恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

「民意」対「権力」 ~ たたかいは今から

2010年01月27日 | 基地・有事体制
 24日の名護市長選挙で、「名護市に新たな基地はいらない」とする稲嶺進氏が勝利したことは、ご存じの通りです。
 もちろん、明確に「新基地建設反対」という民意が示された以上、「現行案」と言われる辺野古沖への新基地建設は事実上、不可能になりました。

■ 「暴走」

 ところが、再び政府が迷走を始めました。
 選挙翌日の25日、鳩山首相は国会答弁で、移設先について「ゼロベースで検討」という言葉を繰り返しました。「ゼロベース」、すなわち「辺野古沖移設」も排除しないということです。
 一時はこの移転問題を名護市長選挙の結果に「丸投げ」しようとまでしていた鳩山首相の言葉とも思えません。
 さらに、平野官房長官にいたっては「暴走」の域に達しています。
 移設先については25日、「(選挙結果を)斟酌しなければならないという理由はない」と述べ、移設先の自治体の同意について26日、「理解は求めなくてはいけないが、合意が取れないと物事を進められないものなのか。」と語っています。

■ 「言語道断」

 鳩山氏や平野氏は言うまでもなく民主党ですが、民主党はマニフェストに「沖縄の負担軽減」を公約し、連立を組む社民・国民新との「政権合意」にもそのことを盛り込んだ上で、この市長選では稲嶺氏を推薦してきた経緯があります。
 その推薦を受けた稲嶺陣営にしてみれば、「民主推薦」は決してプラスばかりではありませんでした。
 「政治とカネ」にまつわる鳩山首相、小沢幹事長の問題があり、投票日の前日23日に小沢幹事長自身が検察から事情聴取を受けました。同じ23日には、岡田外相が講演で「今の案も一つの案であることは間違いない」と語り、辺野古沖移設もあり得るとの認識を示したのです。
 このような中で、「民主推薦」を背負って選挙戦を闘わなければならないというのは、推薦された相手に背後から撃たれるような思いだったはずです。思いもよらない僅差だった最大の原因はそこにあったのでしょう。
 それほど稲嶺陣営を苦しめておきながら、稲嶺氏が掲げ、名護市民が支持した「新たな基地はいらない」という願いを、当選直後にその民主党が踏みにじるなど言語道断です。

■ 「目くそ鼻くそ」

 さらに、ひどいのは26日、地元自治体の同意が得られない場合について問われた平野官房長官の、「法律的にやれる場合もある。」という発言です。

 確かに「法律的にやれる」方法はあります。例えば、「土地収用法」と「行政代執行法」を使えば、かつての自民党政権のように、反対住民を「力ずく」で排除することも可能です。
 しかし、そのようなやり方で良いのでしょうか。

 政権交代が実現する前まで、当時の野党だった民主党が、その主張の「支え」としてきたのは、「民意」でした。
 すなわち、07年の参院選で民主党が第一党となり、「民意」は「我らの側にある」と言ってきたのです。
 実際、そのことは、09年の総選挙で「自民党の歴史的惨敗」によって証明されました。

 「支え」であるはずの「民意」が選挙で示されたと言ってきた民主党が、政権を取った途端、「選挙結果は斟酌しない」「ゼロベースだ」「地元の合意は必要ない」「法的措置もある」というのでは、まさに自民党と「目くそ鼻くそ」の政党だと言わざるを得ません。

■ 「民意」

 しかし政権内にも、「民意」を大切にする人々もいます。
 社民党の福島党首は、稲嶺氏が当選した24日、「内閣は地元の民意に応え、辺野古沿岸に基地を造らないことに全力を挙げるべきだ」と語っています。
 同じ社民党で言えば、衆議院沖縄2区選出の照屋寛徳氏は政権協議の際、基地問題で断じて民主党への譲歩を許さなかったことは有名ですし、同じく沖縄の参議院議員、山内徳信氏は09年11月、「現行案」での「妥協決着」を図ろうとしていた平野官房長官に対して「私を殺してからやれ」と迫ったほどです。
 さらに又市副党首が年末、民主党の小沢幹事長に対して「辺野古沖なら『政局』だ」と直談判したと伝えられています。
 つまり、「辺野古に基地を作るということになれば、社民党が連立から離脱するだけでなく、沖縄選出の民主党議員も抜ける。国民新党の下地政調会長も抜ける。そうなれば国民新党も抜ける。予算案は通っても予算関連法案は通らない。政権は終わる」ということでしょう。

