極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

最新非石英系レンズ工学

2015年09月19日 | ネオコンバーテック


 

 

 

   目に見えるものが、ほんとうのものとは限らない。 

                                                               村上 春樹

 

 

 

【最新非石英系レンズ工学: 新素材積層成形レンズ】 

徒労とはこう言うことなのかという経験をする。おおよそ10時間費やしても整理でき
ずにいる。ことの発端は、ニコンが石英ガラスと同等の光学特性を持ちつつ、削り出し
をせずに一度で好きな形を作れる、新素材のレンズを開発した。ガラス原料を常温で液
状化し積層によって成形する。従来はガラスの塊から切削や研磨をして形を整える必要
があった。加工コストを削減でき、石英ガラスを機械加工した場合に比べて価格を10
分の1にできる。16年4月からレンズの販売をはじめるという記事にある(ニコン、
積層方式で成形する形状自在の新素材レンズ開発-石英ガラスと同等の光学特性 日刊
工業新聞 2015.09.18)。

つまり、この新素材レンズは成形後の後加工なしで、切削・研磨によって加工した石英
ガラス
レンズと同等の透過性を持つ。製造装置も自社で開発した。レーザーの透過性に
優れ、UV-
LED(紫外線発光ダイオード)や自動車向けLEDといった、透過性と
耐熱性の両立が必要な用
途への展開を見込んでいる。積層方式で成形するため、これま
で削り出しではできなかった複
雑な形状の部品にも対応できる。従来の樹脂製レンズか
らの置き換えも狙う。

成形できるレンズの大きさは直径数ミリ―50ミリメートル程度で、加工精度はプラス
マイナス0・1ミリメートル。大きさや形状によって異なるが、価格は数百―数千円に
なる見通しだ。現状の生産能力は直径約10ミリメートルで年産1万個。受注状況によ
り順次、生産能力を引き上げるといものだが、このニュースに食いついた理由は、その
インパクトともさることながら、「時代は太陽道を渡る:日本の切り紙で 高効率太陽
電池」(『アドホックなキルケゴール』2015.09.17)で、スタスティクな高集光ソーラ
ーパネル開発の残件があったから。例えば、非ガラス系透明・半透明・半反射粒子の孔
径の2百ナノメートルの単層膜を、あるいは最適パターン膜を所要の部位に配置するこ
とで日照時間をオールラウンドで効率的に集光するというアイデアが動機として働いた。



早速、ネット上で下調べしたもののそれらしき特許をヒットするも、その素材をつかっ
た応用事例、例えば、非石英ガラス系レンズの成形法や量産方法に関する事例が極端に
少なく(これはある程度想像できるものの)、触媒工学の領域に属すものだか、もうこ
れは大変。上下図の「許5322438 光学材料用組成物、光学材料および眼鏡レンズ」を例
示すると、こうだ。


 表2に示される光学材料用組成物を60℃で混合、溶解させて触媒を添加した後に
 20℃まで冷却しても成分(B)が再結晶により析出しなくなるまで予備反応を行
 った。この溶液を所定のレンズ成形用ガラスモールド中に常温環境下(20℃)で
 注入し、20℃から35時間かけて100℃まで昇温、100℃で5時間硬化させ
 た後、ガラスモールドから硬化レンズを離型して120℃で30分間アニーリング
 を行い、レンズ基材を得た(レンズ基材)。


 上で得られたレンズ基材の上に、以下のようにして、プライマー組成物を塗布硬化
 して、プライマー層を形成した。ポリイソシアネートとして、ヘキサメチレンジイ
 ソシアネート(和光純薬工業株式会社製)120.6gをシクロヘキサノン718
 gに溶解させ、40℃で攪拌しながらジブチル錫ジラウレートを少量添加した。次
 にブタノンオキシムをIR検査でイソシアネート基の吸収ピークが無くなるまで少
 量ずつ添加した。さらに1,10-デカンジチオール(和光純薬工業株式会社製)
 148gおよびシリコーン系界面活性剤(日本ユニカー(株)製L7604)0.
 5gを添加し、充分に攪拌を行いプライマー組成物とした。このプライマー組成物
 を、レンズ基材上に浸漬法にて引き上げ速度20cm/minで塗布し、120℃
 で60分間加熱硬化処理し、膜厚約2.5μmのプライマー層を形成させた(プラ
 イマー層)。

