恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

「タカ派」大臣という「芸者」

2007年08月16日 | 国会・政党・選挙
■ 靖国参拝

 62回目の終戦記念日、高市早苗氏という一人の閣僚が靖国神社に参拝しました。
 高市早苗氏と言えば、最近は夫の山本拓氏の「事務所費は芸者の花代」発言が有名ですが、かねてより「タカ派」としてその名を知られ、元々「タカ派」色を売り物にしてきた安倍内閣に招き入れられた一人です。
 
 その高市氏、実は「政教分離」原則すら理解できていない一人なのです。

■ 「神事」が政治活動費

 最も新しい政治資金収支報告である、2005年を見てみると、高市早苗氏の資金管理団体「新時代政策研究会」は、「神事」に10万円を報告しています。
 「神事」でも「仏事」でも同じですが、宗教上の理由での「寄進」を私は咎める気はありません。しかしそれは「内心」のお話であり、私的に処理されるべきだというのは当然のことです。
 それを、この高市早苗氏は「政治活動費」として公然と計上しているのです。しかもその額は10万円。どれほどの「内心」であっても、一般人としてはちょっと「寄進」しがたい金額です。

■ 参院選中の金集め

 さて、その高市大臣の資金管理団体「新時代政策研究会」ですが、先月の参院選の真っ最中、しかも投票日の3日前という大事な日に政治資金パーティーを開くほど、豪勢な「金集め」を行っています。「Fight On!! Sanae 2007 高市早苗さんをみんなで激励する会 東京支部発足会」というこのパーティーの呼びかけ人の中には、「東芝」会長、「佐世保重工業」社長、「電通」顧問などの名が並んでいました。ともに防衛省との大きな取引がある「防衛産業」企業であり、「タカ派」大臣の「パトロン」としては申し分のない顔ぶれだと言えます。

■ 防衛産業からの花代で舞う「芸者」

 安倍首相は就任直後、日中首脳会談を実現して対中関係の改善を望む経済界の信任を得ました。そして「外交問題」を理由に靖国神社への参拝を見送ってきました。その是非はともかく、緊張状態が緩和されたことで「儲からない」企業も出てきたということは事実です。
 「防衛産業」の「パトロン」にしてみれば、しこりの一つや二つは煽ってもらわなければ商売に響きます。

 彼らの「花代」を得て、終戦の日に靖国に舞う「芸者」。これが高市大臣の、せめてもの存在価値なのではないかと私は思います。

 ちなみに、この高市早苗氏ですが、資金管理団体の代表者名だけは「源氏名」を使わず、「山本早苗」という本名を名乗っています。

戦後62年にあたって

2007年08月15日 | 憲法
■ 戦争再発防止策

 62年前、日本の本土は終戦記念日を迎えました。
 19世紀後半から続く旧大日本帝国による破壊と侵略と殺戮の歴史は、同時に自国民を恐怖と飢餓に陥れました。この軍国主義という戦争遂行第一主義は、ついには「一億玉砕」という「国民皆殺し」の掛け声まで上げました。
 挙句、米軍の空襲によって全国の主要都市は焦土と化し、広島・長崎への原爆投下により、ようやく1945年8月14日、ポツダム宣言を受諾し、翌15日の「玉音放送」により戦争終結を国民に告げたのでした。
 その数ヶ月前には海軍は壊滅し、他国に反撃する力もなかったのに、ただ戦争を続け、国民への被害を拡大させた軍国主義の愚かさ、それを称揚した戦争指導者たちの愚かさは言い尽くせるものではありませんし、また日本を焼き尽くし、殺戮の限りを尽くした「米国の残酷さ」も忘れてはならないと思います。

 その後、日本はついに占領の憂き目に遭います。
 占領軍は、いくつかの「戦争再発防止策」を日本に課しました。これは大別して「民主化」と「非軍事化」の二つに分かれます。

■ 戦後レジーム

 まず、「民主化」策には次のようなものがありました。

 (a) 治安維持法・特高警察の廃止
 (b) 警察機能の地方分権化
 (c) 教育制度改革
 (d) 選挙の民主化(女性への参政権)
 (e) 財閥の解体
 (f) 農地改革
 (g) 労働組合の解禁
 (h) 地方分権化

 また、「非軍事化」策には次のようなものがありました。

 (1) 軍の武装解除・解体
 (2) 軍国主義者の公職追放
 (3) 軍国主義教育の廃止
 (4) 天皇の神格の否定
 (5) 国家神道の廃止
 (6) 立憲主義の再構築と憲法改正

