Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2011年6月30日(木) ベルギーの「蝶の庭」 

2011-06-30 | 
夏、といえば小学校の頃は、蝶に魅せられて、
昆虫採集の楽しみ、蝶を眺める楽しみに夢中であった。
中学になると、蝶が可哀想になって、採集は一切やめたが、
蝶を眺めるのは今でも大好きだ。

蝶には特別な思い入れがあって、
このブログにも「蝶」というカテゴリーを作ったのだ。



これは、ベルギーの北海沿岸の町クノック・ヘイストの郊外の
「蝶の庭」(温室で蝶を飼育している)で撮った。


蒼が好き。
美しい、輝くばかりの色彩に、思わず、息を凝らして撮影。

クジャクチョウやアカタテハ、ヒメアカタテハなどがたくさん飛んでいた。

ああ、蝶を眺めると、本当に心にジ~ンと響くものがある。
創造の神が与えた比類なきデザイン…という言葉がしっくりくるような
みごとな色彩、柄、形体。


クノック・ヘイストは高級リゾート地である。
別荘が立ち並び、
「太陽の家」
「花の家」などとニックネームを付けて表札を出している家がいくつもあった。
私なら、「蝶の家」とするかしら。


PS: 昨日の一縷の望みは、残念ながらプチン・・・と切れてしまいました。




2011年6月28日(火) ライプチヒ弦楽四重奏団

2011-06-28 | ドイツ・ベルギー
ライプチヒ弦楽四重奏団が、
被災地でのチャリティーコンサートのために来日し、
被災地を巡った後、最後の演奏を昨夜東京でしてくださった。

ハイドン、メンデルスゾーン、ベートーヴェン・・・。

三味線とは全く異なる弦の音に、
ドイツがありありと目の前に現われ、
急に、ドイツへのホームシックに駆られて、
どうしようもない気持ちから、哀しくなり、涙が流れそうになった。
『なぜ、自分は日本に居るのだろうか・・・?』

だがその後、
このコンサートをお世話なさったというドイツの人たちと話すうちに、
日本に暮らしているという現状を、何だかすんなりと受け入れられる気分になった。

たぶん、生活の拠点をドイツにして居たとしたら、
そして、三味線の舞台に遭遇したとすれば、今度はきっと
『なぜ、自分はドイツに居るのだろうか・・・?』
と思うことだろう。


2011年6月27日(月) 新緑の高野山 モリアオガエルとお不動さん

2011-06-27 | 静寂
今月の某日、(密かに?)高野山へお参りしてきました。

丁寧に修復された宿坊は掛軸も、調度品も、お花も、和の美の極致でありました。
ご住職さまが、お庭で、
「モリアオガエルが居ますよ」
と教えてくださいました。
卵は見るが、カエルに出会うことはとても少ないそうです。
私も卵は何度も各地で見ましたが、モリアオガエルさんに遭遇したのは初めてでした。



カエルとは、失ったものも返ってくる、人も帰って来る、若返る・・・など、
縁起が良いです!


以前、ブログに書いた、近所の無量寺で、
子供の頃、「カエルさん、見えますか?」と、
石でできた大きなカエルに話しかけていたのですが、
それと、ちょうど同じポーズで、
新緑色のモリアオガエルさんが、池を眺めていました。

泊まったお寺の軒下には、
ミソサザイの巣がありました。

輝く新緑の中には、お不動さん。
その前を流れる清い水が色んなものを浄化するかのようでした。


深山のふところで、たくさんの命がそれぞれ営まれている・・・
静かな中に、私は、「生命の活気」を見たのでした。


2011年6月26日(日) 昔はおモテになったそうで

2011-06-26 | 仕事

某氏のお集まり。

「若い頃は、たいそうおモテになったそうで」
という某氏と長いお付き合いという人のスピーチに、
あちこちのテーブルで、楽しげなどよめきや、少しの困惑の気配があった。

某氏は若い頃の姿を髣髴とさせる容姿端麗だが
・・・『若い頃って、だいたい、モテルものよね』


2011年6月25日(土) 紗袷

2011-06-25 | 着物
先日、紗袷の着物を着て出かけましたら、
「あら、下の柄が透けちゃってるの?」とか
「暑いのに、二枚着てるんですか?」

などと言われ、
「紗袷ね!」と、
“おかしな着物だ”と思わなかったのは、
お茶屋さんの若い仲居さんだけだったかもしれない。

絽に紗を重ねて、薄物を袷に仕立てた着物・紗袷(=しゃあわせ)。いつも着物を着ている女優さんが、TVのインタビューで、やはり紗袷を着ていた。
季節を大切にする中で、この時期の着物であり、お洒落(?)というわけだけれど、
知らない人が増えれば、着る人も減るどっしゃろねぇ。


だいたい、上に重ねる紗は、紺色とか、くすんだ紫とか、チャコールグレーとか、落ち着いた地味な色だ。私が着ていたのは、紺色にちかい縹色(花田色)だったから、洋服の華やか色彩に慣れている人は、「あ~ら、何でそんな地味な色、着るの?」

舞妓さんは、新橋色(多少緑がかったトルコブルーのような色、と表現できるか?)や、白の紗を重ねることもあるけれど。

日本の色は、和室に座ると冴えて、しっくり来るけれど、
確かに、ビルの谷間では、ねぇ・・・。

2011年6月24日(金) 蘇芳とコチニール

2011-06-24 | 着物
京都の亀岡に、「植物染色」を丹念になさっているTさんがいらっしゃる。

分業が盛んな世界だが、
植物などを焚いて作る染料で染めることはもちろん、
手描き友禅、鹿の子絞り、辻が花・・・何でも一人でなさる。
それはもう、物凄い努力の結晶である。


才能はもちろんだが、集中力と真摯な姿勢がなければできないことだ。
素晴らしい!

