恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

「従属」に走る新政権

2010年06月06日 | 外交・国際
■ 「期待」

 菅直人氏の首班指名後、新政権への期待が高まっているようです。
 共同通信の世論調査でも、菅氏に「期待する」が57.6%、約20%だった民主党の支持率も36%まで上昇しています。
 この「首相交代」劇は、「新し物好き」と言われる日本の国民性もあってか、かなりの政権浮揚効果をもたらしたようです。
 一方、「期待しない」は37.2%ありました。きっと私は、その中に入るでしょう。

■ 「発端」

 そもそも鳩山首相の辞任の「発端」は、何だったでしょうか。
 米軍普天間基地の移設問題で、「地元」「連立与党」「米国」との合意を条件にしていたにもかかわらず、「基地はいらない」という沖縄や徳之島の声、さらには「国外移設」を追求してきた連立与党・社民党の思いを無視して、米国との協議だけを優先し「辺野古」移設を盛り込んだ「日米共同声明」を結んだことが最大の原因でした。
 そして、最後は「米国言いなり」になって再び「辺野古」への基地の押し付けを強行する鳩山首相の姿勢に、社民党が反発して連立政権から離脱し、国会運営に行き詰まったのです。
 では、菅氏はどうでしょう。

■ 「ポチ」

 菅氏は首班指名からわずか1日半後の6日未明、首相官邸で米国のオバマ大統領と約15分間の電話会談を行いました。
 その中で菅氏は、鳩山首相辞任の発端となった「日米共同声明」について、その「順守」を約束したのです。
 つまり、基地や訓練を押し付けられる沖縄や徳之島の人々が、「絶対に受け容れられない」と言っている内容を、全く見直すことなく「押し付ける」ことを米国に約束したのです。これで、鳩山首相と何が違うと言うのでしょうか。
 かつての小泉純一郎氏に代表される「米国言いなり」「従属」的な外交姿勢は、飼い主に忠実な飼い犬に例えて「ポチ外交」と呼ばれていますが、鳩山首相・菅氏とも、それに勝るとも劣らぬ「ポチ」ぶりです。

■ 「越権」

 さて、衆参両院の首班指名を受け、首相官邸から電話会談を行ったとはいえ、菅氏はこの時点では、日本の「内閣総理大臣」ではありません。
 日本国憲法6条を読めば分かりますが、「国会の指名」に基づいて「内閣総理大臣」を任命するのは「天皇」です。その任命を受けるのは8日の予定であり、彼は6日の時点では「任命権者」である「天皇」から、任命されていません。正確に言えば、菅氏が任命を受けるまでは鳩山内閣は存続しているのです。
 まだ「内閣総理大臣」にも任命されていない菅氏が、一体どのような権限で、首相官邸を使って、日本の他国の首脳と外交的な約束をする権限があると言うのでしょうか。
 確かに、鳩山内閣の「副総理」「財務大臣」という肩書きはありますが、その役職にこれほどの外交上の権限があるでしょうか。
 
 米国の「ポチ」に徹するあまりとはいえ、日本国憲法も「天皇」の任命権も無視するとは、「越権行為」も甚だしい、菅氏の行動に対してそう言わざるを得ません。

■ 「留任」

 そんな「菅内閣」の閣僚の布陣が少しずつ明らかになっています。
 前述の通り、鳩山内閣の「致命傷」となったのは普天間基地移設問題ですが、その「日米共同声明」を結んできた岡田克也外務大臣・北沢俊美防衛大臣など、この問題の「A級戦犯」が、そのまま「留任」の方向です。
 さすがに、首相の「女房役」と言われる「官房長官」は、「超A級戦犯」である平野博文氏ではなく、菅氏に近い仙石由人氏が就任するようですが、外相・防衛相に岡田氏・北沢氏を選ぶようでは、菅氏は「日米共同声明」の「押し付け」を続けるだけの存在です。

■ 「卑怯」

 私は以前、「菅直人」についての人物評を、「公安」警察官僚出身で初代の内閣安全保障室長を務めた佐々淳行氏から聞いたことがあります。
 「70年安保」の、東京工業大学の「闘士」たちの指導者だった菅氏は、いつも「4列目」から指揮を執っていたことから「4列目の男」と仇名されていたそうです。
 その理由を佐々氏は、こう教えてくれました。

 「前列から3人目までは『盾』や『棍棒』で撲るし、安全靴で蹴り倒して踏みつけて逮捕する。そのギリギリ手前の自分の身の安全だけは確保できるところに、いつも菅直人がいた。だから彼は『逮捕歴ゼロ』だった。彼が『扇動』した仲間が痛めつけられ、逮捕されていくのを見ているだけ。いつも菅は卑怯な指導者だった…」

■ 「交差」

 もちろん「諜報」や「扇動」をも行う「公安」出身の人物の言葉ですから、、この佐々氏の言葉をそのまま信じるほど愚かではないつもりですが、今回の彼の行動にはある意味、佐々氏の人物評が当てはまる気がしないでもありません。

 彼が「指導」してきた「安保闘争」の仲間である人々への「裏切り」は、沖縄・徳之島の人々への「裏切り」と交差します。彼が否定していた「日米安保」の矛盾の多くがいま、その地に集中しているのです。
 それを、「越権行為」に及んでまで米国に「忠誠」を誓い、歴代自民党政権や鳩山政権に続いて住民の思いを踏みにじり、まだ「負担」を押し付けようとしているのです。

■ 「反菅」

 要するに、あの「安保闘争」を闘った菅直人氏は、自分の前の「1列目」に沖縄を置き、「2列目」に徳之島を置き、「3列目」に政府や国民を置き、自分は相変わらず「4列目」にいるのです。
 向こうに回すのは、あの頃と同じ米国ですが、まだ正式に「内閣総理大臣」になる前に首相官邸から公然と米国に「忠誠」を誓うところなど、単なる「変節漢」の域を超えています。

 正式な発足の前ではありますが、このような「従属」的な菅政権を、私は真っ向から「否定」させて頂きます。

読谷村「ひき逃げ事件」と日米地位協定「改定」

2009年11月10日 | 外交・国際
■ 起訴前引渡し

 米軍関係者に容疑がかかっている沖縄県読谷村でのひき逃げ事件について、平野官房長官は10日、「起訴前引渡し」の対象にならないとの考えを示しました。
 そしてこの日、ひき逃げ事件の容疑者である米兵は、米軍によって拘束されました。
 日米地位協定では、その第17条5(c)で、「被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国により公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行うものとする。」としており、起訴される前の身柄の引渡しを全く認めていません。
 そのため、基地の外で犯行に及んだ米軍関係者が基地に逃げ帰り、「うやむや」にされるケースが後を絶ちませんでした。それでも歴代の自民党政権は事実上、「何もしなかった」のです。

■ 1995年の「合意」

 これが変わったのは1995年でした。その頃、女子小学生に対する米兵らの卑劣極まりない犯行と、その実行犯が引き渡されないことに、多くの沖縄県民が怒り、立ち上がりました。
 折りしも、自社さ連立の村山政権が誕生しており、「殺人又は強姦という凶悪な犯罪の特定の場合」に限り、起訴前の身柄の引渡しを、米国側が「好意的な考慮を払う」という「合意」の締結に漕ぎ着けました。このわずか一歩の「前進」には、日米地位協定の締結から35年の歳月を要したことになります。
 その後、社民党や新党さきがけが連立を離脱した後、枠組みは自自公、そして自公政権と変わりましたが、その間、一歩たりとも「前進」はありませんでした。自民党や公明党が再び「何もしなくなった」ためです。
 そして今回の「ひき逃げ」は、「殺人又は強姦という凶悪な犯罪」にあたらず、この「合意」は適用されないと平野氏は判断したのでしょう。

