Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2010年12月30日(木) 忙中 暇なメダカ 在り

2010-12-30 | 隠れ家・庭仕事

大掃除の中、水槽のメダカさん、陽の光を浴びて長閑に泳ぐ。

「忙中 暇な メダカ在り」

餌をあげよう、さあ、お食べ!

オーストリアで買ってきたガラスの赤い蝶と、幸せな満腹猫、知らないうちに金魚藻についてきた卵が孵化して現れた数個の貝が、皆で仲良く暮らす、私の水槽。

尾がかすかに赤い「赤ヒレ」は、♀。 名前は、大帝エカテリーナどす。やって来た時は、小さなコップに入ったコッピーだった。針みたいに細くて、0.8センチくらいの、ようやく目に見える、居るのか居ないのかわからないほど小さいメダカだったが、今や3.5センチもの体格の良さ。美しく成長した。

その他三匹は、♂。 エカテリーナのお支度、護衛隊。青い縞が粋な男衆さんどす。


2010年12月29日(水) 大掃除とビール

2010-12-29 | ビール・美酒
こういう仕事をしていると、部屋はなかなか片付かない。

友達に、「そりゃ、片付いたら、仕事がないってことじゃないの?」といわれ、
なるほどとも思う。

たとえ片付かずとも、とりあえず、新年を迎えるにあたり、
煤払い、掃除機かけ、資料の保管整理など「やろうかな~」と思って、
朝から始めた。

体を動かすと、その合間に『ホッと一息』には、美味しいビールがピッタリ。
大掃除、部屋の模様替え、というと、まずビールをたくさん買い込むドイツの友人が何人かいる。

グッドタイミングで、本場のビールが届いた!
ドイツの「Radeberger」(ラーデベルガー)とオーストリア「Zipfer」(ジップファー)を送ってくださった。
低温コンテナで輸入しているから、品質が保たれたまま日本に届く。
日本に居ながらにして、本場の味わいを楽しめる。


Radeberger
ドイツ、ドレスデンのビール。
ビスマルクが好み、ザクセン王フリードリヒ・アウグスト三世御用達。



www.jena.co.jp

Zipfer (オーストリアのZipfに醸造所がある。美しい土地で醸造されたクリアな味わい)



お正月にも、晴れやかな気分で本場のビールで乾杯!
「Vielen Dank!」


2010年12月28日(火) 誰でも、こういう時がある。何を思うか「這いずり乳飲み子」

2010-12-28 | ich 私
一夜明けて、隠れ家にて、掃除から始まる12月。




昔の写真の整理のついでに、今日は、這いずり。
(ブログにすると、写真の整理にもなる)

これはほんの数カ月の頃。
人間なのに、何かの幼虫みたいで、面白く撮れている。
目が落ちそうに大きい。

後ろにあるのは、足踏みオルガン。
小学校のころ、父がピアノを買い、オルガンはお払い箱になったが、レトロなオルガンを捨てたのはもったいなかった。


2010年12月27日(月) あらら、間違い 昨日も今日も、一歳半でした

2010-12-27 | ich 私


昨日の写真、実は一歳半だった。

今書いている本で、
お話を聞いた花街の大きいおねえさんが数え年でおっしゃるので、
何だか私の頭の中、一瞬、数え年モードになってしまったのだ。

今日の写真は、その二ヵ月後。
「大きいねぇ。もうすぐ幼稚園ですか」と近所のおばあさんが聞くと、
「いえいえ、まだ赤ん坊ですよ」と祖母がその度に答えるので、がっかりしたのはこの頃だったか・・・。

お家の前をお掃除。
今もそうだが、何でもしたいのは子供の時から。

ドイツ政府観光局に勤めていたとき、ドイツファンという近所に住むおじさんから、
「結婚以外は、何にでも興味があるのか」といわれ・・・なるほど言い得て妙だと思ったが、人はいつどうなるかわからない。

お掃除の帽子は野球帽だが、履いてる下駄はなぜか同じ。
とても好きだったこの蝶の下駄は父と母が大事に取っておいてくれたこともあり、何と、今も物置に入っている。

2010年12月26日(日) 二歳半の私

2010-12-26 | ich 私


何年か前に、叔父や叔母が昔の写真を持ってきてくれた。
それを集めておいた袋が出てきたので、写真を保存しようとスキャンした。

これは、二歳半の頃。(と、昨日書いたが、計算違い。実は一歳半だった)

大人のベストを着て、近所の幼稚園の子がくれた帽子を被って、ちょっとおねえさん気分だった。
「私はもうすぐ(あと半年もあるが…。いや実は、あと一年半もあるが)三歳。もはや赤ん坊ではない」と思っていたような…。

その頃の家、勝手口が白いドアだった。
その前に立っている。

蝶が付いてる下駄は、赤と黄色で可愛らしくて、鈴も付いていたので好きだった。

(今も、出たての舞妓のオコボには鈴がついている。こういう昔の幼い子供の伝統が生きているということだ)


2010年12月25日(土) 昨日のクリスマスパーティー

2010-12-25 | お友達
昨日、予定がビッシリだったのだが、どうもカメラがおかしい。
来年一月早々に京都で撮影も控えているし、
やはり点検してもらおうと、銀座のニコン・プロサービスセンターへ。
イブのざわめきの中、凄い勢いで、銀座を歩いた。

あらら、やっぱり、レンズの修理が必要とのこと!
一月まで預かり修理となった。
だが、代わりのレンズを貸してくれるから、助かる。

そして、大慌てで、Mちゃんのマンションへ。
皆、既におそろいで、「あら、遅いじゃん」と香保里ちゃん。

シャンパンで乾杯。
美味しいお料理、いただき、
タロットカードでふくちゃんママに来年を占ってもらい、
本場のパネトーネをいただき・・・

気が付けば、11時をかなり回っていた。
Kちゃんが私のカバンを持ち(「あら、重いのね」、といいつつもタクシーまで持ってくれて、ありがとう。)、さらにMちゃん、Maちゃんも、三姉妹で大通りまでお見送り。
ありがとう。

電車に間に合い無事帰宅。

忙しく、愉しい日だった。





2010年12月24日(金) クリスマス Frohe Weihnachten

2010-12-24 | ドイツ・ベルギー
いよいよクリスマスイブ。

Frohe Weihnachten und ein gutes Neues Jahr!

皆さん、良いクリスマスを!

初めてドイツでクリスマスを過ごした年、Adventが11月末から始まっていたから、
24日ともなると、すでに一ヶ月近くもの間、
家々の窓、お店のウインドウ、教会、すべてがクリスマスムードであった。

ところが、友人知人の間で、
「今日は24日」というのに何も起こらず・・・。
普通の日だった。

聞いてみれば、「クリスマスは明日よ!」とのこと。
25・26日にパーティーで、友人たちがたくさん集まった。
その後、何となく毎日のように近所の人たちが、シュトレンでコーヒーを飲みに来たりして、31日大晦日に突入。

夜中に大花火大会がライン川にて開催され、近所の家の庭でも夜中の花火、花火。
そして、クリスマスは、1月7日の三王来朝の時まで、ずっと続くのだった。
息が長く、ず~と祝っているのも、体力があればこそか・・・。

さて、今日は押せ押せで、仕舞とお謡いの稽古、三味線の稽古が重なってしまったが、
その後、
宮口香保里ちゃんの妹の真井都ちゃんのところで、クリスマスパーティー。
お招きありがとう。


2010年12月23日(木・祝) 川端康成の京都 友禅作家 田畑喜八さん

2010-12-23 | 文学
京都に親しんでから、改めて、水上勉、谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴、川端康成などのの作品を改めて読んだ。

