恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

人々の心を揺り動かした本当の人道支援

2008年05月20日 | 外交・国際
 中国西部を襲った大地震に、日本が派遣した国際緊急援助隊の活躍が、日本でも中国でも注目を集めています。
 今回の日本の行動に、中国の対日感情が好転したと報じられています。このニュースに、私は9年前の出来事を思い出します。
 
■ ギリシャとトルコの「対立」

 エーゲ海を挟んで東にトルコ、西にギリシャがあります。両国の対立の歴史は、数百年間に及びます。
 13世紀に誕生したオスマン=トルコ帝国は、次第に周辺国にも侵略の手を伸ばし、ギリシャも約400年間、その支配下に置かれました。
 ギリシャが独立したのは1829年のことでしたが、その90年後、今度は英国の支援を受けたギリシャ軍がトルコ西岸の都市イズミルやその周辺地域を占領しました。3年後、トルコの解放運動の勢力がこの地域を奪還し、その勢力が、トルコ共和国を築いたのです。
 こうした歴史的経緯から、両国間の敵意は大変なものでした。
 トルコでは、ギリシャ軍を打ち破った記念日には毎年、当時の解放軍に扮した兵士と、ギリシャ兵に扮した兵士によるセレモニーが行われていますが、これは解放軍側がギリシャ軍側を銃剣で突き殺す真似をしたり、海に投げ込んだり、挙句にはギリシャ国旗を引き裂いて踏みつけるという、物騒なものだったといいます。

■ 二つの地震

 1999年8月、トルコで大地震が発生しました。
 そのとき、最初に現地に駆けつけた他国の外国の救助隊はギリシャのチームだったのです。
 ギリシャからの援助物資も次々とトルコに届きました。トルコのメディアは、数万人に及ぶ死傷者の情報とともに、ギリシャからの援助物資を指して、こう伝えました。「あの中には、いま不足している輸血用の血液も入っています!ギリシャ人の血が私たちを救うのです!」

 その3週間後、今度はギリシャで地震が発生します。
 そこには、トルコの災害救助NGOのチームが真っ先に駆けつけました。
 メディアは、トルコ・チームが瓦礫の下に生き埋めになっていた子どもを救出する映像を全国に報じました。「トルコ人がやってくれました!トルコ人があの幼い子どもを救い出してくれたのです!」
 このトルコ・チームが任務を終えて帰国しようとするとき、ギリシャの大統領は彼らを大統領府に招待し、「我々は、このような緊急時だけの友ではなく、真の友になるべきだ。」と語りました。

■ 国民感情の変化
 
 それ以来、両国の関係は、急速に改善しました。
 トルコで行われていた、あの物騒なセレモニーは、花輪をささげるという静かなものに変わりました。
 そのトルコは欧州連合(EU)への加盟を切望し、その願いはまだ実現していませんが、それまでトルコの加盟に最も強く反対してきたギリシャが態度を一変させ、EU外相会議で初めて「ギリシャはトルコの加盟には反対しない」と宣言しました。
 何より、ナショナリズムを煽り立て、「真の友」になることを阻害してきたメディアが、「両国はエーゲ海の家族」と書くなど「友好」「親善」へと論調を一転させ、双方の国民感情の融和を促し始めたのです。

■ 本当の人道支援・国際貢献
 
 今回の中国の大地震で、現地に真っ先に到着した外国のチームは、日本の国際緊急援助隊でした。
 日本の援助隊の奮闘に、中国のいわゆる「反日」サイトには、日本の善意への「感謝」が書き込まれるようになったと伝えられています。また、北京の大衆紙「新京報」は、「恨みを抱いているだけでは相手の秀でた点も、自分の弱点も見えなくなる。」と報じたということです。
 地震国・日本の災害救助の技術を活かした今回の行動こそ、本当の「人道支援」「国際貢献」と呼ぶべきでしょうし、だからこそ中国の人々の対日感情を、好転させることができたのでしょう。

 このような人的あるいは技術的な交流が、日本だけでなく世界中で進められ、より多くの人々の命を救いながら、あらゆる対立感情を和らげ、国際協調の発展につながるよう期待したいと思います。

