恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

「テロとの戦い」に加担する「戦争協力国家」を恥じる

2008年08月29日 | 外交・国際
■ 「遺志」

 アフガニスタンで住民への支援活動を続けてきたNGO「ペシャワール会」の伊藤和也さんの死亡が確認されたのは、今月27日のことでした。
 翌28日、福田首相はメールマガジンで「(紛争や貧困に苦しむ)地域や人たちに少しでも手を差しのべていくことが、伊藤さんの遺志にもこたえ、平和協力国家としての日本の役割でもあります」と述べました。この一文に関しては、私も同感です。
 しかし政府が、本当に「伊藤さんの遺志」に応えようとしているとは全く思えません。
 同じ日、町村官房長官は「尊い犠牲が出たが、テロとの戦いに積極的にコミットする重要性を多くの国民が感じたのではないか」と語りました。
 「テロとの戦い」は、7年前に米国と英国がアフガニスタンへの攻撃を開始して以来、米国が主導する戦争の看板として使われてきた言葉です。とりわけアフガニスタンやイラクでは、その名の下に、子どもたちや女性を含む多くの一般市民が殺されてきました。
 政府や与党は、際限なく繰り返されるこのような殺戮に加担し続けることが、「伊藤さんの遺志」にこたえることだと思っているのでしょうか。もしそうだとすれば、これほど愚かな誤解はありませんが、もちろん町村氏がそこまで愚かだとも思いません。

■ 「テロの根」「テロの芽」

 アフガニスタンでは、あれだけ叩きのめされたはずのタリバンが勢力を盛り返し、戦闘の激化と泥沼化が伝えられています。
 米国などが叫ぶ「テロとの戦い」は、テロを根絶するどころか、「飢餓」や「貧困」という根をはびこらせ、「憎悪」という養分を注ぎ、「狂気」という芽をふくらませ、新たなテロリストを育て続けてきたのです。
 例えば今回、伊藤さんを「我々が撃った」と供述している男性は24歳です。米国が戦争を始めた7年前は、17歳の少年でした。果たして彼はその以前から「テロリスト」だったのでしょうか。家族など周囲の人間を殺され、その憎悪によってテロ組織に身を投じていく人々の存在については、何度も報じられてきた通りです。
 今回の事件で示されたように、彼らの憎悪は、米国や英国の人々だけでなく全ての国々、全ての外国人に向けられています。こうした憎悪こそ、世界中にテロを拡散させた大きな要因ではなかったでしょうか。

■ テロ「根絶」の努力と「笑顔」

 伊藤さんや「ペシャワール会」をはじめ多くの団体こそ、本当にテロを根絶するために力を尽くしてきました。しかし、その「戦い」は決して武力によるものではなく、テロを生み出してきた飢餓や貧困、憎悪をなくそうという努力でした。
 さらに翌30日、朝日新聞が伊藤さんが現地で撮影した写真を公開しました。そこには、眩しいほどのアフガニスタンの子どもたちの笑顔がありました。
 伊藤さんたちの活動の成果だけでなく、現地の人々に心から受け入れられてきたからこそ、彼らは伊藤さんのカメラの前で笑顔を見せたに違いありません。
 「戦乱の十字路」と呼ばれるほど、他国からの干渉と侵略を受け続けてきたアフガニスタンの人々に、伊藤さんたちの活動は、正に国境や民族の垣根を越えた喜びや笑顔をもたらしたのです。

■ 「戦争協力国家」

 伊藤さんたちは、放って置けばテロ組織に身を投じるかもしれない人々に、その暮らしと心を豊かにすることで、テロの芽を摘もうとしたのです。テロの根を絶とうとしたのです。
 その伊藤さんが亡くなられたことが本当に悔やまれてなりませんし、この犯行に対して心から憤りを感じます。
 しかし、その憤りを利用して、戦争の首謀者である米国に協力し続けることが「平和協力国家」のすることでしょうか。「伊藤さんの遺志」にこたえることでしょうか。

 政府が、「尊い犠牲」と言いながらその死を利用し、まだ殺戮に加担する「戦争協力国家」であり続けようとするなら、それは「伊藤さんの遺志」にこたえるどころか、踏みにじる行為に他なりません。
 私は、そのような卑劣な詐術を用いる日本政府を心から恥ずかしく思いますし、そのような政府が、国民の意思を反映した存在だとは全く思いません。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

核拡散に物言えぬ「情けない国」

2008年08月19日 | 外交・国際
■ 「情けない国」日本

 「何という情けない国だろうか」

 今月下旬に開かれる「原子力供給国グループ(NSG)」の総会で、米国がインドに核関連技術を提供することに、日本政府が「反対しない」ことを決めたという報道を聞いたとき、私は本当に情けない思いがしました。

■ 「骨抜き」にされる核不拡散体制

 NSGは、核の拡散を防ぐために設置された枠組みであり、「核拡散防止条約(NPT)」に加盟していない国に原子力関連物資を輸出してはならないことになっています。
 このNSGが作られたきっかけは、1974年に行われたインドによる核実験でした。
 もちろん、インドは今も核拡散防止条約(NPT)の加盟国ではありません。
 そのインドに、世界一と言われる米国の核関連技術が供給されれば、それこそ国際的な核不拡散体制は「骨抜き」になることは明らかです。
 核の拡散がどのような恐怖と緊張をもたらすかは、2年前、北朝鮮の核実験に震撼した日本国民ならば、よく分かっているはずです。

