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車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

2月連戦最後の試合

2025年02月20日 21時21分51秒 | 日記
埼玉の障害者交流センターで毎年開催されている卓球大会。

今年は第33回だったそうだ。

僕も毎回のように参加させてもらっているのだけれど、この大会はほぼ「寒波」に当たることが多い印象。

だって2月開催なのだから仕方ない。

でも今年は違っていた。

暖かい日だった。

だからどうのこうのは無いけど(笑)



試合は個人戦のみ、準優勝に終わった。

正直憶えていなかったのだけれど、去年もそうだったらしい。

決勝で同じ選手に負けての準優勝。

これは良くない結果だ。

しかも決勝戦は内容が良くなかった。

立ち上がりの躓きを2セット終わるまでずっと引きずっていたのは愚の骨頂。

でもそれだけ課題が明確で得られたものが大きい点もある。

これはこの先に繋げていきたい。

準決勝までの試合は意識したことをしっかりやるという課題を設けていたのだけれど、まずまずというかまぁまぁというか、100点は与えられない内容だった。

でもしっかり勝ち上がれたのは良かったし、練習の成果を確認できるシーンもあったのでその点は高評価を与えたい。

大会そのものは例年よりもエントリー数が少なかったのかな?車椅子のクラスはそんな印象も受けた。



2月のこの3連戦を終えて、優勝は出来なかったもののエントリーした大会で全て入賞できたのは良かった。

一通りテーマを決めて挑んだうえで、課題を明確にすることが出来たしその結果さらに新たな学びを得ることも出来た。

この2月は慌ただしかった分だけ学びも多く成長を実感出来る、また伸びしろを実感出来るものになった。

この先に向けてこれから何をどうしていくのか、していくべきかをさらに詰めていきたい。



意識をどこに置くか、どこにフォーカスするかでマクロの人の有り様も全然違ってくるものだと痛感出来たこの2月。

直接的な学びを得られたシーンもあれば、反面教師的に学んだ瞬間もあった。

「じゃぁ自分はどうなの?」

を考え、どうすべきか、どう考えどう判断しどう行動してどこを目指すのかをより深く明確にしなければとあらためて思えたし、その決意を新たに出来た。



結局のところ人は自分が見ている方向へ進んでいくものだと思っている。

それは僕がバイクで学んだこと。

バイクで身につけた感覚。

行きたい方向でも、行きたくない方向でも、見ている(意識している)方向へと進んでいくものだと思っている。

だからこそ、自分がどっちに行きたいのか、どうありたいのか、その方向を見定めている必要がある。

それから生じたのが僕の分度器の理論(笑)

見定めることなく風任せ、波に任せてなんていれば、どこにたどり着くかなんて全く分からないし、行きつく先で、あるいはその途中で、「なんでこんなところにいるんだろう?」なんてことになりかねない。

偏西風でも黒潮でもまっすぐ進むときもあれば蛇行もするし大蛇行なんてこともある訳だから、予測は出来るようで出来ないし、そこにさらなる「想定外」なんてハプニング、アクシデントが降りかかってきたりといつ何が起こるかも分からないからこそ、まずは自分がどの方向へ進みたいのか、向かいたいのかをしっかり定めておく。

見定めてないから流される。

人に言われるがままでそっちに向かう。

見定めていないということは自分がないというのと同じだと僕は思っている。

だから微妙な変化に気づけない。

だから微調整や修正が出来ないまま流されてしまう。

で、「あれ?」と気づいたときはもう元に戻れない、取り返せないくらいに大きく流されちゃっているのだと思う。

それは嫌だ。

だからどうする?

どうしていく必要がある?

それがより明確にイメージ出来た2月。

そっちへ進むためにじゃぁ何をどうするのかを更にアップデートしていく必要がある。

その作業が面倒ではないといえば嘘になるけど、でもその面倒さは故あってのことだしその向こう側にあるものを思うと楽しみでしかない。

そしてそれを実現させる、そっちへ進んでいく為にはまず心身の健康が大前提となる。

だからこそ、しっかり頑張っていく。

より高い意識をもって努めていく。

まずは寒さに負けないこと。

そして花粉に負けないこと(笑)

「コンディショニング」をしっかり行い、毎日の活動を積み重ねていく。

よし、頑張っていこう。

次は来月の試合。

ここでしっかり確認と調整をしてその先へ向かっていく。

人生にやり直しは出来ないからこそ、自分でしっかり考えて、アップデートを繰り返して、積み重ねを行っていきたい。

2月はまだ終わっていない。

気を抜かず、でも力は入れず、毎日を頑張っていく。

口だけで終わらないように(笑)

みなさんも、まずは体調管理くれぐれもお気をつけて。

2月の連戦

2025年02月12日 21時30分35秒 | 日記
2025年2月は週末ごとに3試合が続く。

1つ目は渋谷区長杯。

今年は第4回。

毎回車椅子・立位それぞれがクラスを問わず、日本肢体不自由者卓球協会選出による男女混成8人の選手で行われるもの。

僕は去年優勝することが出来たのだけれど、今年は去年よりも選手のレベルがかなり高いので(2人のパラリンピアンを含む代表選手がほとんど)、これは予選を上がることすら厳しいぞという印象だった。

この試合に挑むにあたり僕はコーチとテーマを決めていたので、それを最優先にプレー。

その評価はさておき、結果的に僕は予選2位で決勝トーナメントに進出することが出来、準決勝で敗退し実質の3位で終えることになった。

ここで更なる課題を得て1週間を過ごし次の週末を迎える。



その次の試合は東京都障害者総合スポーツセンターで毎年開催されている東京カップという卓球大会。

2日間で団体戦と個人戦が行われる。

考えてみれば、僕のパラ卓球活動最初の試合もこれだったと思う。

あの頃は今よりも30kgくらい太っていたからなぁ(笑)

今回のこの大会にはチームメンバーで初めて試合に出る選手も複数いたので、みんなに楽しんでもらえるように努めなきゃと思っていたけど、結局は自分の試合のことでいっぱいいっぱいだった(笑)

初日の団体戦は準優勝、2日目の個人戦は3位だった。

試合の内容的には手ごたえを得られるとか納得のいくプレーの数よりも気づいた課題の方が多かった。

だから早速コーチと共有し次の試合に向けて練習に取り掛かる。



そして次の日曜日は埼玉で試合。

今度は個人戦のみ。

力まず、気を抜かず、力を発揮できるようにしたい。



でも、その間に実はいろいろ予定もあったりするので地味にハードスケジュールを過ごしている。

そんな自分を楽しんでもいるのだけれど。

2月11日の祝日は東京体育館で開催された「チャレスポTOKYO」というパラスポーツの普及促進イベントで卓球ブースをお手伝いさせていただいた。

10:00~17:00まで来場者とラリーをするというもの。

卓球ブースへの来場者数は400人近かったらしい。



ちなみに、こうした時間はただパラ卓球を知ってもらう、体験してもらうだけの時間ではないと僕は思っている。

それはこのイベントだけでなく自分が関わること、また日常生活においてもそうなのだけど、僕が人と接する、誰かと接する時間は「障害を持つ人と接する時間の提供」とも捉えているのだ(勝手にw)。

だから僕は社会において「障害者代表」だと思ってもいる(勝手にw)。

ではなぜ「障害を持つ人と接する時間の提供」と捉えるのか?それが必要なのか?

これは僕の持論なのだけれど、人は誰でも障害者と接する際に「何かしてあげなきゃいけないのでは?」という考えが自然発生すると思う。

実際はそんなことないのだけれど、心の中のやさしさがそう「気遣わせ」、「してあげなきゃ」という「無意識の偏見」を生じさせると考える。

でも、具体的に何をすればいいか分からない、知らない、教えられてない・・・と不安になる。

だから「どう接していいか分からない」と戸惑う、躊躇する瞬間が生じると思うのだ。

すると不安や余計な気遣いが先行しそれがコミュニケーションを阻害させ、 的確な判断も遠ざかることになりかねない。

だからこそそういう場は出来れば「避けたい」というマインドが生じても不思議はない。

もしそれが人事採用の現場だったら?

公共交通機関、宿泊施設、あるいは商業施設などなど何かしらの人を受け入れる現場だったら?

