よく耳にするのが「メンタルが弱い」という一言。
以前は僕も自分をそう思っていたし、自分のことをそう表現していた。
でも、専門家によれば「メンタルは『強い』『弱い』で評価出来るものではない」という。
それを聞いて、合点がいって、それ以降僕はそういう表現はしないようにしている。
そもそも、よく耳にする「メンタルが強い」と言われるような人。
その「強いメンタル」は言葉を変えると「自己中」とも言えるのでは?と思うのだ。
実は以前からずっと(笑)
他を気にしない、自分を貫ける、決して譲らない。
だからメンタルが強い。
であれば、僕は単純にそういうことなんじゃないの?と思っていた。
もし何かを決断しなきゃならない瞬間に、迷うことなく強い意志で即決できるのが「強いメンタル」だとした場合、その背景には何があるのだろう?
仮にその人の中にそれ以外の選択肢が無かっただけだとしたら?
その良し悪し関係なく、ただ自分がやりたいからという理由で選択しただけだとしたら?
リスク・マネジメント?そんなの考えてられねぇよ!ノリでいこうよノリで!ということだったら?
言われたことをただがむしゃらにやっているだけ(自分で考えていない)ということもあるかもしれない。
場合によっては「脳筋」というのも「強いメンタル」かもしれない。
じゃぁ逆に弱いメンタルの背景を考えてみたい。
即決できないのはなぜ?
優柔不断だから?
じゃぁなぜ優柔不断(と評価されるほど悩むのか)を考えてみても良いのではないだろうか?
それは逆にそれだけの選択肢を持っている表れだし、その瞬間にその判断をしようとする思考能力を有していることになる。
無意識に反射的行動を取るのではなく、自分の意識化で行動をしようとしていることの現れ。
それは自分自身を客観的にコントロールしようとしていることと取れる。
その思考の時間(数秒、あるいはコンマ何秒)がマクロでみると空白の時間になっているだけであり、その時間が本人の中で、あるいは周囲の評価として「即決できていない」となり、それを悔やむ、そして落ち込むなんてすると「メンタルが弱い」なんてことになるのではないだろうか?
でもそれは悪いこと?
その決断を悩む理由に選択肢の多さがあるとして、その選択肢にもし自分以外の要因(チーム、チームメイト、スポンサー、応援してくれている家族など)もあるかもしれない。
その人たちのことを考えて、その人たちのプラスになること、マイナスにならないように考えてということもあるはず。
それは「プレーに集中できていない」と言える。
けれど、見方を変えればそれは「自分以外の人のことを考える優しさ、思いやり」と捉えることも出来る。
そんな人を「メンタル弱い」という?
卓球のような個人競技であれば自己責任として結論付け出来るけれど、これがサッカーやバスケなどチーム競技になった場合は全然違ってくると思う。
「自己中」に動く選手はメンタルが強いかもしれないけど、チームとしてはどうなんだろう?
他の選手のことも考えた、理解出来た言動が出来なければチームとしてまとまらないだろうし、プレーだって良くならない、良いチームが構築出来ないのではないかと思う。
だから、自分を貫き通せる力を「強いメンタル」とするならば、それは必ずしも高評価に値するとは限らない。
それに、スポーツ選手は生涯現役で過ごす訳ではない。
引退もあるしその後の別のキャリアでの生活もある訳だ。
それなのに、ただ「強いメンタル」と評される自己中的な「人材」をチームの一員として迎えたがる組織が果たしてどれくらいあるのだろう?
むしろ逆に「扱いにくい」と評されることの方が多いように思える。
そういう人材が求められるとしたら、それはその強いメンタルを評価してのことではなくきっと何か別の要素であり、仮にもしその別の要素は欲しいけれどチームの一員としては迎えがたいという場合は一時的な客員扱いというのがオチのように思う。
それでいいの?
だから、「メンタルが弱い」というがそれが必ずしもダメな訳ではなく、なぜそうなのかを理解することでそれはプラスの評価にもなり得ると思うのだ。
そして、それが判断のスピードの問題であればそれをもっと早くするトレーニングを行えばいいし、より的確な判断が出来るだけの選択肢を持てるようトレーニングしていけばいい。
そう、トレーニングで磨いていくことは出来る、それも「メンタル」なのだ(と専門家が言っていたw)。
「技術が下手なんです」
という人は練習をして向上させていく。
「フィジカルが弱いんです」
という人はトレーニングをして身体能力を高めていく。
「メンタルが弱い(自信がない)んです」
という人は、同じようにトレーニングすればいい。
ただ、技術やフィジカルは効果を目(見た目)で確認できるけど、メンタルはそうはいかない。
そこが難しいところだし、トレーニングの難しさでもあるという。
じゃぁそのトレーニングの方法は?