 民主党の中には、「期限とした5月には予算も関連法案も通っている。社民党や国民新党を連立から追い出せ」という声もあるようですが、民主党の不祥事で政権の支持率を落とした上で、社民・国民新と対立しながら、単独過半数を取れるほど選挙は甘いものではないはずです。

■ 「死守」

 もっと「甘くない」のは、「国会運営」です。

 「社民党が抜ける」ことがあれば、政権は参議院で過半数を失います。
 もちろん予算案は「衆議院優越」ですので成立しますが、予算を執行するための関連法案は、衆参両院で可決されなければ成立しないのです。
 ただし、ご存知の通り「再議決」という方法もあります。参議院で否決されても衆議院で3分の2以上の賛成があれば通るというもので、05~09年に当時の自公政権が乱発した手段です。
 しかし、衆議院で民主党単独では3分の2には届きません。社民・国民新のどちらかが欠ければ3分の2を割ってしまうのです。
 予算案が成立しても、関連法案が通らなければ、内閣の「最大の仕事」である「予算の執行」が出来ないということになり、政権は「崩壊」します。
 これには、「政局」には敏感な小沢氏も「(移設先として)辺野古は無い」と、慌てて他の候補地を挙げたほどでした。

 地元の「民意」を「支え」に決死の覚悟で、文字通り「民意」を「死守」しようとする人々が、政権内にもまだいるのです。そして、その力を強く発揮しているのです。

■ 「隠し」

 一方、野党の中で最も姑息で醜悪だったのは、やはり自民党でした。

 まず島袋氏にやらせたのは「基地隠し」でした。「基地問題には触れるな。現行案に合意した自公政権に触れるな」ということでした。
 「基地建設なければ振興策なし」とばかりに「利権」で横っ面を叩き、「新基地建設」を容認させてきた現職の島袋市長に対し、自民党は推薦さえしませんでした。ですから、島袋氏は「公明党単独推薦」に終わったのです。

 もちろん、これは2つの理由からなる「党隠し」です。
 一つは、「沖縄で旗色の悪い自民党の看板は消した方が、島袋氏の可能性が広がる。もし島袋氏が勝てば、『新基地建設派が勝った』と、政権を追い詰めることが出来る」というものです。
 もう一つは、「もし島袋氏が負けても、彼は自民党が推薦したわけではない。参院選を前に自民党という看板を傷つけたくない」というものです。
 勝つための戦術としては間違ってはいませんが、まさに「民意」を欺く姑息なやり方であり、自民党の「党利党略至上主義」が、いかに醜悪なものかが分かるというものです。

■ 「今から」

 「民意」に背く政党があり、「民意」を欺く政党があり、そのような政党が「二大政党」だというのですから、日本国民として実に嘆かわしい話です。

 私は、そのような相変わらず愚かしく、低次元な「二大政党」の「権力争い」のために、「政権交代」を「大局的見地」で考えてきたのではないのです。
 その小さな「民意」も、ただ私だけの「民意」ではないはずです。
 そして、名護市の「民意」も、ただ名護市だけの「民意」であってはなりません。

 まさに「たたかいは今から」です。ともに頑張りましょう。

悠里ちゃんの心臓移植手術が成功

2010年01月18日 | 叫び
 「拡張型心筋症」で心臓移植手術を必要としていた、小学1年生の池田悠里ちゃんの手術が成功したとのことです。
 今後も、拒絶反応を起こす危険性もあるとのことですが、それを乗り越え、元気になって帰ってきてほしいと願うばかりです。
 あらためて、これまでご協力・ご支援いただいた皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございます。