恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

恥ずかしい日韓両政府による、恥ずかしい教育

2008年07月16日 | 教育基本法・教科書
■ 竹島問題

 政府が、中学校向け学習指導要領の解説書に、竹島問題を記載することを決めて以来、日韓両国で騒ぎが続いています。
 韓国政府は駐日大使を召還し、また政府高官を竹島に派遣して日本に対する抗議文を読み上げるなど、騒ぎを拡大させています。
 さらには、日本大使館に向かって生卵を投げる市民も現れるなど、思わず眉をひそめてしまうような行動を取る人々もいました。
 では、なぜ彼らはこのような反応を示すのでしょうか。それは、彼らが受けてきた教育に原因があると思います。

■ 「恥ずかしい」教育

 韓国では、竹島は「独島」と呼ばれていますが、韓国の「国史」の教科書に、この「独島」に関する記述があります。
 そこでは、2ページにわたって地理的・歴史的側面から、「独島」が韓国領であることが書かれていますが、とりわけ日本の殖民地支配の歴史と、それが終わったことを意味する「光復」によって、「独島」が取り戻されたこと、そして軍を派遣してこの島の領有権が明確にしたことなどが強調されています。
 こうしたことを学校で教えられた子どもたちの心には、一体何が残るでしょうか。
 取り戻された「独島」への愛着をおぼえるだけでなく、植民地支配を行った日本への反感も抱くかもしれません。そして、「愛国心」と呼ばれる感情も芽生えるかもしれません。これこそが歴代韓国政府の「狙い」だったのです。
 そのような教育の結果、ひとたび今回のような問題が起きれば、市民レベルでも、生卵を投げたり「日の丸」を焼いたり、といった衝動的な行動が繰り返されるようになりました。
 政府から受けた教育と、植えつけられた「愛国心」によって、子どもたちが大人になってこのような行動を取るのですから、実に「恥ずかしい」教育だと言わざるをえません。

■ 「恥ずかしい」教育を真似る日本政府

 日本ではどうでしょうか。
 この竹島問題に見られるように、日本政府はいま領土問題に関する教育を強化しようとしています。
 これは、一昨年の暮れに改定された教育基本法に、いわゆる「愛国」規定が盛り込まれたことが、背景としてあります。
 子どもたちに、領土問題を教え込んで相手国に対する反感を煽って、「愛国心」を植えつけようとするのですから、日本政府が行おうとしている教育も、韓国と同様の「恥ずかしい」教育に他なりません。
 「相手国が言っているのだから、こちらも…」と言うような人々は、教育を行う上で、何よりも子どもたちのことを大切に考えなくてはならないということを見失っています。子どもたちに教えて、領土問題が解決するとでも言うのでしょうか。
 そのようなことも分からない人々のご機嫌をとるために、将来、他国の大使館に向かって、生卵を投げたり、門の前で旗を燃やしたりするような「愛国心」を植えつけられようとしている子どもたちが可哀想でなりません。

■ 「子どもたちのための教育」を

 では、この問題について両国政府が取るべき行動は何だったのかを考えてみましょう。
 今月初め行われた洞爺湖サミットで、韓国の李明博大統領は、日本の福田首相との会談で直接、竹島問題について記述しないよう要請していました。このとき、もし私が福田首相ならば、こう答えたでしょう。

 「分かりました。領土問題を子どもたちに教えても何の解決にもなりません。日韓両国が合意できるまで、双方がお互いに教科書から領土問題を削除し、本気で解決を目指して政府間で交渉を進めましょう。」

 以前にも書きましたが、政府間の交渉なくして領土問題の解決はありません。
 その努力もせず、他国への反感を利用するために、領土問題を教育に持ち込むような政府は、実に「恥ずかしい」政府です。

 私は、日本・韓国だけでなく、教育に「愛国心」などというものを持ち込む全ての国々の、「恥ずかしい」教育を改め、子どもたちが未来を展望するための教育を、それぞれの国民の手に取り戻さなければならないと考えます。

「どうしようもない」人々と外交

2008年07月05日 | 外交・国際
 7月5日になりました。2年前のこの日、北朝鮮による7発のミサイル発射実験が行われました。
 しかし私が「忌まわしい出来事」として忘れられないのは、その実験よりもむしろ、それに対応すべき人々の「どうしようもない」姿でした。