それは、専門家にお世話になるに越した事はないけれど、その専門家は技術やフィジカルのコーチと同じように簡単に出会えるものではないかもしれない。
人口比率は格段に低いだろうから。
じゃぁどうする?
そもそもメンタル・トレーニングに絶対はないと思う。
算数のように答えはひとつではないと思うから。
十人十色であれば、同じ人でもケース・バイ・ケースで答えは変わると思うし。
だから、勉強方法も人それぞれ。
そして、選手とトレーナーの相性もまたそれぞれ。
であるからこそ、まずは自分なりの勉強方法でも良いのでは?と考える。
まずは1冊本を読んでみる。
あるいは話(講義)を聞いてみる。
そこからスタートさせればいい。
恐らくその一歩を踏み出す人の方が世の中少ないだろうから、それだけでライバルに差をつけることが出来る。
そこからアップデートを重ねていけばいい。
必要あれば専門家を探すのもありだし、現代にはネットというツールもあるので相性はともかく出会うことは出来ると思う。
先述した通り、メンタルは強弱で評価するものではない。
であるからこそ、良し悪しのボーダーラインを設けることも出来ないし、人それぞれ違えばその時々で変化もするので評価だって見方や解釈によって変化して当然。
だからこそ、自身をどう評価するかだと思う。
自分を「弱い」と思えばそうなるし、いや、「強い!」、あるいは「弱くはない」と思えばそれが正解なんじゃないだろうか(強弱ではないんだけどw)
先述した「選択肢がたくさんあって、自分以外の人のことも含め考えることが出来る」という人が、迷わず瞬時に的確な判断をし行動に移していけるとした場合、そういう人を周囲は「メンタルの強い人」と評価するだろうか?
いや、その前に「頭の良い人」と評価されるように思う。
であれば、先述した僕の考える「メンタルの弱い人」は、「頭の良い人」になれるポテンシャルを有しているということになる。
それは現時点では原石であることを意味し、磨けば強い輝きを放てるということになる。
であればこそ、成長の為に学ぶ、自身を磨いていく必要がある。
今、磨く方向に進むか?それとも諦めるか?
今は同じ地点にいるけれど、それぞれの方向に進んだ明日は立ち位置が違っていて、その先の未来はさらに違っているはず。
それが1か月、1年、5年とそれぞれの方向へ進み続けた場合、その差はどれくらい開いているだろう?
それが持論の「分度器の理論」(笑)
自分が見定める方向へ足を進めていくのが人生であれば、その時の思いつくままに足を運んでいけるのもまた人生。
ただし、思いつくままに進んだ先で「なんでこんなところにいるんだろう?」と思っても、時間をさかのぼることは出来ないし、引き返すことは出来ないのが人生のリアル。
その人生は引退してからも続く訳だから、現役で活動している時の財産はそのまま引き継いでいくのも然り。
引退したから、就職したから、転職したから、人間がガラッと変わるなんてことはない。
現代のスポーツ選手のスタンダードは「セカンド・キャリア」ではなく「デュアル・キャリア」だというから、様々な面で学びは尽きないし、今学んでいることが未来の自分の財産になる。
だから、自分を卑下することなく常に胸を張って頑張っていればいい。
その頑張りが未来の自分を作る。
そうやって頑張り続ける人は、頑張り続けるからこそ胸を張れる。
でも、判断を誤ることもある。
それはメンタルの問題ではなく、ただシンプルに間違っただけ。
それは戦術とか理論的な判断ミス。
もしそこでその誤りを引きずってしまうとしたらそこにメンタルの問題が生じる。
それがなければ、その誤りを「反省材料」という「糧」として前に向かっていける、進んでいけると思う(少なくとも後悔の念はない)。
それが経験値。
上手くいった場合が成功体験。
そうでない場合は「失敗」ではなく「経験」。
そう考えることが出来ればそれはメンタルがすごく健康な状態にあることだと思う。
と言うのは簡単なんだけどなぁ(笑)
中々自分事として捉えられないのが僕という人間。
いつか日の目を見るその時が来ると信じて、胸張って頑張り続けるしかない。
本当は先週末の試合の結果を報告すべきなのだけれど、この週末にも試合が控えていて、更には来週から2大会連続で控えているのもあるので、それらはまとめてアップ出来ればと思っている。
暑い日が続いている。
体調管理もよりシビアになってきた。
まずはコンディショニング。
頭と心を健全な状態で維持できるよう、まずは身体に不安のない状態の維持が不可欠。
うなぎ食べなきゃ(笑)
以前は僕も自分をそう思っていたし、自分のことをそう表現していた。
でも、専門家によれば「メンタルは『強い』『弱い』で評価出来るものではない」という。
それを聞いて、合点がいって、それ以降僕はそういう表現はしないようにしている。
そもそも、よく耳にする「メンタルが強い」と言われるような人。
その「強いメンタル」は言葉を変えると「自己中」とも言えるのでは?と思うのだ。
実は以前からずっと(笑)
他を気にしない、自分を貫ける、決して譲らない。
だからメンタルが強い。
であれば、僕は単純にそういうことなんじゃないの?と思っていた。
もし何かを決断しなきゃならない瞬間に、迷うことなく強い意志で即決できるのが「強いメンタル」だとした場合、その背景には何があるのだろう?
