に「公益」や「公の秩序」の下に置き、広範な制限を行うことができる内容となっています。

 また、議員立法として提出されたこの法案に、行政府の長である安倍首相が「憲法記念日前に成立を」とまで唱え、国会で連日審議させ、総括質疑には自ら答弁に立つという明らかな矛盾を平然とやってのけました。しかも野党の鋭い質問にはまともに答弁せず、自民党新憲法草案の条文を読み上げて時間を稼ぎ、相手の質問時間を奪うという姑息な手法で対抗しました。

 さらに、前日まで「地方公聴会」を行いながら、そこで多数だった「慎重審議」を求める意見を全く無視したばかりでなく、「中央公聴会」さえ開かずに採決に及んだのも明らかに拙速です。

 加えて安倍首相は「十分に議論した」と語りましたが、この法案には18項目にも及ぶ「附帯決議」が上げられました。「附帯決議」とは法案の不備を補完するために決議されるものであり、それが前代未聞の18項目にも及ぶということは、その法案自体が「不備・欠陥だらけ」だということを如実に物語るものです。

 これほどまでに愚かな行為を「数の論理」だけで漫然と行うのですから、自民・公明の両与党の議員は正に「無血虫」の名にふさわしいと思いますし、こうした愚行こそ「信を天下後世に失する」行為にほかなりません。

■ 「無血虫」の民主党議員

 こうした「無血虫」は与党議員だけではありません。野党第一党の民主党も同レベルです。

 当初、民主・社民・国民新の野党3党はこの法案について「成立阻止」で一致していました。ところが衆議院段階で民主党はその舌の根も乾かぬ内に、与党との修正協議に応じました。これについては改めて「対案」提出へと軌道修正したものの、口を酸っぱくして主張してきた「最低投票率」の規定すら盛り込まれていないという、極めてお粗末で全くやる気の感じられない法案でした。

 さらに、5月10日になって民主党の参議院国対は与党に歩み寄り、翌11日の委員会採決に合意したと報じられました。
しかし、10日になってようやく合意したというのは明らかに偽りです。先に触れた18項目の附帯決議案は、与党側からではなく、民主党の主張によってなされた、いわゆる「落としどころ」であり、その文言の調整にかかる時間を考えれば、決して一日でできた合意などではありません。もっと前から、与党案の成立も見越した上でこの附帯決議でお茶を濁したというわけです。

 また、11日の委員会審議の模様はNHKで中継されましたが、NHKの審議中継を入れるかどうかについては公共放送である立場から全会派一致が原則です。民主党は共産・社民・国民新の他の野党を全く無視し、与党側に「寝返った」と見なければなりません。

 彼らが裏切ったのは、こうした他の野党だけではありません。そもそも改憲など全く必要もないし、手続き法案もいらないとする国民や、手続法として幅広い合意を得られるような中立・公正な制度と、そこへたどり着くまでの慎重審議を願った国民をも裏切ったのです。
 
 このような民主党の議員たちもまた「無血虫」の類だと言わざるを得ませんし、こうした裏切りもまた「信を天下後世に失する」ものだと言わねばなりません。

■ 「立憲主義者」であり「改憲論者」だった中江兆民
 
 冒頭ご紹介した中江兆民は、「立憲主義者」でした。
 ヨーロッパでの留学経験もある彼は、国民の権利を保障するために、国家権力を縛るシステムである「憲法」の重要性を最も良く知っていた政治家の一人だと思います。

 また中江兆民氏は「改憲論者」でもあったと言われています。
 彼らが起こし、広げてきた自由民権運動は、帝国議会の開設、大日本帝国憲法の発布という実を結びましたが、その帝国憲法はあまりにも「自由」と「民権」を軽視したものでした。そこで彼は本来の「立憲主義」、すなわち国民を守り、国家権力を抑制するシステムを作り直す意味での「新憲法」、いわば現行の日本国憲法のような憲法の制定を切望したのです。

 今の日本での「改憲論」は、全くの逆の立場です。自民党の「新憲法草案」には確かに「新しい権利」などは盛り込まれています。しかし、それも含めた全ての自由や権利が「公益」「公の秩序」という、権力者の都合の良いものの下に置かれてしまうのですから、全く無意味です。