そうしたトラブルはよく耳にする話でもある。

そこには「障害者と接した経験値不足(経験値0)」が大きな要因にあるのでは?と思うのだ。

でもその経験があれば、少なくとも0でなければ、「別に普通にしていいじゃん」という認識があれば、いざその時を迎えても何ら戸惑うことなく前向きに話を進めていくことが出来るはず。

だから、「別に特別な気遣いは必要ないんだ」「普通に接していいんだ」と「経験値をばらまく」ことが自分の仕事だとも思っている。

そうした理解促進がそれこそまさに共生社会実現に向けた重要な一歩だと思っている。

ついでを言えば、「相手が気を遣わないように自分が気を遣いなさい」という母の名言は、チェアウォーカーだからこそより活かせるのではと思う。



そしてこのイベントでは、台でボールを打つとはいえその内容は普段の練習とは全く異なるものだけど、車椅子の僕にとっては良いトレーニングに「出来る」時間でもあり、また卓球未経験の未就学児を含む様々な方が来場するので、その親を含め一人一人のニーズを探って、「楽しかった!」「またやりたい!」と思ってもらえるようにその方との数分間を過ごすというのは飲食業時代の接客に通じるものがあり、「接客している時間」だけでなくそれを繋ぐ「インターバルの時間」も含め、じゃぁ今の自分はどうあるべき?どうするべき?を考えながら立ち居振る舞いを含め行動をするという、懐かしい感じの濃い時間を満喫できた(笑)

それでこの長時間に集中力を維持する訳だけど(昼食の休憩は30分)、でもそれは飲食時代も変わらないし、当時はもっと長かったので(ランチ、午後のカフェ、ディナーと連続の営業でほぼ半日以上立ちっぱなしの動きっぱなし)、その経験で養われた集中力をもってすれば余裕(笑)

でもこの感覚は久々で自分自身楽しめたしいろいろ勉強にもなった。

またその会場では複数の知人と顔を合わせることも出来たし、新たな出会いもあり「得をした」感もある(笑)



そして今週末の試合の前日になるのだけれど、江戸川区で毎年開催されているパラスポーツ初級指導員養成講座のカリキュラムの中で講師として登壇させていただく予定だ。

これは試合の予定よりもずっと前に決まっていたことなのでこのスケジュールは仕方ない。

実はこれ、毎年依頼を受けていて今年で3回目になる。

これもまた「経験値のばらまき」だと意識している。

余談だが、江戸川区のこの養成講座の受講者数は都内トップらしく、それはまさにパラスポーツに向けた区の取り組みの表れでもあると思うけど、ここで資格を得た方々が様々な現場で活動くださる訳だし、実際に江戸川区の車椅子卓球教室でもご協力いただいていれば区外のいろいろな大会やイベント会場でお会いすることも少なくない(実際今月の試合会場や東京体育館でもお会いした)。

だからこそ、みなさんのプラスになる時間にしなければならない、と僕に圧し掛かる責任は重い。

この講座は数日間かけて複数の専門家が登壇し様々なカリキュラムを学ぶ時間なのだけれど、その中で僕が何を話すの?と思われる方も少なくはないでしょう。

それは・・・内緒です(笑)

ただ、僕は現場を知る人間です。

そして接客の経験からか話すことにもそれなりに評価をいただいています。

さらに僕は所属するシスコシステムズ合同会社で様々なことを学ばせてもらっています。

それら全ての自分の持つ知識やスキル駆使します。

だからこそ、いわば自分自身の確認の場でありテストみたいなものでもあります。



僕はイベントへの参加や登壇というのは僕にとって仕事やビジネスである以上に「社会貢献」と捉えています。

障害があっても、車椅子でも、それ以前にまず人として何かしら社会に貢献できる自分でいたい、社会人として自分には何が出来る?の確認の場でもありますし、学びの場となる訳です。

また、障害を負っているからこそ、チェアウォーカーだからこそ、人生の途中で障害を負っている自分だからこそ、情報発信できる強みがあるとも思えるし、それを活かした活動を行う、そんな自分自身を社会に役立てたい、役に立つ自分でいたいという「欲」があり、それをモチベーションに出来ちゃう訳です。

であるからこそ、社会貢献している自分に酔いしれることが出来(笑)、そんな自分を楽しめる訳で、そこに多少の多忙さがあったとしても苦と捉えずに楽しくやることが出来る、それをまたモチベーションにすることが出来るのでしょう。



そして僕は接客業を経験しているからこそ、僕はその優位性を理解しているつもりです。

それは何か?