仮にその人の中にそれ以外の選択肢が無かっただけだとしたら?
その良し悪し関係なく、ただ自分がやりたいからという理由で選択しただけだとしたら?
リスク・マネジメント?そんなの考えてられねぇよ!ノリでいこうよノリで!ということだったら?
言われたことをただがむしゃらにやっているだけ(自分で考えていない)ということもあるかもしれない。
場合によっては「脳筋」というのも「強いメンタル」かもしれない。
じゃぁ逆に弱いメンタルの背景を考えてみたい。
即決できないのはなぜ?
優柔不断だから?
じゃぁなぜ優柔不断(と評価されるほど悩むのか)を考えてみても良いのではないだろうか?
それは逆にそれだけの選択肢を持っている表れだし、その瞬間にその判断をしようとする思考能力を有していることになる。
無意識に反射的行動を取るのではなく、自分の意識化で行動をしようとしていることの現れ。
それは自分自身を客観的にコントロールしようとしていることと取れる。
その思考の時間(数秒、あるいはコンマ何秒)がマクロでみると空白の時間になっているだけであり、その時間が本人の中で、あるいは周囲の評価として「即決できていない」となり、それを悔やむ、そして落ち込むなんてすると「メンタルが弱い」なんてことになるのではないだろうか?
でもそれは悪いこと?
その決断を悩む理由に選択肢の多さがあるとして、その選択肢にもし自分以外の要因(チーム、チームメイト、スポンサー、応援してくれている家族など)もあるかもしれない。
その人たちのことを考えて、その人たちのプラスになること、マイナスにならないように考えてということもあるはず。
それは「プレーに集中できていない」と言える。
けれど、見方を変えればそれは「自分以外の人のことを考える優しさ、思いやり」と捉えることも出来る。
そんな人を「メンタル弱い」という?
卓球のような個人競技であれば自己責任として結論付け出来るけれど、これがサッカーやバスケなどチーム競技になった場合は全然違ってくると思う。
「自己中」に動く選手はメンタルが強いかもしれないけど、チームとしてはどうなんだろう?
他の選手のことも考えた、理解出来た言動が出来なければチームとしてまとまらないだろうし、プレーだって良くならない、良いチームが構築出来ないのではないかと思う。
だから、自分を貫き通せる力を「強いメンタル」とするならば、それは必ずしも高評価に値するとは限らない。
それに、スポーツ選手は生涯現役で過ごす訳ではない。
引退もあるしその後の別のキャリアでの生活もある訳だ。
それなのに、ただ「強いメンタル」と評される自己中的な「人材」をチームの一員として迎えたがる組織が果たしてどれくらいあるのだろう?
むしろ逆に「扱いにくい」と評されることの方が多いように思える。
そういう人材が求められるとしたら、それはその強いメンタルを評価してのことではなくきっと何か別の要素であり、仮にもしその別の要素は欲しいけれどチームの一員としては迎えがたいという場合は一時的な客員扱いというのがオチのように思う。
それでいいの?
だから、「メンタルが弱い」というがそれが必ずしもダメな訳ではなく、なぜそうなのかを理解することでそれはプラスの評価にもなり得ると思うのだ。
そして、それが判断のスピードの問題であればそれをもっと早くするトレーニングを行えばいいし、より的確な判断が出来るだけの選択肢を持てるようトレーニングしていけばいい。
そう、トレーニングで磨いていくことは出来る、それも「メンタル」なのだ(と専門家が言っていたw)。
「技術が下手なんです」
という人は練習をして向上させていく。
「フィジカルが弱いんです」
という人はトレーニングをして身体能力を高めていく。
「メンタルが弱い(自信がない)んです」
という人は、同じようにトレーニングすればいい。
ただ、技術やフィジカルは効果を目(見た目)で確認できるけど、メンタルはそうはいかない。
そこが難しいところだし、トレーニングの難しさでもあるという。
じゃぁそのトレーニングの方法は?
