恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

後期高齢者医療「廃止」法案から2ヵ月

2008年04月29日 | 社会保障・税制
 町村官房長官は28日の記者会見で、前日に行われた衆議院山口2区補選について、4月から始まった後期高齢者医療制度に対する国民の反発が、与党候補の敗因だと分析しました。しかし町村氏は、それは「一方的な報道」によるもので「説明が足りず」、「仕組みそのものは何らおかしい点はない」と語り、制度の見直しは行わないことを強調しました。

 この日は、ある法案が国会に提出されてからちょうど2ヵ月を迎えた日でした。その法案こそ、後期高齢者医療制度「廃止」法案です。
 この「廃止」法案は、民主・共産・社民・国民新の4野党が共同提出したものですが、この2ヵ月間、全く審議されていません。そればかりか委員会にもかけられていないのです。衆議院で多数を握る与党が、「たなざらし」にしてしまっているためです。
 
 もし、町村氏の言うように「仕組みそのもの」に「おかしい点はない」のであれば、国会での審議を通じて、誤解があれば正していけば良いのです。メディアもその説明を伝えるでしょうし、制度の理解も進むでしょう。しかし与党は、この法案の審議から2ヵ月間も逃げ続けているというのが実情です。
 
 今回の選挙結果や多くの世論調査が示す通り、この制度への反対の声、制度の撤廃を望む声は圧倒的です。政府・与党の、このような「ご都合主義」の「審議拒否」を許さず、真摯な法案審議を国会に求めていく必要があると思います。

参議院の議決権を踏みにじらせるな

2008年04月25日 | 国会・政党・選挙
■ 再議決は無言の「参議院不要論」

 4月23日、与党幹部は、揮発油税の暫定税率維持を盛り込んだ税制改正法案などを、30日に衆議院で再議決する方針を確認したと報じられています。これが実行されれば、新テロ特措法案に続いての再議決となります。このような再議決が繰り返される毎に、参議院の議決権は踏みにじられていきます。言わば、衆議院が無言の「参議院不要論」を突きつけているとき、参議院議員、特に与党の議員に「本当にそれで良いのか」と問いたいと思います。

■ 与野党が共闘して示した参議院の抗議

 例えば2002年6月、衆議院厚生労働委員会において、与党は、医療費の患者負担を引き上げる健康保険法改正案の強行採決に踏み切りました。このような強引な手法を用いた上に、参議院に「何が何でも会期中に通せ」と迫る衆議院に対して、参議院は与野党が一致して、強行採決の日から10日間、全ての審議を止め、強く抗議しました。
 与野党を問わず、一人一人が国民から負託を受けた参議院議員であることに変わりありません。政府や衆議院が、参議院の議決権を踏みにじろうとするならば、彼らが抗議の意思を示すのは当然のことです。

■ 「再議決」を傍観する参議院議員は辞職を

 もし、与党の参議院議員の中で、今回の再議決を支持、あるいは傍観しようとする議員がいるならば、それは「参議院不要論」への加担に他なりません。参議院議員が自分たちの院を不要とするならば、それは参議院の自殺行為ですし、選んでくれた国民への背任行為です。本当に不要なのは参議院ではなく、その議員だと言わざるを得ません。
 与党も再議決を連発して参議院の議決権を否定し続けるのであれば、まず与党の全参議院議員を辞めさせ、自分たちから「参議院不要論」を実践するべきでしょう。

■ まず参議院の意思を示せ

 また、参議院こそ、直近の民意を反映している府であるということも忘れてはなりません。参議院の議決権の否定は、彼らを選んだ国民の意思が否定されているのと同じです。与党も野党も、党利党略や私利私欲より先に、国民から選ばれた国会議員であるという国民に対する責任を、再認識してもらわなければなりません。
 まず、しっかりと採決を行って参議院の意思を示し、その上で参議院の総意として「直近の民意に裏打ちされた参議院の意思を尊重せよ」と、政府や衆議院に突きつけるべきです。

戦争を止める力 ~名高裁判決が示したもの~

2008年04月18日 | 憲法
■ イラクでの自衛隊の活動は「違憲」「違法」

 17日、名古屋高等裁判所は、イラク特措法に基づく自衛隊の活動について「イラクで行われている空輸活動は、憲法9条に違反する活動を含んでいる」との判断を下しました。
 さらに、今も航空自衛隊が行き来しているバグダッドを、イラク特措法上の「戦闘地域」であると認め、この活動がイラク特措法にも違反していると判断したのです。

 この訴訟の最大のポイントは、憲法前文に定められている平和的生存権を、どこまで人権として認めるのか、という点にありました。
 従来、この平和的生存権は「抽象的権利」という扱いを受けてきました。つまり侵害されても救済されない可能性があり、平和的生存権を侵害する側に有利な捉え方だったのです。
 しかし、今回と同様の訴えについて前月23日には「平和的生存権は、・・・基底的権利」であり、「憲法9条に違反する国の行為によって個人の生命、自由が侵害されず、又侵害の危機にさらされない権利、同条に違反する戦争の遂行ないし武力の行使のために個人の基本的人権が制約されない権利」という判断がありましたが、今回の判決では、さらに前進がありました。

 すなわち、「9条に違反するような国の行為、すなわち戦争の遂行などによって個人の生命、自由が侵害される場合や、戦争への加担・協力を強制される場合には、その違憲行為の差し止め請求や損害賠償請求などの方法により裁判所に救済を求めることができる場合がある」と、救済の事例とその方法が示されたのです。

■ 「戦争」を止めることができる国民の力

 今後、「憲法9条に違反する国の行為」があるかもしれません。すなわち「戦争」です。
 例えば、既に施行されている有事関連法によれば首相が「武力攻撃事態だ」と言いさえすれば、日本は一斉に「戦争モード」に入ります。既に指定機関とされているところで働く数千万人をはじめ、大多数の国民に、一部罰則付きで「協力義務」が課せられる危険性があります。
 しかも、既に行われた自衛隊の「海外任務本務化」や、いま福田政権が法案提出を図っている自衛隊海外派遣「恒久法」、そして自民党改憲案に見られる「自衛軍」の海外派遣「任務化」の動きは、この「武力攻撃事態」誘発の危険性を、爆発的に高めます。

 今回の判決は、こうした「戦争」のとき、国民が「戦争への加担・協力への加担・協力を強制される場合」について、「裁判所に救済を求めることができる」と示しました。
 そればかりではありません。「その違憲行為の差し止め請求」、つまり「戦争協力」だけでなく「戦争」という政府の行為への「差し止め請求」が認められたのです。
 言い換えれば、私たち日本国民は、その一人一人が「戦争」を止めることができる「力」を持っていることが示されたのです。

 私は、これを原告団の一人として喜びながら、この憲法9条と前文に裏打ちされた「戦争を止めることができる力」を、子どもたちに受け継いでいきたいと思います。