■ 「身柄引渡し」と日米地位協定「改定」

 今回の平野氏の発言に対して、「ひき逃げは『凶悪犯罪』ではないのか」という批判があがっています。
 私もそう思います。
 被害者の男性はお亡くなりになっています。もし、ひき逃げ事件を起こした人が、救急車を呼ぶなどの処置をしていれば、助かったかもしれません。裁かれる法律が道交法でも、刑法でも、国民の命が奪われたという点では同じです。ご遺族のご心痛も同じでしょう。
 また、14年前の「合意」締結時と違い、今回もし飲酒やスピードの出し過ぎなど「危険運転」の事実があれば、最高で20年、併合加重の場合は最高30年の有期懲役を科せられるという、殺人や強姦にも匹敵する「凶悪犯罪」となります。
 今回の事件について10日、連立の一角を担う社民党の重野安正幹事長が、起訴前の身柄引渡しを要求していく考えを示し、今回の事件で容疑者を拘束した米軍側も、日本側の要求があれば容疑者の身柄を引き渡すと読谷村に伝えたとのことです。
 おそらく、今週末のオバマ大統領の訪日を控え、「ことを荒立てまい」とする米軍側の「計算」も働いたのでしょうが、それは所詮「好意的な考慮」に過ぎません。
 そのような不確実なものではなく、日本の捜査当局が身柄の引渡しを求めれば、直ちに必ず応じるべきことは制度化されて当然ですし、そのための日米地位協定の「改定」を、日本政府として求めていくべきです。

■ 「緊密かつ対等な日米関係」

 さて、平野氏の発言への批判は、野党に転落した自民党や公明党、その支持者からも出始めています。
 これまで米国に何も言わず、何もしなかった自民・公明が野党になった途端、声を上げるというのも違和感をおぼえますが、だからといって鳩山政権も「あなた方に言われたくない」と言っている場合ではありません。
 「改定」を望む国民世論を抑えつけてきた自民・公明までもが、今の日米地位協定の問題点を認めるのであれば、「改定」を妨害する人々は国内では、ほぼ皆無です。鳩山政権としても心強い限りでしょう。後は「改定」案を取りまとめ、米国との交渉に臨むのみです。 
 前述の通り、今週末にはオバマ大統領も来日する予定です。首脳会談では、基地問題はもちろん、今回の事件のことや今後の日米地位協定の「改定」についても、しっかりと主張して頂きたいと思います。
 それでこそ、鳩山政権が掲げる「緊密かつ対等な日米関係」が構築できるというものです。

北朝鮮の「核実験」と自民党の「先制攻撃論」

2009年05月27日 | 外交・国際
■ 断じて容認できない「核実験」

 北朝鮮は25日に地下核実験を強行しました。
 その後も、国際的な非難の声をよそに、短距離ミサイルの発射を続けています。
 世界的な核廃絶の流れに逆行し、なお国際社会を挑発する北朝鮮の行為には一分の理も認められず、断じて容認できるものではありません。
 国連安保理も、追加の「制裁」措置を含む新たな決議の採択を目指すとしていますが、それは必要だと思います。

■ 「日米韓」と「6カ国協議」

 さて、問題はその「決議」の後です。
 国際社会の課題としては、どのようにして北朝鮮の核開発やミサイル計画を止めるのか、という一定の方針が必要になってきます。
 そこで気になるのは各国の「足並み」の乱れです。
 日本、米国、韓国は、25~26日にかけて相次いで電話会談を行ない、「日米韓の連携強化」を確認しています。
 一方、中国やロシアは、北朝鮮を「6カ国協議」に引き戻したい考えを示しています。
 もちろん、日米韓3カ国も、この「6カ国協議」を否定しているわけではありませんので、厳密には「日米韓」なのか「6カ国」なのか、という二律背反ではありませんが、いずれにせよこの5カ国による意思統一は絶対に必要だと思います。

■ 「結束」して対応を

 思えば、これまでの失敗の原因は、この「意思統一」や「結束」を欠いたことにありました。
 かつてのブッシュ政権下で、米国が「単独行動主義」「先制攻撃論」を掲げたことは、北朝鮮に「自衛のため」という軍拡の理由を与えただけでした。
 また、日本が行ってきた「独自制裁」強化は、もともと日朝関係が冷え切っていただけに効果は極めて限定的でしたし、北朝鮮に交渉を蹴る口実を与えました。
 さらに、こうした動きは、米国の軍事力に警戒感を抱く中国やロシアを、いっそう北朝鮮の側へ向かわせる「逆効果」をもたらしました。
 北朝鮮の「暴発」を止め、「ヒト・モノ・カネ」の動きを止めるためには、今も北朝鮮に少なからず影響力を持つ中国やロシアとの「結束」も保たなければなりません。
 あくまでも「5カ国が固く結束して対応していく」という姿勢を見せていかなければ、北朝鮮を抑えることなはできないと思います。
 だからこそ、26~27日に衆参両院において全会一致で採択された「抗議決議」では、「国際社会の理解と協力を得つつ、外交努力を倍加すべきである」と述べられているのでしょう。

■ 「先制攻撃論」を掲げる浅ましさ

 ところが自民党は、この機に「防衛計画大綱」に「敵基地攻撃能力」という、言わば「先制攻撃論」を盛り込もうと騒いでいます。
 これについて麻生首相も「法理上は攻撃できる」と肯定的な発言をしていますが、こうした言動は、北朝鮮のさらなる動きへの「口実」を与えるでしょうし、他の国々からも警戒感を持たれ「国際社会」の「結束」を乱すということも考えなければなりません。今回の問題解決には正に「逆効果」ばかりです。
 さらには、前述の「外交努力を倍加すべき」という「抗議決議」の趣旨さえ踏みにじる行為であり、この「抗議決議」に賛成しながらこのような行動を取る自民党の「二枚舌」には、あきれるばかりです。
 このように、機会あるごとに「戦争する国」づくりを行おうとする自民党の浅ましさは、難癖をつけては核実験やミサイル実験を行ってきた北朝鮮と酷似しています。

■ 「共同声明」に立ち返れ

 さて4年前、「6カ国協議」の「共同声明」には、次のような合意が盛り込まれました。

 「六者は、北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力を約束した。」
 「直接の当事者は、適当な話合いの場で、朝鮮半島における恒久的な平和体制について協議する。」
 「六者は、北東アジア地域における安全保障面の協力を促進するための方策について探求していくことに合意した。」
 今は各国がこの「共同声明」に立ち返るときです。

 「先制攻撃論」が、「平和と安定のための共同の努力」でしょうか。ブッシュ政権の失敗を忘れてはなりません。
 「先制攻撃論」が、「恒久的な平和体制」や、「六者」による「安全保障面の協力を促進するための方策」でしょうか。北東アジアに新たな緊張と対立を作り出し、ますます「一触即発」の危険をもたらすだけです。

 もちろん、この「共同声明」に違反する行為を行ったのは北朝鮮ですが、その北朝鮮を「6カ国協議」に引きずり戻さなければ解決はあり得ません。
 そのときに、日本も北朝鮮と同じように「共同声明」を踏みにじり、「先制攻撃論」のような「軽挙妄動」に走れば、それこそ北朝鮮の「思う壺」だということを忘れてはならないと思います。

海賊対処法案と様々な「不要論」

2009年04月23日 | 外交・国際
■ 警察「不要論」

 「海賊が出た」とさえ言えば、世界中どこにでも海上自衛隊を派遣する「海賊対処法案」が23日、衆議院を通過しました。
 そもそも、「海賊」というのは「犯罪」であり、これへの対応は海上保安庁や警察が行うべきものです。
 それを、防衛大臣が「特別の必要がある」と言えば、これを自衛隊に担当させるというのです。
 例えば、どこかで暴力団が抗争を始めたとします。もちろん警察が対応すべき事件ですが、暴力団が銃などで「武装」していることを理由に、警察が職務を放棄し、自衛隊に対応を求めたとすれば、どうなるでしょうか。たちまち、「自衛隊さえいれば警察は必要ありませんね」と言われることでしょう。
 「海の警察」海上保安庁も同じことです。
 自衛隊の海外派遣の「実績」づくりや、武器使用基準の緩和にとらわれるあまり、警察「不要論」さえ見失っているのですから、正に「狂気の沙汰」です。

