車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

コーチに褒められた!(笑)

2021年03月09日 23時09分14秒 | 日記
何を?

それは内緒(笑)

まぁ感覚的には褒めてもらったようなものか。

でもそんな風に明言されたことは初めてだったので、コーチとしてはなんでもない一言だったのだろうけど、僕はそれを聞き逃さなかったし、何よりもその言葉が僕には超気持ちよかったのもあり、心に深く突き刺さったのでした。

確かにコーチは厳しい。

というよりも、甘くはないといった感じか。

だからといって別段卑下されるとか否定されてばかりとかそんなことは全くない。

「ぶきっちょだよね~(笑)」

と笑われたことは度々のさらに度々ある(笑)

けれど、そんな僕を厳しく指導してくれていて、といってもその時間指導したからそれで終わりというものではなく、僕の成長をもっと広角に、俯瞰で捉えてくれているので、アドバイスは多岐にわたるし決して甘いものばかりでもなく、障害者だからという遠慮ももちろんない。

そうしたところはプロの指導者であることはもちろんだけど、そのレベルを超えて率直に人柄の表れなのだとも思っている。



逆に、いただくアドバイスをどのように受け止めるか、それをどう活かしていくのか、それは指導される側の「責任」だと思っている。

アドバイスをもらっても何もしなければ聞きもしない、あるいは「分かりました」と口では言うけれど、聞き流しているようなやつもいる。

口でどう言ったところで、それを行動に示さなければ伝わらないだろうし、そもそも相手は指導のプロ、その生徒がどれだけ真面目に、懸命に取り組んでいるのかは一目で分かるだろうし、見抜けるものだと思う。

暖簾に腕押し的な生徒には指導する気持ちが高まりはしないだろうし、積極的なアドバイスもなく、むしろ言われればするかな?という程度の無難なラインで、これくらい言っておけばいいかという「とりあえず」の最低限度レベルということになるように思える。

そりゃそうだ。だって、自分が築き上げてきた知識や技術といった貴重な「財産」を、そう易々と人には渡したくないはずだし、渡す相手はしっかり選びたいというのがごく普通の心情だから。



より良い指導を受けたいならば、まず自分がより良い受け手にならなければならない。

相互にそうした気持ちというか志が、お互いがどのレベルで向き合っているかで信頼関係は構築されるものだと思う。

試合でもベンチコーチという存在にはまず信頼関係が無ければ意味がない。

むしろマイナスになるだけかもしれない。

言葉というツールを用いたコミュニケーションでも、人にはその向こう側を言葉以外の情報から少なからず「察する」能力を有している以上、それを踏まえた上でのコミュニケーションを行わなければ信頼関係は得られないはず。

でなければ、ただの損得勘定の付き合いに過ぎないのだから。



じゃぁ僕はそう出来ているのか?

いや、コーチの心がより大きいからその恩恵を受けているだけ(笑)

でも、指導を受け始めてもうずいぶん経つ。

その時間が作り上げたものは確かに存在すると思う。

だからこそ、相互に意見を「ぶつけ合える」のだろうし、そこから新しい何かを見いだせれば、それが後の財産となっていくのだと思う。



最近はコロナ禍の一年間の活動が成果を生んでいるように思えてきている。

それが様々な部分で実感できる瞬間がある。

だからこそ、可能性をも実感している。

良い方向に向かっている。

でもそこで気を大きくして、それこそ気を緩めてはいけない。

まずは感染対策。

季節も変わってきて体調にも変化が起こりやすいはずだから、より気を引き締めなければならない。

でも、出来ることは出来る限りやっていきたい。

挑んでいきたい。

やり過ぎることのないようはやる気持ちを多少抑えつつも、粛々と、取り組んでいく。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