恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

「不誠実な国会対応」

2007年10月23日 | 国会・政党・選挙
■ 「誠実な国会対応」という約束

 「自由民主党総裁選挙の実施に伴い、国会運営にご迷惑をおかけしたことについて、議員各位、そして国民の皆様に対し、お詫び申し上げる」

 今月初め、福田首相の初めてとなる所信表明演説でこう陳謝しました。臨時国会召集直後の安倍前首相の辞任、その後の自民党総裁選の影響により法案審議は全く行われてきませんでした。
 この政府・与党側の不始末を反省し、謝罪した上で、福田首相はこう語りました。

 「今後、誠実な国会対応に努めてまいります。」

 しかし、この約束とはむしろ正反対とも言うべき極めて「不誠実な」国会対応が目に付いてなりません。
 
■ 自民党ぐるみの審議先送り

 この10月、国会では首相や主要大臣の所信表明があり、それに対する各党の代表質問があり、その後衆参両院での予算委員会がありました。
 通常ならばその後、各委員会での大臣所信表明と、それに対する質疑、そして実質的な法案審議へと進むわけですが、与党は特に参議院での日程の「引き延ばし」にかかっています。
 今回、参議院で与野党逆転を果たした野党側は「大臣所信を18日、それに対する質疑を23日に」という日程を主張しました。しかし与党側はこれに難色を示し、「23日に所信表明、25日には『秋の園遊会』があるため質疑は次週に先送りして30日に」という案を提示しました。審議の先送りです。
 ご存じの通り、この国会の会期は11月10日までであり、所信に対する質疑が10月30日ということになれば、残りの会期は11日間、実働で言えばわずか数日間しかありません。これでは審議時間が足りません。

 しかも、ある委員会の理事懇談会で、一人の自民党理事が「(この日程を)党の国対で決めた」ことを漏らしてしまい、この審議の先送り策が、自民党ぐるみだということが露見しました。当然、野党側からは猛反発が浴びせられました。
 結局、参議院で18日に大臣所信表明を行ったのは、総務・農林水産・経済産業・環境の4委員会だけで、残りの委員会では与党側の主張した日程が押し切られてしまいました。
 なぜ自民党は日程を引き延ばし、審議をさせないようにしているのでしょうか。

■ 政府・与党が嫌がる生活関連法案

 野党が過半数を占める参議院で第一党となった民主党は、社民党など他党とも協力しながら、「年金保険料流用防止法案」「労働契約法案」「被災者生活再建支援法改正案」「障害者自立支援法改正法案」「特定肝炎対策措置法案」などを提出し、その成立を目指しています。
 民主党は既に無所属議員の一部、新党日本、そして23日には国民新党をも統一会派に組み入れました。後は共産党か社民党いずれかの協力が得られれば過半数に達しますので、これらの法案の参議院通過は十分可能です。
 年金・雇用(格差是正)・被災者支援・障害者福祉など、国民に身近な「生活関連法案」を参議院で可決させ、衆議院に突きつけることで与党に揺さぶりをかけながら、世論に訴えるというのが野党側の既定方針ですが、政府・与党にしてみればこれが嫌でたまらないのです。

■ 「新テロ特措法案」と同じ「姑息な発想」

 現在、与党が大騒ぎしているのは「新テロ特措法案」です。与党は「国際貢献」や「国益」を強調していますが、結局はアフガニスタンで戦争をしている他国の軍隊に、国民の税金で買った燃料を、無料でばらまき続ける法案に過ぎません。
 与党がこんなことに血道を上げる中、国民生活重視の法案を野党が参議院で次々と可決させていけば、野党への評価は高まるでしょう。さらに、これらの法案を与党が多数を占める衆議院で次々と否決すれば、与党への評価の低下は免れません。次なる総選挙への影響は必至です。
 そこで与党が苦肉の策として選んだのが「参議院の動きを封じ、審議をさせない」という国会戦術だったのです。
 それこそ、活動内容について参議院の「承認」を得られる見込みがないので「報告」だけで良いことにしてしまおう、という「新テロ特措法案」と同じ、極めて姑息な発想です。

■ 天に吐いた唾

 従来の野党の審議拒否の場合は、法案に関わる重大な事柄について、「それが解明されない以上、審議には応じられない」というもので、その「解明」さえ行われれば審議に復帰するという、それなりに根拠が認められるものでしたが、今回の与党の場合はそれすらもなく、「ただ逃げ回るだけ」のものです。
 これまで野党の審議拒否戦術について与党側は「時代錯誤だ」「税金の無駄遣いだ」などと非難してきましたが、今国会での与党や福田内閣の姿は、それこそ「天に吐いた唾」を顔全体で浴びているようなものです。
 「誠実な国会対応」を約束しておきながら、僅か数週間でその「不誠実さ」を露呈した福田首相にも同じことが言えると思います。
 
 このような矛盾に陥り、不誠実で姑息な国会対応しか行えないような福田政権に、もはや政権担当能力などないと見るのか、初めから平気で国民に嘘を吐けるような老獪さを持っていると見るのかは皆さんのご判断に委ねますが、いずれにしても、実に「恥ずかしい」政府・与党であることに変わりありません。

新テロ特措法案をめぐって ~「暴走」と「監視」

2007年10月19日 | 憲法
■ 監視体制

 福田内閣は17日、「新テロ特措法案」を閣議決定しました。そして18日の衆議院の議院運営委員会で、23日からの審議入りが了承されました。
 さて、この新法案で最も気になるのは、活動に対する監視体制の問題です。

 これまで活動内容については国会の「承認」が必要とされてきました。自衛隊が遠く離れたインド洋で実際にどういう活動をしているのか、それは適切なのか、という監視を、「国権の最高機関」である国会が、曲がりなりにも担ってきたわけです。
 しかし新法案では「(事後)報告」だけで良いということになっています。これは言うまでもなく、野党が過半数を占める参議院で「承認」を得られないことを恐れたものですが、「報告」だけということになれば、違法な活動がないかを監視するのは政府だけということになりかねませんし、不都合な事実も国会に対して「報告」するかどうかという点も疑問です。

■ 6年前の暴走

 このインド洋派遣について、私は6年前の事件を思い出します。
 「9・11テロ」の10日後、自民党元幹事長の野中広務氏の事務所に1本の電話がありました。その電話の主は海上自衛官の奥様からのものでした。
 「夫が乗った船がインド洋へ向けて出発しましたが、先生はそのことをご存じですか。」
 野中氏はすぐに当時の官房長官、つまり福田康夫氏に電話をし、「こういう情報があるが、何か聞いているか」と尋ねましたが、福田氏も当時の防衛庁長官もそのことを知らなかったそうです。調べたところ、それが事実であったことが分かり、慌てて引き返させたということでした。
 その後、その艦は現場の指揮官の独断によって行動していたことが分かりました。法的根拠もなく、命令もなく、日本を離れ、遠くインド洋まで「米軍のお手伝い」に向かったのですから、とんでもない「暴走」です。
 その「暴走」を、ときの首相や官房長官はもちろん、防衛庁長官ですら把握できていなかったのです。
 現場の「暴走」を政府が監視しきれないということは、そのときの当事者であった福田首相も、その事件の数ヵ月後に防衛庁長官になった石破防衛大臣も、正に身をもって知っているはずです。

■ 隠蔽と追認

 さらに問題なのは、野中氏が引退して語り始めるまで、このときの「暴走」について政府が隠蔽してきたという点にあります。
 野中氏の話によれば、前述の艦船が帰港したのは3日後のことでしたので、結果的に政府は「暴走」を止めたことになりますが、「暴走」の責任者である指揮官がどのような処分を受けたのか、どのような再発防止策をとったのか、といった当然のことですら明らかにされていません。
 そればかりか、これを追認するかのように現行の「テロ特措法」を成立させ、「米軍のお手伝い」のために海自の艦船を次々とインド洋に送り出していったのです。
 加えて、現地で給油した米軍等の艦船がイラク攻撃を行っていたという「転用」疑惑が、次々と浮上しています。しかもその出所は米軍の記録や米軍関係者の発言などです。莫大な戦費に苦しむ米国にしてみれば、数億ドル分の燃料を「タダ」でくれる「戦争のスポンサー」を失いたくありませんので、火消しに躍起になっていますが、その度に新しい証拠や証言が出てきています。
 この「転用」疑惑については、実はイラク開戦直後から国会でも追及されてきました。対する政府の答弁は「各国には趣旨を説明する文書を出したので、転用はないと思う。」の一点張りでした。「監視したのか」という再質問に対しては、「信頼して大丈夫だと思う」と、ただ「希望的観測」を繰り返すのみでした。
 監視し、国会に「承認」を求める必要があったときでさえ、政府の監視体制はこのような有様でした。「承認」が「報告」だけで良いということになれば、一体どうなってしまうのか、分かったものではありません。