それは、専門家にお世話になるに越した事はないけれど、その専門家は技術やフィジカルのコーチと同じように簡単に出会えるものではないかもしれない。
人口比率は格段に低いだろうから。
じゃぁどうする?
そもそもメンタル・トレーニングに絶対はないと思う。
算数のように答えはひとつではないと思うから。
十人十色であれば、同じ人でもケース・バイ・ケースで答えは変わると思うし。
だから、勉強方法も人それぞれ。
そして、選手とトレーナーの相性もまたそれぞれ。
であるからこそ、まずは自分なりの勉強方法でも良いのでは?と考える。
まずは1冊本を読んでみる。
あるいは話(講義)を聞いてみる。
そこからスタートさせればいい。
恐らくその一歩を踏み出す人の方が世の中少ないだろうから、それだけでライバルに差をつけることが出来る。
そこからアップデートを重ねていけばいい。
必要あれば専門家を探すのもありだし、現代にはネットというツールもあるので相性はともかく出会うことは出来ると思う。
先述した通り、メンタルは強弱で評価するものではない。
であるからこそ、良し悪しのボーダーラインを設けることも出来ないし、人それぞれ違えばその時々で変化もするので評価だって見方や解釈によって変化して当然。
だからこそ、自身をどう評価するかだと思う。
自分を「弱い」と思えばそうなるし、いや、「強い!」、あるいは「弱くはない」と思えばそれが正解なんじゃないだろうか(強弱ではないんだけどw)
先述した「選択肢がたくさんあって、自分以外の人のことも含め考えることが出来る」という人が、迷わず瞬時に的確な判断をし行動に移していけるとした場合、そういう人を周囲は「メンタルの強い人」と評価するだろうか?
いや、その前に「頭の良い人」と評価されるように思う。
であれば、先述した僕の考える「メンタルの弱い人」は、「頭の良い人」になれるポテンシャルを有しているということになる。
それは現時点では原石であることを意味し、磨けば強い輝きを放てるということになる。
であればこそ、成長の為に学ぶ、自身を磨いていく必要がある。
今、磨く方向に進むか?それとも諦めるか?
今は同じ地点にいるけれど、それぞれの方向に進んだ明日は立ち位置が違っていて、その先の未来はさらに違っているはず。
それが1か月、1年、5年とそれぞれの方向へ進み続けた場合、その差はどれくらい開いているだろう?
それが持論の「分度器の理論」(笑)
自分が見定める方向へ足を進めていくのが人生であれば、その時の思いつくままに足を運んでいけるのもまた人生。
ただし、思いつくままに進んだ先で「なんでこんなところにいるんだろう?」と思っても、時間をさかのぼることは出来ないし、引き返すことは出来ないのが人生のリアル。
その人生は引退してからも続く訳だから、現役で活動している時の財産はそのまま引き継いでいくのも然り。
引退したから、就職したから、転職したから、人間がガラッと変わるなんてことはない。
現代のスポーツ選手のスタンダードは「セカンド・キャリア」ではなく「デュアル・キャリア」だというから、様々な面で学びは尽きないし、今学んでいることが未来の自分の財産になる。
だから、自分を卑下することなく常に胸を張って頑張っていればいい。
その頑張りが未来の自分を作る。
そうやって頑張り続ける人は、頑張り続けるからこそ胸を張れる。
でも、判断を誤ることもある。
それはメンタルの問題ではなく、ただシンプルに間違っただけ。
それは戦術とか理論的な判断ミス。
もしそこでその誤りを引きずってしまうとしたらそこにメンタルの問題が生じる。
それがなければ、その誤りを「反省材料」という「糧」として前に向かっていける、進んでいけると思う(少なくとも後悔の念はない)。
それが経験値。
上手くいった場合が成功体験。
そうでない場合は「失敗」ではなく「経験」。
そう考えることが出来ればそれはメンタルがすごく健康な状態にあることだと思う。
と言うのは簡単なんだけどなぁ(笑)
中々自分事として捉えられないのが僕という人間。
いつか日の目を見るその時が来ると信じて、胸張って頑張り続けるしかない。
本当は先週末の試合の結果を報告すべきなのだけれど、この週末にも試合が控えていて、更には来週から2大会連続で控えているのもあるので、それらはまとめてアップ出来ればと思っている。
暑い日が続いている。
体調管理もよりシビアになってきた。
まずはコンディショニング。
頭と心を健全な状態で維持できるよう、まずは身体に不安のない状態の維持が不可欠。
うなぎ食べなきゃ(笑)