恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

「卑怯者」と「恥」

2013年07月21日 | 国会・政党・選挙
■ 高校生の声

 先日、私の友人のブログの記事を読んでいて、ハッと致しました。
 ある地方の駅前で、社民党の街宣車が止まったとき、高校生が近づいてきてこう言ったそうです。

 「このまま安倍さんたちが勝てば、僕たちが戦争に行かなければいけなくなる。社民党、頑張って下さい。」

 そのブログを書いた私の友人は、こう語っています。

 「彼らは分かっているのです。
  憲法が変われば、戦争も、徴兵制も、可能になることを。
  そして、自分たちの世代が戦争に駆り出されていくことを。」
 
 いま選挙権がない高校生の声、本当に切実なものがあると思います。

■ 「反国民的」な政党を支持する「自虐的」な人々

 自民党の改憲草案を読めば、戦争や徴兵制が可能なのはもちろん、軍事独裁政権も可能、社会保障ゼロも可能、財産没収も可能、すなわち人権無視・国民迫害も可能です。おや、むしろ自民党のスローガン「日本を取り戻す」の本当の意味は、北朝鮮以下の「賎しむべき国家」づくり、すなわち「日本を取り壊す」ことにあるのです。
 
 しかし、世論調査では、そんな「反国民的」な政党・自民党の圧勝が報じられています。本当に残念でなりません。
 自民党が勝つことも残念ですが、自分たちやその家族を抑えつけ、その権利も、自由も、財産も、生命さえも奪い、隷従させようとする「日本の恥」自民党を支持するという、極めて「自虐」的な人々者が大勢いるということが、悲しいほど残念でならないのです。
 
 私は、自民党支持者の方とも、多く話をしてまいりました。彼らはこう言うのです。
 「おお、戦争もいいじゃないか。中国が攻めてくるんだから、目にもの見せてやれ」
 「徴兵もいいじゃないか。今の日本人はたるんでいる。喝を入れればいい」 
 
 こんなことを言う方々の多くは、40代以上の方々でした。私は、彼らを「卑怯者」と呼びます。

■ 若者の命を奪う「卑怯者」

 実際に憲法が変えられ、徴兵制が施行されるまで、おそらく数年はかかるでしょう。私も40を過ぎました。
 前線に駆り出されれば、敵兵との「殺し合い」が待っていますが、今なら私も少しはお役に立てるかもしれません。
 しかし、50の声が聞こえて来たならば、その自信はありません。十年後には「徴兵」のお声もかけて頂けるでしょうか。

 いま「愛国心」を煽り立て、「戦争もいい」「徴兵もいい」などと言っている方々は、本当に「戦場に駆り出される人」でしょうか。本気の「殺し合い」をする能力をお持ちなのでしょうか。
 自民党の立候補者、あるいは自民党の改憲論に同調する維新の会やみんなの党、その候補者の顔ぶれを見ていますと、本気で「殺し合い」をできそうな人物はほとんどいません。
 彼らも、自分たちやその子や孫が、そんなところに「駆り出される」とは思っていないでしょう。あくまで「駆り出す」側、すなわち「権力者」の目線でしか、ものを見ていないのです。
 そんな連中に与し、自分たちの子や孫が戦場に行かされるという、この国の将来像から逃げている人々もまた「卑怯者」です。

 自分たちは、ぬくぬくと安全なところにいながら、「愛国者」気取りで煽るだけ煽り、いま選挙権のない若者の命を奪う、これが「卑怯者」でなくて何でしょうか。

■ お聞きします

 皆さんにお聞きします。4問でございますので、ぜひお付き合い下さい。

A) 66年余り、現在の日本国憲法の下で、日本は動いて参りました。
 皆さん、そんなに不自由でしたか。

B) 「不自由だった」とお答えの方にお聞きします。
 不満さえ言えないほど、国家権力に怯えなければならない国にしたいですか。

C) 「不満も言えないほど、権力に怯えて暮らす国にしたい」という方にお聞きします。
 皆さん、そしてお子さんやお孫さん、すべての将来の日本人から、権利・自由・財産、そして生命さえも、いつでも簡単に国家権力に奪われる国をお望みですか。

D) 「望む」という方にお聞きします。
 あなたは人間ですか。
 そこまで愚かであれば、自民党のような「卑怯者」を支持してしまうのも無理からぬことと、私もあきらめることにいたします。ただ、残念でなりませんが…。

■ 将来に恥じぬように

 私は極めて古風な日本人で、最も嫌うのは、やはり「恥」というものでございます。
 特に、子を持つ「親」の一人として、将来の世代に対する責任が、絶えずつきまといます。
 その私が、人間として、親として、日本人として、最も恥ずべきは、子や孫の世代から何もかもを奪い取る「憲法改正」を許すことです。
 
 今日7月21日は参議院議員選挙投票日です。
 間違っても、「卑怯者」に与さないよう、「卑怯者」にならないよう、ご英断を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

 憲法を守ることは、皆さんだけでなく、そのお子さんやお孫さんの権利を守り、自由を守り、財産を守り、命を守ることなのです。

 国会で「卑怯者」ばかりが増え、「護憲派」が減っています。
 将来に恥じぬよう、投票を行いたいと思います。
 

安倍首相問責の真意と、「立役者」

2013年06月27日 | 国会・政党・選挙
 通常国会最終日の26日、参議院では安倍首相の問責決議案が可決しました。
 この問責決議案を提出したのは、生活・社民・みどりの3党ですが、その案に対して、民主・みんな・共産・維新・改革などの各議員が賛成し、参議院の意思として、安倍首相に「No!」を突き付けたのです。

■ 逃げた安倍内閣と与党

 そもそも、ことの発端は、安倍内閣や与党が、国会の論戦から逃げたことにあります。
 24日に参議院予算委員会が開かれることになりました。しかし、安倍内閣はこれをボイコットし、与党である自民・公明の議員も、この予算委員会を欠席しました。つまり、内閣と与党が「審議拒否」に走ったのです。憲法第63条には「内閣総理大臣その他の国務大臣は、…答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない」と定められていますが、内閣がその義務を果たさず、審議をボイコットするなど前代未聞ですし、「国権の最高機関」である国会を蔑ろにする極めて不遜な態度です。

 このような安倍首相は「問責」を受けて当然ですし、これに反対するような自民・公明の参議院議員は、ただちに議員バッジを外すべきでしょう。国民の負託を受けているはずの自分たちの院が、内閣からコケにされて黙っているような議員は、議員たる資格はありません。

■ 「問責」の意義

 この「問責」は、極めて重要な意味を持っています。
 周知の通り、安倍首相は「憲法改正」を目指しており、参院選後には、野党である民主の一部や、維新・みんな・改革などの議員を巻き込んで、憲法改正の発議に必要な、衆参両院の3分の2以上を確保しようとしています。そして、彼らはそこに共鳴しつつありました。そこに「くさび」を打ち込んだのが、今回の「問責」なのです。
 半数しか改選されない参議院では、院として安倍内閣を「問責」したことの効力は、選挙後も残ります。安倍首相が糾合しようとしている民主・維新・みんな・改革などの議員は、自分たちが「問責」した安倍内閣に対して、安易に「迎合」することはできません。
 言わば、与党と野党をしっかりと分けたというのが、この「問責」の最大の意義であり、功績と言って良いと思っています。

■ 「迎合」傾向に一本の「筋」

 実際、野党の中にも「迎合」の傾向は顕著でした。
 民主の一部、みんな・維新・改革など「実家」が自民党という政党は言うに及ばず、安倍内閣が比較的高い支持率を維持していることに、私の地元選挙区の、日本共産党の候補予定者でさえ、討論会で、実体経済を伴わない「アベノミクス」を「期待感だけで税収を増やす効果があった」と、評価し出す始末です。
 この「アベノミクス」。実際には、単に日銀がほぼ無制限の金融緩和を宣言することで、為替相場で円を下落させ、円安を誘導し、ドル建てで株式投資を行う外国の投資家が、割安になった日本企業の株式の購入を誘い、一時的な輸出企業の儲けと相まって騒がれだけの話なのです。やがて、国債の暴落、長期金利高騰による国家財政の破綻を招き、さらに「第三の矢」の規制緩和により、さらなる格差拡大、そして内需の冷え込みに至ることは必至なのですが、そうした本質すら分からず、こんな「アベノミクス」をもてはやす愚かな候補者が、日本共産党にさえいることが残念でなりません。

 前述の通り、問責決議案の提出も、生活・社民・みどりの3党だけでした。それだけ、他の野党は、一定の支持率のある安倍内閣に正面から対峙することに「迷い」があったのです。こうした嘆かわしい状況に、野党の総意として、一本の「筋」を通したのが、今回の「問責」だったのです。

■ 「立役者」の功績

 それだけ重要で、意義ある「問責」に奔走したのは、社民党の又市征治幹事長でした。
 6月5日の野党幹事長会談から、「参院選を目前に控え、争点を国会で論議し国民に示すことは政府並びに野党の責任である。衆・参両院で予算委員会の集中審議を行うべき」と主張し、今回の焦点となった予算委員会の開催、そして「問責」につながる「仕掛け」を行ってきたのが、この又市氏です。結果、この「問責」により、国会に「筋」を通したのです。
 既に10年前から社民党の幹事長に就任し、副党首を経て、また幹事長に就いた又市氏の国対戦術には、以前から定評がありました。小泉政権時代から、小政党の幹事長ながら、バラバラになりがちな野党を、その説得力ある理論で一本に束ね、「小泉包囲網」ほか数々の共闘を実現し、他党からも「野党共闘の要に又市あり」と言われ、多くの国会関係者から一目置かれる人物です。何しろ、かつて「自民党内で最も右」と言われた小沢一郎氏(生活の党代表)を、「護憲」に近付けたのは又市氏です。
 政党の共闘というのは、本当に難しいものです。民主が呼び掛ければ「筋」がどうであろうと、共産党がそっぽを向き、共産党が提案すれば誰も相手にしません。唯一、社民党、とりわけ又市氏の提案には、民主党も、共産党も、みんなも、維新も、改革も、他の議員も、応じるのです。

■ いま参院選を前に

 7月4日公示、21日投開票。いま参院選が目前に迫っています。「国権の最高機関」すら軽視し、私たち国民の権利や自由を踏みにじる「憲法改正」を押し通そうとする安倍政権の暴走を止められるか否か、極めて重要な選挙です。
 あの又市氏も、今回が改選です。もし、国会に又市氏を失うようなことがあれば、安倍「改憲」により、国民は人権を奪われ、自由を制限され、義務で縛られることを想定しなければなりません。
 私は、私が享有してきた人権や自由を、子どもたちの世代にも受け継いでいきたいと思っています。自民党の憲法改正草案のような、人を奴隷化するような案は、やはり承服しかねます。
 国会の随所で、野党をまとめ上げ、国民生活の向上や、憲法に保障された人々の権利」を、最も真剣に考え、行動しているのが又市征治氏だと思います。
 

誰が本気で「沖縄の祈り」に応えるのか

2010年07月12日 | 国会・政党・選挙
■ 選挙区を制した自民党か

 11日に行われた参院選。開票の結果、沖縄県選挙区では、自民党公認の島尻安伊子氏が当選を果たしました。
 島尻氏は、これまで宜野湾市の米軍普天間基地を名護市辺野古に移設する「基地たらい回し」を推進し続けながら、これに反対する沖縄県民の声の高まりを見て「変節」し、議席を守りました。
 しかし、本当に主張を改めたわけではないでしょう。
 「移設先は辺野古しかない」と強弁し続ける自民党から公認をもらい、テレビで「島尻さんの意見は自民党のマニフェストとは合わない」と指摘されても、ただ「そうは思わない」と言い張るだけ。「具体的にどう党内で意見を反映させていくのか」という問いにも、「民主党が反省するのが先だ」とはぐらかすだけでした。
 選挙という便宜のために主張を変える島尻氏のような人物、あるいは彼女を公認した自民党に、本当に「沖縄の祈り」の代弁者が務まるとは到底思えません。
 事実、島尻氏の得票は25万票余りですが、沖縄県での自民党の比例票は10万票を割り込みました。沖縄県民は自民党を信用していないのです。

■ 不戦敗の民主党か

 一方、民主党は早々と、沖縄県選挙区への公認・推薦候補の出馬を断念し、「不戦敗」を選びました。
 移設先を「国外」「最低でも県外」と公言しながら、辺野古への移設を盛り込んだ日米共同声明を結んで県民の期待を裏切った鳩山前首相。その後を受け、正式に任命される前にその共同声明を順守すると米国に誓った菅首相。
 このような経緯があったにせよ、政権与党が候補者を出さない選挙区など、正に「異例中の異例」です。
 そのあおりを受けて、比例の現職・喜納昌吉氏も落選し、民主党には沖縄出身議員がいなくなりました。
 喜納氏が獲得した個人名票は7万票余りで、当選ラインまであと約3万票。民主党が沖縄で獲得した比例票は自民党を上回る11万票台だっただけに、民主党が本気で「沖縄の祈り」を国政に反映させようとしていたら、と惜しまれてなりません。
 それどころか、喜納氏の支持者にとっては、喜納氏が獲得した7万票が民主党の票として加算されることさえ、腹立たしく感じられるのではないでしょうか。

■ 選挙区・比例擁立の共産党か

 比例に沖縄県の候補者を擁立したのは、民主だけではありません。
 共産党からも、上里清美氏という候補が出ていました。
 この共産党は、選挙区にも伊集唯行氏という、決して勝算があるとは言えない候補者を擁立していましたが、私は当初、上里氏を勝たせるための戦術ではないか、とも思っていました。
 実際、伊集氏が獲得したのは5万8千票余り。これは「供託金没収点」を下回りますが、共産党はいつも徹底的に「党名」での投票を呼びかけつつ、当選させたい候補者を絞り込んで、「固いところ」に個人名で投票させて当選させるという戦術を取ります。
 今回も、その方法で比例3位で当選した大門実紀史は4万4千弱の得票数で当選しています。「選挙区は伊集、比例区は上里」を徹底していれば、上里氏は「沖縄の祈り」を国政の場で直接訴えることができたはずです。
 しかし、彼女の個人名票は全国でわずか3,478票。しかも、沖縄県内で得られたのは約2千票です。
 初めから「沖縄の祈り」を訴える議員を作ろうとしなかった点では、共産党も自民党や民主党と変わりません。ただ沖縄を利用しただけだったと言わざるを得ません。
 共産党が沖縄で獲得した比例票はわずか3万6千余り。おそらく沖縄の人々も、そのことを見透かしていたのでしょう。

■ 比例第一党の社民党か

 この沖縄で比例第一党となったのは、社民党でした。

 「社民党は沖縄を裏切らない」

 この一点張りで「筋」を通し続け、下野しながら総理大臣の「首」を取った社民党に、沖縄の人々が12万を超える最大の「祈り」を託したのです。
 公示直前の出馬にもかかわらず、社民党が沖縄社会大衆党とともに推薦した山城博治氏が、選挙区で自民党現職にあれだけの猛追を見せたのも、彼らの底力と、沖縄での高い信頼あってのことではないでしょうか。
 「普天間基地即時閉鎖」「新基地建設は許さない」だけでなく、具体的に米国領の北マリアナ連邦という移設を歓迎・誘致するところを見つけてきた功績も、大きいものがあります。

■ 誰が本気で応えるのか

 さて、「沖縄の祈り」をめぐる戦いは、これから本格化していきます。
 政府が、米国との間で具体的な工法などを詰めるという8月末に向けた動き。
 そして、秋には「最終決戦」とも言うべき沖縄県知事選挙が待っています。
 自民・公明に支えられる現職の仲井真弘多氏が続投の意向を表明し、一方で「普天間」を抱える宜野湾市の市長・伊波洋一氏も意欲を示していると伝えられています。

 今回の参院選で言えば、島尻氏のような口先だけ「変節」の現職か、それとも「沖縄の祈り」に「筋」を通す新人か、という構図になるでしょう。

 その戦いのときこそ、各政党も個人も、誰が本気で「沖縄の祈り」に応えるのか、そのことが試されるのだと思います。

社民党の兵法

2010年06月02日 | 国会・政党・選挙
 鳩山首相が2日、辞意を表明しました。
 その裏側で何が起きていたのか、その流れを考えるとき、私は軍事ジャーナリストの神浦元彰氏が昨年暮れに書いておられた文章を思い出していました。

■ 「社民党切り」

 「今、自民党議員に対して地下で民主党からの切り崩しが進んでいるという。…それらを民主党が取り込めば社民党との連立は必要がないという考えだ。」
 「社民党は小沢幹事長の自民党切り崩し手腕の凄さを理解すべきだ。来年の参議選で民主党単独過半数獲得も十分に可能性がある。自民党が切り崩されて民主党に加わるからだ。」

 さらに神浦氏は、12月24日付けの自衛隊機関紙「朝雲新聞」の、「田村(耕太郎参院)議員の自民党離党で、来年夏の参院選を待たなくても、民主党が社民党を切れる可能性がでてきた」という記事を引用して、「戦国時代の日本史で、敵を切り崩すことが最善の勝つ戦術であった。社民党は孫子に学ばなくてはならない。」と説いていました。
 (以上引用 http://www.kamiura.com/whatsnew/continues_271.html)
 
 そしていま、全く逆のことが起きています。

■ 米国内の「切り崩し」

 確かに、神浦氏や「朝雲」の主張どおり、民主党は参院選前に社民党を切りました。
 神浦氏や自衛隊の期待どおり、日米合意を優先させ、社民党や沖縄県民を裏切ったのです。
 しかし、神浦氏が説いた「切り崩し」は、社民党の方が一枚上でした。

 「国外移設」を追求してきた社民党は、米国への「切り崩し」から始めました。
 米自治領の北マリアナ諸島では知事もテニアン市長も、単なる基地移転の歓迎ではなく「ぜひ誘致したい」と表明しました。議会は上下両院で「誘致決議」を採択しました。

■ 民主党内の「切り崩し」

 この「テニアン移設」案が、単なる「夢物語」ではないと現実味や説得力を強める中、鳩山内閣は「辺野古」移設を盛り込んだ「日米共同声明」を結び、その政府方針の閣議決定を行おうとしましたが、これに対し与党内から180名が「テニアン」を例示して、「国外移設を追及すべき」という声明文を、内閣に突きつけました。
 与党議員が「反旗」を翻す180名は、社民党議員の15倍の人数ですが、これはわずか数日で集まりました。既に民主党内にも「切り崩し」が進んでいたのです。

■ 参議院の「切り崩し」

 さらに、連立を離脱した社民党は、参議院の民主党への「切り崩し」に取り掛かりました。
 まず、あえて「選挙協力」の可能性に含みを持たせることで、「逆風」に喘ぐ改選議員を動揺させました。

 加えて、鳩山内閣への不信任・問責の決議案に「賛成」する意向を表明することで、内閣を揺さぶりました。参議院で首相に対する問責決議案が提出されれば、わずか数名の「造反」で通ります。その動揺を衆議院に持ち込めば、民主党が圧倒的多数を占める衆議院でも、不信任決議案が通る可能性は十分にありました。

■ 国民新党の「切り崩し」

 また、鳩山内閣は社民党の福島党首を「罷免」した日、同じ連立パートナーである国民新党に対しては、彼らの「一丁目一番地」である郵政改革法案を、わずか1日の審議で採決を強行しました。
 しかし、この法案は参議院の総務委員会で審議中です。25名の委員のうち民主・国民新の会派は12名、社民は1名です。社民党が他党と結束して反対すれば委員会で否決されますし、欠席すれば委員会そのものが成立しなくなります。
 「切り崩し」は、民主・国民新両党との関係にも及んでいたのです。

 もう既に「切られた」側の社民党の「切り崩し」は、「切った」側の鳩山内閣を、そこまで追い詰めていたのです。

■ 「社民党の兵法」

 さて、冒頭ご紹介した通り、神浦氏は「社民党は小沢幹事長の自民党切り崩し手腕の凄さを理解すべきだ」と説き、さらに「戦国時代の日本史で、敵を切り崩すことが最善の勝つ戦術であった。社民党は孫子に学ばなくてはならない」と説いていました。
 しかし、その小沢幹事長は、「切り崩し」に敗れた鳩山首相の「道連れ」で、幹事長職を辞任することが決まっています。
 あえて「孫子」で言うならば、「始めは処女のごとくして敵人戸を開き、後には脱兎のごとくして敵防ぐに及ばず」という「社民党の兵法」に敗れ去ったのです。

 軍事や政治を語る人々には、今回の「社民党の兵法」こそ学んでもらう必要があるように思います。

■ 「民意」

 さて、その社民党の「戦術」の強みは、決して「奇策」にあったわけではありませんでした。
 一つは「絶対に沖縄県内に新基地は作らせない」という「信念」「執念」であり、もう一つは徹底的に「筋を通す」ということでした。

 沖縄・徳之島などの「米軍基地はいらない」という「民意」を、それこそ「体を張って」守りぬく姿勢、そして「テニアンが歓迎してくれている」という強い説得力への「共感」こそが、日本の政治史を塗り替える原動力となったのです。

 もうすぐ、次の日本の首相が決まります。
 その真価は、「今度こそ『民意』を大切にしてほしい」という国民の願いに応えるのかどうか、そこで判断されるべきだと思います。

副大臣の涙

2010年06月01日 | 国会・政党・選挙
■ 「高揚感」

 普天間基地移設問題をめぐって「5月末決着」を唱えた鳩山内閣では、その「期限」である31日、辻元清美国土交通副大臣が辞表を提出し、社民党の「連立離脱」が完了するという、実に寒々しい「決着」を迎えました。
 
 さて、その辻元氏は、連立政権を去ることについて「さみしいし、つらい」と、目に涙を浮かべました。
 かつて「総理、総理」と20回以上も叫んだ「追及の鬼」による、正に「鬼の目にも涙」です。
 その涙ながらの「さみしい」「つらい」という言葉に、何も知らない方々は、単に「政権への未練」と思われるかもしれません。

 しかし私は、辻元氏が副大臣として取組んできたことを知っています。
 普通、大臣や副大臣の話など「催眠効果」しか実感できないものですが、辻元氏の行動には「わくわく」するほどの「高揚感」がありました。

