極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

資本再蓄積下のケインズ

2013年04月05日 | 時事書評

 

 

【国内資本再蓄積時代】

“アベノミックス”が話題となり流布されてから、日銀の「量的・質的緩和」を受けて経済活性化
期待が膨らみ、全面高の展開となった。日経平均株価は一時600円近く値上がりし、2008年8月29日
以来ほぼ4年7カ月ぶりに1万3000円台を回復したことが報じられている。
驚くことはないのだ。金融
政策としての“禁じ手”こそは、“デジタルケインズ・ソリューション”にとっては、打破すべき“タブー”であり、ま
さに正論なのだから、この追体験(追認識)はこれから深まっていくだろう。後は、「未来国債」で提示したよう
に、レジリエンスな国土構築やグリーン・イノベーション、一次産業の高次化などの政策実施による、国内の
資本蓄積への財政政策(一部は、震災復興や再生可能エネルギー政策として先行している)の良循環効果
を待つばかりの段階だ。 



そこで、期待しているのがポスト・メガソーラ(一部は市場では、ミドルソーラとして実用段階に
ある)開発速度アップに熱い期待がかかる。どこよりもはやく変換効率30パーセントの高性能モ
ジュール試作量産ラインを研究室で構築しナンバーワンになることであり、そこに集中することだ
ろ。またこのことで“オールソーラシステム”(別称、プロトン社会)の前工程は完成し、後工程
のスマートグリッド・電気自動車・水素燃料電池車もかなり前倒しになってくる。


 



【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

【ケインズ経済学の現在化】

 

 

  貿国際易の改革

【自由貿易論の基礎としての比較優位】  

 

貿易の普遍的なメリットであると古典派理論が主張するものと、働き口の外部委託に基づく貿易が
原因で米国の労働者たちに見受けられる苦難との間のこのように明らかなギャップの存在を、ポ
ル・デヴィッドソンは説明する。


 主流派のすべての経済学者が合意している経済学のひとつの普遍的な「真理」は、経済学者が
 「比較優位の法則」と呼んでいるものである。もしすべての国が自由貿易を容認しているなら
 ば、比較優位の法則により、すべての国の資源が完全に雇用されるので、グローバルにより多
 くの財やサービスの生産されることが保証されると主張されている。結果として生じる想定上
 の豊富な財やサビスは、各国が「比較優位」を持っている産業での生産にそれぞれ特化し、こ
 れらの産業の生産物のいくらかを、他の国の比較優位の産業からの輸入品と交換に輸出するこ
 とによって得られる。その結果、すべての国が自由貿易から利得を得るはずであると、古典派
 理論は主張する。経済学者が比較優位を持つ産業といっているのは、どういう意昧なのであろ

 うか。

 1817年に、当時の代表的な経済学者のデイヴィッド・リカードは、国家間の自由な交易の重要
 性を正当化するために、比較優位の法則を導入した。リカードの考えでは、各国は、同一の生
 産物を生産する各国のコストを比較してみて、生産コスト面で最大の優位を持っている自国の
 産業で輸出向けの生産物を生産することに特化すべきであるとしている。同じ生産物を生産し
 ている他の国々の産業と比べて生産コスト面で絶対優
位を持つ産業のない国々は、コスト面で
 劣位度が最も低い産業での生産物を輸出することによって「比較優位」を得ることができるだ
 ろうと、リカードは主張している。リカードの比較優位の原理に基づく輸出品と輸入品との間
 の交易パターンは、財およびサービスに対する需要が増加しこの増加した需要を満たすために、
 グローバルな生産が増加するにつれて、両交易国の富の増加を可能にするであろうと主張され
 ている。

 この比較優位の法則について、仮説例を用いて説明することとしよう。東洋(インドや中国の
 ような低賃金労働国)と西洋(米国や西欧のような高賃金労働国)という、2つの経済がある
 と仮定しよう。話を簡単にするために、自由貿易が始まる前は、両経済は2種類の輸出可能な
 製品一例えば、(低賃金の不熟練労働を使って生産される)自転車と(高賃金の熟練労働を必
 要とする)コンピュータ一を生産していたと想定しよう。両経済はいずれも完全雇用の状態に
 あると仮定する。貿易が始まる前は、東洋には100万人の労働者が、また西欧には10万人の労
 働者が、いずれもこれら2つの産業において完全雇用されており、世界全体で110万人のこれ
 ら雇用労働者が総計375,000台の自転車と55、000台のコンピューターを生産して市場に出荷し
 ている(そしておそらくかれらの雇用主もその販売で利益を上げている)ものと仮定しよう。