■ 国会・与党議員「不要論」

 さて、与党と民主党は、これまで法案修正を目指して協議を重ねてきました。その中で最大の争点は、派遣するにあたって国会がどう関与するのか―という点でした。
 民主党は、国会での「事前承認」が必要だと主張しましたが、与党は「事後報告」にこだわりました。
 結局はこれが折り合わず、修正協議は決裂し、与党は「事後報告」のまま押し切ることにしたのです。
 これもまた「狂気の沙汰」です。
 自民党であろうが公明党であろうが、国会議員は国民の「代表者」であり、国民は「代表者」を通じて行動するものです。だからこそ国会は「国権の最高機関」なのです。
 それにもかかわらず、国会議員が「できるだけ国会の関与を遠ざけるべき」という主張をするなど、それこそ「国会不要論」に他なりませんし、自らの職務を放棄する行為に他なりません。
 そのような議員さん方は、自分たちが国民の「代表者」であることを見失い、国会が「国権の最高機関」であることを忘れた人々だと言われても仕方ありません。ただちに議員辞職し、引退なさるべきでしょう。

■ 民主党「不要論」

 ところで、この法案が衆議院で強行されることになった途端、「今国会で成立見込み」と報じられました。民主党が審議を「引き延ばさない」という方針だからです。
 不思議な話です。
 今国会の会期は6月3日までであり、まだ会期延長は決まっていません。参議院で60日間引っ張り続ければ「継続審議」になる可能性も残っています。
 次に召集されるのが、臨時国会であっても、特別国会であっても、「総選挙後」であることは間違いありません。
 そのとき、与党が衆議院での「再議決」に必要な3分の2の議席を維持することは、まずありません。当然、この「狂気の沙汰」の海賊対処法案は潰れます。
 そんなことも分からずに、すんなりと「どうぞ再議決してください」と譲る民主党にも、「不要論」を突き付けるべきでしょう。

■ 自衛隊派遣「不要論」

 さて、成立見込みの与党案が、どさくさ紛れに「世界中どこにでも自衛隊派遣」を企図していることは既に書きましたが、当面は「ソマリア沖」を念頭に置いていることは間違いありません。
 確かに「海賊」は厄介です。周辺海域は、日本に原油を運ぶタンカーも通ります。対策まで「不要」とは私も思いません。
 だからと言って「各国が軍を派遣し、取り締まっているのだから日本も…」という議論に同調するほど、愚かではないつもりです。
 「各国は軍を派遣して取り締まっているが、それでも海賊は尽きない。取り締まりという対症療法は他国に任せ、日本としては本当の原因を探り、根本的な解決を図ろう。」
 このような「逆転の発想」がなければ、日本という国の存在が「かすむ」ばかりでしょう。
 そして、こうした発想に立つとき、自衛隊の派遣は「不要」になるのです。

■ 軍事「不要論」

 ソマリア沖の「海賊」の多くは、元は漁業で生活していた人々です。ところがソマリアは無政府状態に陥ったため、彼らは「犯罪」を繰り返すのです。
 ソマリアの無政府状態は、内戦が繰り返された後に、国連や周辺諸国が協力して樹立させた暫定政権に対し、米国が反政府ゲリラや隣国エチオピアをけしかけ、引き続き戦争を繰り返したことが原因でした。
 ですから、本来ならば、米国が責任を持ってソマリアを再建し、人々が「犯罪」に手を染めなくても暮らしていける環境を整えれば事態は解決に向かうはずです。
 しかし米国はそれができません。ソマリアの現在のアハメド暫定大統領は、かつて米国がけしかけたエチオピア軍に蹴散らされたイスラム原理主義組織「イスラム法廷連合」の指導者であり、米国にしてみれば、かつての「仇敵」です。
 日本も、米国とのお付き合いから、この暫定連邦政府をまだソマリアの政府としては承認していませんが、こういう事態だからこそ関係改善を進め、支援を行い、ソマリア国内の警察力を高め、国が「海賊」を取り締まれるように力を貸すべきではないでしょうか。
 このことが実現されれば、そもそも各国がこの海域に軍事力を投入する必要はなくなります。こうした軍事「不要論」こそが、より根本的な解決を図る道でしょうし、憲法9条を持つ日本らしい関わり方であるはずです。

「パキスタン支援」に「異議」あり

2009年04月18日 | 外交・国際
■ 10億ドルの経済支援

 17日に都内で「パキスタン・フレンズ(友好国)閣僚会合」が開かれ、約40の国々や国際機関が集まりました。
 会合には麻生首相も出席し、今後2年間で、最大約1千億円(10億ドル)の支援を行うことを表明しました。
 パキスタンに対する各国からの経済支援は総額にして40億ドルですが、日本と米国がその4分の1ずつで、全体の約半分を拠出することになりました。
 私は、今回の経済支援には強い違和感をおぼえます。

■ 「核」拡散を招いたパキスタン

 日本とパキスタンは古くから友好関係にありましたが、1998年、日本は新規円借款や無償資金協力を停止しました。
 これは、パキスタンがインドに対抗して核実験を行ったことへの措置でしたが、それ以来、日本はパキスタンに対し、核拡散防止条約(NPT)への加入や、包括的核実験禁止条約(CTBT)への参加を強く求めてきました。
 しかしパキスタンは、聞く耳を持ちませんでした。
 それどころか、パキスタンの核開発に当たったカーン博士によって、北朝鮮などの国々に技術は流出し、核の拡散という重大な結果を招いてきました。

■ 北朝鮮とパキスタン

 そのカーン氏の技術を受けた北朝鮮が06年、核実験に踏み切ったことは記憶に新しいところだと思いますが、日本では衆参両院ともこれに抗議する決議を、全会一致で採択しました。
 その中にはこういう一節があります。「我が国が広島・長崎への原爆投下を経験した唯一の被爆国であることにかんがみ、あらゆる国の核実験に反対する」。
 北朝鮮は先日、「飛翔体」発射を非難した国連安保理の議長声明に反発して核開発の再開を宣言しましたが、もし、その北朝鮮に対して首相が「経済支援を行う」と言ったとします。その経済支援を、一体誰が支持するでしょうか。
 核開発の点で見るならば、北朝鮮もパキスタンも同じです。
 それなのに、なぜ今パキスタンに多額の経済支援を行おうというのでしょうか。

■ 米国の戦争の後始末
 
 北朝鮮とパキスタンとの最大の違いは、「米国の戦争に協力しているか否か」ということです。
 かつてブッシュ大統領は「911テロ」の報復、そしてアルカイダの捜索と称してアフガン戦争を始めましたが、それまでは米国も、98年のパキスタンの核実験に怒り、経済制裁を行っていました。
 ところが、アフガニスタンに攻め込むにあたって、国境を接するパキスタンの協力を得る必要があるということになり、あわてて関係改善を図り、今やパキスタンは米国の「同盟国」というわけです。
 実に米国らしい「ダブル・スタンダード(二重基準)」です。
 この米国の戦争に協力するパキスタンは、国境警備隊など約15万人を、アフガニスタンとの国境に配備しています。
 何のことはありません。「米国の戦争のためにパキスタンが疲弊している。だから金を出してくれ。」というのが、今回の「パキスタン・フレンズ会合」の本当の中身なのです。
 つまりこの経済支援は「米国の戦争の後始末」という性格を持っているのです。

■ 「口止め料」と「香典の前払い」

 また、この経済支援は、米国にとって「もう一つの意味」を持っています。
 米国は、アフガン戦争を始めたブッシュ政権からオバマ政権に代わりましたが、そのオバマ大統領は「アフガニスタンへの増派」を公言しています。 
 戦争の相手であるタリバン勢力は、パキスタンとの国境にある山岳地帯を「根城」にしており、米軍はパキスタン領内に踏み込んで攻撃を行う、いわゆる「越境攻撃」を、繰り返してきました。
 その攻撃によってパキスタン国民にも、多くの犠牲者が出ています。これには、何度もパキスタン政府は抗議をしてきました。
 これから戦闘は激化します。主戦場は国境付近です。パキスタン領内での犠牲者が増え続けることは必然でしょう。
 今回の経済支援は、「そのときに文句を言うな」という「口止め料」、もっと言うならば「香典の前払い」という性格を持っているというわけです。

■ 「金で歓心を買う」麻生外交
 
 麻生首相は、「大金持ちのお坊ちゃま」という出自の通り、大変「気前の良い」人物です。
 ただ、内政はもちろん、外交の場に行けば尚更「金で歓心を買う」ということしか考えていないようです。
 確かに「外交でモノを言うのは金だ」というのは事実だろうと思いますが、それでも単に米国の戦争の後始末」や「香典の前払い」のために、国民から集めた税金を使い、「借金が増えたから後で増税します」というのでは、この1千億円は「ムダ金」です。
 例えば、2年間で1千億円というお金があれば、同じ2年間で年収500万円の雇用を1万人分、確保することができます。
 私は基本的に、このパキスタンへの経済支援に反対です。