それは、クライアントからの評価をリアルタイムにダイレクトで受け取れるということ。

これは接客業だからこそであり、様々な職業がある中でこれを実感出来る職種は意外と多くはないと思います。

会社の評価、上司の評価はある意味間接的なものであり少なからず時差が生じるもの。

それに対しクライアントからの直接の評価ですからまさにダイレクトなものであり、しかもそれをその場でリアルタイムに受け取れる、実感出来るという訳です。

だからこそよりシビアな面もありますが、高評価をその場で直接受け取ることが出来れば、これほど励みになることはないし嬉しいことはないと思います。

それもまたモチベーション。

一チェアウォーカーとして社会で活動することにはこの接客業の優位性と同じような感覚を覚えます。

ある意味それを得たいがために社会貢献をする、というのも否定しません。

それはまさに承認欲求ですが、言い換えればライフワークであり生きがいとも言えるもの。

でも社会弱者と言われるような立場であればこそ、その欲求はより大きくなっても不思議はないし、弱者と呼ばれたくないという反骨精神もまた下支えしているのかもしれません。

そんな自己研削の時間を間に加えつつ、選手としての物理的な自己研削を行って試合に挑みます。



まずはコンディショニング。

体調管理もそうだし、ルーティンから外れた行動・時間は様々な点でデメリットを生じさせるリスクがある。

だからこそ、トレーニングもケアも細心の注意を払って取り組む必要がある。

なんて言うと本物志向でカッコいいなぁ(笑)

ここは口先だけにならないように気を引き締めなきゃいけない。

フィジカルのコンディショニング、メンタルのコンディショニング、用具などその他の物理的なコンディショニングなどなど、多角的に自身を捉え行っていく。

この3連戦、今はまだ課題チェックの途中。

目指す自分を作り上げ、目標に向かって進んでいくのだ。

週末は暖かいらしいけど、体調管理には本当に細心の注意を心がける。

あとは、今のこの野菜の高騰が少しでも早く過ぎ去ることを切に願う(笑)

自己防衛

2025年01月29日 21時33分42秒 | 日記
今回は卓球の話ではない。

少し前になるけど、衝撃的な話を聞いた。

卓球で時々ご一緒する車椅子のマダムがいるのだけれど、その方がバスの中で盗難被害に遭ったというのだ。

どういった被害かというと、それはスリや置き引きではない。

なんと、車椅子座面下に備え付けてあるネットを張った収納スペースに置いていた、買ったばかりの卓球のラケットをケースごと奪われたというのだ!

「〇ルカリで売れるのが分かっているからみたいね」と本人は笑いながら話していたけど、そんなことがあるの!?と驚かされた。

バスの中で、そのマダムの周りを囲むように若い男性(学生)4人が寄ってきたという。

不気味に思ったというし、怖かったとも言われていた。

だけどその時は特に何をされるでもなかったからホッとしたという。

でも彼らが下りた後、そこにあるはずのラケットケースが無いのに気づいたという。

ちなみにそのケースを彼らが持って歩く様子をバスの運転手も含め目撃した人がいたという。

そのマダムは即時警察に被害届も提出。

そうした目撃証言も伝えたというけれど、明確な証拠にはならないと言われたらしく、マダムは「仕方ないね」と諦めていた。

ちなみにその4人組、その近所では顔も知られていて、全員かどうかは分からないけれど中には知的障害者も含まれるという。



日本社会は世界最高水準の安心安全な社会だと思っている。

個人主義よりも良い意味で全体主義というか集団や社会を意識する傾向が強いからこそ、治安の維持とかソフトハード共に社会インフラのレベルが高い国だと思うし、だからこそ僕らのような障害者も安心して生活していける、社会進出していける国だと思っている。

がしかし、こういう事例を耳にすると悔しさや怒りと共に、大きな危機感を覚える。

「自分だったらどうする?」



障害者、ハンディキャッパーだからこそ、日常生活の様々なところで何かしらの「助け」を得ることが多い。

だから僕らはそれをあてにしがち。

「してもらう」「してもらえる」をある意味当然なことと思ってしまっている場合も少なくないし、そういうシーンを目の当たりにすることも日常的にある。

でも個人的にそれは「間違い」と思うことも少なくないし、むしろそれは「勘違い」と思う瞬間も少なからずある。

障害者だから助けてもらって当たり前、守られて当然という認識を僕は肯定しない。

障害者である前に僕は一社会人でありたい。

だから「自立する」「しようとする」意識と努力(その内容は個人差があって当然で一概のものではない)がまず不可欠だと思っている。

本人の努力が必要でもあり、その気持ちを活かす環境もまた少なからず必要で、そうすることで障害者が社会の一員として同じステージで生きていく、それこそが「共生社会」なのだと考える。



話を戻して、じゃぁこういう時はどうすればいいのだろう?