                  -中略-

 表2に示される光学材料用組成物を20℃で混合、溶解させて触媒を添加した後に
 この溶液を所定のレンズ成形用ガラスモールド中に常温環境下(20℃)で注入し、
 20℃から35時間かけて100℃まで昇温、100℃で5時間硬化させた後、ガ
 ラスモールドから硬化レンズを離型して120℃で30分間アニーリングを行い、
 レンズ基材を得た。得られたレンズについて各評価を行い、結果を表2に示した(
 比較例2)。 

 表2より明らかなように、本発明の光学材料用組成物を用いた光学材料は、高屈折
 率、高アッベ数のレンズであり、靭性に優れる。一方、靭性改良剤(D)を添加し
 ない組成物を用いると靭性は劣る(比較例1および2)。


ここで、原料の成分(A)(エピスルフィド系化合物)は上図の構造式をもつ。また、
成分(B)(無
機化合物)は硫黄単体であり、成分(C)は、ポリチオール系化合物、、
成分(D)(靭性改良剤)はポリチオカーボネートジチオールで、(5)紫外線吸収剤
は、ベンゾトリアゾール系紫外線吸収剤:Seesorb 709(シプロ化成社製)
だと開示
し、光学材料用組成物を60℃で混合、溶解させて触媒を添加した後に20℃まで冷却
しても成分(B)が再結晶により析出しなくなるまで予備反応を行い、この溶液を所定
のレンズ成形用ガラスモールド中に常温環境下(20℃)で注入し、20℃から35
時間かけて100℃まで昇温、100℃で5時間硬化させた後、ガラスモールドから硬
化レンズを離型して120℃で30分間アニーリングを行い得ると説明されている。

以上を一例としてあれやこれや考察をすすめていくが、この事案を整理するに至らず脳
疲労は頂点に達しまったということになる。しかし、考えてみてもわかるように、25
%の変換効率をもつソーラーパネルの集光性能が仮に30%向上したとしたら 32.5
%となる。これは魅力的な数字である。

ということで、昼からシャーレまでレイクサイド・ロードを疾走する。滋賀県は東西南
北どこを切っても絵になる。実に楽しい。
 

 

 ● 折々の読書 『火花』 5 又吉直樹 著

  神谷さんは大阪の大手事務所に所属していたので、東京で活動している僕はなか
 なか会う機会がなかった。それで
も、神谷さんは頻繁に連絡をくれた。誰とも話し
 ていない
一日の終り、携帯電話が振動し、液晶に神谷才蔵という文字が表示される
 と妙に心が躍った。神谷さんは、いつも最
酌は声帯が裏返ったような不審な声で「
 どこにいてん
の?」と所在を確認する。僕が東京にいることを伝えると、ひとしき
 り残念そうにして、少しずつ自分の近況を報告した。神谷さんの声が弾みだしテン
 ポが上がりきった所で、唐突に電話は切れる。そして、数分後に「充電切れてもう
 た。またな」というメールが届く一連の流れが恒例となった。

  神谷さんの淀みなく流れるような喋りを聞いていると、自分が早く話せないこと
 に苛立つ時があった。頭の中には膨大なイメージが渦巻いているのに、それを取り
 出そうとすると言葉は液体のように崩れ落ちて捉まえることが出来ない。複数人で
 の会話になると更に症状は顕著だった。人の数が増えると言葉の数も増える。一つ
 言葉が耳に入ると、そこから派生した別個の流れが生まれ、頭の中でいくつものイ
 メージが交錯して、どこから手をつければいいのかわからなくなるのだ。

  神谷さんは、そんな僕を面白がってくれた。「早いテンポで話した方が情報を沢
 山伝えることが出来んねん。多く打席に立てた方がいいに決まってるやん。だから、
 絶対に早く話した方がいいのは確かやねん。でも、お前はそれが出来へんねやろ? 
 そんなお前やからこそ、人と違う表現が出来るんやんけ。ええな。俺の実家な全然
 貧乏じゃなかってん。子供の頃な、ゲームとか玩具とか普通にあったからな、それ
 で遊んでてんけど、よく中年が、俺等の頃は遊び道具なんてなかった、とか言うや
 ん。あれ聞くたびにな、俺、わくわくすんねん。こんなん言うたらあかんねやろう
 けどほんまに羨ましいねん。だって、ないなら自分で作ったり、考えたり出来るや
 ん。そんなん、めっちゃ楽しいやん。作らなあかん状況が強制的にあんねんで。お
 前やったらわかるやろ? お前の家めっちゃ貧乏そうやな」と神谷さんは淡々と失
 礼な発言をするが、そこに悪意は感じられなかった。


