車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

東京2020パラリンピックが与えてくれたもの

2021年09月10日 22時35分48秒 | 日記
結論からすれば、それはものすごく大きなものだった。

あくまでも個人的なものだけれど、僕自身の感覚的にも、またコーチ陣の意識的にも、それは大きな変化をもたらしてくれた。

日本のパラスポーツという視点においては、それはもうとてつもないインパクトを与えたと思うし、様々なアプローチからのそうした報道をよく目にする。

報道だけじゃない、実際に「声」として聞こえてくる。

その中で、ある意味最もシリアスなものが「パラアスリートが障害者ではなくアスリートとして見られるようになった」という声。

そもそもこの言葉が記事として明文化されていることが大きな社会の変化だと思う。

日本社会にもし障害者に対しての気遣いや遠慮が今までと同様にあれば、きっとこうした言葉が前面に出ることは無かったかもしれない。

けれど、出てきたということはそういう変化が社会に生じていることの証だと思うし、それはパラアスリートに限らず障害者のこの先の可能性を格段に大きくするもの、言葉を変えれば掴み取れるチャンスの数がものすごく増えることを意味すると僕は捉えている。

でもそれは逆の見方をすれば、より厳しい眼で見られる、甘えが許されないということにもなる。「障害者」ではなく「アスリート」「社会人」としての評価を受けるわけだから。

バリアが無くなって対等に接するということは、権利と同時に義務や責任も対等に生じるということ。

厳しい言い方をすればそうなるけれど、共生する社会人としてはむしろ当然の事であり、それは僕らがそれだけ「さらなる可能性を得た」ということにもなる。

だからこそ、パラアスリートは「アスリート」として社会から評価されるだけの活動を行っていかなければいけないし、障害者という狭い範囲だけでのアスリートではなく、誰の目に映っても「アスリート」としてあるべき姿でいなければならないということになる。



そして今回もうひとつ興味深い声が複数あった。

それは「競技によって結果が違いましたね」というもの。

競技による違い、それは競技団体による違いということだ。

見る人にとってもそういう感想を得たというのはちょっと驚かされた。

躍進したところとそうでないところ、その差が目に付いたというのだ

競技の結果というのは、もちろんまず選手個人の積み重ねであることに他ならないけれど、でもマクロで見るとそれは「競技団体の意識の違いじゃないか」という意見がそろって聞こえてきた。

パラスポーツをオリンピック同様の「スポーツ」として捉えているか、そうではなく「障害者のスポーツ」として捉えているか、それが結果として明確に表れた、というものなのだ。

障害者スポーツの管轄が厚生労働省から文部科学省スポーツ庁に移行し、一般のスポーツと同じ立ち位置となったのが数年前。その時点で障害者スポーツは「スポーツ」へと進化したと言える。

けれど、それに伴った意識や活動の変化、進化というのが、団体によって異なり、それが差となって表れたのではないかというのだ。

社会の眼にはそういう風にも映っていたんだなぁとシリアスに思う反面、嬉しくも思えた。

それはまさに「忌憚なき意見」だと思えるから。

そうやってストレートに言ってもらえるのはその人がより近しい距離にいるということの現れであり、それは実にありがたいことで、社会がその立ち位置にいてくれるということはまさに今後のパラスポーツ界の飛躍に直結し、さらには障害者の社会進出や共生という部分にも大きな糧となるものだと僕は思っている。

まぁ、これ以上団体云々について僕がこの場で言うのは控えよう。



僕はあくまでもいちプレーヤーとして黙々と、粛々と、活動を重ねていくのみ。

パラリンピックの開催を無事に終えた今、その盛り上がりを維持継続していけるかどうかはまさに僕を含めたパラスポーツ選手の活動と選手そのものにかかっていると思う。

スポーツ活動関係者だけでなく、近所の方々、いつもの生活圏内でお会いする方々、ネットの向こう側にいる方々、そうした全てのみなさんから自分が「パラアスリートだ」と評価してもらえるかどうか、それにかかっていると思う。



今回のオリパラ、「レガシー」という言葉が散々使われてきた。

レガシーに出来るかどうかはまさに自分次第だと思う。

きっと、自分自身の活動の結果はその先にあるものだとも思える。

けれど、僕はその為に活動していくのではない。

あくまでも自分の為。

結果的にそれが他の方にとってのレガシーになれば良いじゃないかというだけの話。

その為にやるのではない。あしからず。

飲食時代に教えられたことは、「最初から数字(売り上げ)を求めるな、まずはお客様に喜んでもらう、楽しんでもらうことを考えろ、数字はその結果となってついてくる」ということ。

スポーツ活動も同じだと思っている。

だから、成長は斜め上がりではなく階段状なのだ。

階段状?

その話をすると長くなるのでここで終わる(笑)

淡々と、コツコツと、地味でいい、目立たなくていいからとにかく頑張り続けていこう。

でもアンテナは広く張り巡らし、アップデートは絶えず行えるようにしていよう。

みんなそれぞれのステージで頑張っている。

僕は僕のステージで精いっぱい頑張っていく。

今回のパラリンピックが僕に、実に大きなものを与えてくれた。

さぁ、突き進んでいこう!

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