恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

「国際反戦デー」に思う

2009年10月21日 | その他
■ 「国際反戦デー」

 10月21日、「国際反戦デー」を迎えました。
 1966年のこの日、当時の日本のナショナルセンターであった旧「総評」は、「ベトナム戦争反対」を掲げて統一ストライキを行い、世界各国の反戦・平和運動団体にも広く呼びかけました。
 これは、フランスの哲学者サルトルが「世界の労働組合で初めてのベトナム反戦スト」と讃えるなど、世界に大きな影響を与えました。以来、国際的な「反戦の日」として、今も受け継がれています。

■ 「学徒出陣」

 さて、この日には暗い過去もあります。
 1943年の10日21日には、明治神宮外苑の競技場に7万人の学生を集めて「学徒出陣」の壮行会が行われました。
 それまで旧制の高校・大学・専門学校などに通う学生は「徴兵」の対象から除外されていましたが、20歳以上であれば誰もが「徴兵」されるようになったのです。さらに翌年には、
 その対象が19歳以上に引き下げられ、将来ある若者たちが次々と戦場に送り込まれていったのです。

■ 「神風特攻隊」

 また、戦争中に若い命が失われた悲しい出来事の一つに、「神風特攻隊」があります。
 この「神風特攻隊」の出撃は、1944年の10月21日に始まっています。
 その日の攻撃は、空振りに終わりましたが、以後、自分たちが死ななければ目的を達成できないという悲痛な作戦に、多くの若者たちが命を奪われ、その犠牲となっていきました。

■ 思いを新たに

 国連憲章の前文の冒頭、「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い・・・」とあるように、戦争で「言語に絶する悲哀」を受けるのは、今を決定する権利を持つ私たち大人だけでなく、先に紹介した若者たちや、「将来の世代」でる子どもたちもその内に含まれます。
 こうした人々に「言語に絶する悲哀」を味わわせないためにも、この10月21日「国際反戦デー」を、今一度「反戦」への思いを新たにする日にしたいと思います。

都知事殿、「恥を知りなさい」

2009年10月07日 | その他
■ 「裏取引」発言

 「発言は不適切で下品」

 こう言われたのは、五輪招致合戦に敗れた東京都知事の石原慎太郎氏です。
 石原氏は帰国してから記者会見で、こう発言していました。

 「ブラジルの大統領が、聞くところ、アフリカの人にかなり思い切った約束をしたというようです」

 つまり石原氏の言い分は、ブラジルが何らかの利益供与の約束、すなわち「裏取引」をして、2016年のリオデジャネイロ五輪開催を招き寄せたというのです。

■ 「負け惜しみ」「言い訳」「言いがかり」

 石原氏の東京五輪への思い入れは分かります。
 しかし、このような発言は「負け惜しみ」「言い訳」の類に過ぎません。

 さらに言うならば、その「裏取引」なるものの確たる証拠の収集も検証も行なわないまま、このような暴言を吐くなど「言いがかり」としか言いようがありません。
 以前の「偽メール事件」を思い出させるほど無責任な発言であり、都知事という「公人」たる立場にある者の言葉とも思えません。

■ 「醜態」

 自分の思い通りに行かなかったからと言って、「負け惜しみ」を言い、「言い訳」のために、根拠のない「言いがかり」を付けるなど、「潔さ」を尊んできた日本人が最も「恥」としてきたところです。
 石原氏は、やたらと日本の伝統を振りかざしてきたはずですが、その本人がこの「恥」をさらすのですから、これほどの「醜態」もありません。
 「ナショナリズム」と「身勝手」というものは混同されやすい傾向にありますが、こうした言動を見る限り、石原氏はその分別も理解できないのでしょう。

 この「石原発言」を「不適切で下品」と評したのは「リオ五輪」の招致委員会で、IOC(国際オリンピック委員会)に抗議文を送るそうです。
 このことが、今後の日本への五輪招致にとって、決してプラスにならないことは明らかですが、わざわざ五輪招致という世界の舞台に上がってまで、そのようなことをする石原氏の浅はかさは、もはや日本の「恥」としか言いようのない「醜態」です。

■ 「恥を知れ」

 さて、この「リオ五輪」が開かれるブラジルには、日系人が大勢います。移住100年を迎えた2008年は、「日本ブラジル交流年」とされ、各地で大々的な記念事業も催されました。
 その数は、海外日系人の約6割を占める150万人にのぼり、最大の日系人社会があるのがこのブラジルです。
 日系人の中には、「先祖の国」「魂の祖国」から発せられた「恥」をも知らぬ発言に、眉をひそめる人々、あるいは肩身の狭い思いをしている人々も決して少なくはないでしょう。
 今回の「石原発言」は、日本の「恥」以外の何者でもありません。
 その「恥」は一身にとどまらず、この日本という国、そして遠く2万キロ離れたブラジルの地でも、人々に「恥」をかかせているのです。

 石原慎太郎氏に一言、「恥を知りなさい」と申し上げたいと思います。