■ 国会対内閣

 私は、本当に情けない思いに駆られることがあります。
 それは、与党の国会議員が足並みを揃えて、この新法案を推し通そうとしていることです。
 「三権分立」は、国会・内閣・裁判所が互いに監視し合うという仕組みであることは言うまでもありません。国会と内閣で言えば、国会による内閣不信任決議、内閣による衆議院解散については授業で習うところですが、「国権の最高機関」である国会は、衆議院では「決算行政監視員会」、参議院では「決算委員会」「行政監視委員会」という委員会が常設されるほど、行政府の監視に重点を置く傾向にあります。選挙を通じて直接、国民の負託を受けた国会議員が、直接選ばれていない内閣や官僚の行うことを監視するという点において、民主主義的観点から大変良いことだと思います。
 しかし今回の法案は、活動についての監視という国会の責務なり権限を放棄させ、内閣に「白紙委任状」を差し出せ、という中身なのです。これは、民主主義のあり方を問われる問題であり、「与党対野党」という構図以前に「国会対内閣」という問題であるはずです。
 新法案を積極的に推進しようという国会議員に、果たして「国権の最高機関」である国会の一員たる自覚があるのでしょうか。直接、国民の負託を受けた「国民の代表者」たる気概は失われてしまったのでしょうか。
 もし、それに気付かない国会議員がいるならば、国会議員としての資質を問われるべきでしょうし、国民からの負託よりも「党が決めたから」を優先する議員であれば、議事堂を去ることも考えて頂くべきだと思います。

 内閣に「白紙委任状」を渡すような国会議員は、自分たちが最も監視しなければならない対象である内閣が「暴走」したときも、それを止めることができないことは明らかなのですから。

「軍尊民卑」との闘い

2007年10月02日 | 教育基本法・教科書
■ 死に様・生き様をかけた闘い

 「私たちのオジイやオバアたちの死に様、そして私たちの生き様をかけた闘いなのだ」

 これは沖縄に住む、私の友人が語った言葉です。 
 沖縄では、日本軍による「集団自決」強要に関する歴史教科書の記述を削除させる検定意見に対して、その撤回を求めた9月29日の県民大集会に約11万人が参加しました。

■ 文科省主導の「検定意見」

 沖縄戦の中、旧日本軍が住民らを米軍の捕虜にさせないために、集団自決を強要したことについては数々の証言からも明らかです。
 ところが、幾多の証言を無視して、その教科書の記述について「検定意見」が出され、教科書会社はその記述の削除を余儀なくされました。
 しかも今回の「検定意見」は事実上、文部科学省の主導によるものだったことが既に明らかになっています。

■ 「軍尊民卑」

 近年の歴史捏造の動きは目に余るものがありますが、共通しているのは、「軍」を尊び「民」を卑しめるという「軍尊民卑」の思想です。
 まだ、かつての軍国主義と決別できていない人々が、絶えず「軍」の側に立ち、「軍」に都合の悪い記述を徹底的に排除しようとしているのです。
 こうした動きは、安倍前首相の「美しい国」思想や、「愛国」教育を盛り込んだ改定教育基本法の影響が大きいことは明白ですが、そのような教育によって、子どもたちの目や耳を閉ざし、その口を封じようとする行為は、絶対に許せるものではありません。
 そして今回の沖縄の県民大集会に、11万の怒りの声が結集したのです。
 
■ 政府を突き動かした「怒り」

 この怒りの声は、ついに政府を突き動かしました。
 渡海紀三朗文部科学大臣は10月1日、「(教科書会社からの訂正申請があった場合には)真摯に対応する」とコメントし、記述の復元の可能性を示唆しました。
 教科書会社が訂正を申請するかはまだ分かりませんが、「死に様」「生き様」をかけた沖縄の人々の闘いは私たちに勇気を与えてくれました。
 今なお残る「軍尊民卑」という亡霊との闘いはこれからも様々なところで続いていくでしょうが、「許せないことは許さない」と声を上げ続けていくことの大切さを、私は決して忘れることはないでしょう。