 リカードの古典的な理論によれば、東洋と西洋との間に自由貿易が導入されると、各経済は、
 自らが比較優位を持っている製品を生産することに特化するよう促されるであろう。両国が同
 じ生産技術を用いており、東洋でコンピューターの生産に必要な熟練労働者でさえ西欧におけ
 る高賃金熟練労働者よりもかなり低い賃金で働くことを厭わなかったので、自転車もコンピュ
 ーターもいずれも西欧より低いコストで生産することができたと想定しよう。しかしながら、
 東洋のすべての労働者により低い賃金が支払われているために、低い生産コストという意昧で
 の東洋の優位は、コンピューター産業においてより自転車産業においてのほうが大きかったと
 仮定しよう。

 経済学者は、東洋が自転車とコンピューター双方の生産コストにおいて絶対優位を占めている、
 すなわち、東洋は西洋よりもより低いコストで自転車とコンピューターの双方を生産できるも
 のの、東洋の比較優位は自転車の生産にあり、西洋の比較優位(すなわち、コスト上の劣位度
 がより低いこと)はコンピューターの生産にあるというであろう。そこで、比較優位の法則に
 よれば、東洋はそのすべての100万人の労働者と資本を用いて自転車の生産に特化すべきであり、
 一方西洋は10万人の労働者とすべての資本を用いてコンピューターの生産に特化すべきである
 ということになる。このように特化することによって、グローバルに雇用されている110万の労
 働者が、より多くの自転車とコンピューター、例えば400,000台の自転車と70,000台のコンピュ
 ーターを生産するものと想定しよう。 

 この比較優位の仮説例では、世界は自由貿易に携わることによって、全体として25,000台の自
 転車と15,000台のコンピューターを追加的に得たことになると想定される。そして東洋は自転
 車を西洋に売り、代わりに西洋からコンピューターを購入すればよいことになる。貿易開始の
 前と後で同じ数の労働者が雇われていながら、仮定によってグローバルにより多くの両製品が
 生産され消費に供されることになる。その結果、各国の住民はこの貿易からなにがしかのメリ
 ットを得るはずである。というのも、各国においてすべての財が想定された同じ量の労働時間
 (実質コスト)で生産されながら、各国の住民はより多くの自転車とコンピューターを使用す
 ることができるからである。このように、比較優位の法則は、より多くの財とサービスが東洋
 と西洋双方の消費者に提供されるので、グローバル経済の実質所得が自由貿易によって増加す
 ることを「証明している」と主張されることになる。

 リカードにとって、各国の比較優位は、典型的な場合には生産コストの差をもたらす各国特有
 の供給環境(例えば、埋蔵鉱物資源の入手可能性、気候の違いとそれらが農業生産に与える影
 響など)と関連しているとされた。それとは対照的に、「自由な」貿易を支持する論拠を説明
 しているわれわれの仮説例は、より低い生産コストを持っている海外の供給源に国内市場を開
 放するのが、西洋における自転車産業の労働者より東洋における自転車産業の労働者の方が1
 時間当たりより多くの自転車を生産するといったようななんらかの物的生産性の面で優位にあ
 るためではない、という考えに基づいている。各国で同じ技術が用いられていると仮定するこ
 とによって、例えば、西洋における自転車産業の労働者が、東洋における自転車産業の労働者
 と1時間当たり同じ台数の自転車を生産すると想定しているのである。したがって、自転車と
 コンピューターの生産における東洋のコスト面での絶対優位は、たんに東洋においては労働者
 に対してより低い1時間当たり貨幣賃金が支払われているという事実によるのである。

 実質的な生産コストの差は農業や鉱物資源開発において明らかであり、そこでは国によって気
 候にちがいがあるとか鉱物資源の埋蔵量に偏りがあるため、一定の商品については一方の国で
 の生産費を他の国に比べ相対的に安くするのである。例えば、1バレルの原油は米国のデスバ
 レー(死の谷)砂漠よりもサウジアラビアの砂漠の方が安く生産できる.その主たる理由は、
 デスバレーに比べてサウジアラビアの地下の方が、はるかに容易に入手できる原油を自然が提
 供しているということである。しかしながら、大量生産を行なう産業においては、生産コスト
 の差は、どの国におけるどのような特定の製品の生産においても同じ技術が用いられるので、
 一国の気候や鉱物資源といった天賦の条件による差をさほど反映しそうにないように思われる。