 国民の視点に立った「立憲主義」さえも否定する「改憲論」が肩で風を切り、「憲法尊重擁護義務」を負うはずの総理大臣が公然と、「帝国憲法」の時代へと逆行する「新憲法」草案を内外に触れまわるという有様です。

■ 「過去と未来の狭間」で 

 中江兆民が生きた時代、「自由」や「民権」を獲得するために私たちの多くの祖先が声を上げ、そして弾圧を受け、涙を流し、血を流しました。

 そして幾多の戦争と弾圧による多くの犠牲のもと、ようやく60年前に国民が獲得した自由や権利さえ今、危うい状況にあります。
 危ういのは私たちの自由や人権だけではありません。それは私たちの子や孫、そのさらに子孫にも降りかかります。

 私たちは、そうした「過去と未来の狭間」に生きているのです。

■ 「信を天下後世に失する」ことのないように

 改憲手続法案は成立します。これは動かしがたい現実です。
 問題はその後です。この法案成立後、自民党はいよいよ改憲に向けて、次々と手を打ってくるでしょう。

 歴史に逆行する「改憲」に乗せられて、私たちやその子孫の自由や人権を、権力者に下げ渡してしまうのか、それともしっかりと守り抜き受け継いでいくのかが問われています。

 私は、私たちが今ここで対決していかなければ、かつて血を流してきた祖先と、これから血を流すであろう子孫の、双方を裏切る行為だと思いますし、それは今を生きる私たちが「信を天下後世に失する」ことになると思います。

 私は、今を生きる人間の責任として、これを見過ごすわけにはいきません。
 まずは今夏の参院選、できるだけ多くの「無血虫」を退治しなければならないと考えます。
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中学生を脅す「愛国者」

2006年11月18日 | 憲法
■ 生徒たちからの「意見書」

 教育基本法(政府)案は衆議院での委員会採決、本会議採決を、与党が単独で強行し、17日にも与党単独で参議院に付託されました。
 このような慌ただしい動きのなか、札幌市の中学生たちが、自分たちで勉強して「国民に愛国心を強制するものだ」という結論に達し、安倍首相へ「意見書」を送りました。

 「安倍総理は本当に私たちの将来のことを考えてくれていますか?」
 「国を愛する心は人それぞれが自分から思うものであって、おしつけられるものではない」
 「返答をください」
 そこには、「おしつけられる」対象である生徒たちの、切実なメッセージが綴られていました。

■ 生徒や学校を、恐怖に陥れた「愛国」メール

 これが地元紙(北海道新聞)で報じられ、地元テレビ局(札幌テレビ放送)が生徒たちへの取材を申し入れ、学校も受け入れました。しかし取材の当日、学校側はテレビ局に「匿名」という条件を付けました。
 実はこの「意見書」に対して、強い口調で抗議するメールが送り付けられていたのです。

 「今回中学生が安倍総理に送った意見書は一体何だ。お前ら学校は一体どんな教育をしているのか?日本人が日本を愛する心を持つのは当然であり、その様な・・・」

 そのテレビ局のサイトの動画から読み取れるメールの内容はこの冒頭部分だけでしたが、このような「脅迫」めいた文書が送りつけられた以上、学校が「生徒たちの身に危険が及ぶのではないか」と配慮したのです。

 「愛国者」が教育現場、そして生徒たちを、恐怖に陥れたのです。

■ 「愛国心」とはこんな卑劣な「心」か

 ニュースキャスターは、ニュースの中でこう語りました。

 「愛国心とは、こんな卑劣な心なのでしょうか。」
 「愛国心の強制」どころか、「言論の自由」さえも封殺しようという大人の行為に、15歳の心は深く傷つきました。」
 「法案についての「賛成」「反対」があるのは当然だと思います。15歳の彼女たちは自分たちで考えて、著名もつけて安倍総理に反対の意思を表明しました。ところが、それを知った一部の大人は「匿名」で彼女たちを批判した。あまりにも卑劣ではないでしょうか。」