■ 小泉氏の別の「打ち上げ」と「大騒ぎ」

 北朝鮮によるミサイル発射実験は、日本時間の3時半過ぎから始まりました。
 「北海道沖に着弾」「新潟県沖に着弾」という衝撃的な報道に、日本中が大騒ぎでした。しかし当時の小泉純一郎首相はその夜、自民党の厚生労働部会のメンバーと一緒に「飲み食い」に興じました。
 この「飲み食い」は、かねてから予定されていた「打ち上げ」でした。
 6月、小泉内閣が提出していた法案が、与党の相次ぐ強行採決によって成立しました。その法案とは、「医療崩壊の元凶」と呼ばれ、ついに福田首相「問責」の原動力となった「後期高齢者医療制度」を含む「医療制度改革関連法案」でした。
 この日、その「改革」を強行した与党の厚生労働部会の理事らの「功績」を讃えて、小泉氏が一席を設けたというわけです。
 その夜、もちろん国民は、まだミサイル問題で「大騒ぎ」を続けていましたが、ちょうどその頃、小泉氏や自民党の面々は、別の意味で「大騒ぎ」を演じていたのです。
 「えひめ丸」事件を聞きながらゴルフを続けた森喜朗氏に勝るとも劣らない、小泉氏の「どうしようもない」行動は、正に「サプライズ」でした。

■ 安倍氏の「立場」

 さて、北朝鮮が絡めばすぐに注目を集めるのが、安倍晋三氏という人物でした。
 このとき安倍氏は官房長官の地位にあり、小泉政権のスポークスマンとして「ポスト小泉」を意識したアピールを繰り返していました。
 では、小泉氏が「飲み食い」に興じていた7月5日、彼は何をしていたと思われますか。

 北朝鮮問題をライフワークだと広言する安倍氏ですが、実はその「飲み食い」に同席していたのです。
 安倍氏も元々「厚生労働族」です。その分野で何かあれば彼の「フトコロ」、すなわち「利権」に直結します。
 もちろん、あまりお酒は召し上がらない安倍氏ですので、小泉氏ほど「大騒ぎ」はしなかったのでしょうが、安倍氏もこの土壇場においてなお「北朝鮮問題より厚生労働族としての立場」を優先させた「どうしようもない」人物だったのです。

■ 麻生氏の「作り笑い」

 政権の中枢を担う首相・官房長官が「飲めや歌え」で騒いでいるとなれば、頼れるのは日本の外交分野での責任者、すなわち外務大臣ということになります。
 当時、その職にあったのが、麻生太郎氏という人物です。この頃、既に安倍氏らとともに、「ポスト小泉」の有力候補に挙げられていた麻生氏としては、この問題への対応は本来「腕の見せどころ」だったはずです。
 その麻生氏は、5日当日こそ外務省の、各国との連絡役として「電話会談」を繰り返しましたが、次の日、彼はほぼ丸一日「自分自身」を優先させました。
 ミサイル発射の翌日である6日は、麻生氏の日程表には、某「テレビ番組収録」という予定があったのです。その番組とは、後に自民党参議院議員や大阪府知事を輩出することになる、日曜夜の法律系バラエティ番組です。
 これが放映されたのは7月の下旬でしたが、番組の中で司会者が「麻生さん、ほんまにこんなとこ、おってええんですか。いま日本中、大騒ぎですよ。」という問いに、麻生氏は「いいんです。いいんです。」と、ときおり「カメラ目線」を交えながら、作り笑いを振りまき、好感度アップに一所懸命でした。
 当時、既に小泉首相が引退を表明し「ポスト小泉」争いが激化する中、外務大臣としての緊急対応よりも、「目立つ」ことを、麻生氏は優先させました。このため外務省は、6日の「外務大臣電話会談」を、翌7日に先送りせざるを得なくなったのです。麻生氏もまた、実に「どうしようもない」人物でした。

■ 外交の基本姿勢

 その頃、外交の中枢にあったのは、谷内正太郎氏という外務事務次官でした。
 小泉・安倍政権で「外交の指南役」と呼ばれた谷内氏には、私も興味を持っていましたので、このミサイル実験のしばらく後に、その講演を聴きに行ったこともあります。彼は「日本の外交の基本的な姿勢」について、非常に分かりやすく、こう解説してくれました。
 「今や世界で超大国と呼べるのは米国だけです。だから米国についていけば間違いないのです。」
 