  実際に僕の家は裕福ではなかった。玩具の類はI切なかった。一日中、紙に絵を
 描いて過ごす日もあった。父親の将棋盤を拡げ、独自の駒の動かし方を考案して全
 ての駒を使い、誰に攻め込まれても崩れない布陣で王将を守り、誰も攻めてこない
 ことに気づくまで待ち続けたこともあった。神谷さんは僕がそういう話をすると酷
 く羨ましがった。姉が紙のピアノで「ねこふんじやった]の練習をしていた話を何
 度も繰り返し僕に話させた。

  姉は、家にピアノやエレクトーンがある友達に遅れを取らないように必死だった。
 しかし、ある目、「頑張ってるお姉ちやん、昆に行こう」と、僕を保育所まで迎え
 にきた母に連れられ、姉の通うヤマハの教室を覗きに行くと、他の生徒達は演奏し
 ているのに、姉だけエレクトーンの前の椅子に座った状態で、落ち着きなく周りを
 うかがい、エレクトーンの裏を手で触ったりしていた。なぜ弾かないのだろう?母
 も不安そうに姉を見ていた,ようやく異変に気づいた先生が姉の側に寄って行くと、
 姉は「音が出ない」と言った。すると先生が当たり前のように、エレクトーンの電
 源を入れて、姉も途中から演奏に加わった。姉は緊張で身体が強張り、異常に両肩
 が上がっていて無様だった。

  いつもは優しくて頼りがいのある姉のこんな姿を見ていると、なぜか僕は胸が苦
 しくなり、眼から涙が溢れた。「なんで、あんたが泣いてるの? お姉ちやん頑張
 ってるで」と言った母の眼も赤かった,その夜、家に帰ってからも姉は無言で紙の
 ピアノを懸命に弾き続けていた。僕は姉の隣に座り、全力で姉が演奏する曲を唄っ
 た,酒に酔った父が「やかましいんじや」と怒声を上げても僕達はやめなかった。
 数日後、狭い文化住宅に小さいけれど立派なピアノが届いた。父は母を激しく罵っ
 た。母が姉のために独断で買ったのだ。この話をすると、神谷さんは鼻を啜りなが
 ら、「ええな。そんなお前にしか作られへん笑いが絶対あるんやで」と優しい声で
 言うのだった。 

  神谷さんも僕も、大きくは仕彰の内容に変化がないまま、熱海の花火大会から.
 年が過ぎた。テレピでは同世代の芸人達の一部が活躍しはじめていた。彼等はとて
 も華やかで達者に昆えた,僕は自分の不遇を時代のせいに出来るほど鈍感ではなか
 った。僕と彼等の問には歴然とした能力の差があった。僕達の主戦場は依然小さな
 劇場で、そこに出演するためには、月に一度のネタ見せと呼ばれるオーディション
 を受ける必要があった。

  夜中に大勢の若手芸人が集められる,狭い待合室に詰めこまれ、汚ない服を身に
 纏った若者達は皆一様に腹を減らし、眼だけを鈍く光らせていた,その光景は華や
 かさとは無縁の有象無象が、泥滓に頭まで浸かる奇怪な絵図のようだった。一組ず
 つ部屋に呼ばれ、ライブを担当する構成作家の前で漫才やコントを見せる。長時間
 にわたり、審査する方は更に疲弊していて不惘だったが、彼等が正確にネタの善し
 悪しを判断出来ていたかには些か不安もあった。

  肉体はぶっ倒れれば、そこが限界だとわかるが、審査する方の思考が正常に機能
 しているかどうかは、側で見ていてもわからなかった。それでも不平を訴えるもの
 は皆無だった,自分達が人前で何かを表現する権利を得るためのオーディションな
 のだから、そこで自分の価値を証明出来ないうちは自らの考えを述べることは許さ
 れないという気分が全体に横たわっていたのだ。それは錯覚に過ぎないし、思考の
 強制もなかったのにもかかわらず。僕達は表現の場を得るために、発一.昌の権利
 を得るために、あるいは貧困から脱するために、それぞれのやり方で格闘していた
 のだ,
  スパークスは、ネタ見せを経て、劇場の出番が増えていくに伴い、他事務所のラ
 イブにも呼ばれ、お笑い雑誌の新人紹介コーナーで小さく取り上げられたりもした,
 劇場に足を運んでくれる人達にも徐々にではあるが、名前を覚えて吋ほえるように
 なった。