■ 「核兵器廃絶への不断の努力」
 
 北朝鮮が核実験を行った2006年10月、日本の国会は全会一致で「抗議決議」を採択しました。
 衆議院で採択された決議には、次の一節がありました。

 「我が国が広島・長崎への原爆投下を経験した唯一の被爆国であることにかんがみ、あらゆる国の核実験に反対する」

 さらに、翌日採択された参議院の決議には、この後、次の一文が加えられました。

 「あらためて、核兵器廃絶への不断の努力を誓う」

 もちろん、この決議は全会一致で提出・採択されたものですから、核廃絶を強く訴えてきた社民党や共産党だけでなく、自民党や公明党など与党も賛同したのです。私も、核「不拡散」ではなく「廃絶」を願う一人として、この決議を歓迎しました。
 「国権の最高機関」である国会が、与野党を問わず「核兵器廃絶への不断の努力」を誓ってから2年も経たないというのに、明らかな「拡散」に、政府が反対しないというのはどういう了見でしょうか。

■ サミットでの「宣言」、被爆地での「誓い」

 確かに、その決議の後、安倍政権の崩壊と福田政権の発足という、政権のたらい回しはありました。
 しかし、その福田首相が今年7月に議長を務めた北海道洞爺湖サミットで、彼は「核不拡散」を確認したはずです。
 そのことを福田首相は、つい先日、広島と長崎で、「首脳宣言として初めて、核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器保有国に核兵器削減を求めました」と誇らしげに語り、こう語りました。

 「私は、ここ広島の地(長崎)で、(改めて)我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを、改めてお誓い申し上げます」

 この福田首相の「宣言」「誓い」は何だったのでしょうか。

■ 踏みにじられる「核廃絶」への願い

 34年前のNSG創設の経緯はともかく、福田氏も賛成した2年前の国会決議、議長を務めた40日ほど前のサミットでの成果、そしてわずか数日前に被爆地で語った誓い、これらは福田首相の「意思」だったはずです。

 そのような積み重ねさえ、米国から言われれば、あっさりと反故にしてしまう政府。そのことにさえ「他人事」を決め込む福田首相。
 原爆で命を奪われた40万人を超える犠牲者や、今も後遺症に苦しむ被爆者、そして私を含めたその子孫など多くの人々の核廃絶への願いが、この国の政府や首相にさえ踏みにじられようとしているのです。
 これを「情けない」と言わずして、何と言うのでしょうか。

■ 「情けない国」を変えるために

 これを変えるには、「国権の最高機関」である国会を変えなければなりません。
 繰り返しになりますが、2年前の決議は、全ての会派・全ての議員が賛成しています。一つ一つの政党、一人一人の議員に、「この国会決議を誠実に守れ」という言葉を突きつけていくことが肝要だと思います。

 この「情けない国」に喝を入れ、変えることができるのは本来、米国などではなく、主権者である私たち日本国民だけなのですから。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「核も戦争もない未来」への誓い

2008年08月06日 | 叫び
 63回目の「原爆の日」を迎えました。
 今年も、平和記念式典での、こども代表平和への誓いが、私の胸を打ちました。
 これを読み上げてくれたのは、小学校6年生のお二人でした。

 原爆は、一瞬で多くの尊い命を奪っただけでなく、生き残った人々をも苦しめ続けました。
 ある人は突然病に倒れ、ある人は、あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざし、ある人は「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しんできた、その姿を彼らは見聞きし、知っているのです。
 彼らはこう続けました。

「でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。
 平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。
 今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに『ありがとう』と心の底から言いたいです。」


 この言葉は、痛いほど私の心に響きました。
 私の祖父は、広島の原爆投下から3日後、長崎で被爆、即死しました。まだ28歳でした。
 爆心地から至近だったため、「生き抜く」ことはできませんでしたが、彼は娘を残しました。あの佐々木禎子さんと同じ年の娘でした。
 そしてその娘はやがて大人になり、結婚し、私を生んでくれたのです。
 私まで命が続いてくれたこと、そして私も数年前に父親となり、命を続けることができたことに、「ありがとう」と心の底から言いたいと思います。

 もちろん、私たちの生い立ちが特別だとは思いません。広島・長崎の原爆死没者名簿には約40万人が列せられます。その方々につながる皆さんは、何百万人にもなることでしょう。
 私は、その内のたった一人に過ぎません。

 しかし、同じ感謝の思いを抱く、広島の6年生のお二人は、こう語ってくれました。

「私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。
 私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。
 そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。」

 
 小学校に通う子どもさんたちが、このように誓いを述べられました。
 大人である私が何もしないわけには参りません。
 彼らの凛とした言葉に、私は勇気付けられた思いがします。

 彼らの前に秋葉市長が読み上げた、平和宣言は、こう結ばれていました。

「被爆63周年の平和記念式典に当たり、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささげ、長崎市と共に、また世界の市民と共に、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽し行動することをここに誓います。」

 私も、原爆犠牲者の子孫の一人として、そしてまた「世界の市民」の一人として、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽くし行動していきたいと思います。
 核も戦争もない未来を目ざして。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする