恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

副大臣の涙

2010年06月01日 | 国会・政党・選挙
■ 「高揚感」

 普天間基地移設問題をめぐって「5月末決着」を唱えた鳩山内閣では、その「期限」である31日、辻元清美国土交通副大臣が辞表を提出し、社民党の「連立離脱」が完了するという、実に寒々しい「決着」を迎えました。
 
 さて、その辻元氏は、連立政権を去ることについて「さみしいし、つらい」と、目に涙を浮かべました。
 かつて「総理、総理」と20回以上も叫んだ「追及の鬼」による、正に「鬼の目にも涙」です。
 その涙ながらの「さみしい」「つらい」という言葉に、何も知らない方々は、単に「政権への未練」と思われるかもしれません。

 しかし私は、辻元氏が副大臣として取組んできたことを知っています。
 普通、大臣や副大臣の話など「催眠効果」しか実感できないものですが、辻元氏の行動には「わくわく」するほどの「高揚感」がありました。

■ 「視野」

 辻元氏の取り組みは語り尽くせませんが、最も力を注いでいたのは「交通基本法」の制定です。
 これまでの場当たり的な「街づくり」「道づくり」から脱却し、「移動」や「住まい」を人権と捉え、その人権保障のための環境を整備を行う「基本法」を作ろうとしていたのです。
 まだ着任から間もないとき、関西でこうした取り組みを行っているNGOのシンポジウムがあり、辻元氏も副大臣として出掛けたそうです。そこには、聴衆に紛れて地方整備局の「お偉いさん」たちが「偵察」に来ていたそうです。
 辻元氏はシンポジウム終了間際に彼らを壇上に呼び、「折角来たんだから挨拶を」と求めたところ、彼らの一言目は「こんな役人みたいな格好ですみません」と言ったそうです。NGOの集まりですから、会場でスーツ・ネクタイ姿は彼らだけ、「浮いている」ことを彼らも認識していたのでしょう。
 そしてその彼らは「恥ずかしながら、今までこんな話を聞いたことがありませんでした。本当に勉強になりました」と、心から「来て良かった」と語ったそうです。
 彼らの「視野」が広がった瞬間です。

■ 「静かな革命」

 その後、辻元氏は「霞ヶ関」にも、動きを広げていきました。
 「やる気のある人だけおいで」と全くの「任意参加」で、「交通基本法」のための勉強会を始めたのです。
 最初は、「何だろうか」と傍観していた官僚が、次々と新たな切り口を学ぶ中で「面白そう」に変わり、役職の上下を超えて「俺たちもやってみよう」と1人増え2人増え、ついに全部局から人が集り、立場を超えて自由闊達にアイデアを語り始めたのです。

 さらに、様々な審議会や、諮問機関は従来「御用学者」が占めていましたが、その人事には「政務三役」の同意が必要です。辻元氏は、女性や高齢者、障がい者の皆さん、あるいはその声を代弁するNGOの人々を積極的に登用し、政策の立案・決定にあたって、その意見反映に務めたのです。

 辻元氏はこうした一連の取り組みを「静かな革命」と呼びました。

■ 「不幸」

 思えば、それまで「霞ヶ関」やその出先、すなわち官僚の皆さんは「不幸」だったと思います。
 交通政策や住宅政策を考えるとき、御用学者や業界団体の代表、地域での政策の立案では、その地方の経済団体や地権者、首相、地元議員など、利害関係の絡む人々に惑わされ、利用者であり主権者である「国民」の声は置き去りにされがちでした。
 そこに、辻元氏は「活力」という風を吹き込んだのです。それは「脱官僚」ではなく、官僚を活かすという「活官僚」ではなかったでしょうか。

 その道半ばでの辞任は、やはり辻元氏には「さみしいし、つらい」ものだったことでしょう。
 そして、このような副大臣を失ったことは、「国民的な損失」であり、「不幸」と呼ぶべきでしょう。

 もし今の政権に心ある人がいるならば、あるいは今後、内閣の一員として政治に参画しようとする人がいるならば、辻元氏のように去り際に涙を流せるような人であってもらいたいと思います。


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1 コメント

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辻本氏の活動が見えて元気でました. (モンタギュー)
2010-06-01 22:07:16
はじめて保坂さんのブログからお邪魔しました在米のブロガーです。
日米同盟に追随した形で顛末を迎えた普天間問題は非常に残念ですが、以前から辻本氏を応援していたのに、他からのやっかみからか、彼女の政治生命を危ぶむほどの進退問題の時も、彼女がはじめたピースボートの最近の実情をみてても、正直言って最近はがっかりさせられることがおおかったのですが、マスコミの彼女のイメージを信じないとしながらも、官僚となってからの彼女の活動がアメリカからも日本のマスコミからも見えて来なかったのに、ああ、やはり期待を裏切らない活動をしていたんだなと思えました。これからも彼女のみならず、少しずつでもこうした官僚、市民の動きが外からも見えれば、日本の政治にも失望せず、少しでも希望の火を見ようとボジティブになれる様な気がしてきました。こうした視野での報告、これからもおしらせください。
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