そのTさんから、刈安で染めたはんなりと美しいお着物を何年も前に頂いた。
上前に波の刺繍がしてある。
もったいなくて、一度しか着ていない。

そして、先日、
結城紬に、裾と袖の部分に絞りを施し、蘇芳とコチニールで染めたお着物をいただいた。

そういった「貴重な物」にふさわしい人にならなければ・・・、
と思うのだが・・・。

植物染色の材料の数々:



2011年6月23日(火) まだ書くことあったの?

2011-06-23 | 京都花街
新刊書を早くも見てくれた知人が、
「まだ(京都花街について)、書くことあったとは!?」
と、連絡をくれた。

彼は前から、今までの本、
特に「京都 舞妓と芸妓の奥座敷」「未知の京都」
京都花街もてなしの技術」で、私が
すべて書きつくし、これ以上書く事柄など
『ないに決まってる!』から、
『困るだろう?』と、皮肉に言っていたものだ。


書く事がなくなれば、それはそれで、仕方がないけれど、書く事は無尽蔵だ。

彼は、今までにも、
「舞妓さんのお道具帖」
「舞妓さん マナー集」
が出たら、
『何だ、まだ書くことあったのか???』と連絡をくれた。

そして今、また、
『何だ、まだ書くことあったのか???』と、同じ連絡をくれた。

たとえば、一人の人を撮影するにも、
アングルは無数にあるし、
その人の心のあり方も常に同じではないから
表情も常に異なる。
如何様にも、撮影できる。

ゆえに、
一つのことに対しても、様々な角度から、
書くことができると思う。

一つのことから人は(私は)様々なことを思いめぐらせ、考えあぐねるのだ。

色々な事が興味深い。
だから、こうして生きている事も、無尽蔵に興味深く、やっぱり、
そうしていられること自体、幸せなのではないだろうか。



2011年6月22日(水) 新刊 「京都花街 ファッションの美と心」 発売

2011-06-22 | 仕事

***「京都花街 ファッションの美と心」***
(淡交社/文・写真 相原恭子)が、
刊行されました。

書店で今日、発売どす。
芸妓さん、舞妓さんの衣装を愛でる日本人の美意識。
史料を探して、文人墨客の歌や小説の一節なども引用して、
今、感じ取りたい「日本の美学」
ひいては「日本人の美のアイデンティティー」を探りました。

もちろん、芸妓さん、舞妓さん、お茶屋や屋方のおかあさんから聞いたお話や、
西陣、友禅、内輪、簪などの職人さんのインタビュー、
髪結いさんも登場します!

今までにない切り口の本どす。




第一章 髪形 
~黒髪が錨綱より強きこと 君に教へてかへりけるかな 吉井勇

第二章 簪 
~簪はたまたま風にゆらめきぬ 愛宕おろしの君にふく時 吉井勇

第三章 化粧
~おしろいは厚きが可かり 口紅は濃きが可かりといふは誰が子ぞ 吉井勇

第四章 着物 
~次の間に君の脱ぎたる舞ごろも ありてなまめく夜半なりしかな 吉井勇

第五章 帯・ポッチリ・帯締め・帯揚げ 
~ゆるやかにだらりの帯の動く時 はれがましやと君の云ふとき 吉井勇

第六章 足袋と履物 
~木履(こぼこぼ)の鈴の音さへ秋めきて 祇園はさびし君とゆけども 吉井勇

第七章 小物・持ち物 
~蛍がいうた。やみの夜のしょぼしょぼ雨の紺蛇目傘(こんじゃのめ)。
   そっととまって覗いたら 青い手柄が見えたぞえ  泉鏡花


着物姿や着物に思い入れた文人・墨客の詩文や、装いの歴史から、
今を生きる京都花街の芸妓さん、舞妓さん、お茶屋・屋形のおかあさん、
雅を支える西陣や京友禅の職方さん、小物屋さん、
髪結いさん、かつら屋さん ・・・など、
日本の美、京都の雅を支える方々に、今、注目したい!
私が感動しながら撮った写真をたくさん使っています。

お読みやしたら、うれしおす・・・ (*^_^*)


2011年6月21日(月) ドイツの6月

2011-06-21 | ドイツ・ベルギー
ドイツのガビより電話。

ライプチヒの郊外、
美しいレストランのお庭でパーティーがあったという。

6月は薔薇の季節。
薔薇の香りに包まれて、松明を灯して、ゼクトを片手にお庭をそぞろ歩く。


それだけでも、何だか満たされた気持ちになったと言う
ガビの嬉しい気持ちが伝わってきた。

テレビ電話でもないのに、
ピンクや赤、ヴァイオレット、黄色の薔薇の花が咲く風景と、
ふわり、と漂う薔薇の香りが伝わってきた。

2011年6月20日(月) 小さな雑草の可愛いお花

2011-06-20 | 隠れ家・庭仕事
茅ヶ崎の隠れ家にて。

雑草は鬱陶しがられるし、草引きもしなくては・・・と思うけれど、
小さな雑草にも、愛らしいピンクや白のお花が咲いている。
大切なお花!


そっと眺める・・・
優しい気持ちになる。

梅雨の時期も、夏も、いつも、手入れが大変なのだけれども、
このお庭を大切に守ってゆこうと、
改めて心に思うのであった


2011年6月19日(日)  21日(火)放送 「京都 三条ラジオカフェ」

2011-06-19 | 京都府
昨日、京都の三条ラジオカフェで録音がありました。

FM797 Thinktank Journal Vol.2
FM797京都三条ラジオカフェで毎週火曜日18:00-18:30OA中!
世界を翔けるシンクタンカー中野有が世界の中の日本、京都を見つめ語ります。

という番組に出演します。

6月21日(火)18:00~ と、 19:00~ ニ回、放送だそうです。

You tube で聴けるとのことどす。
聴いとくれやっしゃ!


私が京都に関わるようになったのは・・・、
京都と海外について、
京都花街について、
などなど、お話させていただきました。



http://fm797thinktank2.seesaa.net/article/210526639.html
HPは上記です。

ケルンに居た時は知りませんでしたが、
奇しくも私が住んでいたケルン(ドイツ)と京都は姉妹都市。
それが伏線となって、今の京都とのご縁があるのかと思うと、
不思議であり、
とても嬉しいことです。




2011年6月18日(土) 美食のベルギー/デュルビュイのザリガニ

2011-06-18 | ドイツ・ベルギー
6月ころは、日が長いので、
撮影にも、取材にも好都合なため、
ヨーロッパ取材に行く事が多い。

この写真は、
6月にベルギーの小さな村・デュルビュイに
泊まった時のものだ。

美味しかった!
と、今も思い出す。
町を流れるウルト川で採れるザリガニの料理だ。



コクがある深い味わいのザリガニで、
殻を使ったクリームソースの美味しいこと!
(オムレツ型をしているのが、ザリガニのムース。)


ああ、こういう時は、白ワイン・・・、ですね。


2011年6月17日(金) 中国の鵜飼

2011-06-17 | アジア
夏の鵜飼は、水の風景と共に野趣あふれ、
特に、炎に包まれた夜は・・・
波に火炎が映り、キラキラする。

写真は中国。
日本のお歴々の方々が招かれた時、私もお招きに預かったのだ。

同里で舟に乗っていると
鵜飼のおばさんが向こうからやってきた。




中国語なのでわからないが、
陽気に大声で話しかけてくれる。
その明るさに感激。

街には小さな旅館やホテルがあって、
そういうところに泊まって、
鵜飼のおばさんと言葉は通じなくてもお話したいな、
と思ったが、
日程許さず。

泊まれなかったのが、残念。
また行こう!

2011年6月16日(木) 鄭州のお酒 おドンブリで飲む!

2011-06-16 | アジア
鄭州の公園だったと思う。
歩いていると、「酒」という文字。



引き寄せられて、
興味深く、入ってみると、
このお酒が出てきた。
どぶろくの甘酒 という感じ。
ご飯が浮いている。




せっかくなので、写真を撮ってもらうと。
この有様。



他のお酒はないのかと、日本語や筆談で説明すると、
清酒らしきものが、やはりドンブリで出てきた。

ああ、これは日本の清酒の味であった。

かなり辛口。キレがあり、日本のふくよかな日本酒とは異るものの、
これはこれで、魅力であった。

2011年6月15日(水) リンダウで買った登山靴

2011-06-15 | オーストリア・ハンガリーと中欧
昨日、ドイツのリンダウで登山靴を買ったと書いた。

その登山靴でのハイキングは、
取材の空き時間のことだった。
登山家ピット・シューベルト氏とパートナーのグレーテルさんに電話して、
キッツビュールで出会い、
近くの山へハイキングをしたのだ。

「疲れているので、ちょっと歩いて、景色の良いところでビールでも飲みたいわ」
という私の意見に、

「OK,OK! そうしよう」
とシューベルト氏。

ところが、登山家のスケールは異なり、
ちょっと歩く・・・というのは、
何と、6~7時間にも及んだのだった。



山小屋で、ランチとビール。


その後、さらに目の前のピークを目指した。
愛らしいお花もたくさん咲いていた。
だが、シューベルト氏の選んだ道は、まさに登攀の道であった。


そして、十字架まで。


疲れたが、空気が良かったので、元気になった。
そして、ホテルのプールで夕方、泳いだのだった。
このくらい元気でないと、ドイツ、オーストリア人と過ごすのは難しいなと・・・。