誰かに助けてもらう?

助けを求めたら誰かが必ず助けてくれる?

助けを求めたけど誰も助けてくれなくて、結果的に被害にあってしまったら「誰のせいだ!」と考える?

先述した通り、障害を持つ社会弱者だから、社会では必ず誰かに守られている、なんて考えるのは僕は間違いだと思っている。

全然知らない見ず知らずの人に守ってもらえるなんて考えは自身の安全の担保には全くならないと思っている。

ドライだと思われるかもしれない。

でも僕はそれもまた現実の一面だとも思っている。

実際の話、僕は道路で段差に躓き車椅子から落ちてしまったことが何度かあるけど、その場合ほとんどは近くの方が助けに来てくれたりあるいは声をかけてもらった。

でもその経験の中で一度だけ、比較的若い夫婦(カップル)に目の前を素通りされたことがある。

素通りするんかい!と心の中でつぶやいた(笑)

別に助けて欲しかった訳ではないし助けを必要としていた訳でもないけど、声もかけずに見て見ぬふりをする社会がその時はすごく残念に思えたのだ。

僕は自分で地面から車椅子へ乗り上がることは出来るので、そんな時でも助けを求めることは基本しない。「あら、落ちちゃった」と自分で車椅子の位置を適正に直し自分で乗り上がる。だから声をかけてもらっても「ありがとうございます。大丈夫です。」という場合が多い。だから怪我でもしていない限り大丈夫なのだけれど、でもその場に遭遇して素通り出来るのはまたすごいことだなと思ったのをはっきり覚えている。



それもまた現実

だから、僕は自分の身は自分で守るのが基本だと考える。

車椅子から一人で乗り上がる、これも自分を守る為、生き抜いていく為に必要なスキルだと考え出来るようにしている。

出来ない時、やりにくい時はどうする?を考え、対処法を想定したりもする。



こんなこと言うのもなんだけど敢えて言う。

例えば財布を奪われる、荷物を奪われる、命を狙われる。

移動が人よりも遅い、瞬発力が無いとなれば格好の餌食になる。

弱肉強食が自然の摂理だとすれば、僕らハンディキャッパーは・・・

だからこそ、進化論じゃないけど僕らもそれぞれ成長していかなければならない。

守ってもらうのではなく、生き残っていく為に自分で自分を守る、その心がけを忘れてはならない。



だけど話を戻せば、「弱きを助け」という倫理観があるからこその人間だと思うし、そうした倫理観とか理性をもって判断行動することが単なる動物、生物ではなく「人間」としての証明になるものだと思っている。

「理性をもって本能や感情を自制するからこその人間なんだよ」

と教えてくれたのはお世話になったシェフだ。

なのに、奪いやすいからと社会弱者をターゲットにするのは様々な点で痛々しいことだと思うし、それは誰の目にも残念に映るものだと思うのだけど(武士道精神や大和魂にも反するし、それこそ「風上にも置けない」日本人としてのアイデンティティを損なう行為)、それが未だ絶えないのは、人類を俯瞰すればものすごく情けないものだと思う。

振り込め詐欺とかロマンス詐欺なんかもそうだし、高齢者宅への強盗なんかもまさにそう。

弱者をターゲットにした犯罪。

犯罪だけじゃない。

飛躍させるけど例えば、男性が女性を「落とす」絶好のタイミングはその女性が「振られた時」とも言われるけど、でもそのタイミングだからってそれを好機と捉えて行動に出るのってどうなの?と僕はそれを否定的に思ったことがある。
それってハイエナみたいじゃない?
「弱者」を狙ってるだけじゃない?
それで良い恋愛が出来るの?
それで「本物」になれるの?
と思うのだ。
もしそれが好きな人であったなら尚の事、敢えて見て見ぬふりをして、弱者から回復したところで正々堂々いう方が僕は「スマート」に思う。