  その頃、仲谷さんから拠点を東京に移すことになったと連絡がきた。大阪での活
 動に限界を感じたようだった。芸歴六年目を迎えた神谷さんの同期達は、頻度に差
 はあれど、少なからずテレビに出演する機会を得ていた。それ以外の人達は芸人を
 辞めてしまったらしい。神谷さんは後輩だらけの劇場で気を使われるのが嫌になっ
 たと言った。芸人の世界では、まず大阪で売れてから東京に出てくるのが理想的で
 はあったが、劇場のシステムから零れ落ちた人達は新たな環境を目指して東京に出
 てくることも珍しくなかった。東京も若手芸人にとっては過酷な状況ではあったが、
 それでも、新天地で頭角を現したコンビも少なくない。ただ、どこでも結果が出せ
 てしまう一部の選ばれた人間が存在することも、事実だった。


  どの事務所でも、芸歴を重ね手垢のついた芸人よりも、言うことを聞く若者の方
 が好まれるようだった,神谷さんの芸人的なセンスは、師弟関係にある自分でさえ
 も晶眉目なしで不安になるほど突出していた。その反面、人間関係の不器用さも際
 たっていた。それは、あほんだらの両人に言えることだった。あほんだらは、世間
 的には全くの無名だったが、芸人の問では悪名が高く、東京の楽屋でも素行の悪さ
 が度々話題に上がった。神谷さんの相方の大林さんは、隣町に住んでいた僕が名前
 を知っているほど、地元では有名な不良だった。だが喧嘩が強い多くの男がそうで
 あるように、大林さんは情け深い男でもあった。ただ、陰険な悪意に対抗する術を
 眼力しか持っていない人でもあったので、誤解されるのは仕方がなかった。

  一方の神谷さんも周囲と上手く関係を築くのが不得意のようだった。聞こえてく
 る神谷さんと、僕の知っている神谷さんの間には大きな隔たりがあったが、熱海で
 の一件を思い出すと、それらの噂も想像がつかないことはなかった。社会規範で論
 ずるのであれば、両人共に果てしなくあほんだらであった,神谷さんが東京に来る
 と知ってからこの胸を占める感情が希望的なものなのか、不安から押し寄せるもの
 なのか自分でも判然としなかった。

                           又吉直樹 著『火花』 


吉本興業の隆盛は、上方漫才・落語あるいはそれを品質展開した話法を担う芸人の集客
力あるいは視聴者延べ人数に依存し、芸人と聴衆とでやりとりされる付加価値の創出に、
それは、瞬間的に偶発的に爆発的に、あるいは地味ではあるが長時間をかけ芸人の"アジ"
として醸成されてきた。「その光景は華やかさとは無縁の有象無象が、泥滓に頭まで浸
かる奇
怪な絵図のようだった」と、ここでは、その生産現場がリアルに、パーソナルに
描かれている。そこではよりハードな商品の生産現場でも、よりソフトな生産現場でも
基本的に変わらぬ、ボードリヤール風の「記号」の生産現場のリアリティーとして、こ
の作品の上質さが顕れているように思える。

  


                               この項つづく

 

 

 

● ペロブスカイト系シリコン太陽電池の実力

17日付、EU PVSECが開催されているが、IMTがペロブスカイト系シリコン
薄膜太陽電池で変換効率22.8%(0.25平方センチメートル
セル)を達成したこと
が報告されているが、25年間の耐久性などに疑問視する専門家の意見などもある。
EU PVSEC: Stable efficiency remains major hurdle for perovskite cells, PVTECH 2015.09.18
日本では、瀬川研で、鉛ペロブスカイトの熱膨張率は酸化チタンよりも5.6倍大きいこ
とが明らかにされているから、これらの意見を裏付けるような形になる。安いことにこ
したことはないが、実用性に耐えるためにはハードルはまだ高い。ここ1、2年で勝負
は決するようにみえるが、どううだろう?

 ● 秋風に闇酒も好し

そういえば40年前?花見のころ、数人の仲間と城登り、火を囲みながら日本酒を楽しく呑んで
騒いだころを思い出す。たしか、警備の人に咎められ急いで下城したことも思いだした。みんな
命知らずな若者だったんだねぇ~っと。 

 

 

 

コメント
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