■ 「視野」

 辻元氏の取り組みは語り尽くせませんが、最も力を注いでいたのは「交通基本法」の制定です。
 これまでの場当たり的な「街づくり」「道づくり」から脱却し、「移動」や「住まい」を人権と捉え、その人権保障のための環境を整備を行う「基本法」を作ろうとしていたのです。
 まだ着任から間もないとき、関西でこうした取り組みを行っているNGOのシンポジウムがあり、辻元氏も副大臣として出掛けたそうです。そこには、聴衆に紛れて地方整備局の「お偉いさん」たちが「偵察」に来ていたそうです。
 辻元氏はシンポジウム終了間際に彼らを壇上に呼び、「折角来たんだから挨拶を」と求めたところ、彼らの一言目は「こんな役人みたいな格好ですみません」と言ったそうです。NGOの集まりですから、会場でスーツ・ネクタイ姿は彼らだけ、「浮いている」ことを彼らも認識していたのでしょう。
 そしてその彼らは「恥ずかしながら、今までこんな話を聞いたことがありませんでした。本当に勉強になりました」と、心から「来て良かった」と語ったそうです。
 彼らの「視野」が広がった瞬間です。

■ 「静かな革命」

 その後、辻元氏は「霞ヶ関」にも、動きを広げていきました。
 「やる気のある人だけおいで」と全くの「任意参加」で、「交通基本法」のための勉強会を始めたのです。
 最初は、「何だろうか」と傍観していた官僚が、次々と新たな切り口を学ぶ中で「面白そう」に変わり、役職の上下を超えて「俺たちもやってみよう」と1人増え2人増え、ついに全部局から人が集り、立場を超えて自由闊達にアイデアを語り始めたのです。

 さらに、様々な審議会や、諮問機関は従来「御用学者」が占めていましたが、その人事には「政務三役」の同意が必要です。辻元氏は、女性や高齢者、障がい者の皆さん、あるいはその声を代弁するNGOの人々を積極的に登用し、政策の立案・決定にあたって、その意見反映に務めたのです。

 辻元氏はこうした一連の取り組みを「静かな革命」と呼びました。

■ 「不幸」

 思えば、それまで「霞ヶ関」やその出先、すなわち官僚の皆さんは「不幸」だったと思います。
 交通政策や住宅政策を考えるとき、御用学者や業界団体の代表、地域での政策の立案では、その地方の経済団体や地権者、首相、地元議員など、利害関係の絡む人々に惑わされ、利用者であり主権者である「国民」の声は置き去りにされがちでした。
 そこに、辻元氏は「活力」という風を吹き込んだのです。それは「脱官僚」ではなく、官僚を活かすという「活官僚」ではなかったでしょうか。

 その道半ばでの辞任は、やはり辻元氏には「さみしいし、つらい」ものだったことでしょう。
 そして、このような副大臣を失ったことは、「国民的な損失」であり、「不幸」と呼ぶべきでしょう。

 もし今の政権に心ある人がいるならば、あるいは今後、内閣の一員として政治に参画しようとする人がいるならば、辻元氏のように去り際に涙を流せるような人であってもらいたいと思います。

「連立離脱」後の社民党に求めるもの

2010年05月31日 | 国会・政党・選挙
■ 「離脱」

 社民党は30日、正式に「連立離脱」を決めました。
 先の総選挙の際、民主党の鳩山代表が普天間基地の移設先として「国外、最低でも県外」と語ったのは有名です。
 それに合致する「普天間基地閉鎖」「沖縄県内での新基地建設反対」を掲げてきた社民党は、その実現のために米自治領の北マリアナ諸島の人々と連携し、現地の知事、市長は「歓迎」を表明し、上下両院の議会は「誘致」する決議を採択しました。
 一方、鳩山首相や民主党はひどい有様でした。平野官房長官をはじめ多くの関係閣僚が好き勝手を言い、さんざん「迷走」を繰り返し、いつしか「国外、最低でも県外」という言葉を忘れ、地元自治体や住民の合意も得ず、政権内の理解も得ないまま、米国の意向を優先して「日米共同声明」を発表し、国民に押し付けようとしたのです。
 この「裏切り」には、沖縄県の皆さんをはじめ多くの国民が「怒り」「落胆」「失望」など様々な思いを抱いたことでしょう。

■ 「協力」

 「国外、最低でも県外」をあくまで追求してきた社民党の福島氏を、逆に「変節」した鳩山首相が28日に「罷免」したのですから、これほどの「矛盾」はありません。
 「連立離脱」という社民党の毅然とした決断は、私は率直に評価したいと思います。

 さて、こうした社民党に対し、民主党は未練がましく「選挙協力」を求めているようです。
 社民党は毎回、比例代表で約300万票を獲得しています。各都道府県ごとに数万人から数十万人の方々が比例代表に、社民党あるいは社民党の候補者の名前を書くために投票所に足を運びます。それでも選挙区の独自候補がいない選挙区が多く、民主党はその票がほしくてたまらないのです。
 とはいえ、言わば、自分から「別れ話」をした相手に「関係を続けてほしい」と迫るような民主党の厚顔無恥には飽きれるばかりです。

 しかし、今後の「基地問題の真の解決」のため、「国民生活」のため、「護憲」のためには、私はこの「選挙協力」の話は「必ずしも悪い話ではない」と考えています。

■ 「存在」

 こうした課題について、今まで社民党が果たしてきた役割は、その政党の規模とは比べ物にならないほど大きなものがありました。
 例えば、民主党や国民新党を説得して参議院で憲法審査会の始動を止めてきたのは社民党でしたし、野党時代にはこの2党に共産党を加えて労働者派遣法改正案の共同提出をリードしてきたのも社民党でした。
 連立政権に加わるとき、基地問題に関して「沖縄の負担軽減」を主張し、「3党合意」に盛り込んだのも社民党ですし、「消費税率の4年間凍結」を盛り込んだのも社民党です。
 いま、社民党がいなくなった「民・国」連立政権は、まず参議院で過半数を得ることはないと思いますが、衆議院を解散しない限り、以後3年間は衆議院で圧倒的多数を占め続けます。
 そこで参議院でも安定多数を得るべく、他党との連立を模索するでしょうが、社民党や共産党以外の党は全て「改憲」や「消費税増税」を目ざしています。
 もし今のままであれば、基地問題のさらなる見直しの動きは止まり、消費税は増税に傾き、憲法審査会は動き出すと見なければなりません。
 議員数で言えば衆参合わせてわずか12名の社民党の存在が、これだけのことを食い止めてきたのです。

■ 「署名」

 しかし今は、引き続きこうした影響力を社民党に求めることは困難です。
 それであれば、社民党には敢えて「選挙協力」することで、民主党の中に影響力を残すことを考えてほしいのです。

 今回の普天間基地移設問題では、鳩山政権の「日米共同声明」に反対し、今後も「国外」移設を求める内容の署名が提出されました。これには与党内議員約180名が署名しています。これは初めから「政務三役」を除いていますので、与党内の約半数の署名が集まったことになります。
 こうした「与党内良識派」「同志」とも言うべき人々と対立して、自民党など他党の候補を喜ばせる必要はありません。
 逆に、彼らへの支援を通じて民主党内に影響を与え、やがては「基地問題の真の解決」のため、「国民生活」のため、「護憲」のために動くことのできる新たな勢力を結集する「政界再編」を展望してほしいと思います。

■ 「決意」

 もちろん、その道は平坦ではありません。
 「喧嘩別れ」した相手との協力というのは、国民には分かりにくいものがありますし、そうした「分かりにくさ」は支持離れにつながることも考えなければなりません。
 かつて自民党の「自主憲法制定」を封印することに成功しながら、支持を失った「自社さ」政権のときのようなこともあり得るかもしれません。
 大変な苦労を味わうことになるかもしれません。

 しかし、社民党にだけ、その苦労を負わせるつもりはありません。
 もとより私も、「基地問題の真の解決」のため、「国民生活」のため、「護憲」のため、力を尽くす決意です。
 それが、今を生きる歴史的責任として、次代を担う子どもたちに平和と民主主義を受け継いでいくため、絶対に必要だと考えるからです。

日教組を標的とした自民党「スパイ活動」指示文書

2010年03月08日 | 国会・政党・選挙
■ 北教組事件の「裏側」で

 民主党の小林千代美議員に対する北海道教職員組合の違法献金問題が取り沙汰されています。
 3月に入ってからは組合役員が逮捕され、国会でも自民党がこの問題への追及を強めています。
 もちろん違法献金ですから同情の余地はありません。しっかりと法による裁きを受ける必要がありますし、国会でも再発防止に取り組んでもらわなければなりません。
 また、小林氏は自ら説明責任を果たすべきですし、政治責任も問われて当然だと思います。
 ただ、今回の件で私が気になるのは、その裏側で繰り広げられている自民党の「スパイ活動」です。

■ 「スパイ活動」指示文書

 2月10日、自民党は全国の地方組織に対して指示文書を出しました。
 その文書は、政務調査会副会長の下村博文氏、同じく文部科学部会長の義家弘介氏の連名による「日教組の違法活動・偏向教育等に係る証拠収集の依頼方について」というものです。
 詳しくは、弊ブログに指示文書を画像として掲載しましたが、要約すれば「鳩山政権と日教組を追い込む。その材料となる証拠をつかむため、自民党の全国組織はあらゆる手段を使ってスパイ活動に当たれ」という指示内容です。

■ 予算審議「そっちのけ」

 2月といえば、国会では予算審議の真最中でした。この予算案そっちのけで、自民党は全組織を挙げて「スパイ活動」に明け暮れていたのです。
 実際、予算委員会などでも、彼らは口を開けば「政治とカネ」の問題だけで予算案にはほとんど触れず、挙句、長崎県知事選挙で自民系候補が勝った翌日からは、また予算審議を放り出して「審議拒否」です。
 予算案の「対案」である「組み替え」動議も、3月2日にようやく提出ということですが、これは衆議院での採決の日です。これでは「組み替え」動議は、「検討しなくても良い、ただのパフォーマンス」だと自分から言っているようなものです。

■ 「政局」最優先の「スパイ政党」

 半年ほど前まで政権の座にあった自民党は、「政局より政策」と言っていたはずですが、今や国会での政策論議や予算審議に、そうした姿勢は微塵も見えません。
 国会では、「批判のための批判」「反対のための反対」を繰り返し、裏では全国組織を挙げての「スパイ活動」に血道を上げ、そうして集めた情報を、検察や一部メディアにリークしては、政府の足を引っ張るだけ、もはや「政局」最優先です。
 思い返せば、自民党が大敗した09年の総選挙で彼らは、それこそ政策もろくに訴えず、ただ民主党や労働組合への誹謗・中傷・怪文書攻撃を繰り返し、逆に反感を買いました。
 最近少し政党支持率が上がったという世論調査もあるようですが、「政局」最優先の「スパイ政党」を支持するほど、日本は愚かな人ばかりではないと思います。

「国民のため」の政治の「再生」を

2009年09月16日 | 国会・政党・選挙
■ 「悲鳴」

 16日に召集された特別国会で、麻生内閣が退陣、鳩山由紀夫氏が衆参両院で首班指名を受けました。
 これで正式に政権が交代し、自民党は野党になりました。
 その前日、自民党は「党再生会議」を開き、先の総選挙で落選した候補もまじえて、議論を行いました。
 しかし、そこで語られたのは、党の「再生」に向けた議論ではなく、「悲鳴」でした。

 「物心両面での配慮をしてほしい」(静岡5区・斉藤斗志二氏)

 「生活がどうなるのか不安がある。党はポスターや冊子をたくさんくれるが、そんなのはいらない。現金でいただきたい」(東京14区・松島みどり氏)

 「何か仕事が欲しい」(岡山2区・萩原誠司氏)

■ 「泣き言」

 「生活が不安だ」「金がない」「仕事が欲しい」
 こうした「悲鳴」は、今まで「痛み」の政治に苦しめられてきた国民から発せられていた声だったはずです。
 彼ら自民党は、こうした国民の悲痛な叫びに、一体どう応えてきたでしょうか。

 「改革」だと言っては、社会保障の削減を続けて国民に「痛み」を押し付け、何とか社会保障の拡充を求める国民の声に対し、「何かしてもらうことより、何ができるか考えろ」と言っていたのは、自民党でした。
 「国際競争力」や「成長」を振りかざしては、低賃金で不安定な非正規雇用を増やし、「格差」を拡大させながら、痛めつけられてきた人々に対して「自己責任」論を振りかざしてきたのも、自民党でした。
 彼ら自民党は、こうした国民に目を向けようとせず、また声を聞こうともしませんでした。
 そのような人々が、自分たちが落選した途端、「自分が第一」という本性を剥き出しにして、「金をくれ」「仕事をくれ」と言うのですから、「泣き言」としか思えません。

■ 「チャンス」

 しかし、こうした落選した候補は、あるチャンスを得ました。
 それは、自分たちが行ってきた政治が、いかにひどいものだったかを身をもって体験できるというチャンスです。
 現役世代の落選者は大勢います。ハローワークに行けば、再就職がいかに困難なものかが分かるでしょう。「雇用不安」「生活不安」「将来不安」が社会全体を覆っている現状をよく知ることもできるでしょう。
 彼らが今まで目を向けてこなかった光景も見えてくるでしょうし、今まで聞こうとしなかった声も聞こえてくることでしょう。
 これまでの自民党政治を真摯に反省し、「国民のため」にいま何が必要かということを考え直すには、この上ないチャンスです。

■ 「国民のため」

 日本国憲法前文では、「国政」の「福利」は「国民が享受する」と書かれています。
 つまり政治は「国民のため」にあるべきだということであり、それは「人類普遍の原理」であると書かれています。
 今回、政権を獲得した民主党もまた、今の勝ちに驕り、「国民のため」の政治を忘れるようなことがあれば、この先、いつ彼らの二の舞を演じてもおかしくありません。

 民主・社民・国民新3党による新政権がスタートしましたが、同時に自民・公明両党も久々に野党としての新たなスタートラインに立ちました。
 その他の政党も含め、それぞれが心新たに「国民のため」の政治を追求すれば、この国の政治そのものが「再生」できるでしょうし、ぜひそうあってほしいと願います。

のぼせ上がるな!民主党

2009年09月11日 | 国会・政党・選挙
■ 目前に迫る「新政権」

 「新政権」の発足が近づいています。
 私もこの「新政権」に期待していた一人ですが、ここ最近の民主党を見ていると、再びその期待が薄れ、次第に不安へと変わっていきます。

 例えば、選挙後10日間をかけて決着した連立政権協議を挙げましょう。基地問題や日米地位協定の問題では、社民党との「違い」「隔たり」が報じられ、新聞各社が「安保で社民に大幅譲歩」(産経)、「はや不協和音」(読売)、「社民党の粘り勝ち」(毎日)などと報じました。
 しかし、実際に盛り込まれたのは民主党が掲げたマニフェストの内容、そのものだったのです。

■ 浮かれる民主党執行部
 
 もし、社民党が自分たちのマニフェストの内容を押し通そうとしたのであれば、「大幅譲歩」「粘り勝ち」だったのでしょうが、民主党が国民に対する約束を早くも忘れ、社民党と揉めたというのですから、これほど馬鹿馬鹿しい話もありません。
 まして、今月下旬に予定されているオバマ大統領との会談の前に「縛られたくない」などという姿勢だったのですから尚更です。
 国民との約束も忘れて、米国の大統領との会談に浮かれるなど、ブッシュ前大統領に向かって「ラブ・ミー・テンダー」を歌っていた小泉純一郎元首相のような愚かさです。それとも鳩山由紀夫「首相」や岡田克也「外相」は、小泉氏のように「キャッチボール」でもしてもらいたいのでしょうか。
 明らかに浮かれすぎです。

■ 浮かれる民主党議員
 
 さて、浮かれているのは執行部だけではないようです。
 読売新聞は「来年の参院選で単独過半数を取ったら、社民党とは関係をぶった切ってやる」という民主党の「中堅議員」の声を報じていますが、社民党や国民新党に選挙協力を求め、選挙前に共通政策の作成を求め、連立入りを求めたのは全て民主党の側です。
 そして社民党が求めて盛り込まれたのは、前述の通り民主党のマニフェストの中身です。
 こうした事実を踏まえるならば、この「中堅議員」の主張ほど、的外れで愚かなものはありません。

■ のぼせ上がる民主党議員
 
 また同記事では、「街頭演説をしていたら、支持者から『私たちは民主党に投票したんであって、社民党に入れたわけではない。なぜ社民党のわがままを許すのか』と怒られた。やっていられない」という、「ある民主党議員」のコメントも載っていましたが、こうした声に対して、前述のような経緯をまともに説明もできないような議員が「やっていられない」と言うのなら、「やらなければいい」と議員辞職さえ勧めたくなります。
 彼らは選挙に勝ったことで、「白紙委任状」でも得たという錯覚でも起こしているのでしょうか。
 本当に、のぼせ上がるのもいい加減にしてほしいものです。

■ 「醜さ」きわまる「猟官運動」
 
 さらには、いま民主党内の「猟官運動」や「ポスト争い」がヒートアップしています。
 民主党の幹部や党内の「派閥」の長らに対して、「私を大臣にして下さい。」「私にも役職を。」と言い出す民主党議員が後を絶たない、というわけです。
 政権を取り、与党となったからには、地元の支援者らから「ポスト」への期待があるのは分かりますが、ここまで来ると「愚かさ」よりも「醜さ」を感じます。
 まして、こうした「猟官運動」「ポスト争い」が、選挙期間中から続けられてきたことに対しては、「国民の生活が第一」どころか「我が身の欲が第一」ではないか、と「憤り」さえおぼえます。

■ 連立相手「軽視」は自民党以下
 
 今回の選挙に勝った民主党ですが、もし今のように、浮かれて、のぼせ上がり、我が身の栄達にばかり目を奪われるような状態が続けば、4年前の自民党と同じです。
 また、「連立のパートナー」を「軽視」しているという点においても、自民党と変わりありません。
 いや、むしろ「参院選で単独過半数を取ったら、社民党とは関係をぶった切ってやる」と言うような議員がいるようでは、「自民党以下だ」と言っても過言ではないでしょう。
 このような民主党の頭を冷やすのも、「連立のパートナー」の仕事です。
 私が当事者であれば、社民党と国民新党が結束して、いくつかの選挙区で「反自公・反民主」の候補を擁立し、民主党の単独過半数を阻止するということも考えるでしょう。一見、裏切りと取られるかもしれませんが、「連立」前から「連立解消」の話を持ち出した時点で、民主党が彼らを裏切っているのです。

■ 民主党の「勘違い」が招く「四面楚歌」

 そこまで行かなくとも、今のように「白紙委任状」を得たという「錯覚」を起こしている民主党では、国民が民主党に対して「裏切られた」という思いを持つでしょう。
 何しろ、選挙後わずか数日で、「基地」「日米地位協定」に関するマニフェストさえ、反故にしようとしたほどの政党です。国民が重視した「生活」の分野も、どうなるか分かったものではありません。
 今回の選挙結果にのぼせ上がるあまり、野党となる自民党や公明党、共産党などはもちろん、連立相手である社民党や国民新党を敵に回し、そして何より、国民との約束まで裏切ろうとするほどの「勘違い」を起こしている民主党が、その「四面楚歌」の中、参院選で「単独過半数」を得られるほどの勝利を得られると本気で思っているのでしょうか。
 それこそ大いなる「勘違い」です。
 
■ 「スタート」に向けて頭を冷やせ
 
 16日、ついに「政権交代」が実現し、そこから民主党中心の「新政権」が発足します。
 しかし、その「新政権」に対して、私は発足前から既に「半信半疑」です。
 私たち国民が望んだ「新政権」の「船出」を、心の底から喜べるよう、民主党の皆さんにはもう一度、頭を冷やし、気を引き締め直して国政に当たってもらいたいものです。 

 選挙は「ゴール」ではなく、あくまで新たな政治を行なうための「スタート」なのですから。

新政権への期待

2009年08月31日 | 国会・政党・選挙
 総選挙が終わり、新たな連立政権づくりに向けた準備が進められています。
 新政権の枠組みとなる民主・社民・国民新の3党は、選挙公示前の8月14日、「衆議院選挙に当たっての共通政策」を既に取りまとめていますので、これが新政権の政策の土台となるのでしょう。
 そこには、「痛み」の政治だった小泉改革路線を改め、家計支援・可処分所得と消費の拡大、社会保障・雇用制度の信頼回復、中小企業や農業など地域経済基盤の強化、地球温暖化対策産業の支援などにより、内需主導型経済への転換を図り、国民生活の立て直しを図っていくことなどが書かれています。
 さらに、そこには次の一文もあります。

 もとより3党は、唯一の被爆国として日本国憲法の「平和主義」をはじめ「国民主権」「基本的人権の尊重」の三原則の遵守を確認する。
 
 日本国憲法の三原則の遵守を確認する与党が誕生したことを、心から歓迎します。
 個別の政策には不安や異論のあるものもありますが、新政権を担う3党が確認したこの基本理念は強く支持します。
 ぜひ貫き通して頂きたいと思います。

「政策不在」の「政策選択」

2009年07月25日 | 国会・政党・選挙
■ 「政権選択」より「政策選択」

 麻生首相は25日、仙台での自民党の会合に出席し、次の総選挙について「政権選択ではなく、政策を選択してもらわなければならない」と語ったそうです。
 その点については私も、珍しく麻生首相と意見が一致します。
 衆議院が解散されて以来、もう総選挙に突入したかのように、街頭がにぎやかですが、聞こえてくるのは、候補予定者の名前の「連呼」ばかりで、「政策」はほとんど聞こえてきません。
 それもそのはず、現時点でマニフェストの原案などを公表している政党は、解散前に公表した社民党、解散直後に出した国民新党、民主党だけで、その他の政党は未発表です。
 つまり、麻生総裁が率いる自民党も、また連立を組む公明党もマニフェストを明らかにしていないのです。

■ 悲惨な自民党

 特に自民党は悲惨です。
 今回「政権選択より政策選択」と言った麻生首相は、昨年から「政局より政策」と訴え、「政策」重視を打ち出しては、その「政権担当能力」をアピールしてきたはずです。
 ところが、解散直前まで続いた「麻生降ろし」という内紛と、その余波を引きずり党としての「政策」の一本化すら出来ない状況にあります。
 総選挙後も、政権を担当しようというのなら、それだけの「政策」を一刻も早くまとめ上げ、有権者に理解を求めるのが当然なのに、その目途も立っていないのです。
 このような「政策不在」の政党に、誰が本気で「政権担当能力」があると思うでしょうか。

