極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

今日は朝から雨。

2015年09月07日 | 日々草々

 

 

     
      
         
Still falls the Rain―
                   Dark as the world of man, black as our loss ―
                 Blind as the nineteen hundred and forty nails
                    Upon the Cross.

            まだ雨は降っている
                  
人間の世界のように暗く
                  われわれの損失のように黒く
                  十字架の上の
                 
千九百四十の釘のように盲目
                 に  

                                               イーディス・スィットウェル   『一九四〇年』

  

                 

 

 

  レインコートの裾ひろがへし行くひとの未来は遙けく明かるからんか   尾崎 左永子

  五反田に立つ古書市にまぎれ入り知る人のなき朝のすがしさ       篠  弘

    ロックバンド・イエスこのごとき白頭青年は舞ふ潟上の鬼        米川 千嘉子 

   猛禽の脚のようなるコスモスの根がひび割れし地に立ち上がる      角宮 悦子

  大粒の雨垂れ一秒ほどの間を置きて何かを打てるその快さ        高久 茂 

  ジュラ紀よりスイスに立てるジュラ山に蝶とりにゆく人と酌む酒     馬場 あき子    


         
                    『現代短歌』(2015年9月号)  


   檜皮香つ社の元で釘さしつ戯むる子らに蝉は時雨れぬ          高山 宇宙 


 

  

 ● 折々の読書 『火花』4 又吉直樹 著

お笑い芸人二人。奇想の天才である一方で人間味溢れる神谷は、笑いの真髄について議論しながら、
後輩徳永に、「俺の伝記を書け」と命令するシーンを今回はたどる。


  僕の所属している事務所は小さな会社だった。僕が子供
の頃からテレビに出ている有名な
 俳優が一人いて、あとは
舞台を中心に活動している俳優が散人いるだけで、芸人は僕達だけ
 だった。学生時代に素人の漫才大会に出場した
時、人のよさそうなおじさんに声をかけられ、
 それが今の
事務所の社長だった,一組だけだと優遇されると思っていたが、そもそも仕事の
 散が少なく、もっぱら地方営業と小
さな小屋でのライブがほとんどだった。

  ずっと、僕は先輩が欲しかった。様々な事務所の若手芸人が集うライブの楽屋などで、先
 輩と後輩という関係性を
持つ芸人同士の楽しげな会話が羨ましかった。僕達には楽屋での
 居場所がなく、いつも廊下の隅や便所の前で目立た
ないように息を潜めていた。
  店員がラストオーダーを告げに来ると、「お姉さん、すまんけど、後一杯ずつだけいい?」
 と神谷さんが言った。


 「いいですよ、観光ですか?」と店員に質問された神谷さ
んが、背筋を伸ばして「土地の神
 です」と意味のわからな
いことを誇らしげに答えると、店員さんが声を出して笑った。

 「お前は本を読むか?」

 「あまり読まないです」

  神谷さんは眼を見開き、そう答えた僕のTシャツのデザ
インを凝視してから、僕の顔に視
 線を移し、深く頷いて
「読めよ」と旨った。
  花火大会が終わったのだろう、店の戸を開けて店内を覗く人が何人もいて、その度に店員
 が今日はもう閉めるのだ
と断った。

 「こんな日なんて、何時までも開けといたら儲かんのにな」

  神谷さんはそう言ったが、店の奥で人の出入りがあったのでおそらく地元の住人達による
 打ち上げ
会場にでもなるのだろう。
 「俺の伝記を書くには、文章を書けんとあかんから本は読んだ方がいいな」
  神谷さんは本気で僕に伝記を書かせようと思っているのかもしれない。
  僕は本を積極的に読む習慣がなかったが、無性に読みたくなった。神谷さんは早くも僕に
 対して強
い影響力を持っていた。この人に褒められたい、この人には嫌われたくない、そう
 思わせる何かがあ
った。

  神谷さんは、コロッケを箸でつつきながら「俺は本好きなんやで」と嬉しそうに言った。
  小学生の頃、図書の時間に他の同級生達が「動物図鑑」や「はだしのゲン」の取り合いを
 している中、神谷さんは偉人と呼ばれる人達の人生が綴られた伝記を貪り読んでいたらしい。
  「絵はな、表紙とな途中に少しだけやったんちやうかな。あとは全部活字」
  神谷さんは、活字が多い本だったことを強調したいようだった。

  「新渡稲造が何者か知ってるか?」
  「五千円札の人ですよね?」
  「そうや、あの人も色々やった人やねんで。そんなんも書いてたわ」
  「そうなんですね。伺をした人なんですか?]
  「忘れたけど、読んだ時は感心したん覚えてるわ」

  神谷さんはいかに伝記が面白いか熱弁を振るった。神谷さんの言葉によると偉人が成し遂
 げたことは文章上でも凄いとわかるのだが、その人となりは大概が阿呆であるらしく、自分
 の伝記があれば皆が驚くと幼き頃に思ったらしい。
  神谷さんは、「お前は喋りは達者ではないけど、静かに観察する眼を持ってるから伝記を
 執筆する人間に向いてい
るはずや」と言ってくれたが、僕の夢は漫才師として食べて行くこ
 とだった,それを仲谷さんに伝えると、「当たり
前のことを言うな」と一笑に付された。僕
 は、その当たり
前という辺りの有意を尋ねた。