■ 真の「外交」

 それでも、どうしても出さなければならないと言うのなら、日米両国はこの経済支援に、さらに「もう一つの意味」を持たせることが必要だと思います。
 前述の通り、日本は「唯一の被爆国」です。また、これまで15年連続で、国連総会に「核兵器廃絶決議」を提出してきた、言わば国際的な核廃絶の「リーダー」といえる役割を果たしてきた国です。
 また米国は、今月に入ってからも、「核のない世界」の実現に向けて新政策を提唱したオバマ大統領が、ロシアとの核兵器削減交渉を開始するなど、具体的に行動を起こすまでになっています。
 その日米が、新興の「核保有国」に対して経済支援を行うならば、せめてNPTやCTBTへの参加を「支援の条件」として突きつけるのが、真の「外交」というものでしょう。

■ 日米の「浅はかさ」

 アフガン戦争のことになると「豹変する」オバマ大統領。
 「金で歓心を買う」ことしか考えられない麻生首相。
 彼らが「外交」上の「切った張った」が理解できているのか、見当がつかないほどのレベルです。
 しかし、世界1位・2位の経済大国のトップです。
 彼らにその経済の力をどう生かせば良いのか、しっかり考えてもらうことは、国際社会における「核廃絶」を考え、また「世界の平和と安定」を目ざす上で、極めて重要です。
 今はまだ、日米トップの「浅はかさ」を、残念に思うばかりです。

北朝鮮「飛翔体」 ~怒りと冷静の狭間

2009年04月08日 | 外交・国際
■ 発射への怒り

 4月8日を迎えました。
 考えてみれば、北朝鮮が「飛翔体」の発射を「通告」していたのは4日から8日まででしたので、今日まで「発射」が引き延ばされていた可能性もあったわけです。
 「発射」がそこまで引き延ばされていたならば、初日の「誤探知」騒動どころか、もっと大変な混乱が起きていたでしょうし、胃を痛める人々も増えていたことでしょう。
 それを思えば、ここまで引き延ばされなかったことや、日本の領土や領海には何も落ちてこなかったこと、領空をも通過しなかったことは、不幸中の幸いでしたが、「自制」を求めた日本などの声を無視して発射に踏み切った北朝鮮には、あらためて強い怒りをおぼえます。

■ 難航する安保理協議

 さて、この北朝鮮の「飛翔体」をめぐっては、国連安保理での協議が難航していると伝えられています。
 議題になっているのは、もちろん今回の行為が、北朝鮮のミサイル開発を禁じた先の安保理決議に違反するかどうか、ということです。
 現在のところ、常任理事国ではロシアと中国、非常任理事国ではベトナムやリビア、ウガンダといった国々が、慎重姿勢をとっています。ウガンダ以外の国々に共通するのは、戦後「米国と対立した過去」を持つということです。

■ 米国の「前科」

 北朝鮮の「飛翔体」が仮にミサイルだとすれば、米朝協議を迫り、何かをねだるための「示威行為」に他なりません。
 だからこそ、米国の在韓米軍司令官は3月24日には、「『攻撃』ならば朝鮮半島有事を想定した『作戦計画5027』を発動することができる」と発言し、北朝鮮を威嚇してきたのです。
 もちろん一概には言えませんが、こうした姿を、かつての自分たちの国と重ね合わせていた大使もいるのではないでしょうか。
 それが原因であれば、日本の要求を妨げているものは米国の「前科」ということになるのかもしれません。

■ 孤立しかねない日本

 さて、安保理でも特に、「6ヵ国協議」議長国の中国は、北朝鮮に対して柔軟姿勢を示し、安保理の決定としては最も弱い「報道機関向け声明」の素案を提示し、これを「落としどころ」にしようとしているようです。
 これは、追加制裁措置を盛り込んだ、新たな「決議」を求めてきた日本や米国の要求とは著しくかけ離れており、対立は必至のはすでした。しかし、ここに来て米国が態度を軟化させ、中国に歩み寄る姿勢を示しているというのです。
 これでは、日本は米国に「はしごを外された」格好になってしまい、孤立しかねない状況です。

■ 冷静さを失っていない日本国民

 ところで、国内の声はどうでしょうか。本当に新たな「制裁」や「決議」を望んでいるのでしょうか。
 TBS(JNN)が4日~5日に行った世論調査で「日本の北朝鮮への対応」について聞いたところ、「ミサイルだろうが人工衛星だろうが、さらなる制裁措置を含め厳しく対処すべきだ」は29%、「ミサイルならさらなる制裁措置を含め厳しく対処すべきだが、人工衛星の場合は冷静に対処すべきだ」が34%、「ミサイルだろうが人工衛星だろうが、冷静に対処すべきだ」が35%、という結果でした。
 多くの国民は、怒りをおぼえながらも「冷静な対処」を求めていると言って良いでしょう。
 問題なのは、「決議」を行うかどうか、「制裁」を行うかどうか、ではなく、北朝鮮をめぐる核・ミサイル・拉致・人権などの問題を解決するのに「何が効果的か」ということではないでしょうか。

■ 冷静さを欠いた「国会決議」

 7日には衆議院、8日には参議院で「北朝鮮によるミサイル発射に抗議する決議」が採択されました。もちろん何らかの抗議は必要ですが、少し違和感をおぼえる内容です。
 前回「自制」を求めた決議や政府の見解は「飛翔体」なのですが、今回の決議で「ミサイル発射」と断定するのは矛盾があるように思います。また、今回まだ調査が続いており、98年の「飛翔体」がミサイルだと断定されるまで数ヵ月かかったことを思えば拙速だと言わざるを得ません。明らかに冷静さを欠いています。
 もちろん、ミサイルとロケットの発射が技術的に共通しているということよく分かりますが、「だからミサイルだ」と断定し、それで「制裁」「制裁」と言うのでは、もしものときに「赤っ恥」をかくのは日本です。下手をすれば「狼が来たぞ!」と叫んでいた少年のような扱いを受けるかもしれません。

■ 慎重な「舵取り」を

 もっと困ったことには、保守系の議員の中からは、「6ヵ国協議離脱」「国連脱退」「日本も核武装を」など過激な発言も飛び出しているようです。
 こういうときは、得てして過激な意見が脚光を浴びるものですが、これでは国際社会からだけでなく、冷静さを失っていない多くの国民からも「孤立」してしまうでしょう。
 国会議員の皆さんは、この国の「舵取り」を担う方々です。ぜひその「舵」は、慎重に握って頂きたいと思います。

ガザの火の雨

2008年12月30日 | 外交・国際
傷を負い
泣き叫ぶ子ら

子を亡くし
亡骸に取りすがる父母

親を失い
立ち尽くす幼子

振りかざされる自衛
繰り返される殺戮

食うもままならず
火の雨に怯える人々

彼らに何が出来るのか
彼らの何に怯えるのか

火の雨を降らせる者たちよ

自らを守ると言うなら
迫り来る敵を撃つがいい

卑怯者が落とす
幾千幾万ものガザの雨

侵略の火の雨

怒りの炎を消さず
ただ繰り返すだけの
呪われた雨

その雨の下で響き渡る
子どもたちの泣き声

涙さえ出せなくなった
小さな亡骸たち

オバマ新大統領とアフガン戦争

2008年11月06日 | 外交・国際
■ オバマ氏勝利の直前の出来事

 米国の大統領選は、民主党のバラク・オバマ氏が大差で勝利を収めました。
 勝利の翌日、そのオバマ氏に対し、アフガニスタンのカルザイ大統領が「米国の新大統領にまず求めたいのは、空爆による住民の犠牲を終わらせることだ」と述べました。
 大統領選の前日、アフガニスタン南部で結婚式の会場となった民家に対して、米軍機が空爆を行い、女性や子どもを含む37名が死亡するという、痛ましい出来事が起きていたのです。

■ 対アフガンへの「増派」

 オバマ氏と言えば、「イラクからの撤退」「対話重視」路線を掲げるなど、ハト派のイメージが強調されてきました。その点、ブッシュ政権の政策の継続を唱えたマケイン氏よりは遥かに好ましい人物であることは間違いありませんが、そのオバマ氏もアフガン戦争には「増派」を唱えています。
 世界最強の米軍が7年かかっても、アフガン戦争には出口が見えません。これは「武力でテロはなくならない」という事実の証しでもあります。
 実際に、テロはなくなるどころか、殺戮が新たな憎悪と狂気を生み、自ら「武装勢力」や「テロ組織」に身を投じていく若者を増やし、ベトナムやイラク以上の「泥沼化」を生んでいます。

■ 「CHANGE」を

 イラクから撤退させた戦闘部隊をアフガンにまわす、というのがオバマ氏の考えのようですが、先日、米国政府がタリバンとの「対話」を検討しているという報道もありました。私はこれを歓迎したいと思いますし、オバマ氏本来の「対話重視」路線にもかなうところだと思います。
 「CHANGE」を掲げたオバマ氏には、これ以上「住民の犠牲」を生み出さぬよう、対アフガン政策の「CHANGE」も、一刻も早く行って頂きたいと思います。 

酒と麻生と米国と北朝鮮

2008年10月14日 | 外交・国際
■ 「テロ支援国家」指定の解除

 米国が北朝鮮への「テロ支援国家」の指定を解除しました。
 これに対しては、多くの人々から不満と批判の声が上がっています。
 それもそのはず、日本と北朝鮮との間には、「拉致」問題があります。「テロ支援国家」の指定の根拠にはこの「拉致」の問題も含まれていたのです。
 これまで家族会や日本政府は何度も何度も、「拉致問題について進展が見られない以上、指定を解除しないでほしい」と、米国側に働きかけてきました。ブッシュ大統領自ら、拉致被害者のご家族と会い、救出のための努力や協力を誓ったこともあったのです。 
 それが、この「仕打ち」です。不満や批判、あるいは「怒り」さえ沸き上がるのも当然だと思います。

■ 「日本軽視」

 こうした声は、政府・与党内からも噴出しました。
 例えば、訪米中の中川昭一財務・金融相は、「同盟国である日本によく相談した上で(解除を)やったのかどうか。多分違うんだろう」と述べました。
 また、自民党幹事長代理の石原伸晃氏は、「日本に相談なく、(解除を)やったのは唐突」と語りました。

 これらは、「同盟国」である日本を軽視した米国の勝手な行動への、強い不満と批判の声に他なりません。
 北朝鮮の問題でいえば「拉致」だけでなく、「核」「ミサイル」の問題もあります。日本には、ようやく西海岸が「射程」ぎりぎりという米国以上の危機感があります。そうしたことを考えれば、私でさえ、中川氏や石原氏のコメントに共感をおぼえました。


■ 日米首脳による電話会談

 ところが実は、米国は決して「日本を軽視」してはいなかった、というのです。
 米国が「解除」を発表する前、すなわち日本時間の10月11日の夜、ブッシュ大統領は麻生首相に理解を求めていたというのです。

 その日、麻生首相は、静岡県にあるグランドホテル浜松にいました。
 麻生首相は、ホテル別館の日本料理店で行われていた日本青年会議所の歴代会頭らの懇談会に出席、さらにホテル内のラウンジ「サムデー」に移動して行われた「二次会」でも飲み食いに興じていました。
 そのとき、ブッシュ大統領から電話があり、麻生首相に対して「直接」かつ「事前」に理解を求め、麻生首相もこれに応じたというのです。

 こうした対北朝鮮問題での「事前協議」は、小泉・安倍・福田と続いてきた政権では、なかったことです。
 だからこそ、私や中川氏・石原氏は当初、「米国が日本を軽視した」と思ったのです。
 ところが、「米国に異議を唱える」ことができたはずの麻生首相は、「酔った上」で日本のこれまでの主張や行動を、全く「無」にしてしまったのです。

■ 「外相」経験もある首相の観測

 外務大臣の経験もある麻生首相ですが、その外相時代でさえ、首相になりたい一心で、北朝鮮のミサイル発射実験直後にテレビ番組の収録を優先させ、司会者にまで「麻生さん、ホンマこんなとこおってもええんですか?」と心配された人物です。
 今回も、酔った麻生首相が、ブッシュ大統領との電話会談を行い、これを「決定打」として直後の「解除」発表があったというのです。
 
 この麻生・ブッシュ電話会談後、麻生首相が酒席に戻ったかどうかは分かりませんが、このことについて麻生首相がコメントしたのは、翌日の午後になってからでした。
 そのコメントも、「拉致」については、「(解決への)てこを失うことは全くない」、「核」については「動かないまま置いておくより、きちんとやった方がいいということで踏み切ったのだろう。一つの方法だ」という抽象的な希望的観測を述べただけで、具体的な方策は示されていませんでした。

■ 麻生内閣の「無能」が刻む「歴史」

 私はあらためて悔やみます。
 彼が酔っていなくて、冷静な人物であって、真剣に日本の立場を強調することができ、多少なりとも外交能力のある人間だったら・・・

 「歴史」は、ときに残酷な真実を刻みます。
 首相の「間の悪さ」は不幸を呼び、その「無能」は罪悪でさえあります。

 哀れむべきは、その「無能」な首相ではなく、その治世におかれた国民一人一人です。

「テロとの戦い」に加担する「戦争協力国家」を恥じる

2008年08月29日 | 外交・国際
■ 「遺志」

 アフガニスタンで住民への支援活動を続けてきたNGO「ペシャワール会」の伊藤和也さんの死亡が確認されたのは、今月27日のことでした。
 翌28日、福田首相はメールマガジンで「(紛争や貧困に苦しむ)地域や人たちに少しでも手を差しのべていくことが、伊藤さんの遺志にもこたえ、平和協力国家としての日本の役割でもあります」と述べました。この一文に関しては、私も同感です。
 しかし政府が、本当に「伊藤さんの遺志」に応えようとしているとは全く思えません。
 同じ日、町村官房長官は「尊い犠牲が出たが、テロとの戦いに積極的にコミットする重要性を多くの国民が感じたのではないか」と語りました。
 「テロとの戦い」は、7年前に米国と英国がアフガニスタンへの攻撃を開始して以来、米国が主導する戦争の看板として使われてきた言葉です。とりわけアフガニスタンやイラクでは、その名の下に、子どもたちや女性を含む多くの一般市民が殺されてきました。
 政府や与党は、際限なく繰り返されるこのような殺戮に加担し続けることが、「伊藤さんの遺志」にこたえることだと思っているのでしょうか。もしそうだとすれば、これほど愚かな誤解はありませんが、もちろん町村氏がそこまで愚かだとも思いません。

■ 「テロの根」「テロの芽」

 アフガニスタンでは、あれだけ叩きのめされたはずのタリバンが勢力を盛り返し、戦闘の激化と泥沼化が伝えられています。
 米国などが叫ぶ「テロとの戦い」は、テロを根絶するどころか、「飢餓」や「貧困」という根をはびこらせ、「憎悪」という養分を注ぎ、「狂気」という芽をふくらませ、新たなテロリストを育て続けてきたのです。
 例えば今回、伊藤さんを「我々が撃った」と供述している男性は24歳です。米国が戦争を始めた7年前は、17歳の少年でした。果たして彼はその以前から「テロリスト」だったのでしょうか。家族など周囲の人間を殺され、その憎悪によってテロ組織に身を投じていく人々の存在については、何度も報じられてきた通りです。
 今回の事件で示されたように、彼らの憎悪は、米国や英国の人々だけでなく全ての国々、全ての外国人に向けられています。こうした憎悪こそ、世界中にテロを拡散させた大きな要因ではなかったでしょうか。

■ テロ「根絶」の努力と「笑顔」

 伊藤さんや「ペシャワール会」をはじめ多くの団体こそ、本当にテロを根絶するために力を尽くしてきました。しかし、その「戦い」は決して武力によるものではなく、テロを生み出してきた飢餓や貧困、憎悪をなくそうという努力でした。
 さらに翌30日、朝日新聞が伊藤さんが現地で撮影した写真を公開しました。そこには、眩しいほどのアフガニスタンの子どもたちの笑顔がありました。
 伊藤さんたちの活動の成果だけでなく、現地の人々に心から受け入れられてきたからこそ、彼らは伊藤さんのカメラの前で笑顔を見せたに違いありません。
 「戦乱の十字路」と呼ばれるほど、他国からの干渉と侵略を受け続けてきたアフガニスタンの人々に、伊藤さんたちの活動は、正に国境や民族の垣根を越えた喜びや笑顔をもたらしたのです。

■ 「戦争協力国家」

 伊藤さんたちは、放って置けばテロ組織に身を投じるかもしれない人々に、その暮らしと心を豊かにすることで、テロの芽を摘もうとしたのです。テロの根を絶とうとしたのです。
 その伊藤さんが亡くなられたことが本当に悔やまれてなりませんし、この犯行に対して心から憤りを感じます。
 しかし、その憤りを利用して、戦争の首謀者である米国に協力し続けることが「平和協力国家」のすることでしょうか。「伊藤さんの遺志」にこたえることでしょうか。

 政府が、「尊い犠牲」と言いながらその死を利用し、まだ殺戮に加担する「戦争協力国家」であり続けようとするなら、それは「伊藤さんの遺志」にこたえるどころか、踏みにじる行為に他なりません。
 私は、そのような卑劣な詐術を用いる日本政府を心から恥ずかしく思いますし、そのような政府が、国民の意思を反映した存在だとは全く思いません。

核拡散に物言えぬ「情けない国」

2008年08月19日 | 外交・国際
■ 「情けない国」日本

 「何という情けない国だろうか」

 今月下旬に開かれる「原子力供給国グループ(NSG)」の総会で、米国がインドに核関連技術を提供することに、日本政府が「反対しない」ことを決めたという報道を聞いたとき、私は本当に情けない思いがしました。

■ 「骨抜き」にされる核不拡散体制

 NSGは、核の拡散を防ぐために設置された枠組みであり、「核拡散防止条約(NPT)」に加盟していない国に原子力関連物資を輸出してはならないことになっています。
 このNSGが作られたきっかけは、1974年に行われたインドによる核実験でした。
 もちろん、インドは今も核拡散防止条約(NPT)の加盟国ではありません。
 そのインドに、世界一と言われる米国の核関連技術が供給されれば、それこそ国際的な核不拡散体制は「骨抜き」になることは明らかです。
 核の拡散がどのような恐怖と緊張をもたらすかは、2年前、北朝鮮の核実験に震撼した日本国民ならば、よく分かっているはずです。

■ 「核兵器廃絶への不断の努力」
 
 北朝鮮が核実験を行った2006年10月、日本の国会は全会一致で「抗議決議」を採択しました。
 衆議院で採択された決議には、次の一節がありました。

 「我が国が広島・長崎への原爆投下を経験した唯一の被爆国であることにかんがみ、あらゆる国の核実験に反対する」

 さらに、翌日採択された参議院の決議には、この後、次の一文が加えられました。

 「あらためて、核兵器廃絶への不断の努力を誓う」

 もちろん、この決議は全会一致で提出・採択されたものですから、核廃絶を強く訴えてきた社民党や共産党だけでなく、自民党や公明党など与党も賛同したのです。私も、核「不拡散」ではなく「廃絶」を願う一人として、この決議を歓迎しました。
 「国権の最高機関」である国会が、与野党を問わず「核兵器廃絶への不断の努力」を誓ってから2年も経たないというのに、明らかな「拡散」に、政府が反対しないというのはどういう了見でしょうか。

■ サミットでの「宣言」、被爆地での「誓い」

 確かに、その決議の後、安倍政権の崩壊と福田政権の発足という、政権のたらい回しはありました。
 しかし、その福田首相が今年7月に議長を務めた北海道洞爺湖サミットで、彼は「核不拡散」を確認したはずです。
 そのことを福田首相は、つい先日、広島と長崎で、「首脳宣言として初めて、核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器保有国に核兵器削減を求めました」と誇らしげに語り、こう語りました。

 「私は、ここ広島の地(長崎)で、(改めて)我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを、改めてお誓い申し上げます」

 この福田首相の「宣言」「誓い」は何だったのでしょうか。

■ 踏みにじられる「核廃絶」への願い

 34年前のNSG創設の経緯はともかく、福田氏も賛成した2年前の国会決議、議長を務めた40日ほど前のサミットでの成果、そしてわずか数日前に被爆地で語った誓い、これらは福田首相の「意思」だったはずです。

 そのような積み重ねさえ、米国から言われれば、あっさりと反故にしてしまう政府。そのことにさえ「他人事」を決め込む福田首相。
 原爆で命を奪われた40万人を超える犠牲者や、今も後遺症に苦しむ被爆者、そして私を含めたその子孫など多くの人々の核廃絶への願いが、この国の政府や首相にさえ踏みにじられようとしているのです。
 これを「情けない」と言わずして、何と言うのでしょうか。

■ 「情けない国」を変えるために

 これを変えるには、「国権の最高機関」である国会を変えなければなりません。
 繰り返しになりますが、2年前の決議は、全ての会派・全ての議員が賛成しています。一つ一つの政党、一人一人の議員に、「この国会決議を誠実に守れ」という言葉を突きつけていくことが肝要だと思います。

 この「情けない国」に喝を入れ、変えることができるのは本来、米国などではなく、主権者である私たち日本国民だけなのですから。

「どうしようもない」人々と外交

2008年07月05日 | 外交・国際
 7月5日になりました。2年前のこの日、北朝鮮による7発のミサイル発射実験が行われました。
 しかし私が「忌まわしい出来事」として忘れられないのは、その実験よりもむしろ、それに対応すべき人々の「どうしようもない」姿でした。

■ 小泉氏の別の「打ち上げ」と「大騒ぎ」

 北朝鮮によるミサイル発射実験は、日本時間の3時半過ぎから始まりました。
 「北海道沖に着弾」「新潟県沖に着弾」という衝撃的な報道に、日本中が大騒ぎでした。しかし当時の小泉純一郎首相はその夜、自民党の厚生労働部会のメンバーと一緒に「飲み食い」に興じました。
 この「飲み食い」は、かねてから予定されていた「打ち上げ」でした。
 6月、小泉内閣が提出していた法案が、与党の相次ぐ強行採決によって成立しました。その法案とは、「医療崩壊の元凶」と呼ばれ、ついに福田首相「問責」の原動力となった「後期高齢者医療制度」を含む「医療制度改革関連法案」でした。
 この日、その「改革」を強行した与党の厚生労働部会の理事らの「功績」を讃えて、小泉氏が一席を設けたというわけです。
 その夜、もちろん国民は、まだミサイル問題で「大騒ぎ」を続けていましたが、ちょうどその頃、小泉氏や自民党の面々は、別の意味で「大騒ぎ」を演じていたのです。
 「えひめ丸」事件を聞きながらゴルフを続けた森喜朗氏に勝るとも劣らない、小泉氏の「どうしようもない」行動は、正に「サプライズ」でした。

■ 安倍氏の「立場」

 さて、北朝鮮が絡めばすぐに注目を集めるのが、安倍晋三氏という人物でした。
 このとき安倍氏は官房長官の地位にあり、小泉政権のスポークスマンとして「ポスト小泉」を意識したアピールを繰り返していました。
 では、小泉氏が「飲み食い」に興じていた7月5日、彼は何をしていたと思われますか。

 北朝鮮問題をライフワークだと広言する安倍氏ですが、実はその「飲み食い」に同席していたのです。
 安倍氏も元々「厚生労働族」です。その分野で何かあれば彼の「フトコロ」、すなわち「利権」に直結します。
 もちろん、あまりお酒は召し上がらない安倍氏ですので、小泉氏ほど「大騒ぎ」はしなかったのでしょうが、安倍氏もこの土壇場においてなお「北朝鮮問題より厚生労働族としての立場」を優先させた「どうしようもない」人物だったのです。

■ 麻生氏の「作り笑い」

 政権の中枢を担う首相・官房長官が「飲めや歌え」で騒いでいるとなれば、頼れるのは日本の外交分野での責任者、すなわち外務大臣ということになります。
 当時、その職にあったのが、麻生太郎氏という人物です。この頃、既に安倍氏らとともに、「ポスト小泉」の有力候補に挙げられていた麻生氏としては、この問題への対応は本来「腕の見せどころ」だったはずです。
 その麻生氏は、5日当日こそ外務省の、各国との連絡役として「電話会談」を繰り返しましたが、次の日、彼はほぼ丸一日「自分自身」を優先させました。
 ミサイル発射の翌日である6日は、麻生氏の日程表には、某「テレビ番組収録」という予定があったのです。その番組とは、後に自民党参議院議員や大阪府知事を輩出することになる、日曜夜の法律系バラエティ番組です。
 これが放映されたのは7月の下旬でしたが、番組の中で司会者が「麻生さん、ほんまにこんなとこ、おってええんですか。いま日本中、大騒ぎですよ。」という問いに、麻生氏は「いいんです。いいんです。」と、ときおり「カメラ目線」を交えながら、作り笑いを振りまき、好感度アップに一所懸命でした。
 当時、既に小泉首相が引退を表明し「ポスト小泉」争いが激化する中、外務大臣としての緊急対応よりも、「目立つ」ことを、麻生氏は優先させました。このため外務省は、6日の「外務大臣電話会談」を、翌7日に先送りせざるを得なくなったのです。麻生氏もまた、実に「どうしようもない」人物でした。

■ 外交の基本姿勢

 その頃、外交の中枢にあったのは、谷内正太郎氏という外務事務次官でした。
 小泉・安倍政権で「外交の指南役」と呼ばれた谷内氏には、私も興味を持っていましたので、このミサイル実験のしばらく後に、その講演を聴きに行ったこともあります。彼は「日本の外交の基本的な姿勢」について、非常に分かりやすく、こう解説してくれました。
 「今や世界で超大国と呼べるのは米国だけです。だから米国についていけば間違いないのです。」
 
 何のことはありません。日本は既に自分たちで外交を行うのをやめ、ただ米国の言う通り付き従うだけ。言ってみれば、外交権を米国に委ねてしまっていたのです。
 本当に「どうしようもない」話です。それほど米国は信用できるのでしょうか。
   
 2年前、北朝鮮のミサイル発射準備について、米国は5月下旬には把握していたのに、日本にこれを伝えてきたのはそれから約3週間後のことでした。
 さらに、米国は北朝鮮のミサイルの着弾地点について、正確な情報(北朝鮮領土内やその沿岸、ロシア沿岸であり、当初の「北海道沖」「新潟県沖」というのは明らかに誤報でした。)を伝えたのは8月のことでした。
 どうも、「米国についていけば間違いない」という言葉も、首を傾げざるをえません。

■ 「どうしようもない」を変える

 さて、あれから2年が経ち、米国はいま北朝鮮への「テロ支援国」指定解除の手続きを進めています。米国に対して、日本政府はずっと「拉致問題の進展がないのに指定を解除しないでほしい」と言い続けてきたはずですが、米国はそのような「陳情」に耳を貸さなかったのです。
 福田首相は、この米国の「変節」に対して抗議の一つでもするのかと思えば、そのような動きは全くなく、逆に「容認」「歓迎」という言葉を贈りました。それどころか、何ら具体的成果もないまま、一部の制裁を解除してしまいました。
 2年前は「蚊帳の外」だった福田氏も、自分で外交をせず、ただ「米国任せ」を踏襲しているのが、よく分かります。

 彼もまた「どうしようもない」のですが、あの「どうしようもない」人々も相変わらずです。
 小泉氏は米国の「変節」に合わせて「国交正常化なくして拉致問題解決なし」と言って、相変わらず「サプライズ」を起こしています。
 安倍氏は「変節」した米国や日本政府ではなく、同じ自民党内の山崎拓氏に毒舌をふるって、「復権」を図っています。
 麻生氏は今もテレビ番組に出演して、作り笑いを振りまき続け、「ポスト福田」の最有力候補とされています。

 そんな「どうしようもない」彼らが権力の座に居座り続ける限り、「米国任せ」の無責任な外交を変えることはできません。
 それを変えることができるのは私たち国民だけですし、国民がそれを変えなければ本当にこの国は「どうしようもない」国のままでしょう。

人々の心を揺り動かした本当の人道支援

2008年05月20日 | 外交・国際
 中国西部を襲った大地震に、日本が派遣した国際緊急援助隊の活躍が、日本でも中国でも注目を集めています。
 今回の日本の行動に、中国の対日感情が好転したと報じられています。このニュースに、私は9年前の出来事を思い出します。
 
■ ギリシャとトルコの「対立」

 エーゲ海を挟んで東にトルコ、西にギリシャがあります。両国の対立の歴史は、数百年間に及びます。
 13世紀に誕生したオスマン=トルコ帝国は、次第に周辺国にも侵略の手を伸ばし、ギリシャも約400年間、その支配下に置かれました。
 ギリシャが独立したのは1829年のことでしたが、その90年後、今度は英国の支援を受けたギリシャ軍がトルコ西岸の都市イズミルやその周辺地域を占領しました。3年後、トルコの解放運動の勢力がこの地域を奪還し、その勢力が、トルコ共和国を築いたのです。
 こうした歴史的経緯から、両国間の敵意は大変なものでした。
 トルコでは、ギリシャ軍を打ち破った記念日には毎年、当時の解放軍に扮した兵士と、ギリシャ兵に扮した兵士によるセレモニーが行われていますが、これは解放軍側がギリシャ軍側を銃剣で突き殺す真似をしたり、海に投げ込んだり、挙句にはギリシャ国旗を引き裂いて踏みつけるという、物騒なものだったといいます。

■ 二つの地震

 1999年8月、トルコで大地震が発生しました。
 そのとき、最初に現地に駆けつけた他国の外国の救助隊はギリシャのチームだったのです。
 ギリシャからの援助物資も次々とトルコに届きました。トルコのメディアは、数万人に及ぶ死傷者の情報とともに、ギリシャからの援助物資を指して、こう伝えました。「あの中には、いま不足している輸血用の血液も入っています!ギリシャ人の血が私たちを救うのです!」

 その3週間後、今度はギリシャで地震が発生します。
 そこには、トルコの災害救助NGOのチームが真っ先に駆けつけました。
 メディアは、トルコ・チームが瓦礫の下に生き埋めになっていた子どもを救出する映像を全国に報じました。「トルコ人がやってくれました!トルコ人があの幼い子どもを救い出してくれたのです!」
 このトルコ・チームが任務を終えて帰国しようとするとき、ギリシャの大統領は彼らを大統領府に招待し、「我々は、このような緊急時だけの友ではなく、真の友になるべきだ。」と語りました。

■ 国民感情の変化
 
 それ以来、両国の関係は、急速に改善しました。
 トルコで行われていた、あの物騒なセレモニーは、花輪をささげるという静かなものに変わりました。
 そのトルコは欧州連合(EU)への加盟を切望し、その願いはまだ実現していませんが、それまでトルコの加盟に最も強く反対してきたギリシャが態度を一変させ、EU外相会議で初めて「ギリシャはトルコの加盟には反対しない」と宣言しました。
 何より、ナショナリズムを煽り立て、「真の友」になることを阻害してきたメディアが、「両国はエーゲ海の家族」と書くなど「友好」「親善」へと論調を一転させ、双方の国民感情の融和を促し始めたのです。

■ 本当の人道支援・国際貢献
 
 今回の中国の大地震で、現地に真っ先に到着した外国のチームは、日本の国際緊急援助隊でした。
 日本の援助隊の奮闘に、中国のいわゆる「反日」サイトには、日本の善意への「感謝」が書き込まれるようになったと伝えられています。また、北京の大衆紙「新京報」は、「恨みを抱いているだけでは相手の秀でた点も、自分の弱点も見えなくなる。」と報じたということです。
 地震国・日本の災害救助の技術を活かした今回の行動こそ、本当の「人道支援」「国際貢献」と呼ぶべきでしょうし、だからこそ中国の人々の対日感情を、好転させることができたのでしょう。

 このような人的あるいは技術的な交流が、日本だけでなく世界中で進められ、より多くの人々の命を救いながら、あらゆる対立感情を和らげ、国際協調の発展につながるよう期待したいと思います。