 卑劣な「愛国者」と、自ら名前を明らかにして思いを伝えようとした生徒たち。
 皆さんはどちらの側に付きますか。どちらを「尊重したい」と考えますか。

■ 「動かないとこのまま」

 インタビューの中で、一人の女子生徒が、こう語ってくれました。
 
 「反対の人は『もうしょうがないな』ってなってるから・・・。『動かないとこのまま』ですよね。」

 私たち大人が「もうしょうがないな」とあきらめている場合ではありません。
 正に「動かないとこのまま」です。

 「愛国心の強制」につながる教育基本法改定に、不安や恐怖感を抱く子どもたちは、この学校の生徒だけだと言い切れるでしょうか。

 また、子どもたちを、今回の「愛国者」のような行動を取る人間に育てたいと思われますか。

 私たち大人は、今回声を上げてくれたこの生徒たちの勇気を、絶対に「見殺し」にするわけにはいかないと思います。
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安倍内閣のための憲法第73条

2006年10月04日 | 憲法
■ 違憲・違法行為を「適切」と強弁
 
 東京都教育委員会が、卒業式・入学式などで「国歌」斉唱をしなかった、あるいは起立しなかった教職員の大量処分について、東京地裁が「憲法違反」「法律違反」と判断したことは記憶に新しいところです。
 これについて安倍首相は10月3日の衆議院本会議で、こう述べました。

 「(国旗や国家を)尊重する態度を育てることは重要だ。東京都は適切に判断し、対処していただいている」

 裁判所が違憲・違法と判断した東京都教育委員会の通達や処分を、明確な法的根拠もなく「適切」だと強弁する安倍首相の姿勢には、あきれ果てるばかりです。

■ 法治主義と遵法精神

  99年、国旗国家法案が上程された際、日弁連は「法制化によって強制の傾向が強まることは問題である。」と指摘し、その2年前にも「子どもの権利条約」の立場から、教育現場での「日の丸」「君が代」の事実上の強制の実態について「賛同しない子どもの思想・良心の自由が侵害されている。」との報告を発表しています。
 この法案審議の前後に、政府は何度も、これは「強制するものではない」と説明しています。

 今回、教育委員会による処分という、公権力の「強制」に対して、それを憲法上の「思想・良心の自由」の侵害であり、教育基本法上の「不当な支配」に当たるという指摘は、法的に見て当然です。
 日弁連の指摘、政府見解、そして裁判所の判決に照らして明らかに違憲・違法である行為を、「適切」と強弁する安倍首相について、「法治主義」についての認識不足や、「遵法精神」の欠如を指摘しなければなりません。

■ 違憲・違法行為を全国に展開

 安倍首相はその日の答弁で、こう付け加えています。

 「全国の学校で国旗国歌に関する指導が適切に行われるよう、しっかり取り組んでいく。」

 安倍首相は、既に憲法違反・法律違反という判断が下された指導を、「適切」と言い張るだけでなく、「全国の学校」に展開しようというのです。
 違憲・違法行為を推進し、それを教職員のみならず、児童・生徒に指導・強制するというのですから、安倍首相が提唱する「教育再生」がどのようなものか、よく分かります。

■ 法律の誠実な執行を

 日本国憲法第73条には「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。」と定められていますが、その冒頭にあるのが次の項目です。

 「法律を誠実に執行し、国務を総理すること。」

 まるで、違憲・違法行為を推進する安倍内閣のためにあるような条項です。
 安倍首相にはもう一度よく憲法を勉強し直し、「誠実に法律を執行」することに努めていただきたいと思います。
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安倍首相の「改憲志向」に対する危機感

2006年10月03日 | 憲法
■ 「改憲志向」を打ち出してきた安倍首相

 9月、「戦後レジームからの新たな船出を」「5年後を目途に新憲法の制定を」と唱えて自民党総裁となり、首相となった安倍晋三氏。
 この強烈な戦前回帰の匂いを漂わせる安倍首相の「改憲志向」には、周囲に静かながら強い危機感を感じます。