してみると、特に、川端康成の小説に登場する場所にとても共感を持った。
小説には現実の地名で書いていなくても、「ああ、ここだ!」、という情景が次から次へと出て来て、行間の意味というか、作家の奥底にある情景への思い入れが見て取れるような気がする。

その場所は、観光ルートとは程遠かったり、逆に観光客でざわめく通りをほんの少し入っただけの場所だったり、山奥だったり、いわゆる何もない(店も名所旧跡もない)場所だったりするのだが、「そんなところどうやって行かはった?」、「どうして見つけはったん?」と京都の友達に聞かれるような場所だ。

わざわざ探して出かけた場所ではない。
抽象的な表現になるが、中心に居ないで、端へ、奥へ、隅へ行ってみて、そこから中心を眺めたいとか、隠れた場所から本質が見えるのではと思いつくままに出かけたとか、たまたま散歩して行き着いた場所なのだ。

土地、というのは、訪れる時間帯や季節によって様々な様相をみせ、毎回受ける印象が異なるものだから、まさに風景との一期一会だ。
不思議に、小説に出てくる場所が、その季節や時間帯も同じ場合が多い。

「古都」の双子の姉妹が二人で雷雨をしのぐ杉林や、隠れた庵、細い路地・・・。

先月、染色家で「都をどり」の総踊りの衣裳も担当している田畑喜八さんを訪ねた。
京都を離れてみようと早稲田大学を卒業し、<京都の江戸っ子>を自称する田畑さんは、チャキチャキとして、ユニークで、何事にも詳しく、魅力的な人だった。

本論の友禅のお話も終わったので、さあ、失礼しようと立ち上がると、
田畑さんが、川端康成のお話を始めた。
学生の頃、川端康成の鎌倉の邸宅に招かれ、
川端康成も、何度もお父様(人間国宝)を京都に訪ねて、長話しをしていたという。
そして、「私が書きますよ」と小説(「古都」と思われる)の構想をそれとなく語り、
お父様を登場人物にしたいとおっしゃったそうだ。

「あなたが、今、座っているところに、川端先生がいつも座られ、父と話してましたわ」と田畑さんは昔を思い出したようだった。

偶然に、川端先生と同じ場所に座るとは、ありがたく、晴れがましく、おそれおおいことどす。


2010年12月22日(水) 旦那さんは光源氏の心意気?

2010-12-22 | 京都花街
京都花街の本の原稿、今日はここ数日には珍しく、楽々と、愉しく進んでおりまする。

あるおかあさんの10歳くらいの頃の写真(戦前)を見ながら、当時の「少女さんの宴会」(9・10歳くらいの仕込みさんがお酌する宴会)について書いていると、光源氏が若紫に出会うシーンが思い浮かんだ。

・・・18歳の光の君は、10歳くらいの愛らしい女の子に出会う。
「雀の子を犬君が逃がしてしまった」と泣いているその子は、まだホンノ子供だ。
「あらあら、いつまでもおネンネで、こんなに幼くて困ったわねえ」と言われている
その子は、他の子供とは全く違って、美しい!!

『成長したらどんなに綺麗な女性になるだろう』と、光源氏は色っぽい想像をしながら、
その女の子を、自分好みの女性に育て上げようとするのであった。・・・

花街の“正統派旦那さん”の心意気、まさに是でしょうねぇ。

(この本、淡交社から来年5月に刊行されます!)