 何のことはありません。日本は既に自分たちで外交を行うのをやめ、ただ米国の言う通り付き従うだけ。言ってみれば、外交権を米国に委ねてしまっていたのです。
 本当に「どうしようもない」話です。それほど米国は信用できるのでしょうか。
   
 2年前、北朝鮮のミサイル発射準備について、米国は5月下旬には把握していたのに、日本にこれを伝えてきたのはそれから約3週間後のことでした。
 さらに、米国は北朝鮮のミサイルの着弾地点について、正確な情報(北朝鮮領土内やその沿岸、ロシア沿岸であり、当初の「北海道沖」「新潟県沖」というのは明らかに誤報でした。)を伝えたのは8月のことでした。
 どうも、「米国についていけば間違いない」という言葉も、首を傾げざるをえません。

■ 「どうしようもない」を変える

 さて、あれから2年が経ち、米国はいま北朝鮮への「テロ支援国」指定解除の手続きを進めています。米国に対して、日本政府はずっと「拉致問題の進展がないのに指定を解除しないでほしい」と言い続けてきたはずですが、米国はそのような「陳情」に耳を貸さなかったのです。
 福田首相は、この米国の「変節」に対して抗議の一つでもするのかと思えば、そのような動きは全くなく、逆に「容認」「歓迎」という言葉を贈りました。それどころか、何ら具体的成果もないまま、一部の制裁を解除してしまいました。
 2年前は「蚊帳の外」だった福田氏も、自分で外交をせず、ただ「米国任せ」を踏襲しているのが、よく分かります。

 彼もまた「どうしようもない」のですが、あの「どうしようもない」人々も相変わらずです。
 小泉氏は米国の「変節」に合わせて「国交正常化なくして拉致問題解決なし」と言って、相変わらず「サプライズ」を起こしています。
 安倍氏は「変節」した米国や日本政府ではなく、同じ自民党内の山崎拓氏に毒舌をふるって、「復権」を図っています。
 麻生氏は今もテレビ番組に出演して、作り笑いを振りまき続け、「ポスト福田」の最有力候補とされています。

 そんな「どうしようもない」彼らが権力の座に居座り続ける限り、「米国任せ」の無責任な外交を変えることはできません。
 それを変えることができるのは私たち国民だけですし、国民がそれを変えなければ本当にこの国は「どうしようもない」国のままでしょう。

「目くらまし」に使われた「空襲」「沖縄戦」「原爆」

2008年07月03日 | 教育基本法・教科書
■ 改定された学習指導要領解説

 このほど文部科学省が、小学校向けの学習指導要領の解説を改定し、発表しました。
 その中で、初めて「各地への空襲、沖縄戦、広島・長崎への原子爆弾の投下など、国民が大きな被害を受けた」という記述が加えられたことが報じられています。
 この記述が加えられたことについて、私は率直に評価しますが、しかしこれは126ページに及ぶ「社会編」の僅か一部分に過ぎないことを忘れてはなりません。
 
■ 執拗に登場する「愛国心」

 この解説は元々、06年12月、安倍政権が強行した改定教育基本法、そしてそれに従って改定された学習指導要領についての解説です。
 全体を読んでみれば、「戦前回帰」を目指した安倍政権時代の、復古的・国家主義的教育観が色濃く反映されたものとなっています。
 例えば、「日本人としての自覚」という記述は11回も登場しますし、実に50回以上も登場する「愛情」「愛する心情」という表現は、「我が国の国土に対する愛情を育てる」「我が国の歴史に対する愛情を育てる」という文脈で使われ、特に6年生に対しては「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」と、しつこいほど露骨な「愛国心教育」が掲げられています。
 やはり、ここでも教育基本法改定の際の「内面には踏み込まない」という政府答弁とは全く正反対の内容です。

■ 「天皇」

 さて、その「愛国心」「国家主義」を煽る道具の一つは、戦前・戦中の教育と同じ「天皇」です。
 具体的には、初期段階で「古事記・日本書紀・風土記」などの「神話・伝承」を使って「天皇=神の末裔」像を刷り込み、聖徳太子や大化改新について「天皇を中心にした新しい国づくり」の意識付けを行い、挙句には、大仏建立まで「「天皇を中心にしてつくられた新しい国家の政治が都だけでなく全国にも及んだ」という極めて一面的な部分のみを強調する内容です。
 その後、武家政治の時代を経て、明治維新によって再び「天皇中心の国家」となったことを強調するという、さながら森政権時代の「神の国」を思い出させるような、徹底ぶりです。