 「漫才師である以上、面白い漫才をすることが絶対的な使命であることは当然であって、あ
 らゆる日常の行動は全て、
漫才のためにあんねん。だから、お前の行動の全ては既に漫才の
 一部やねん,漫才は面白いことを想像できる人のも
のではなく、偽りのない純正の人間の姿
 を晒すもんやね
ん。つまりは賢い、には出来ひんくて、本物の阿呆と自分は真っ当であると
 信じている阿呆によってのみ実現できる
もんやねん」

  神谷さんは目に落ちかかる前髪を、時折指で払った。
 「つまりな、欲望に対してまっすぐに全力で生きなあかんねん。漫才師とはこうあるべきや
 と語る者
は永遠に漫才師にはなられへん。長い時間をかけて漫才師に近づいて行く作業を
 しているだけであって、本物の漫才師にはなられへ
ん。憧れてるだけやな。本当の漫才師と
 いうのは、極端な
話、野菜を売ってても漫才師やねん」

  神谷さんは一言ずつ自分で確認するように話した。人前
で初めて語る話か、語り慣れた話
 かが、話す速度と表情で
わかった。

 「神谷さんの説明は漫才師を語っていることにならないんですか?」
  僕は少し前から疑問に思っていたことを口にした。この人になら間いてもいいと思ったの
 だ。
  しかし、「その発言が、もし揚げ足を取ろうとして言ったのであれば師匠として、どつき
 回したろうと思うんやけど」と言われたので、本当に知りたいのだと伝えた。神谷さんは腕
 組みをして、一度大きく頷いた。

  「漫才師とはこうあるべきやと語ることと、漫才師を語ることとは、全然違うねん。俺が
 してるのは漫
才師の話やねん」
 「はいI
 「準備したものを定刻に来て発表する人間も偉いけど、自分が漫才師であることに気づかず
 に生まれてきて大人しく
良質な野菜を売っている人間がいて、これがまず本物のボケやねん,
 ほんで、それに全部気づいている人間が一人で
舞台に上がって、僕の相方ね自分が漫才師や
 いうこと忘れ
て生まれて来ましてね、阿呆やからいまだに気づかんと野菜売ってまんねん。
 なに野菜売っとんねん。っていうのが
本物のツッコミやねん」

  神谷さんは言い終わると同時に焼酎を一気に呷り、グラ
スを空中に掲げると十、九、八、
 七、六と数え始めた。神
谷さんが、一を、「イーチ」と伸ばして言っている間に、店口が焼
 酎を持ってきて、神谷さんと僕の前に一杯ずつ置
いた。僕の眼の前には二杯のグラスが並ん
 だので、グラス
にロをつけると、神谷さんが「慌てんと呑みや」と微笑んだ。眼の前の人間
 が土地の神ではないにしろ、妖怪の類
に見えてきた,

 「でもあれやな」
 そう言ったあと、神谷さんはしばらく黙りこんだ,いつの間にか僕達の他には客がいなかっ
 た,代わりに奥の小上
がりに地元の人間が集まり始めていた。
 「そんなん、ほんまにやっても誰も笑わへんから、それくらいの本当の気持ちで、子供も大
 人も神様も笑わさなあか
んねん。歌舞伎とかもそうやんな」

  歌舞伎や能の起源は神に捧げられる行事であったと聞いたことがある。確かに誰にも届か
 ない小さな声で、聞く耳
を持つ者すらいない時、僕達は誰に対して漫才をするのだろう。現
 代の芸能は一体誰のために披露されるものなのだ
ろう。
 「伝記って、その人が死んでから出版するんですよね?]
 「お前、俺より長生き出来ると思うなよ」と神谷さんは鋭い眼で僕を睨んだ。
  どのようなテンションで、この言葉を発しているのだろ。「生前に前編を出版して、死後
 に中編を出版やな」と一変して今度は楽しそうに言う,

 「後編気になって、文句出ますよ」
 「そんくらいの方が、面白いやんけ」

  神谷さんは伝票を持つと席を逞った。

  帰り際に、「握力が強過ぎるゴリラ同士の握手みたいやったな」と言われた。僕は先輩と
 呑む初めての経験に緊張していたのだが、呻谷さんも同じだったのかもしれない。
 「ごちそうさまでした」と僕が言うと、神谷さんは「全然、全然」と眼を合わさず恥ずかし
 そうにして、「俺、こっちやから、またな」と言い残し、どこかに走って行った。
 「お前の言葉で、今日見たことが生きてるうちに書けよ」

 という神谷さんの言葉を思い出すと、胸の辺りに温もりが満ちて行く感覚があった。書くこ
 とが楽しみなのだろか。情熱を預ける対象が見つかったことが嬉しいのだろうか。宿に帰る
 途中でコンピニに寄り、いつもより少し高いボールペンとノートを買った。涼しい風の吹く
 海沿いの道を歩きながら、どこから書き始めるかを考えていた,見物客は宿に収まりきった
 のか、人影はまばらで波音が静かに聞こえていた。耳を澄ますと花火のような耳鳴りがして、
 次の電柱まで少しだけ走った,

                                       又吉直樹 著『火花』(文藝春秋)

 

● 今夜の三曲 

 

 

 

 

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