恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

つながる「命への祈り」

2009年12月02日 | 叫び
■ 「つながり」の中で

 先日、心臓移植手術を必要としている6歳の女の子、池田悠里ちゃんを支援する「ゆうりちゃんを救う会」について書かせて頂きました。
 多くの方々がこのことを広げて下さいました。また、募金を振り込んで頂いたというご連絡が、今も届いています。
 私のような者のお願いにもかかわらず、多くの皆様に「命への祈り」を受け止めていただき、本当にありがとうございます。
 こうして私や支援者の方々の「命への祈り」が、広くつながっていく中で、私は多くのことを学ばせて頂きました。

■ 「さくちゃん」から「ゆうりちゃん」へ

 さて、その「ゆうりちゃんを救う会」のホームページに、「11月30日、『さくちゃんを救う会』様より800万円のご援助をいただきました。」との掲載がありました。
 さくちゃんは、ゆうりちゃんと同じ「拡張型心筋症」という病気を抱えていました。
 内科的治療はすぐに限界に達し、さくちゃんが生き続けるには、移植手術を受けなければなりませんでした。
 「さくちゃんを救う会」が結成され、目標以上の募金が集まりました。そして今年の春、渡航移植が実現しました。手術は成功でした。
 しかしその直後、容態は急変。さくちゃんは帰らぬ人となりました。生まれてから1年余り。あまりにも短すぎる人生でした。
 さくちゃんの命を祈った皆さんが今、ゆうりちゃんに「命への祈り」をつないで下さったのです。

■ つながる「祈り」

 「さくちゃんを救う会」以外にも、同じように難病に苦しむ方々を救うための「会」が多くありました。
 全ての会をご紹介することはできませんが、その方々の「命への祈り」は、さくちゃんにつながり、ゆうりちゃんに受け継がれたのです。
 さくちゃんのご両親は、さくちゃんが亡くなったことを知ったとき、さくちゃんを「ドナーにしたい」と思ったそうです。
 「愛おしいさくらの一部分が他の誰かのもとで幸せに生き続けてくれたら、と強く感じたからです。」というご両親のメッセージに、私は涙が止まりませんでした。
 この提供は実現しませんでしたが、その「命への祈り」は、しっかりと生き続け、今も強くつながっていると思いました。
 
■ 「理由」

 私は今も、あちこちで募金活動を続けています。
 そんなとき、「なぜ、そんなに一所懸命なのか」と聞かれます。「同情か」とも冷やかされます。「知り合いなのか」「誰かに頼まれたのか」とも聞かれます。
 前回お伝えしたように、「同年代の子を持つ親です」という「理由」をつけますが、本当は、ただその幼い「命への祈り」があるだけです。
 もちろん「同情」と「祈り」は違います。「知り合い」でもありませんし、誰かに頼まれたこともありません。
 内心、それほど「理由」にこだわるという「理由」が分かりませんでした。

 しかし今は違います。私には多くの「理由」があります。
 私の呼び掛けに応えて下さった方々、広げて下さった方々のお気持ちに、お応えしなければなりません。
 「命への祈り」がつながっていくことを教えて頂いた、ゆうりちゃん、さくちゃん、そのご家族や支援者の皆様に「ご恩返し」をしなければなりません。
 ゆうりちゃんが、さくちゃんをはじめ、それ以前の、もっと多くの「命への祈り」を背負っているのですから、なおのことです。
 この「命への祈り」を、多くの皆さんに共有して頂ければ幸いです。
 どうか宜しくお願い致します。


【ゆうりちゃんを救う会HP】


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