日中に求められる「訣別」と「成熟」とは

2008年05月13日 | 外交・国際
■ 中国への批判

 チベット弾圧問題で高まった中国への批判は、日本国内においては、長野での聖火リレー、そして胡錦濤主席の訪日の際、頂点に達しました。
 もちろん、チベット・ウィグルなど少数民族に対する中国の姿勢への批判・非難は、国内だけでなく国際社会で高まりを見せています。その概要は次のようにまとめられると思います。
 
 (1)侵略と占領、(2)資源の強奪、(3)人権弾圧と貧困、(4)愛国主義教育の強要、(5)独立運動の抑圧

 すなわち、20世紀半ば以後、中国は少数民族の居住する地域に、次々と武力による侵略を行い、今も占領を続け、資源を奪い取る一方、人権弾圧を行って貧しい暮らしを強い、その独立運動を力ずくで抑え込むばかりか、学校や寺院などで愛国主義教育を押し付け、支配を正当化していることへの批判です。

■ 占領統治

 ここで日本の史料を一つご紹介します。それは、日米開戦直前の1941年11月20日、大本営政府連絡会議で決定された「南方占領地行政実施要領」です。

 「(イ)差し当り軍政を実施し、・・・(ロ)重要国防資源の急速獲得、・・・(ハ)国防資源の取得と占領軍の現地自活の為民生に及ぼさざるを得ざる重圧は之を忍ばしめ、・・・(ニ)現地土民に対しては皇軍に対する信倚観念を助長せしむる如く指導し、(ホ)其の独立運動は過早に誘発せしむることを避くる」

 この「要領」は当時の日本軍と政府による占領統治政策の基本方針ですが、この(イ)から(ロ)は、前述の(1)から(5)に酷似しています。
 つまり中国の少数民族への政策は、かつての日本の占領統治と何ら変わらないのです。

■ パートナー

 今回の訪日において胡錦濤主席は、かつての日本の行為については語らず、福田首相とともに「未来志向」を強調していました。
 お互い、日本は7月のサミット、中国は8月の五輪を抱える身として、摩擦を避けようとする思惑も分かります。しかし、お互いに「パートナー」を唱えるならば、言うべきことは言うのも大切なことではないでしょうか。
 昨年末、訪中した福田首相は、こう言っています。

 「過去をきちんと見据え、反省すべき点は反省する勇気と英知があって、はじめて将来に誤り無きを期すことが可能になる」
 「皆さん、共に歩き、共に道を造り、共に私たちの未来を創り上げていこうではありませんか。」

■ かつての日本

 そうであるならば、こう言って「反省する勇気と英知」を促すべきでしょう。
 
 私たち日本は、過去を直視し、その反省のもと、二度と戦争は行わないことを憲法に定め、また東西の架け橋になると宣言し、国連加盟も果たしました。
 かつての日本の行為を非難してきた貴国をはじめ、アジア・太平洋地域への侵略行為についても深く反省し、謝罪も行ってきました。
 日本としては、貴国がいま行っている同じ誤りを見過ごすことはできません。
 貴国や、他のアジア・太平洋地域の人々、そして日本の人々をも苦しめた、かつての日本と同じ誤り、すなわち「恥ずかしい歴史」を繰り返してほしくはないのです。

 こう言ってこそ、「はじめて将来に誤り無きを期すことが可能になる」のではないでしょうか。
 
■ ナショナリズム

 さて、今回の両首脳の共同プレス発表でも取り上げられたのが、「ナショナリズム」の問題でした。これも深刻な問題です。

 中国に敵意を抱く日本の権力者や「右派」が、今なお正当化しようとする、かつての日本の占領統治。
 その中国の権力者や「右派」が、憎みながらも繰り返すのも、かつての日本と酷似した占領統治です。

 同じことをしていながら、互いに正義を振りかざす元凶こそ、この「ナショナリズム」という「障壁」です。

■ 「訣別」と「成熟」

 今回の首脳会談では、「成熟した関係」もまた強調されていました。 
 日本も中国も、それぞれが「かつての日本」「ナショナリズム」と「訣別」し、他者への「専制と隷従」「圧迫と偏狭」を排することを率先して実行すべきです。

 それを指摘し合いながら、高め合える日中関係こそ、真に「将来に誤り無きを期す」「成熟した関係」なのではないでしょうか。

中国のチベット弾圧事件に思う

2008年03月26日 | 外交・国際
■ 海外メディアと中国の「大本営発表」

 中国政府によるチベット弾圧事件が、国際世論の注目を集めています。しかし中国政府による報道管制が厳しく、正確な情報は伝えられていません。
 そのチベットの中心都市であり、今回の運動の中心地であるラサに、26日からようやく海外メディアの記者十数名が取材を許可されたと報じられています。
 このことにより多少は現地の情報が入ってくるかもしれませんが、どうも正確な情報は期待できそうもありません。
 この海外メディアの取材について、中国政府の当局者は、取材を認めるのは十数名、しかも破壊された建造物など政府が指定した場所でしか許可しないと語り、公然と事実を隠蔽すると宣言しているのです。
 これでは取材に当たる記者団は、言わば「大本営発表」の片棒を担がされるばかりであり、私たちはその「大本営発表」を聞かされ続けることになってしまいます。 
 半世紀近くに及ぶ抑圧への民衆の反発を、力で抑え込むばかりか、民衆の声や苦しみ、そしてその死さえも封じ込めようとする中国政府の行為は断じて容認できるものではありません。
 
■ 権力の暴走と民衆の悲劇

 「大本営」がなくなった戦後においても、こうした政府・権力者による民衆への弾圧事件は数多くありました。
 このアジアだけを見ても、昨年のミャンマーでの武力弾圧事件、80年代の韓国の光州事件、中国の天安門事件などは、ご記憶の方も多いでしょう。また、ロシア・プーチン政権の高支持率の裏には、野党など反対勢力への弾圧があり、北朝鮮では弾圧事件がニュースにならないほど常態化し、ここでは人権という概念の有無さえ疑問です。
 中国によるチベット侵攻は今から49年前ですが、ちょうど同じ頃、日本ではいわゆる「60年安保」が巻き起こっていました。デモを行う学生や市民らに対して、当時の岸信介首相は右翼や暴力団を使って襲撃させ、挙句の果てに自衛隊を出動させようとしたのです。防衛庁長官の猛反対によって、この岸氏の暴走は食い止められましたが、危うくこの日本でも大変な悲劇が起こるところでした。
 つい先日のことのように思い出される20世紀、そして21世紀の現在においても、今回のチベットの弾圧事件のように、政府や権力者の暴走が悲劇を生み続けています。
 日本でも、かの岸信介氏の思想と遺伝子を色濃く受け継いだ安倍晋三氏が、つい半年前まで首相の座にあり、「安倍政権下では人権という言葉は口にもできなかった」と与党の国会議員が言っていたことに、背筋が凍る思いがします。

■ 日本国民だからこそ

 人類史を振り返れば、それこそ数え切れぬほどの弾圧によって、幾多の民衆が血を流し、命を奪われてきました。
 人権は「天賦人権」という通り、天から賦与されたもの、生まれながらにして持っているものであり、政府や権力者の存在以前の「前国家的」なものだというのが、近代以後確立された概念であり、それこそ民衆が血を流しながら必死に勝ち取ってきた「人類の財産」です。
 その「財産」たる人権を保障し、そのために権力を縛るのが憲法の最大の役割であり、この人権保障の面において世界最高水準にあるのが日本国憲法です。民衆が権力と闘いながら勝ち取ってきた「結晶」が、日本国憲法に詰まっていると言っても過言ではないでしょう。
 その日本国憲法は前文で、全世界の国民に「平和のうちに生存する権利」を確認した上で、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」としています。
 過去には血を流してきた先人たちを裏切ることなく、現在では流血の悲劇に襲われている人々を救うため、そして将来において子孫に血を流させないために、私たち日本国民は「全力をあげて」この誓いを世界に発信しながら、あらゆる国の政府・権力者たちによる弾圧を断罪し、彼らに毅然たる抗議の態度を示さねばならないと思います。
 生まれながらにして天から与えられた人権と、その拠り所である日本国憲法を、私たち日本国民が、世界に、そして未来に広げていくために。