恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

ナショナリズム・パトリオティズムという「言葉遊び」

2006年05月27日 | 教育基本法・教科書
   ~ 「愛国」は「伝統」などではない ~

 教育基本法の改定案が「愛国心」教育の規定を盛り込んでいることは周知の通りです。
 しかし、この「愛国心」について、「ナショナリズム(nationalism)はいけないが、パトリオティズム(patriotism)ならば良い」という政治家や評論家・学者の方々の議論があります。
 では、その違いは何でしょうか。

■ ナショナリズムとパトリオティズム

 goo辞書によれば、両者は次の意味だそうです。

【ナショナリズム】
「一つの文化的共同体(国家・民族など)が,自己の統一・発展,他からの独立をめざす思想や運動。国家・民族の置かれた歴史的位置の多様性を反映して,国家主義・民族主義・国民主義などと訳される。」

【パトリオティズム】
「愛国主義。」

 どう違うのか、少なくとも私には、どうも釈然としません。
 特に「パトリオティズム」に関しては、耳慣れないためか、よく分かりません。
 果たして、子どもたちはこの違いをしっかりと理解できるのでしょうか。
 また、先生方はこの違いを理解した上で、子どもたちに適切に教えることが出来るのでしょうか。

 そこで私は、少し日本における「愛国」の「原点」について書いてみたいと思います。

■ 「愛国」は、西洋からの「借り物」

 「教育勅語」が作られた翌年、すなわち1891年に書かれた「尊皇愛国論」という文献に「パトリオチズム」について触れられています。これを書いたのは、西村茂樹氏という人物で、後に華族女学校の校長や、宮中顧問官を務めたバリバリの「御用」「保守系」の思想家ですが、その本には、こうあります。

「本邦にて用ふる愛国の義は…(中略)…西洋諸国にいふところのパトリオチズムを訳したるものなり…(中略)…本邦の古典を閲するに西人の称するが如き愛国の義なく、また愛国の行を顕したる者なし。」

 つまり「愛国」は、日本古来の伝統などではなく、植民地政策に血道をあげていた当時の西洋諸国からの「輸入品」あるいは「借り物」でしかなかった、ということです。しかも、これが草莽の思想家ではなく、西村茂樹氏のような「御用」「保守系」の人物が、日本の古典を引っくり返した上で出した得た結論であるということは特筆に値すると思います。

 「伝統と文化を尊重」という記述も法案に見えますが、この「愛国」と「伝統」の矛盾に、与党や民主党はどう答えるのでしょうか。

■ パトリオティズムも軍国主義と同根
 
 さて、この後「借り物」の「愛国」を政府主導で叩き込まれた日本人は、日清戦争・韓国併合・日露戦争・第一次大戦・シベリア出兵…など幾多の戦争に駆り立てられました。この「愛国」は後に「靖国神社に祀られた人々(戦死者)にならえ」「七生報国(七度死んでも七度生まれ変わって国に報いる)」など、「死」と隣り合わせのものとして国民に刷り込まれていきます。結果、数百万の日本人、数千万の他民族の、かけがえのない命を奪いました。

 この時代の「軍国主義」「国家主義」は、戦後「ナショナリズム」と呼ばれてきましたが、前述の西村茂樹氏によれば、それは「パトリオチズムを訳したるもの」であり、日本では「ナショナリズム」は同じものだということです。
 冒頭にご紹介した、「ナショナリズムは×、パトリオティズムは○」などという議論など、下らない「言葉遊び」に過ぎません。子どもたちや先生方が理解できないのは当然です。この意味するところは、初めから同じものだったのですから。

 何より、問題は政府が法律に条文化して子どもたちの「心」に踏み込むことは許されない、ということにあります。こう考えてみると、ナショナリズムとパトリオティズムは、両者とも「×」をつけなければなりません。

■ 子どもたちの「心」を守ることは、「命」を守ること

 いま与党と民主党は、改憲に躍起になっています。既に昨年、自民党は改憲案を発表し、民主党は提言という形で発表しています。どちらも「軍隊」「武力行使」の容認が盛り込まれていることは言うまでもありません。このような改憲を推進するために、与党と民主党は5月26日、改憲の手続きを定めるための国民投票法案を国会に提出しています。

 こうした権力者集団が、軍隊と武力行使の憲法上認めさせ、「戦争」を可能にしようと画策しているのと平行して、法律と権力を振りかざして教育に介入し、子どもたちの心に、踏み込んで「愛国」を求めようとする姿勢に、危険を感じずにはいられません。

 このような政府・政党・議員は、それこそ教育を受ける国民、すなわち子どもたちの将来に対して極めて無責任で、「反国民」的な存在だと私は思います。

 将来、子どもたちが自ら進んで命を投げ出すことを防ぐためにも、60年間近く、政府による「不当な心の支配」から、子どもたちを擁護してきたという実績を持つ、現行の教育基本法を守り抜く必要があるのではないでしょうか。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
パトリオティズムについて (花山大吉)
2009-07-26 13:58:45
英国の劇作家、J.B.Priestleyによる解説を「藤原正彦先生ファンクラブ」blogに掲載しましたので参考までにお知らせいたします。
化石左翼 (化石左翼)
2011-10-01 13:23:02
周辺国のプロパガンダに乗っかって自国を卑下する事こそ恥ずかしい。自分の国、自分たちの歴史に誇りを持って何が悪いのだろうか。
的外れなご指摘です (goo-needs)
2011-10-17 09:04:01
化石左翼 様

goo-needsと申します。
長い間、弊ブログは放置状態にあり、ご返信が遅くなり申し訳ありません。

さて、ご指摘についてですが、本文において私が引用したのは、西村茂樹氏の「尊王愛国論」です。これのどこが、「周辺国のプロパガンダ」だとおっしゃるのでしょうか。
「化石」を自認されるだけあって、そのご指摘、極めて的外れです。

goo-needsより

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