■ 公明党の「主張」

 連立を組む公明党は、党大会での運動方針で連立重視の立場から、先の通常国会までに提案された諸法案に肯定的な立場を強調しています。
 しかし、99年の連立政権参加以来、周辺事態法、国旗国歌法、盗聴法、憲法調査会設置に始まり、テロ特措法に基づくアフガン攻撃の後方支援、有事関連10法、自衛隊イラク派遣と多国籍軍参加、在日米軍再編による日本の前線基地化・日米軍事一体化という、これまでの流れに強い抵抗があります。
 その抵抗の表れが、太田新体制の「平和の党」の強調です。
 今回、自民・公明両党が署名した政権合意では、安倍首相がこだわる「新憲法制定」を一切、消し去りました。
 公明党の赤羽氏・高木らは7月中旬に「安倍政権」を見越して、当時の安倍官房長官に「公明党からも補佐官の起用を」と直談判を行いましたが、安倍首相は5名もの補佐官を登用しながら、公明党からの起用はありませんでした。これは、「官邸主導」強化を打ち出す安倍首相の「公明党を利用はするが、実際の政権運営は我々のグループだけで行う。」という意思表示です。それほどまでに身勝手な安倍首相に何の義理立てがいるでしょうか。
 かつて、公明党が連立に加わるとき「改革にアクセル、右傾化にブレーキ」と言ってきました。公明党が「平和の党」と自認するのであれば、「右」に著しく傾く安倍政権に対し、無理に合わせるのではなく、主張すべきことは堂々と主張する姿勢こそが求められるのではないでしょうか。

■ 改憲に反対する自民党員

 さて、安倍首相の改憲志向への危機感は、実は自民党内にも根強いものがあります。
 総裁選では、当初8割前後とも言われていた安倍氏支持票が6割台にとどまったのも、その一つかもしれません。
 しかし、それ以上に興味深いのは、総裁選が始まった直後に自民党の党員・党友に対して、共同通信社が行った調査結果でした。その調査は5項目の設問があり、その4番目に「憲法を改正すべきだと思いますか、そうは思いませんか」という質問がありました。
 半世紀以上にもわたって「自主憲法制定」という看板を掲げ、昨年11月には「新憲法草案」まで発表して改憲への気運をあおる自民党の党員に尋ねる以上、「改正すべき」という意見が圧倒的多数を占めるのが当然です。
 ところが、「改正すべき」は52.4%と、辛うじて過半数を維持するにとどまり、逆に「改正すべきではない」という意見は27.4%にも達したました。自民党の党員・党友が4人いれば、少なくとも1人は「憲法は変えるな」という意見なのです。
 安倍首相の「改憲志向」を危惧する「足元」からの声は、安倍首相の「改憲志向」がいかに「上滑り」的なものかを物語っています。

■ リーダーシップ

 安倍首相は、総裁選中に「新憲法制定」について「リーダーシップを発揮する」と訴えました。
 しかし、自民党総裁という立場だけならまだしも、首相あるいは国会議員という立場にある以上、現行憲法第99条が定める「憲法を尊重し、擁護する義務」を負わねばなりません。これまでのように現行憲法を否定する発言は、憲法違反の指摘を免れません。
 さらに言えば、「憲法改正」について第96条は、国会に「発議」、国民に「承認」の権利を定めていますが、内閣には何一つ権限を与えていないのです。
 安倍氏も首相になった以上、その程度は理解すべきでしょう。
 首相が、憲法に関して「リーダーシップ」を言うならば、憲法の尊重や擁護に対して、それを発揮するべきなのです。
 
■ 主権者である国民として

 「憲法は権力への規制」だといいます。
 暴走しがちな権力というものに対して、主権者である国民による「規制」です。
 国民から搾り取ろうとする権力、国民の自由や権利を抑えて服従させようとする権力、そして国民を戦争に駆り出そうとする権力。そうした権力の横暴を規制してきたのが憲法です。
 私たちは、いま彼が、私たち国民から何を奪おうとしているのか、何を押し付けようとしているのかを冷静に見極めねばなりません。