2010年12月21日(火) 月とすっぽん

2010-12-21 | 京都府
先日の京都で、西陣各所を取材させてもらった。

西陣には有名な老舗があり、こういうところ、一人では行けないが、お茶屋のおかあさんや、友人知人にお供させてもらうことがある。
魅力的だが、一人でふらりと立ち寄ろう・・・という店ではない。

そんな中、気楽に、思いつくまま、お手ごろ価格で、まる鍋(=すっぽん鍋)や、もろこ、てっさ、モモ焼など、とても美味で、洒落たお料理を出してくれる「京料理 八八屋」という店がある。今、三代目というご夫婦が何となく良い感じで、何度も行きたくなる。

寒い日に、上七軒の某お茶屋さんで写真を撮らせてもらい、歌舞練場の中庭で御餅つきがあり、お昼ご飯にお持ちをいただいた。
夕方、千本通りを歩きながら、カメラが重いし、暗くなって寒くなってきた。

さっきまで物凄い黒紋付を見せてもらったり、気分が盛り上がっていたのに、何だか、急に、つまらないな~。

そして、「八八屋」さんへ。まる鍋、もろこ、ナス田楽など何だか、たくさん食した。
帰り際に、フグのヒレを焼いたのを持たせてくださった。
私がヒレ酒が好きだからだ。(嬉しいな)

帰宅して18日の深夜。物凄い月明かり。
月が明るいというより、夜中に太陽が出ているかのような光だった。

月の輝く夜に、すっぽん鍋を思い出しながら、ヒレ酒・・・。
江戸時代なら、供奴も、今夜は提灯なしで、旦那に遅れず出かけよう、ってな夜だった。

2010年12月20日(月) 1月プレスツアー

2010-12-20 | 仕事
町なかのクリスマス・モードから、ヨーロッパを思い出す数日が続いていた。

すると、英国政府観光庁さんから、1月17日と、3月(日付未定)にプレスツアーがあるとのお誘いお電話。
今回のツアーは、一カ国の参加者は一人に限られているそうで、多数の国の人たちと取材してまわるらしい。それは魅力的! 

「いかがですか?」と言われると、
伊達屋酔としては、ぜひとも参加したい。
もちろん、一月でも、三月でも飛び立ちたい。

ところが、1月末の締め切りがあっては・・・。
11月下旬から取材をはじめたので、まさか1月16日までに仕上げられるとは思えない。

ならば、三月にということになった。
毎回、各国へ声を掛けているようなので、三月にも日本へお誘いがありますように!

2010年12月19日(日) ドイツの兄より旅立ちメール チャーター便

2010-12-19 | ドイツ・ベルギー
30年来の友人(?)というか、ドイツの兄(?)から、メール来る。

「初めて、Weihnachtsmarkt(クリスマスマーケット)へ行ったよ。今年は雪が早くから降って、大雪だよ。Gluehwein が美味しかった。」と書いてある。

へぇ~。
キリスト教に熱心ではないから、
「クリスマスなんて関係ない。クリスマスマーケット? Kyokoは好きだな。行きたきゃ、行ってきたら?」
と言ってたのは誰?
ま、(年とって?)そんな気ィになって出かけたんでしょうね。

そして、私も年とったのか、
『あらら、興味無いって言ってたじゃない!どうした風の吹き回し?』
とは書かずに、
「あら、雪のクリスマスマーケットとは、ロマンチックね。私も行きたいわ!」

その兄曰く、
「Air Arabia がケルンへ乗り入れたから、安く飛べる範囲がさらに広がった。
さっそく試してみるよ。カサブランカへ行って来る」
そうな。

今になって、日本で、安価なチャーター便が話題になったが、ドイツはもう何十年も前からある。私も何度もチャーター便でエーゲ海へ、トルコへ、ギリシャへ、シチリアへ、スペインへ、ノルウェーへ、イングランドへ…各地へ飛んだ。
トルコのマルマリス近く、ダラマンの軍事空港へ降り立ったこともあり、それも面白かった。
Last Minute という直前予約があり、ホテル付きでさらに安くなる。
大体、一週間単位で、二週間、三週間で休暇に出かけるのだ。
有給休暇の長いドイツならでは、かもしれない。
たとえば、クレタ島で遺跡を見学した後、海辺のホテルで1週間滞在、というように勉強した後、リラックス。というパターンもある。