米兵の犯罪から国民を守れ

2008年05月16日 | 基地・有事体制
 2月に沖縄県で14歳の女子中学生を暴行した米兵が、米軍キャンプ瑞慶覧内で16日に行われた軍法会議において「有罪」となり、懲役3年の刑が言い渡されました。

■ 不起訴

 この事件は、日本の検察は「不起訴」になっています。それは、被害者やそのご家族が「そっとしてほしい」と告訴を取り下げたためでした。

 捜査段階では、被害者の少女は、警察や検察に詳しい事情を語らなければなりません。裁判ともなれば、検察側から、そして米兵の弁護側から、事件の詳細を質されます。「二度と思い出したくない」ことを何度も思い出し、証言しなければなりません。これは大変な苦痛を伴います。

 また、この事件直後、一部の保守系新聞には、被害者やその家族を責めるような論評が掲載されました。インターネット上ではもっと悪質な意見も散見されました。ホームページ上に、そのような意見を掲載する与党の国会議員もいました。このように、打ちひしがれた犯罪被害者を、さらに鞭打つような心無い人々から逃げたかったということもあるでしょう。

 加害者である米兵への怒りもあるでしょうし、処罰も望んでいたでしょう。しかしそれ以上に、もうこれ以上傷つきたくないという思いがあったことは、察するに余りあります。

■ 抗議さえ

 この事件後、在日米軍は「綱紀粛正」を行ったはずですが、今なお米兵による犯罪は跡を絶ちません。
 そのような状況にあって、日米両政府は米軍再編への影響を気にするばかりでした。
 年端も行かぬ被害者を守ることもできなくて、何のための政府でしょうか。何のための日米同盟でしょうか。

 先月には国会で、野党議員から福田首相に対して、一連の米兵の犯罪について「総理から(米国側に)抗議しましたか。」と問われたとき、福田首相は次のように答弁しました。

 「私からですか。・・・外務大臣からシーファー大使に抗議をし、そしてシーファー大使は謝罪をしたということであります。」

 つまり福田首相自身は抗議していませんでした。国内で繰り返される犯罪に対し、抗議さえもまともにできないような首相では、国民の不安が解消されるとは決して思えません。

■ 米兵の犯罪から国民を守れ

 今回の事件は、この軍法会議で終わりではありません。
 米兵がこれまでに起こした事件や事故は累計で二十数万件、死者数も4ケタにのぼります。これ以上、米兵の犯罪による被害者を生み出さないために、何が必要かを真剣に考えなければなりませんし、「米兵の犯罪から国民を守れ」という声を、政府に強く突きつけていくことも必要だと思います。
 日本に米軍基地がある限り、こうした声を上げることを止めてはならないと思います。

日中に求められる「訣別」と「成熟」とは

2008年05月13日 | 外交・国際
■ 中国への批判

 チベット弾圧問題で高まった中国への批判は、日本国内においては、長野での聖火リレー、そして胡錦濤主席の訪日の際、頂点に達しました。
 もちろん、チベット・ウィグルなど少数民族に対する中国の姿勢への批判・非難は、国内だけでなく国際社会で高まりを見せています。その概要は次のようにまとめられると思います。
 
 (1)侵略と占領、(2)資源の強奪、(3)人権弾圧と貧困、(4)愛国主義教育の強要、(5)独立運動の抑圧

 すなわち、20世紀半ば以後、中国は少数民族の居住する地域に、次々と武力による侵略を行い、今も占領を続け、資源を奪い取る一方、人権弾圧を行って貧しい暮らしを強い、その独立運動を力ずくで抑え込むばかりか、学校や寺院などで愛国主義教育を押し付け、支配を正当化していることへの批判です。

■ 占領統治

 ここで日本の史料を一つご紹介します。それは、日米開戦直前の1941年11月20日、大本営政府連絡会議で決定された「南方占領地行政実施要領」です。

 「(イ)差し当り軍政を実施し、・・・(ロ)重要国防資源の急速獲得、・・・(ハ)国防資源の取得と占領軍の現地自活の為民生に及ぼさざるを得ざる重圧は之を忍ばしめ、・・・(ニ)現地土民に対しては皇軍に対する信倚観念を助長せしむる如く指導し、(ホ)其の独立運動は過早に誘発せしむることを避くる」