 憲法第97条はこう定めています。
 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
 いま私たちが、先人たちの「自由獲得の努力の成果」に背を向け、再び国家主義の罠に陥れば、「現在」だけでなく「将来の国民」すなわち、まだ生まれぬ子どもたちにまで禍根を残すことを忘れてはなりません。
 権力に憲法を守らせることこそ、権力の横暴から自分たちを守る手段なのですから。
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憲法記念日に伝えたいこと

2006年05月03日 | 憲法
 5月3日、日本国憲法は59回目の「誕生日」を迎えました。
 しかしご存知の通り、昨年、自民党が昨年「改憲案」を発表し、民主党も「憲法提言」を発表しています。
 彼らに煽られてか、世論調査では、戦争放棄を定める憲法9条は変えるべきではない、という声は今も大多数を占めていますが、憲法を変えることへの賛成は、反対を大きく上回っています。
 日本国憲法は、「風前の灯」と言うべき状況にあると言わねばなりません。

 しかし、私はこの国民の皆さんの「改憲賛成」の声が不思議に思えてならないのです。
 私が着目していただきたいと思うのは、私たち国民・政府・憲法という3つの存在の序列です。
 
 細かい説明は省きますが、現在の憲法は「国民」を最上位に置き、次に「憲法」を置き、その次に「政府」という序列になっています。この憲法の特性こそ、「国民のための憲法」「憲法は権力を縛るもの」といわれる所以です。
 
 しかし、条文の形になっている自民党の改憲案を見ますと、最上位は「政府」、次に「憲法」、その次に「国民」と、完全に逆転しているのです。

 政府が絶対的権力を持ち、その政府が決める「公益」や「秩序」のためだと言われれば国民は、「知ること」「思うこと」「考えること」「言うこと」「住むこと」「働くこと」などはもちろん、「学ぶこと」「愛すること」、そして「生きること」までもが統制されようとしているのです。

 これでは、まるで政府の奴隷です。
 改憲に賛同すること、それは自分、家族、友人、そしてその子や孫をも「政府の奴隷」にしてしまうことを意味しているのです。
 これを選択することは、今を生きる私たち国民、そして将来の国民である子孫を裏切る行為です。

 子孫だけではありません。祖先に対しても同じことが言えます。
 
 憲法97条は、こう定めています。
 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
 
 この「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」「過去幾多の試練」とは何を指すのでしょうか。

 私たちは、この憲法を制定するまでに、余りにも多くの祖先の血を流してきました。
 政府や国家が国民の上位にあったため、国民は戦場へ駆り立てられたり、弾圧されて殺されたりしたのです。

 それから僅か59年です。それまでの、政府や権力に下に置かれ、生きることさえ支配された数千年に及ぶ祖先の苦悩を、たった59年で無駄にするというのでしょうか。

 今の改憲に賛成するということは、「これまで血を流してきた祖先を裏切り、これから血を流すことになる子孫を裏切る行為」なのです。

 私は、今を生きる一人の人間として、こんなことを許すわけにはいきません。
 この私の思いこそ、この憲法記念日に皆さんにお伝えしたいことです。
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「改憲」というクーデター行為

2006年02月27日 | 憲法
■ 自民・民主の「逆温度差」

昨日26日、大坂で各政党の代表者が参加した公開討論会が行なわれました。
改憲のための国民投票法案について、自民党の船田元氏は、「(今国会期末である)6月までに何が何でも、という気持ちはない」と語り、今通常国会での成立を急がない考えを示しました。
これに対し、民主党の枝野幸男氏は、「機は熟している」「タイムリミットは近い」など成立を急ぐ立場を強調しました。
自民党ではなく、党内の意見集約さえ手間取っている民主党がこれほど急ぐのは、不思議な気がします。一体この「逆温度差」は何なのでしょうか。

■ 民主党内「改憲派」の焦り

まず、民主党内には参議院を中心に依然として根強い慎重論があります。
現在の民主党執行部は、前原代表をはじめ改憲派ぞろいですが、9月に代表選を控えています。党内の「前原降ろし」の声も強く、再選が危ぶまれています。
「秋の特別国会・臨時国会では、代表が替わっている可能性がある。何としても今通常国会のうちに党内で、改憲への道筋をつけておかなければ。」
これが、焦りを見せている枝野氏らの本音ではないでしょうか。