そうしないと、自分を内面的弱者に貶めることにもなるだろうから。

自分がどう思っていても人からそう思われたら、そういうことだ。

だからこそ、武士は食わねど高楊枝、という志、生き様に僕は美を思う。



とにかく、そんな事例が身近で生じたということにまずショックを覚えるし、性善説を信奉したい身としてこの案件は衝撃が強すぎる。

だからこそ、より自衛心が高まるというもの。

様々な角度からあらためて注意しなければならないと思わされた。

すごく残念だ。

そのマダムには最近お会いしていないけれど、お元気にされていることを願う。

と同時に、この社会において弱いとされる立場にある方々にこうした被害が及ばない、そんな環境を作り上げていきたいと願う。

「共生社会」という言葉は立場上よく口にするけれど、その道のりはまだまだ長いということか。

でも出来るからやるのではなく、やるから出来るようになる、頑張り続けるから出来る、実現できるもの。

そこを目指して、フォーカスして、前進していかなきゃいけない。

まず自己防衛を心がける。

その中には「手と手を取り合える環境づくりはまず自分から」という理念も含まれている。

世知辛いけど、頑張っていこう。

皆さんもどうぞお気をつけください。

2024年を振り返る

2024年12月26日 21時42分32秒 | 日記
結論からすると、別段大きなターニングポイントの無い一年だった。

けれど、小さい(という表現は使いたくないけれどw)ところでの変化は様々あったしそれを実感出来た一年でもあった。

その積み重ねというか集合体というか、それが結果的に僕の中で大きな変化をもたらしてくれて、一年の終わりのこの時期にはこれまでにない気づき、発想を得ることが出来た、そんな一年になった。

ここで再三言ってるけど、ホント、積み重ねだと思う。

それがどれくらい積み重なるといいものなのかは分からなくて、基準も明確じゃなくて、でも積み重ねなきゃいけなくて、これでどうだ!と思っても足りていなくて、それで打ちひしがれてるとその間に置いていかれるから、だからとにかく歯を食いしばって積み重ね続けなきゃならなくて・・・の繰り返し。

でもそうしていると「あ、そうだったんだ」と気づく、納得できる瞬間があって、それは積み重ねているからこそ気づけること、得られる答えであり、言い換えるなら努力の証(自己評価でこういう言葉を使うのは好きじゃないけど子供たちを含む他者にはよく使うw)で、結果的にはそれを今まで以上に実感出来た一年に思える。

学ぶとか学習するとか情報のインプットは好きな方なので内側の構築備蓄はそれなりに出来ていると胸を張れる。問題は結果というパフォーマンス、アウトプットの部分なんだなぁ。

12月にあったものすごく大切な試合がまさにそれだった。

非公開で行われる来年度の代表選考会。

そこに合わせて取り組んでいたし、コンディションもバッチリの状態だった。

積み重ねてきたことも今までになく自信を持てていたし、今の自分の力を存分に発揮してやろう!という意気込みもあった。

がしかし、練習の成果を発揮できない(笑)

いつまでそんなことやってんだ!と叱咤×10、激励×0の自己評価だった。

確かに良い部分もあった。

でも反省点の方が何十倍も多かった。

自身があったからこそ、今回は特に酷く感じた。

それをどうすれば解決出来るのか?

どうすべきなのか?

もうずっとそれを繰り返している訳だけど、ここにきてまたこの感じというのには自分自身悔しい思いだったしショックを受けた。

ホント、この繰り返し。

そんな感じでこの一年を締めた訳だけど、でも確実に積み重ねているものは実感出来ていて、今までずっと僕を覆っていたモヤモヤがようやく消えて晴れ渡りそうな機運を感じ得ることが出来た。

長かった(笑)

これこそまさに周囲の支えのお陰。

様々なコーチ達の存在、指導、その学びがあればこそ。

これを維持していくには自分自身の根本的な成長が絶対条件であり、その成長があるからこそそれを取り巻く様々なものが成長していけるのだと思う。



「アスリート・ファースト」

という言葉が一時流行ったけれど、僕のお世話になっている専門家曰く、「あれは間違った言葉なんです」と言っていた。

日本では東京2020が決まった頃から使われるようになった言葉だったけど、欧米ではそんな言葉は使っていなくて、基本理念としてはその当時からすでに「アスリート・センタード」という言葉があったそうだ。