 この「要領」は当時の日本軍と政府による占領統治政策の基本方針ですが、この(イ)から(ロ)は、前述の(1)から(5)に酷似しています。
 つまり中国の少数民族への政策は、かつての日本の占領統治と何ら変わらないのです。

■ パートナー

 今回の訪日において胡錦濤主席は、かつての日本の行為については語らず、福田首相とともに「未来志向」を強調していました。
 お互い、日本は7月のサミット、中国は8月の五輪を抱える身として、摩擦を避けようとする思惑も分かります。しかし、お互いに「パートナー」を唱えるならば、言うべきことは言うのも大切なことではないでしょうか。
 昨年末、訪中した福田首相は、こう言っています。

 「過去をきちんと見据え、反省すべき点は反省する勇気と英知があって、はじめて将来に誤り無きを期すことが可能になる」
 「皆さん、共に歩き、共に道を造り、共に私たちの未来を創り上げていこうではありませんか。」

■ かつての日本

 そうであるならば、こう言って「反省する勇気と英知」を促すべきでしょう。
 
 私たち日本は、過去を直視し、その反省のもと、二度と戦争は行わないことを憲法に定め、また東西の架け橋になると宣言し、国連加盟も果たしました。
 かつての日本の行為を非難してきた貴国をはじめ、アジア・太平洋地域への侵略行為についても深く反省し、謝罪も行ってきました。
 日本としては、貴国がいま行っている同じ誤りを見過ごすことはできません。
 貴国や、他のアジア・太平洋地域の人々、そして日本の人々をも苦しめた、かつての日本と同じ誤り、すなわち「恥ずかしい歴史」を繰り返してほしくはないのです。

 こう言ってこそ、「はじめて将来に誤り無きを期すことが可能になる」のではないでしょうか。
 
■ ナショナリズム

 さて、今回の両首脳の共同プレス発表でも取り上げられたのが、「ナショナリズム」の問題でした。これも深刻な問題です。

 中国に敵意を抱く日本の権力者や「右派」が、今なお正当化しようとする、かつての日本の占領統治。
 その中国の権力者や「右派」が、憎みながらも繰り返すのも、かつての日本と酷似した占領統治です。

 同じことをしていながら、互いに正義を振りかざす元凶こそ、この「ナショナリズム」という「障壁」です。

■ 「訣別」と「成熟」

 今回の首脳会談では、「成熟した関係」もまた強調されていました。 
 日本も中国も、それぞれが「かつての日本」「ナショナリズム」と「訣別」し、他者への「専制と隷従」「圧迫と偏狭」を排することを率先して実行すべきです。

 それを指摘し合いながら、高め合える日中関係こそ、真に「将来に誤り無きを期す」「成熟した関係」なのではないでしょうか。

「基地の周りには住めない」

2008年05月12日 | 基地・有事体制
 在日米軍再編で揺れた岩国では、前市長の井原勝介氏が米軍の空母艦載機の移転受け入れを拒否しましたが、その後の市長選で、自民党の衆議院議員だった福田良彦氏が、自民・公明の支持を受けて僅差で当選し、受け入れを容認したという経緯がありました。

■ 「集団移転」要求

 大型連休が明けたとき、岩国で日本初の「異変」が起きました。
 基地周辺の、136世帯を擁する自治会が、市長のもとを訪れ「集団移転」を求めたのです。
 自治会長らは、「騒音」や「米兵による犯罪」を憂慮し、全世帯そろって住み慣れた土地を離れる決意をし、市長に突きつけたのです。その思いは、決して簡単なものではなかったはずです。
 
■ 軽すぎた処罰

 翌8日、基地内では軍法会議が開かれました。昨年10月に、当時19歳だった女性を集団暴行した米兵4名を裁く軍法会議でした。
 彼らは「有罪」とされ、翌9日には主犯格とされる兵長に、懲役2年と不名誉除隊が言い渡されました。兵長は「司法取引」(当局に協力することで減刑してもらうこと)のため、実際には1年程度の懲役で済むこととなりました。
 もちろんこの刑は「軽すぎ」ですが、もっと前に下された日本の検察当局の判断は「不起訴」、すなわち罪にさえ問わなかったのです。