昔、シチリア島の某大聖堂の祭壇の前で出会った(と言うとロマンチックだが)医者の卵は、ドイツなら皆が知っているような企業の長男だが、家を継がないで自活していたから、当時金欠であった。
だが、「僕のようなお金のない者にも、ドイツでは旅のチャンスがある」と喜んでいた。その後、ニューギニアへ医者として情熱を持って飛んで行き、以来、音信を絶っている。

いずれにしても、お金持ちは思いっきりデラックスに、金欠でもそれなりに旅ができるのはよい。日本もそうなったようだけれど。

ハーパークロイドや、LTUなどが昔はあった。懐かしいな。
ジャーマンウイングスはかなり前から飛び、9.99ユーロでチケットが買える場合もある。大幅ディスカウントする「クレイジーナイト」もある。(最近チェックしてないけど、今もあるかしら・・・)

さて、兄は失業しそうなのを良いことに(?)、時間があるからとPCに向い、物凄い勢いで予約し、ローマへコーヒー飲みに、ルーマニアへビール飲みに、飛んでいる。




2010年12月18日(土) ドイツの友・Gより Weihnachtskarte

2010-12-18 | ドイツ・ベルギー
ドイツよりクリスマスカード来る。
雪が降り続けるGefellのGより。
雪の夕暮れ、淋しく冷たく、暮れてゆく。
家々の窓は、オレンジ色に光り
家の中はクリスマスの暖かさ。

彼女に、壁が壊れた後、1990年に出会い、以来、20年余りの時が過ぎ
何年おきにしか会わないのに、何だか幼馴染みたい。

去年は、私がイタリア、ドイツを取材して回り、チェコへ入る時、乗り換えのMarktredwitz駅 まで会いに来てくれた。時間がないから、二時間半だけしゃべったの。
紅茶を頼んだら、彼女は私に「ビールもあるわよ!いいの?」と言って笑った。

壁の後、失業するまもなく働き続け、30歳ちょっとで大きな家まで建てた彼女。
でも、そういう風情がまったくない。
Marktredwitz駅からChebへ向う、私の電車が出発した時、
何となく、二人とも涙ぐんだの。

数行の手紙でも、何をしているのか、どんな毎日なのか、すぐに想像が付くのよ。
彼氏は慢性的に失業状態・・・
おばあちゃんは具合が悪いといいつつも、元気で
お母さんが彼女が5歳の時になくなって以来、
お父さんは一人で子育て頑張り
レストランのシェフみたいに料理が上手で、本当にやさしく心温かすぎる人。
たぶん、この週末は、鹿のローストでも造るはず。
食事の前にゼクトを飲んでいるでしょうね。

あれは15年も前か。
旧東ドイツのMagdeburg で、
彼女が何軒ものブティックの店長だった時、銀行閉鎖。
夜中に売り上げ金すべてを持って、真っ暗な夜道を雪の中、アパートまで歩き、
(治安がよくないのに・・・)、私は怖かった。
「平気よ!」と言いつつ、彼女も怖かったに違いない。
アパートの廊下から部屋へ入って、鍵を閉め、私たちは思わず顔を見合わせた。
大きなため息をつくと、何だか可笑しくなって、アハハ、アハハと笑った。

そして、ようやく、ー17度の寒さを感て、
もちろん、グリューワインを作ったわ。
寒い、さむい。



2010年12月17日(金) 国立能楽堂 大坪喜美雄先生の舞台

2010-12-17 | 邦楽・お稽古
今日は国立能楽堂で、大坪喜美雄先生の舞台がある。

お稽古していただいている身である伊達屋酔恭子としては、仕事を放り投げて行きたいところだが、もうここまで暮れも押し詰まり、京都取材が長引いた後、本の原稿締め切りも日に日に迫る・・・となると、中々そうもいかんのどす。
残念、無念。

舞と謡はもちろんだけれど、西陣でたくさんお話を聞いた後、能装束を観るのもさらに楽しみになりにけり。