その意味は敢えて割愛するけど、自分自身の活動において、センターに位置する自分の更にセンターの部分を磨き成長させていくことが大切だと思う。

そのコアの部分の成長があればこそ、そこから成長が広がっていくというもの。

枝葉の成長の前にまず幹や根の成長がある訳だし。

そっちが育たなきゃ自立すらできない。

そんなのは嫌だ。

「基礎」とか「土台」というけれど、何をもってそれとするのか、解釈それ自体が人それぞれ。

その点僕のそれはしっかり定めることが出来ている。

だからこそ、それを軸としてこれからもしっかり成長していけるようにまず自分を磨いていく。

それが未来という結果を生むはずだから。

でも世界中のみんながそうやって成長し続けている。

だから競技の世界において成長っていうのは自己満足では成り立たない。

他者の存在を認めつつ、受け入れつつ、磨いていかなければならない。

その為に必要なのは・・・

うん、理解出来ている。

現状に満足する訳ではないけれど、だからこそさらなる成長を求めて試行錯誤していける。

この調子で来年も頑張っていこうと胸を張れる。



人生で大穴を当てるようなことはまず無いと言えると思っている。

ゼロではないだろうけど、だからってそれを当てにするのは僕の生には合わない。

だから、僕はコツコツと積み重ねていく方が良い。

来年もそうしていく。



今年もお世話になりました。

ありがとうございました。

来年もまずは体調管理をしっかり行ってケガなどもしないよう十分に注意し活動していきます。

皆さんもどうぞよいお年をお迎えください。

カモン白蛇!(笑)

大阪遠征

2024年12月06日 21時43分14秒 | 日記
毎年大阪舞洲で年に2回開催されているピンポンパーンという車椅子卓球大会があって、今年も参加させていただいた。

一般的な大会や公式戦とは違って、車椅子の卓球チームが主催するものなのでアットホームな感じで、また「もてなしの心」が様々なところで見受けられる温かくユニークで面白い大会。

でも、参加する選手は国内トップの選手が多く、今年の全日本でクラストップの選手が3人、2位の選手が5人、僕を含めベスト4の選手が4人、他にも国内トップレベルの選手が様々に集った錚々たるメンバーによる大会。

更には立位や健常者の方も車椅子に座って参加OKの大会なので、立位の代表選手やプロコーチなども加わったハイレベルな大会なのだ。

だからこそエントリーする価値があるし、大会スポンサーでもある地元企業のマジで美味しいご当地ソースが参加賞でもらえたりもするので2度おいしいのもあり(笑)、パラ卓球界では時期の風物詩と言える大会でもある。

参加する選手それぞれで目的意識は様々あるだろうけど、僕の場合は次の試合に向けた確認と準備という意味合いが強く、テーマをもって挑むものだった。

僕は金曜日に仕事を終えてから移動し、土曜日は会場でお昼から多くの選手達と一緒に前日練習。

そして日曜日が試合という流れ。

ちなみに僕はいつもマイカーで移動。

日曜日も試合を終えたその足で車を走らせ帰京したのでした。



そして試合。

主催者の判断により選手のレベルに応じた予選リーグが設けられ、更に当日のくじ引きによる組み合わせでメンバーが決まるというシステム。

僕は上位のリーグに入れていただいたのだけれど、そこもすごく濃いリーグに。

パラリンピアンがいれば健常者プロコーチがいて、立位代表選手がいて、さらにもう一人代表選手がいるというもの。

障害によるクラス分けはないけれど、考えてみればリーグ内では僕が最も重いクラスだった。

そんなこと全然意識してなかったけど(笑)

その5人リーグで結果は1位と5位が確定。

2~4位は僕を含む3選手が勝敗数もセットカウントも全く同じということでじゃんけんで順位を決めることに(これも事前にアナウンスされていた方法)。

そのじゃんけんで僕は負けて4位確定。

1~3位が上位トーナメント、4,5位が中位トーナメント(更に下位トーナメントもある)進出なので、僕は中位に進むことに。

そのトーナメントでは嫌なイメージのある選手複数と対戦し、なんとか勝利を重ねて決勝戦まで進み、その決勝も苦手意識のある選手だったけど何とか勝つことが出来て優勝したのでした。

上位トーナメントに進めなかったのは残念だったけど、でも結果的にはより多くの試合を行えたことは僕にとって幸いなことだったし、タイミング的にもそれは良かったと思えていて、様々な点で収穫の多い試合となったのでした。