 ケインズは次のように記したとき、このような可能性を認識していたのである。

 合理的な世界においては、気候や自然資源に国家間で大きな差異があるすべての場合に、かな
 りの程
度の国際的特化が必要になるであろう。・・・しかし、わたくしは、ますます広範囲にわ
 たる工業製品に関
しては、・・・自給自足体制をとることの経済的マイナスが、[完全雇用を確
 保するために]同じ国内の経
済・金融組織の同じ活動範囲内に生産者も消費者も徐々に導き入
 れることの別なメリットを帳消しにして
しまうほど十分に大きいかどうかについて、疑いを抱
 くようになっている。現代のほとんどの大量生産過程が、たいていの国や風土俗において、同
 じ
程度に効率よく営まれうることを証明する事例が増えている。

 言い換えれば、ケインズが主張し、そして今日の事実が明らかにしようとしていることは、多
 国籍企業の存
在と技術を国際的に移転できる容易さを前提とすれば、ほとんどの産業における
 相対的な生産コストのどのような差も、(「実質的な」人間労働の同一時間当たりの)貨幣賃
 金に、年少者労働の使用制限などの「文明国にふさわしい
」労働慣行を整えるためのコストや雇
 用者の健康保険や年金手当ての支給といった労働者への付加給付のための企業家負担を加えた

 合計額における国家間の差を反映している可能性が高いということである。今日の自由貿易体
 制のもとでは、輸出工業製品の製造工場のグローバルな立地は、時間当たりの貨幣賃金に加え
 て、国家が、国の税金によってというよりもむしろ企業家によって直接負担されるべきである
 と決定しているか、あるいは労働者には提供される必要がないと決定している。安全労働やそ
 の他の労働付加給付のための所
要経費における差に左右されがちであると思われる。

 21世紀においては、輸送コストあるいは情報伝達コストが低いため、多くの財やサービィスを
 遠方の海外市場まで安く届けることが可能になっている。その結果として、未熟練、半熟練あ
 るいは高度な技術を持つ労働者をさえ使用する大量生産の産業は、単位労働時間当たりの支払
 い賃金額や企業家によって提供されている労働環境から判断して、人間の生命が最も低く評価
 されている経済システムをもつ国々に、工場を立地させそうに思われる。ほとんどの先進諸国
 は、かなり前に「低賃金・悪条件の工場」での生産や年少者労働の使用を違法とする法律を制
 定している。しかしそのような労働条件は、ほとんどの低開発諸国の「競争力ある」輸出産業
 においては、依然として存在している。したがって、自由貿易競争とは通常、先進諸国におけ
 る働き口が、安全で衛生的な作業条件を要求する法律をほとんど持たず低賃金・悪条件の工場
 で働く安く利用できる労働人口の大量に存在する国の労働者に奪われることを意味する。その
 ような自由貿易競争のもたらす結果は、必然的に先進諸国の労働者の生活水準を引き下げるこ
 とになるに違いない。

 というのも、かれらの賃金が低賃全国で支払われる賃金水準の方へ引き寄せられるからである
 われわれは本当に、米国の労働者の賃金を時給1ドル以下にまで引き下げ、同時に家族が飢え
 をしのぐのに足るだけの稼ぎを得ることができるよう、米国の子供に中国の子供のように工場
 で働かせたいとでも思っているのであろうか。われわれは本当に、米国の労働者の賃金を時給
 1ドル以下にまで引き下げ、同時に家族が飢えをしのぐのに足るだけの稼ぎを得ることができ
 るよう、米国の子供に中国の子供のように工場で働かせたいとでも思っているのであろうか。

 もしわれわれが中国に対し、カリフォルニアに工場を建設することを許可し、その工場を、中
 国で運営されるのと同じ条件、すなわち、(1)14歳未満の子供も工場で働く、(2)なんらの
 職場の安全基準も制定されていない。(3)労働者が米国の時間当たり法定最低賃金をはるかに
 下回る貨幣賃金率で週55~60時間ないしそれ以上働く、(4)工場は環境を汚染している。とい
 う条件で運営することを認めるならば、米国の進んだ法律では、どの米国の住民もこのカリフ
 オ
ルニアに立地する中国の工場のどのような製品をも購入することを許されないであろう。そ
 れ
にもかかわらず。自由貿易の旗印の下では、われわれはそのように後進的で不健全な工場環
 境から生み出される製品を、まさにその工場が中国に立地しているという理由だけで、米国人
 が購入するのを容認しているのである。
なぜわれわれは、労働者を人道的で文明国にふさわし
 い仕方で処遇する工場組織が社会的に望ましいという、自分たちの信念を放棄してしまわなけ
 ればならないのであろうか。もしわれわれが米国の企業家たちに中国の労働者が雇用されてい
 るのと同じ条件で労働者を雇用することを認めるならば、米国の工場は、輸送コストがより低
 