■ 改憲問題への意見反映

また、与党との関係で言うならば、民主党は改憲の「キャスティング・ボート」を握っていると言えるでしょう。
改憲の発議は、「両院の三分の二以上」の賛成が必要となりますが、ご存知の通り、与党は衆議院ではこれを確保していますが、参議院では三分の二に及びません。与党は民主党に協力を求める必要があります。
民主党はこの立場を利用し、出来る限り、改憲問題で自党の意見を反映させていきたいという思いでしょう。

■ 与党側の譲歩

実際、自民・公明両党は、国民投票法案の内容について、民主党案に歩み寄りを見せています。
国民投票の有資格者について、「20歳以上」ではなく、民主党案の「18歳以上」にすることや、投票の仕方について「一括方式」ではなく、民主党案の「個別方式」(条文ごとに可否を示す)にすることなど、民主党の意見に譲歩しながら、協力を要請しています。
もちろん、単純に「○か×か」を問う「一括方式」は最低です。しかし、「個別方式」だから良いと言い切れるものではありません。

■ 「個別方式」容認という「自殺行為」

仮に「個別方式」に基づいて投票が行なわれ、ある条文は守られ、ある条文は書き換えられたとしましょう。
憲法全体を見て、整合性がとれたものになるでしょうか。あちらは自民党案、こちらは現行のまま、といったように、あちこちに矛盾が起こってくるのではないでしょうか。
そのとき、自民・公明両党は「民主党案を採用して“個別方式”にしたが、結局は矛盾だらけになった。」と民主党を攻撃した上で「もう一度“一括方式”でやり直さなければならない。」と言うでしょう。
恐らくそのときは、改憲発議の条件は3党の一致によって「過半数」に下げられているでしょう。もはや「民主党の協力」など、必要なくなっているのです。
そのとき、与党の改憲案に反対しても「時すでに遅し」です。与党が民主党攻撃を強め「民主党に矛盾だらけにされた憲法で良いのか。」と叫べば、騙されてしまう国民は少なくありません。
正に与党の思う壺、民主党が得意な「自殺行為」ですが、この件に関しては民主党だけの「自殺」にとどまりません。日本国民すべてが、その「自殺」の巻き添えにされてしまうのです。
そのような事態になれば、どのようなことをしても償いきれるものではありません。

■ 「二・二六」

70年前の昨日26日、日本では「二・二六事件」というクーデターがありました。
いま、自民・公明・民主3党が共同で行なおうとしている改憲の内容は、国民から主権を奪い、権力者の手に握ろうとする点において、クーデター行為に酷似していると思います。
その日に行なわれた、この公開討論会に、私は何やら因縁めいたものを感じます。

国民投票法案の成立を許せば、その時点で、改憲・戦争国家への道を歩みだすことになります。
私は主権者である国民の一人として、自公民によるクーデター行為を許すわけにはいきません。
何としても、国民投票法案、そして改憲に対する反対の声を強め、これを阻止したいと思います。
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“9条守ろう!ブロガーズ・リンク”に賛同いたします

2006年02月21日 | 憲法
“9条守ろう!ブロガーズ・リンク”に強く賛同し、深く敬意を表します。
私が、次世代に平和と民主主義を引き継ぐために、憲法や教育基本法を守り抜かねばならないと思い、サイト(本館)を作り始めてから、昨日で2年が経ちました。

同じ思いをお持ちの多くの方々が集う、こちらのブロガーズ・リンクの存在は、ある方の紹介によって少し前に知ったのですが、私は長らくブログを放置しておりましたので、とても「ブロガー」とは呼べる存在ではありませんでした。
そこで、眠っていたブログを復活させ「ブロガー」になることから始めたもので大変遅くなってしまいました。

多くの素晴らしい方々に学ばせて頂きながら、憲法9条を守り抜くために頑張って参りたいと思います。
コメント (5)
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