 こうしたことが恐らく、安倍首相が否定する「戦後レジーム」なのでしょう。

■ 「民主化」の破壊

 では、この「戦後レジーム」は今どうなっているでしょうか。まず、「民主化」の(a)から(h)までの8項目について見てみましょう。

 (a)(b)については、公安調査庁・公安警察があり、自衛隊までもが政党や市民団体を監視しています。「共謀罪」ができれば思想すらも処罰の対象となりかねません。
 (c)については、教育基本法が改められ、既に「愛国」規定が盛り込まれています。また「モノ言わぬ教師」づくりのための免許更新制などを盛り込んだ教育関連3法も強行されました。
 (d)については制度上は守られていますが、低投票率を当て込んでの日程の移動、選挙結果を無視した前例のない政権への居座りなどが目にあまります。
 (e)については、既に経済団体が政治献金やパーティー券購入を餌に政党への圧力を強化すると同時に、外国資本が政策要求を行うための政治献金の規制緩和が行われています。彼らは防衛産業振興を推進していることも特筆すべきでしょう。
 (f)については、一定規模以上の農業者だけへの保護政策により、中山間地などの小規模農業者の切捨て政策を推進しています。
 (g)については、使用者側が一方的に労働条件を切り下げることを可能にすることなどを盛り込んだ労働関連法案が先の通常国会から継続審議となっています。また、「ただ働き」を推進する「日本版エグゼンプション」導入も断念された訳ではありません。その前には、森喜朗元首相が「参院選の争点は日教組・自治労の解体」と語るなど、労働組合否定が公然と言われています。
 (h)については、有事法制では知事を排除しての首相の代執行権を認めていますし、米軍再編特措法では、米軍再編や基地移転に協力しない自治体へは補助金を出さないという、厳しい締め付けがあります。

 極めて危機的な状況にあることが分かると思います。

■ 「非軍事化」の破壊

 次に、「非軍事化」の6項目について見てみることにしましょう。

 (1)については、既に1950年代に警察予備隊、保安隊を経て自衛隊が作られ、今や「防衛省」ができ「防衛」だけでなく、「海外任務」までもが本来任務になっています。実際にインド洋・中東などに自衛隊が常駐するに至っています。
 (2)についても、1950年前後に追放を解除された軍国主義者が次々と公職に復帰し、安倍首相の祖父・岸信介氏などは首相にまで登りつめています。以後、福田赳夫氏・中曽根康弘氏・小渕恵三氏・森喜朗氏・小泉純一郎氏など首相経験者を筆頭に、軍国主義者と目される政治家は数え切れません。
 (3)については、それこそ「愛国」規定を盛り込んだ教育基本法の改悪があり、教育関連3法の強行があり、さらに学習指導要領の改訂、旧日本軍の免罪を図ろうとする教科書記述問題など正に深刻化しています。
 (4)については、皇室報道における異様なまでの敬称により、「神聖視」の刷り込みが行われています。
 (5)については、今年は見送られたものの、相次ぐ首相や閣僚・国会議員らによる靖国参拝や供物などが公然と行われています。
 (6)については、「国民を守るために権力を抑える」という立憲主義を否定した、自民党の「新憲法草案」が一昨年つくられ、それを押し通すための改憲手続法が強行されています。「草案」の中身は、軍の保持、海外派兵、軍事裁判所の設置が盛り込まれ、そして「公益」「秩序」の下に、あらゆる自由や人権が規制されるという危険なものです。かつて、戦争遂行のために国民が苦しんだようにです。

■ 米国の圧力

 占領軍がつくった戦争再発防止策としての「戦後レジーム」は、これまで辛うじて62年間の平和を日本にもたらしました。
 しかし、安倍首相が提唱する「戦後レジームからの脱却」はここまで進んでいるのです。それを後押ししているのは、他ならぬ米国です。
 1948年、米国は日本の再軍備を検討し、次の理由から日本の再軍備を推進しようと考えました。

 「米国の人的資源節約のためになる。」
 
 戦争で失われるのは命です。兵士は常に死と隣り合わせです。
 しかし米国の戦争の最前線で死ぬのは、何も米軍の兵士でなくても良いのです。米軍と同盟関係を結ぶ国の兵士ならば米国は何の責任を負わなくても済みますし、そうした他国の兵士に死んでもらった方が自国の「人的資源の節約」になるというのです。
 そして米国は日本に「戦後レジーム」転換を迫り始めたのです。
 冒頭に触れた「米国の残酷さ」は今なお息づいているのです。

■ 不断の努力

 命を「人的資源」と捉える考え方は好むところではありません。しかし天然資源に乏しいこの日本にとって「資源」と呼べるものは国民そのものであることは間違いのないところだと思います。
 私たちが最も大切にしなければならないもの、それは私たち自身であり、この国の将来を担う子どもたちの命です。
 その大切な命を守り抜くシステムである「戦後レジーム」は62年間、私たちの祖父母・両親から私たちへ、そして私たちの子どもたちの命を守り続けました。もちろん、そこには祖父母・両親らの「不断の努力」がありました。

 戦後、日本人が手にした「戦争再発防止策」は、「戦争から解放されたい」と願っていた日本人にとってどれほど有り難いものだったでしょうか。
 この62年という「戦後」を、「新たな戦前・戦中」にすることなく、1年1年積み重ね、再び「戦争の惨禍」を繰り返させないこと、これこそが今を生きる私たちの使命であると考えます。

 改めて、そのための「不断の努力」を続けていくことをここに誓い、「終戦の日」にあたっての私の決意と致します。