いという理由だけでも、中国に立地する工場より安く売ることができるであろう。

                   ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                 『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』 


以上のごとく、縷々、限定された条件下での言葉によるシュミレーションを記載してきたが、ここ
で デヴィッドソンは、現在の情況では、低質全国との自由貿易は、けっして自由な競争的貿易で
はないとした上で、米国の法律は、米国の企業家が中国での労働者の雇用および労働条件をそのま
ま踏襲することを禁じているからである
そのように不公正な競争状態にある海外の工場に仕事を
外部委託することに対するとして、そのような状況下での解答、すなわちケインズ・ソリューショ
ンは、わが国の労働法が米国の企業に課しているすべての条件を、少なくとも満たしていないどの
ような工場からの製品輸入も禁止することである。われわれはまた、外国で生産される財のうち、
純正食
品薬事法やその他の消費者保護法に基づく政府の検査に合格したものにかぎり輸入できるよ
うにすべきで
あると、大変ラジカルで重要なこと、裏返せば非現実的と思えることを提示する。


 現在の自由貿易体制の下では、米国市場に財やサーヴィスを提供する生産にかかわっている職
 種の中で、(1)外国からの情報伝達コストや輸送コストが非常に高い(例えば,家事使用人、
 ウェーター、理容師、乳母などの)職種や(2)移民法で低賃金労働の導入が制限されているよ
 うな職種でのアメリカ人の働き口を外部委託する余地はほとんどないであろう。とくに先進的
 な労働環境基準を持つ先進諸国の個人サービス産業には、まだかなりの雇用機会が残っている
 かもしれない。しかしながら、自由貿易の旗印の下で、もしわれわれが大量生産産業の雇用の
 外部委託を容認し続けるならば、以前高給を受けていた大量生産産業から使い捨てられなんら
 かの雇用機会を探す労働者が、ますます増えることにならざるを得ないであろう。その結果と
 して、これらの解雇された労働者の間で、非貿易財の生産産業に現存する働き口を求めて競争
 が激化するであろう。その結果は、ユチテルの著書が示唆しているように、これら非貿易財生
 産活動における賃金を押し下げるか、あるいは少なくとも、雇用されている労働者の賃金が時
 とともに大幅に上昇するのを妨げることになるであろう。近年行なわれた大規模な外部委託を
 考慮すれば、米国のGDPに占める賃金の割合が2005年にここ数十年来最低の水準にあったの
 は、なんら驚くに当たらない。

 われわれはすでに21世紀に入ったので、以下のような産業を除いて、リカードの比較優位の法
 則に基づいてすべての国とその住民の富を増進する手段としての自由な国際貿易を支持する主
 張を正当化できないことは明らかであろう。そうした産業とは、おそらく価値生産性が気象
 件や鉱物資源の入手可能性と関連する鉱業、農業よびその他の産業である。しかしながら、こ
 れら特定の産業における生産はしばしば、カルテルの市場支配力や、市場価格が生産の「実質
 的な」コストを反映するのに十分なほど下落するのを防ぐよう企図された生産諸国の政府施策
 によって、コントロールされている。言い換えれば、比較優位の法則が依然として当てはまる
 かもしれないと思われる産業はしばしば、(例えば,石油輸出国機構のような)カルテルの力
 や、国際市場で売られる必需品をコントロールする政府の権限の行使により、概して国際競争
 の圧力から保護されているのである。

 大量生産産業における多国籍企業の成長と20世紀最後の数十年間における自由貿易へのさらな
 る動きは、米国の企業に,生産を「外部委託」する、すなわち生産コストを削減するために雇
 用できる中で賃金が最低の外国労働者を求めさせることとなった。外部委託を活用できること
 はまた、高賃金で労働組合に所属している先進諸国内の労働者に対する桔抗力としても働いた。
 事実、21世紀の初頭に多くの国の産業構造が急速に進化したのは、主として多国籍企業が、同
 じ技術的生産過程を用いて同一の財やサーヴィスを生産するために海外の低賃金労働者を利用
 することによって、国内の労働問題を回避したいと望んだためであるといえるかもしれない。
 