■ 「国旗」「国歌」

 「愛国心」を煽る「道具」は天皇だけではありません。
 やはり、国旗や国歌も忘れてはならない存在です。
 解説では、「国旗があることを理解するとともに,それを尊重する態度を育てるよう配慮する」「我が国の国旗と国歌の意義を理解させ,それらを尊重する態度を育てることが大切」と、国旗国歌法制定時に「教育現場で強要しない」としていた政府答弁とは大きくかけ離れた内容です。
 ただし、国旗・国家の意義や経緯については、天皇ほどの執拗さはなく、「長年の慣行」という実にお粗末な理由が付されているだけです。
 中国や韓国などへの配慮があるのかもしれませんが、所詮その程度でしかないのであれば、わざわざ強調する必要もないはずです。

■ 「領土問題」

 「愛国心」を煽るには、やはり「敵」を作るのが効果的です。
 それで、与党などが必死に、教育に持ち込もうとしているのが「領土問題」です。
 解説では、特に「北方領土の問題」について、「現在ロシア連邦によって不法に占拠されていることや,我が国はその返還を求めていることなどについて触れるように」と念を押しています。
 しかし、ここでも中国や韓国などへの配慮が見られ、その帰属をめぐって中国や台湾と論争のある尖閣諸島や、韓国と論争のある竹島は、盛り込まれていません。
 そもそも、日本のみならず他の国々も、領土問題を小学生に教えて何になるのでしょうか。領土問題で交渉を行うのはその国の政府です。政府間交渉によって画定した線引きを、子どもたちに教えてあげれば良いのであって、子どもたちに領土問題の争いを教えたところで、何一つ進展などありません。
 このように領土問題を教育に持ち込んで「感情的なしこり」を残すだけの教育は愚かです。

■ 中韓米より子どもたちへの「配慮」を

 これまで述べてきたように、中国や韓国には配慮がなされています。
 また、今回盛り込まれた「空襲」「沖縄戦」「原爆」などを行った「アメリカ合衆国」という国を全く登場させないという、同じような米国への配慮もなされています。
 しかし、本当に配慮しなければならないのは、「教育の権利主体」である子どもたちです。
 執拗な「愛国心教育」を振りかざして、子どもたちの内面や感情に踏み込むというのは、子どもたちの権利・自由の侵害ですし、その後の人生を狂わせかねません。

■ 「戦争の悲惨さ」を語り継ぐことの意味

 そうした弊害は、中国の「愛国」教育や、北朝鮮の「権力者崇拝」教育を見れば、よく分かります。また、日本でも、教育勅語から敗戦までの約55年間、歪んだ国家主義教育が、どれほど多くの人々を不幸に陥れ、死に追いやったかを思い出す必要があるでしょう。
 いま同じ方向へ、同じような手口で、今の日本の教育が蝕まれようとしています。
 「空襲」「沖縄戦」「原爆」の記述は、所詮そのことへの批判をかわそうとする「目くらまし」に使われたと言っても過言ではありませんが、この記述は子どもたちにとっては重要です。
 戦争によって結局、不幸や死を背負わされるのは、国民です。戦争がいかに悲惨な結果をもたらすかを語り継いでいくことは、子どもたちが将来、過ちをおかさないようにするために大切なことです。

■ 取り戻したい「子どもたちのための教育」

 こうした記述を引き出したのは、国民の声でした。
 戦前への逆行を命じる進軍ラッパを吹き鳴らした安倍政権は、国民から強い批判を浴びて昨年の参院選後に崩壊し、今や参議院では「憲法9条は変えるべきではない」という議員が過半数に達しています。
 その後、高校の教科書から、沖縄戦での集団自決に関して日本軍が「強制」したという記述を削除させる検定意見に、沖縄県を中心に怒りの声が沸きあがりました。
 「関与した」という記述を認めるなど小手先のごまかしで、今も検定意見を撤回しない文部科学省に対して、私も憤りを禁じ得ませんが、こうした政治的・社会的な動きがあったからこそ、今回ようやく解説に「空襲」「沖縄戦」「原爆」などが盛り込まれたのです。 
 安倍政権の「亡霊」によって歪められようとする教育に対し、声を上げ続け、政府や権力者のためではなく、真に子どもたちのための教育を取り戻したいと、私は思います。