■ 「騒音」と「犯罪」

 防衛省・自衛隊の存在意義を訴えるための「防衛白書」でさえ、近年「侵略事態生起の可能性は低下」と伝えているのに、ただ米軍の言うがまま、国民を「騒音」にさらし「犯罪」にさらし続けているのが、この国の政府の姿です。
 あの自治体は、そこから「移住」する決意をしました。本当に大変な決断だったと思います。「逃げ出した」と思う人もいるかもしれませんが、136の世帯全員で「逃げ出す」ことに、どれだけの勇気と決断が必要か、お分かりでしょうか。政府や新しい市長に対抗するためには、それしかなかったのです。

■ 「移転」の前に

 私たち国民は、全員そろって「移転」することはできません。
 かと言って、誰かが「移転」を余儀なくされる事態に目をつむり、自分だけが安心しているわけにもいかないはずです。

 「侵略事態生起の可能性」が「低下」しているのに、ただ米軍の「御用聞き」に甘んじ、その周辺の住民を「騒音」からも「犯罪」からも守ろうとしない、現在の政府、そして今の政治を変えていかなければならないと思います。
 皆さんが「移転」を迫られる前に、です。

憲法記念日に伝えたいこと

2008年05月03日 | 憲法
■ 平坦ではなかった憲法の歩み

 5月3日、日本国憲法は61回目の「誕生日」を迎えました。
 世界の各地で、戦争や人権弾圧が絶えぬ中、日本国民に比較的平穏と言える日々を過ごさせてくれた最大の功労者である日本国憲法に、私は感謝を捧げたいと思います。
 しかし、その歩んできた道のりは決して平坦なものではありませんでした。
 米国と財界から、金銭的支援とその意向を受けた自民党という政党が生まれて以来、絶えずこの「日本国憲法」は、彼らの敵視にさらされてきました。
 権力者の命令一つで、あらゆる人権を踏みにじり、国民を思いのままに操った時代を謳歌してきた彼らにとって、憲法の人権規定や民主主義はこの上なく邪魔なものでした。
 また、日本に再軍備を行わせ、米軍の指揮下に置くことで、米国の「人的資源の節約」を図ろうとする米国にとって、「戦争放棄」「戦力不保持」が邪魔でしたし、財界にとっては、労働者に保障された労働基本権なども邪魔で仕方ありませんでした。
 こうした人々の思惑は互いに融合しながら、様々な詭弁を弄して日本国憲法の破壊を目ざし、自分たちに便利な憲法を作ろうとしてきました。
 
■ 人類全体の財産
 
 憲法の果たすべき役割とは、国民の立場から権力の暴走を抑制し、権力から国民を守ることにあります。
 日本国憲法のみならず、いま挙げたような米国や財界、自民党などの思惑や利益と、憲法が守ろうとする国民の利益とは、本質的に相容れないものなのです。
 だからこそ、多くの先人たちが、「憲法擁護」を訴えながら「反米」「反独占(資本)」「反自民」を掲げ、平和と人権を守り抜き、今を生きる私たちに受け継いできたのです。
 もちろん、この努力は戦後の日本だけのものではありません。それこそ英国の「マグナカルタ」以来、三大市民革命を中心とした近代立憲主義に通じる世界中の人類の叡智と努力があり、その結晶としての日本国憲法の意義を忘れてはなりません。

 それは、日本国憲法第97条に、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と書かれている通りであり、この日本国憲法の権利章典としての役割は、人類全体の財産であると言っても過言ではありません。

■ 不断の努力

 私たちの祖先が築き上げてきたこの財産、そして「将来の国民」に受け継ぐべき財産こそ、私たちの「日本国憲法」であると考えます。
 この財産は、今を生きる一人の親として、何としても守り抜き、子どもたちに受け継いでいかなければならない、それが私自身の責務だと確信しています。
 日本国憲法第12条には、こう定められています。

 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」

 いま、国民が声をあげなくなったからこそ、改憲への動きが加速しています。
 私は、元より「非力」ですが決して「無力」ではないと信じ、「将来の国民」に恥じぬよう、この「不断の努力」を実践していきたいと思います。

 この決意こそ、今年の憲法記念日に、皆さんにお伝えしたいことです。