自分自身の現在地のチェックというのは常々心がけていることだけど、僕の場合それを見誤ることが多い。というか正しく認識できたためしがない。

そりゃそうだ(と肯定する自分もいるw)。

だって、その時の調子の良し悪しもあれば、自分自身の、あるいは環境面などといった外的要因のコンディションの違いもあるだろうし、それだけじゃない、対人競技だからこそ、相手のコンディションの違いもあって然りだから、全く同じ条件なんてのはあり得ない訳だ。

だからこそ、自分の立ち位置を確かめたいなんて思ってみても、正確なことをはかり知るのには無理がある。

でもそれでも知りたい。

知っておきたい。

だからその答えを求めてしまう。

そして結果から自分なりに結論付ける。

だけど、今回もそう、自分が持った印象と実際の立ち位置がどうなのか、そこにはギャップがあるんじゃないかと不安が残る。

まぁきっと誰もがそういうものなのだろうなとも思うのだけれど。

唯一絶対に間違いのない立ち位置、それはチャンピオンのみ。

でも頂点に立てば、立つからこそその位置を失いたくない、奪われたくないという不安がより大きくなるものだろうし、それがより重くのしかかるだろうから、他とは比べようのない大きな不安に苛まれるのだと思う。

であれば、やはり誰でも不安と戦う、ある意味その不安と共存しているのだといえる。

だからこそ、結局その不安を取り除くには毎日の積み重ねしかないなと僕は思っている。

しかしそれで必ずしも不安が取り除けるものではないのもまたリアルなところ。

結局はそのループを繰り返すことになる。



でもそのループを上方向のループにするのか、あるいは下方向にするのか、そこが重要になると考える。

そこには主観だけでなく質の高い客観的評価が不可欠であり、まずその環境を有しているかどうかが大きな分岐点になり得ると思える。

だって、自己評価だけでは都合の良い方向へ向きがちだから。

そしてその客観的評価を受け入れられるだけのコーチャビリティが自分自身どれだけあるかにもよるだろうし、そのフィードバックがどのくらいのレベルで行えるかという相互の信頼関係もあるだろうから、シンプルなことではないけれど、でもループを上下どっちに向かわせるか、それを変化させることは可能だと考える。

だから、柔軟な意思で、信念をもって、突き進むのみ。



なんて言うとカッコいいなぁ(笑)

いずれにしても、立ち位置はよく分からないし不安も拭い去れない。

でも手ごたえを実感できる部分もあったりする訳で、それは日々の積み重ねによるものだと思える。

そうやってPDCAを繰り返していくしかない訳だし、この大阪の試合みたいにそれをチェックできる機会があることをまず感謝したい。



ちなみに、よく聞かれるのが「〇〇で何か美味しいもの食べてきたんですか?」ということ。

今回であれば「大阪」であり、魅力的なメニューはたくさんあるのだけれど、実は試合でも合宿でも遠征に行った際にご当地グルメを食するということは全くと言っていいほど無い。

すごく残念なことではあるけれど、体調管理の為にそうしている。

僕の場合障害の都合上その辺りはよりシビアに管理する必要がある為。

じゃぁ何を食べる?

答えは、コンビニ食。

その方が管理しやすいし調整しやすいしどこでもイコール・コンディションだから。

だからどこへ行っても毎回同じもの、似たようなものになる。

ご当地とは真逆(笑)

で、時々ご当地スーパーのお惣菜。

これは超ドキドキで、その買い物なんかは見るだけで嬉しいし楽しい時間になる。

今回の大阪はコンビニでした。

試合を終えてそのまま帰路につくのだけれど、食事をする時間も惜しいので基本は移動中に車内で食べればいいじゃん、となり、某コーヒーショップのハム&チーズのパンとコーヒー、あるいはコンビニで買ったパンとコーヒーという食事で「腹を満たす」。

コーヒーショップのそのパンは気に入っているので、移動時の食事はむしろそれを意識していて、どこにお店があるというのも頭に入れている(笑)

食べやすさもあるから。

大阪と言えばだれでも思い浮かぶメニューは多数あるけれど、それには一切触れずに帰京。

コーチへのお土産も結局は「名古屋みやげ」を買って帰る始末(帰路途中のSAで、クオリティ重視で選ぶからw)

僕はそんな人間です(笑)



さぁ、季節も進み体調管理がまた一段とシビアな季節がやってきた。

コンディションもスケジュールも様々に自分自身を管理し活動していく。

少しでも上に向くように、それが例えループしていても、上に進んでいればそれもまた良し。

未来の自分を悲しませないように今を頑張る。