Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2011年8月19日(金) キマダラヒカゲが窓の中

2011-08-19 | 
カーテンと窓ガラスの間で、何かが動いている。
あっ、蝶だ。

白いレースのカーテンを通して、
現実にはよく見えなくい。

でも、
羽の先をチラと見ただけで、
私には、その色と図柄(まさに着物みたい!)全体が
頭の中で明確な映像と成り、
『ああ、キマダラヒカゲだ!』
・・・とすぐにわかった。


すると、見えないのに頭の中に現れた
キマダラヒカゲの映像が、
羽を畳んだキマダラヒカゲ
羽を広げて標本にしたときのキマダラヒカゲ
飛んでいるときのキマダラヒカゲ・・・

スライドショーのようにオートマティックに姿とアングルを変えて
ありありと全容が表現されるのであった。

1分程度の時間だったか、
私は
ただキマダラヒカゲを見つめ、
そして、
急いで、優しく
キマダラヒカゲが外へ飛んで行くように
窓を少し開けた。

キマダラヒカゲは
熱い空気と共に、
青空の戸外へ飛び立った。

その後、雷雨。
キマダラヒカゲはどこで雨宿り・・・。



2011年6月30日(木) ベルギーの「蝶の庭」 

2011-06-30 | 
夏、といえば小学校の頃は、蝶に魅せられて、
昆虫採集の楽しみ、蝶を眺める楽しみに夢中であった。
中学になると、蝶が可哀想になって、採集は一切やめたが、
蝶を眺めるのは今でも大好きだ。

蝶には特別な思い入れがあって、
このブログにも「蝶」というカテゴリーを作ったのだ。



これは、ベルギーの北海沿岸の町クノック・ヘイストの郊外の
「蝶の庭」(温室で蝶を飼育している)で撮った。


蒼が好き。
美しい、輝くばかりの色彩に、思わず、息を凝らして撮影。

クジャクチョウやアカタテハ、ヒメアカタテハなどがたくさん飛んでいた。

ああ、蝶を眺めると、本当に心にジ~ンと響くものがある。
創造の神が与えた比類なきデザイン…という言葉がしっくりくるような
みごとな色彩、柄、形体。


クノック・ヘイストは高級リゾート地である。
別荘が立ち並び、
「太陽の家」
「花の家」などとニックネームを付けて表札を出している家がいくつもあった。
私なら、「蝶の家」とするかしら。


PS: 昨日の一縷の望みは、残念ながらプチン・・・と切れてしまいました。




2011年5月27日(金) ファーブルの庭で ~セリニャン/フランス~

2011-05-27 | 
今日、電車の中で、ふと南仏の旅を思い出した。

オランジュやアビニヨン、マルセイユなど各地をふらりとした旅だったが、
もっとも感激したのは、セリニャンであった。

今も昆虫が好きで、蝶を見ると「胸キュン」だが、
特に、幼稚園から小学校のころ、
蝶、蛾、甲虫類、幼虫・・・とにかく、夢中になっていた。


2011年1月13日・15日のブログには、
私の愛読書だった昆虫図鑑などについて書いたが、
ファーブルの昆虫記も、何度も何度も熱心に読んだものだった。

さて、その南仏の旅で
ファーブルが暮らした家へたどり着いた時、
ああ、ここだったのね!」
と胸が熱くなり、
家の中の昆虫の標本に必死に見入り、
庭で、睡蓮の花咲く池に飛ぶトンボが飛ぶ様子に見入り、
濃密な時が流れた。

物言わぬ、美しき者たち(=昆虫)との対話。
私にはロマンがある。

Jean-Henri Fabre
昆虫と共に日々生きる・・・素敵なことね。



2011年1月15日(土) 蝶 ・・・これほどドキドキするものは他にない

2011-01-15 | 


あの「ずかん」と同じ棚に、この三冊があった。
これらは、小学校に入った頃に買って貰った。
「蛾」の本に挟んであるのは、昆虫に関する当時の新聞記事
私が昆虫採集に夢中になったのがきっかけで、父も書道、登山、写真から、さらに昆虫採集へと趣味が広がり、この記事は父が切り取ったものだ。
当時、「子供新聞」だか「小学生新聞」というのがあって、「私も読みたい」と言ったら、普通の(大人の)新聞をとっているのだから、「それを読めばよい」と両親が言った。(これも倹約(?)と思われる)
で、私もこの記事を読まされたが、もちろん読めない漢字がたくさんあって、あまりわからない。
だが、自分のように昆虫が好きな“おじいさん”もいるのだ、ということはよくわかった。

<チョウに魅せられた彫刻家古賀忠雄さんの余技> 讀賣新聞 昭和42年6月4日(日)
小見出しに~少年時代からの愛着~、~無心になる楽しみ~ とある。
まさに私にとっては、~少女時代からの愛着~・・・である。
ああ、シンパシーを持つなぁ。


クスサン、ヤママユ、シンジュサン、オオミズアオという、大物の蛾は迫力があって、好きだ。
これを見つけると、ぞっとするほど、ドキドキしたものだ。
ヘルマン・ヘッセも、四十歳そこそこの頃、蝶(Schmetterling)を見るほどドキドキすることはないと、エッセイに書いている。
私もまさに同じ気持ちだ。

ドイツ語で「蛾」は Nachtfalter という言葉もあるが、蝶も蛾も Schmetterling ということが多い。

小学校一年の夏、津久井渓谷で、朝五時ごろ、ひんやりした空気の中、ヒマラヤスギの下の方に、
ひっそりと息を潜めるようにとまっていたオオミズアオが、今も目に浮かぶ。
その涼しげで微妙な色彩と、美しいフォルムを思い出すと、今もゾクゾクする。

小学校の頃は、家じゅうの壁は蝶と蛾、カブトムシなど甲虫類も含めて、昆虫の標本だらけだった。



2011年1月13日(木) 蝶のページ めくりすぎて引きちぎれ・・・

2011-01-13 | 


昨日の「ずかん」開いてみると、蝶のページを幾度となく開いたようで、引きちぎれていた。



赤ん坊の頃から蝶に憧れ、小学校に入ってから、昆虫少女。

今も庭の花にとまる蝶や、遠くを飛ぶ蝶を見ると、
「アッ、あれはジャコウアゲハのメスだ」
「キタテハだ」
「あれに見えるは、ミヤマチャバネセセリか。あらら、オオスカシバが飛んできた」
「モンキアゲハは黒紋付きみたい。堂々としているなあ」とか、
昼間、ひよひよと飛びながら、うっそうとした枝の間から出てくる「小さなカノコガは可愛らしいな」
「ツマグロヒョウモン、ナガサキアゲハが横浜にも!」異常気象は本当だ。
草取りしていると「スジグロシロチョウさん、こんにちは。ランタナの林に住み着いちゃったみたいね」
「アッ遥かかなたに、あれはカラスアゲハか、ミヤマカラスアゲハか。よく見えないからもっと近う寄れ!」
・・・てな具合で、私にとって虫たちは、今も昔も“美しきもの”、“ドキドキさせてくれるもの”だ。

その伏線が、「ずかん」だったとは。

さらにページを見たいのだけれど、今日はタイムリミット。
続きは明日に・・・。