 国家間の輸送・情報伝達コストが高く貿易に対する顕著な制限が課せられていた第2次世界大
 戦後の最初の数十年間には、国内の単位労働コストの高かったことは、大量生産産業の企業家
 たちに国内の生産性を高めそれによって生産物1単位あたりの労働コストを削減するための革
 新的な方法を見出すよう促した。多国籍企業の成長と大量生産品の国際貿易に対する多くの制
 約の撤廃とともに、高い国内労働コストはいまや、単位生産コスト引き下げのための生産性向
 上を目指した投資よりもむしろ、外部委託を促進している。

 というのも現状では、国内的に単位生産コストを引き下げるために生産過程の技術的改良をは
 かるよりも、外部委託する方がより安上がりであるからである。したがって、単位労働コスト
 を引き下げつつ生産量と利益率の高い売上げを増加させたいと思う企業家による技術革新が、
 資本主義経済のすべての構成員の生活水準を高めてきた過去とは異なり、現在では、外部委託
 から得られたより大きな利潤が、国内生産方法の研究や技術的開発に再投資されなくなってい
 

                   ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                 『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』 


ここに書かれていることは現在の貿易通商問題と絡み、大変示唆に富んだ問題提示がなされている。
TPP問題もこの原則を踏まえたような基調報告(メッセージ)が行政府からの国民やび対貿易通
商交渉国に、はやくなされていたらと思うばかりであるが、所詮、新自由主義の尻馬に乗る付和雷
同の政治家や政党(逆に、かたくなに自説の正義を説くばかりの政治家、政党)であっては詮無い
ことではある。ところでここで、最後の下線部分に注目する。つまり「国内的に単位生産コストを
引き下げるために生産過程の技術的改良をはかるよりも、外部委託する方がより安上がりであるか
らである」という件であり、これを可能にした、あるいはこのため再投資されず、資本蓄積されず
資本収奪の憂き目に遭うという認識観であるが、このソリューションの提示こそ、わたしがこのブ
ログで(たとえば「未来国債」「ピラミッドの経済学」「デジタル革命の基本六則」)で問題提起
指摘してきたことであり、いまでは“アベノミックス”として流布されている基礎になるもので、
デジタル革命のグローバルな展開による生産財をめぐる此彼の落差(時空間)の縮小により顕在し
ているものである。具体例を示せば、先端的技術設計図や金型、あるいは種子苗、DNAがいとも
簡単に自国から持ち出され、コピーされるという事柄が茶飯事として存在していることを踏まえて
おかなければならいないだろう(例えば、日本の新幹線技術が中国にこの事案が日本の贈与による
ものかどうかという公的な確認なしでコピーされ輸出商品として競合しいる)。


 今日のような自由貿易のルールのもとでは、企業経営者たちは、低賃金の外国労働者が「仕事
 をこなす」ことができ輸送・情報伝達コストが生産コストに比べ少額な産業部門において、国
 内の労働生産性を向上させるための技術革新を追求するインセンティブをもたなくなっている。
 1970年代以来多くの先進諸国において国内の労働生産性の上昇率が低下したことは、少なくと
 も部分的には、国内の生産過程を改善するよりもむしろ海外の安い労働力を用いるというこの
 現象に関係づけて説明できるであろう。先進的な生産環境で高給を取っている労働者に代えて、
 たんに低賃金・長時間労働という条件で雇用される労働者を用いる外部委託の問題に対する
 インズ・ソリューションは、競争条件を等しくするということである。その法律が国内の工場
 の労働者を文明国らしく処遇することを奨励する米国のような国家にとって、国内への輸入の
 許される製品は、米国がアメリカ企業に要求しているのと同じ法定の労働、環境および消費者
 安全の諸基準を満たさなければならないとされるべきであろう。
したがって、自由市場に外部
 委託、貿易および国際決済の流れを決定させるのを正当化するものとして比較優位の分析を用
 いることは、ケインズが警告したように、文明国の経済,とくに年少者労働の使用を制限し労
 働者に対しより進んだ労働条件と同時に高賃金の生活水準を提供する国の経済の健全性にとっ
 て「誤り導き、災害をもたらす」ものになりうるのである。


                   ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                 『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』 

          
                                                      この項つづく

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