「テロとの戦いは長くかかると覚悟している」
これは今日19日に小泉首相がインタビューで答えた言葉です。
彼は一体何を「覚悟」する必要があるのでしょうか。厳重な警備に囲まれ、一人安全なシェルターのような官邸に暮らし、何を「覚悟」していると言うのでしょうか。
イラクに派遣された自衛隊員はもちろん、一般人に危険が及ぶテロ予告さえ発せられている中、彼が言いたいのは、隊員・一般に国民に対し「覚悟せよ」ということではないでしょうか。ちょうど「痛みをともなう改革」を唱えながら、「痛み」を負ったのは国民だけだったのと同じように。
福田康夫官房長官も今日、イラク戦争について「武力行使でイラクの人々は解放された。」と言い放ち、戦争の大義名分とされた「大量破壊兵器」について「ないはずがないと思う。」と強弁しました。
武力行使、すなわち「戦争」を正当化させてはなりません。どう理屈をつけて言いつくろっても、「良い戦争」などは存在しません。
「良い戦争」を認めることは、「聖戦」を叫ぶテロを繰り返すテロリストを認めるのと同じです。
明日20日、全世界の人々とともに立ち上がりましょう。為政者に戦争をさせないことこそ、戦争被害者を出さないことであり、私たちにできる本当の「国際貢献」だと思います。
これは今日19日に小泉首相がインタビューで答えた言葉です。
彼は一体何を「覚悟」する必要があるのでしょうか。厳重な警備に囲まれ、一人安全なシェルターのような官邸に暮らし、何を「覚悟」していると言うのでしょうか。
イラクに派遣された自衛隊員はもちろん、一般人に危険が及ぶテロ予告さえ発せられている中、彼が言いたいのは、隊員・一般に国民に対し「覚悟せよ」ということではないでしょうか。ちょうど「痛みをともなう改革」を唱えながら、「痛み」を負ったのは国民だけだったのと同じように。
福田康夫官房長官も今日、イラク戦争について「武力行使でイラクの人々は解放された。」と言い放ち、戦争の大義名分とされた「大量破壊兵器」について「ないはずがないと思う。」と強弁しました。
武力行使、すなわち「戦争」を正当化させてはなりません。どう理屈をつけて言いつくろっても、「良い戦争」などは存在しません。
「良い戦争」を認めることは、「聖戦」を叫ぶテロを繰り返すテロリストを認めるのと同じです。
明日20日、全世界の人々とともに立ち上がりましょう。為政者に戦争をさせないことこそ、戦争被害者を出さないことであり、私たちにできる本当の「国際貢献」だと思います。