■ 危なっかしい民主党

 一方、民主党も危なっかしくて見ていられません。
 マニフェストの原案は発表されたものの、その「政策」を訴えている候補予定者は皆無です。
 代表が小沢氏から鳩山氏に代わった途端、これまでの民主党の姿勢を支持してきた人々を裏切るような、「政策」の「ぶれ」が目立つというのもその一因でしょう。
 麻生首相と大差ない鳩山代表の「ぶれ」は、案の定、国民の不信を買い始め、与党や一部メディアの格好の攻撃材料となっています。
 「攻撃」するならまだ良いほうで、民主党の「勝ち馬」に乗ろうとするあまり、自民党の方針にすり寄ることさえ「現実路線」と賞賛するメディアも出てくる始末で、それでまた増長しているのですから、情けない限りです。

■ 早くマニフェストを明らかにせよ

 個々の「政策」については、その他の各党のマニフェストが出揃ってから論じることにしたいと思いますが、そのためにも社民・国民新・民主以外の各党は、一刻も早くマニフェストを出してほしいものです。
 もっとも、これまで述べてきたように一貫性の欠片もない二大政党の「政策」をどこまで信用して良いのかも疑問ですが、「政策」も持たずに、ただ名前を連呼しなければならない候補予定者も哀れですし、何より「政策不在」、「判断材料」が隠されたままでは有権者が不幸です。
 どの党も国民の支持を得たいと思うならば、他党に真似されるほど国民のためになる「政策」を打ち出し、支持を訴えるべきであり、そうしなければ、厚い雲のように日本を覆っている閉塞感を打ち払うことなど、できないのではないでしょうか。

「海賊対処法」による「逆戻り」を許さない

2009年06月19日 | 国会・政党・選挙
■ 「海賊対処法」が変える戦後史

 19日、「海賊対処法」が衆議院での再可決により、成立しました。
 この日は、日本国民として決して忘れてはならない日だと思います。
 終戦からおよそ64年、また自衛隊発足からおよそ55年、これまで日本は、他国の人々を武力で攻撃するということはありませんでした。
 しかしこの日本の戦後史や自衛隊の歴史は、今回成立した「海賊対処法」によって、大きく変わるかもしれないのです。

■ いつでも、どこでも可能な「人殺し」

 この法律に基づいて派遣される部隊が、どういう場合に武器を使用するかについては、「当該船舶の進行を停止させるために他に手段がないと信ずるに足りる相当な理由のあるときには、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において」という、非常に曖昧で抽象的な基準しか設けていません。
 しかも、これだけ「武器使用基準」を緩めておきながら、誤って漁船などを殺傷した場合における特別な罰則もありません。
 また、「海賊対処法」には、自衛隊派遣にあたって、期間の定めも、地域の定めもありません。「国権の最高機関」であるはずの国会の同意も必要ありません。
 総理大臣と防衛大臣が言えば、いつでも、どこでも自衛隊を海外に派遣し、人々を殺させることができる、というわけです。

■ 「武力で他国の人々を殺す国家」への逆戻り

 もちろん、政府は初めから「殺す気」にあふれています。
 既に派遣されている「護衛艦(駆逐艦)」には、しっかりと死体を安置する場所が設けられているのです。
 この法律を放置しておけば、日本は「戦争放棄」の国から、再び「武力で他国の人々を殺す国家」に逆戻りすることでしょう。これが冒頭に申し上げた「大きく変わる」ということです。
 2009年6月19日という日を、戦後がまた「新たな戦前」に近づいた日として、私は絶対に忘れることはないでしょう。
 
■ 「新たな戦前」「新たな戦中」を食い止めるために

 しかし、落ち込んでばかりはいられません。この流れを変える方法は確かにあります。
 その方法とは、第一に、総選挙で今の与党を、政権の座から引きずり下ろすことです。元々、この「海賊対処法」を強行した与党の議員は、「自衛隊海外派遣」に自分たちの関与や判断を放棄するような人々ですから、国会にいてもらう必要は全くありません。
 第二に、「海賊対処法」に反対してきた今の野党にその反対姿勢を貫かせることです。そして総選挙後の新政権で、この「海賊対処法」の「廃止法」を成立させるのです。
 逆に、そうしなければ日本は、「新たな戦前」どころか、「新たな戦中」にさえ突き進みかねません。
 将来の世代のためにも今、このような逆戻りを絶対に許さないという決意を、多くの皆さんと共有していきたいと思います。

2009年06月18日 | 国会・政党・選挙
■ 「悲しいニュース」を止められなかった「対策」

 悲しいニュースが後を絶ちません。
 広島市で生活保護を受けていた41歳の男性が、自宅のマンションで3人の子どもたちと心中したという記事が、先日の新聞にありました。一緒に亡くなった子どもたちは、まだ保育園児でした。
 同じ年代の子どもたちを持つ一人の親として、胸が痛んでなりません。

 この家族は、既に「定額給付金」は受給できたはずです。
 また「子育て応援特別手当」も受給できたはずです。
 恐らく、合計で14万4千円の「臨時収入」を受け取ったことでしょう。
 しかし、「定額給付金」や「子育て応援特別手当」のような、たった一度だけの「対策」では、この家族は明日に命をつなぐだけの希望を見出すことができなかったのです。

■ 「生活対策」を先送り、「景気対策」から「無駄遣い」へ

 思えば、麻生首相は昨年秋の「世界同時不況」を受けて一度は、「生活対策」を掲げようとしましたが、すぐに「生活対策より景気対策」と言い換えました。さらに、直ちに手を打つべきだった「対策」を、昨年の臨時国会から今国会に「先送り」しました。
 以後、本予算・補正予算とも、「生活対策」は一度限り、あるいは1~3年程度の時限措置という「その場しのぎ」で、大企業や特定産業にばかり奉仕する中身となっています。
 いま関連法案が審議されている今年度の補正予算案も、悪名高い「アニメの殿堂」は言うに及ばす、突然予算を付けられた省庁が使い道に困って、保有する車を買い換えたり、高額のテレビを買い換えたり、省庁の施設の修繕を行うことにしたりと、「無駄遣い」に走る有様です。
 そのようなお金があるのならば…

■ 「社会保障」のさらなる「切り下げ」

 「失われた命」を元に戻すことはできません。あの家族もそうです。
 だからこそ、そこから何かを学び取り、その教訓を次に活かす努力を行うことは、残された者の使命だと思います。
 いま必要なのは「生活対策」です。
 もっと言えば、これまで政府が、人為的・構造的に作り出してきた「貧困」をなくすための、生活の「底上げ」です。
 「所得再分配」の機能強化を図り、その財源を元に、生活保護だけでなく医療・介護・年金などの社会保障制度を拡充して格差是正を図ることこそ、政治の使命です。
 しかし、あの家族の亡骸が発見された日、政府は来年度予算編成の指針となる「骨太の方針2009」の原案を決定しました。
 そこには、社会保障費の増加を毎年2200億円抑制する方針の継続が、盛り込まれていました。
 自然増の抑制ですから、さらに制度を切り下げなければ、このような抑制を続けることはできません。
 あの家族も、こうした社会保障制度の改悪という「政治災害」の被害者だったのかもしれません。

■ 「総選挙」最大の争点は「命」

 さて、翌17日、国会では党首討論が開かれ、民主党の鳩山代表が「人の命を大事にする」と訴えました。
 さらに18日には、以前から「命を大切にする政治」を掲げてきた社民党が、その民主党と総選挙後の連立協議に入る方針を決めました。
 自民党との違いが見出せず、ふらついてきた民主党が「命」を語るだけでは、心もとない「抽象論」かもしれません。
 しかし、もし社民党との協議が実れば、そこに平和・暮らし・命を重視する「社会民主主義」という「背骨」が通ります。
 次の総選挙は、あまりにも人命を軽んじてきた自民党政治を終わらせ、本当に国民一人一人の命を大切にする政治へと転換する好機なのかもしれません。
 この選挙の最大の争点は、「命」なのではないかと思います。
 それこそ、野党の皆さんには「命がけ」で臨んで頂きたいと思います。

国会会期の大幅延長は「無能」の証し

2009年06月02日 | 国会・政党・選挙
■ 「だらだら国会」

 麻生内閣は今国会の会期の55日間延長することを決め、2日の衆議院本会議で正式に決まりました。
 さて、今国会が召集されたのは1月5日でした。「早急な経済危機への対応が必要」ということで年明け早々の開会となりました。
 しかしそれから約5ヶ月間、彼らは一体何をしていたのだろうか、と思いたくなる数字があります。
 麻生内閣は、今国会に67本の法案を提出しました。現時点で成立したのはこの約57%にあたる38本に過ぎず、残る29本が「審議中」です。
 これでは会期を延長しなければならないのも分かりますが、150日間という会期の中で通すことができたのが38本とは極めてお粗末な国会運営であり、これでは「だらだら国会」と言わざるを得ません。

■ 与党による「審議引き延ばし」

 政府・与党の中には、「ねじれ国会だから国会が動かない」「野党が審議を引き延ばす」などと言い繕う人々もいるかもしれませんが、今回はそのような「言い訳」も通りません。
 現在「審議中」の29法案の中で、与党優位の衆議院での「審議中」が21本、野党優位の参議院での「審議中」はわずか8本しかないのです。
 これでは、逆に「審議を引き延ばしているのは与党だ」と言われても仕方のないところでしょう。
 今回の会期延長は、通常国会の会期150日間を、まともに計画もなく「だらだら」と過ごしてきた、麻生内閣と与党の「無能」の証しと言えるでしょう。

■ 「船長室でワイン」

 さて、麻生内閣・与党の連携による「引き延ばし」策は、「衆議院の解散・総選挙」の時機を見計らっている、ということは言うまでもありません。つまり、自民党と公明党が有利になる時機まで解散を「先送り」するため、55日間も「だらだら国会」を延長しようというわけです。
 こうした麻生内閣の姿には与党内からも冷ややかな声が出ています。ある「自民党の三役経験者」による言葉が、2日付の朝刊(共同通信配信記事)に掲載されていました。

 「タイタニック号が沈没寸前なのに、何も手を施さずに最後まで船長室でワインを飲んでいたいということだろう」

 実に麻生首相に相応しい、的確な例えだと思います。しかし感心してばかりもいられません。何もせず「船長室でワイン」を飲んでいるような「無能」な「船長」など、誰にとっても「迷惑」以外の何者でもないのですから。 

■ 「沈没」の危機

 先日発表された総務省の統計によれば、4月時点の就業者数は一年前と比べて107万人の減少、完全失業率は5年5ヶ月ぶりに5%台に達しています。
 また、生活保護に頼らざるを得ない人々が急増し、自殺者数も過去最悪ペースで増え続けています。
 正に国民の暮らしは「沈没」の危機に瀕していると言わざるを得ません。

 このような状況下でもなお、何もしないばかりか、「船長室でワイン」を手放そうとしない「無能」な「船長」がいれば、直ちに「船」から引きずり降ろした方が「世のため人のため」というものでしょう。

 もっとも「タイタニック号」という言葉が自民党を指すのであれば、「船長」もろとも沈んで頂いた方が良いのかもしれません。麻生首相を「船長」に選んだ「任命責任」は自民党にあるのですから。

「二大政党」よ、その見苦しい政治姿勢を改めよ

2009年05月11日 | 国会・政党・選挙
 民主党の小沢一郎代表が11日、代表辞任を表明しました。
 民主党内でも、次期総選挙を「小沢代表では闘えない」という声が高まり、小沢氏は「挙党一致をより堅固に」するため、身を引くというのです。
 民主党議員は困惑しながらも内心ホッとしているようですが、私はこのような民主党に強い違和感をおぼえます。

■ 「泣き言」「無節操」「権力闘争」

 そもそも「小沢代表では闘えない」という言葉など、候補者たちの「泣き言」に過ぎません。
 少なくとも小沢氏の秘書が逮捕されるまで、自分の選挙区に小沢氏が来るといえば大喜びしていた人々が、今さら何を言っているのでしょうか。
 投票用紙に「小沢」と書くのは1選挙区の話であり、他の299選挙区で書いてもらうのは、あくまで自分の名前です。
 「小沢氏は嫌いだが、あなたには期待する」と言われるだけの人物になれば良いだけの話です。
 さらに、自分たちが選んだ代表に「NO」を突き付けるのであれば、それなりの場できちんと行うべきです。
 小沢氏の秘書逮捕から3週間後に開かれた緊急幹部会で、小沢氏が代表続投を表明したときは誰も反対せず、その後の両院議員による会合でも異論を唱えたのはわずか1人だけでした。
 幹部会、両院議員会の場で、ほぼ「挙党一致」で「続投」支持だった人々が、舌の根も乾かぬうちに声高に辞任を求めるなど、その「無節操」さにあきれるばかりです。
 まして、かつての「偽メール問題」で失脚した前原氏や野田氏らのグループの復権を狙った「権力闘争」の見苦しさには、吐き気さえおぼえます。

■ 民主党と自民党

 思えば、長く似たようなことをやってきた政党がありました。
 自民党です。
 最近だけを見ても、07年9月に福田康夫氏を総裁に担ぎ出しておきながら、すぐに「福田では闘えない」と「泣き言」をこぼし、福田政権の「投げ出し」を誘って、今度は福田氏に敗れた麻生太郎氏を担ぎ出し、つい先日まで「麻生では闘えない」として「麻生おろし」の大合唱でした。かと思えば、小沢氏の問題が起きた途端、その大合唱はピタリと止まるという「無節操」ぶりです。
 その間も、福田氏の前に政権を投げ出した安倍晋三氏がその復権を狙って活動したり、その前の小泉純一郎氏に近い人々が小泉氏の復活を模索したり、小池百合子氏らを担ぎ出そうとしたりと、慌ただしい「権力闘争」に明け暮れてきました。
 「権力」に近づいた民主党が、このような自民党に似てきたことを、つくづく実感させられます。

■ 「五十歩百歩」

 「選挙目当ての寄り合い所帯」「選挙互助会」という表現がある民主党も所詮、自民党同様、「国民」よりも「自分の権力」志向が優先される人々の集団なのでしょう。
 このような「二大政党」が多数を占めているからこそ、国民の「政治不信」や「政治離れ」が進んでいる、と言われるのではないでしょうか。
 思えば、麻生政権が発足した直後、読売新聞社と早稲田大学が共同で行った世論調査(10月4~5日)の結果の中には、次の結果がありました。

 これまでの、「自民党に満足」20%、「民主党に満足」17%
 これからの、「自民党に不安」82%、「民主党に不安」75%

 正に「五十歩百歩」です。
 この「二大政党」の内からどちらかを選べ、というのは国民にとって、あまりにも「酷」な話です。

■ 「自分」より「権力」より「国民」を見よ

 日本国憲法の前文には、こうあります。
 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」

 8割前後の国民が「不安」を感じる「二大政党」に、「国民の厳粛な信託」はあるでしょうか。
 「自分たちの権力」ばかりを志向する「二大政党」に、「(国政の)権威が国民に由来し」という意識はあるでしょうか。
 「政治を金で買う」問題ばかりを引き起こし、一部のお金持ちや大企業の利益ばかりを優先させていると言われる「二大政党」に、「(国政の)福利は国民がこれを享受する」という意識はあるのでしょうか。

 前文は、「これは人類普遍の原理」だと説いています。
 この「二大政党」に対し、この「人類普遍の原理」を読み直し、「その見苦しい政治姿勢を改めよ」、そして「国民を見よ」と求めるのは、「酷」なことなのでしょうか。