Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2011年2月28日(月) 襟替えとお店出し

2011-02-28 | 京都花街
XX町の細い路地を歩いて、
午前中からXXXさんの「襟替え」。

本日、「襟替え」と同時にooちゃんの「お店出し」。
妹を引いて出るXXXさん。

「おめでとうさんどす」

華やかな日。
お目出度い日。
晴れやかな気持ち、伝わってきます。


今日は友引どす。


2011年2月25日(金) 梅花祭 北野天満宮

2011-02-25 | 京都花街
午前中より、梅花祭へ。
天神様の出店がたくさん、たくさん・・・。

お茶屋さんに寄って、梅花祭お茶席の切符を手に会場へ。
芸舞妓さんの野点には人垣ができて、大人気。

知り合いの舞妓ちゃん、芸妓さん、朝から忙しく。
舞台裏でお茶をたてるお友達の芸妓さん、手が腱鞘炎になりそうとか。

華やかな梅花祭。
「梅にも春」
春どすねぇ

粟餅食べて、行こかな

2011年2月24日(木) 生まれ変われるものならば・・・

2011-02-24 | ich 私
今朝、京都へ来る途中、新幹線の中の短いメールのヤリトリ。

お友達のAちゃん 
「生まれ変われるものならば、XXXをして、XXになって、XOXO・・・」
(何だか熱っぽい感じ)


Aちゃん 
「恭子ちゃんはどう?」

私 
「う~ん、たぶん、生まれ変わっても・・・、今と同じ道をたどるような気がするわ」

Aちゃん 
「ヘ~ッ。よっぽと幸せなのね!」

私 
「人と自分を比較することが下手なのよ。多分」

→ メール途切れた後で、『人の何倍も働かなければならない、だがしかし、収益は上がらない、という仕事をしているのに・・・なぜに?』 と我に返った私。結局、それが好きなのね。たぶん・・・。

2011年2月23日(水) 高知から文旦が!

2011-02-23 | 美味しいわ!


高知県のXXさん(仁淀川日記)が文旦をたくさん送ってくださいました。
粒ぞろいの美人ぞろい。
プシッとはじける果肉の歯ごたえ、快い酸味、かすかに感じる苦味(これが私は好き)が美味しい!
皮もママレードにしていただきます。

爽やかな味わいに早春を感じます。

品評会でお母様が一番のものを探してくださったとか。
感謝感激。


2011年2月22日(火) 十日町 一夜明けて 今度は京都~英国へ

2011-02-22 | 英国・アイルランド
一夜明けて、雪国から横浜の現実へ。
屋根に雪がない!道にも雪がない!どこにも雪がない!
雪がないのが、変に感じる。

今日の横浜。晴れているばかり。
十日町の数日の後、横浜が寒く感じなくなってしまった。
横浜に冬はないのか?

身の引き締まるような冷たさの、
十日町の海老(カイロウという村)の、
深い雪が、早くも懐かしくなってしまった。

それでも、次の旅へ。
3月中旬からの英国へのプレスツアーの後、さらに個人的に英国を取材しようと、一生懸命ルートを考えているところです。
(ノースコーストを回ってみましょかねぇ。)

その前に明後日からの京都。
野越え、山越え、海越えて、旅から旅へ~草枕(?)。

家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る 有間皇子

2011年2月21日(月) 十日町の織物

2011-02-21 | 着物
お祭り過ぎて、今日は十日町の織物について、各所を見せてもらった。

反物を眺めていると、本当にワクワクする。
細部を眺めても、全体を眺めても、近くで見ても、遠くで見ても、
すみずみまで、織った人の心と血が通うようで、生き生きと生きているように美しい!

手機を織る人の姿を見ると、心が和み、優しい気持ちになるのだ。
こういう地道な仕事をする人は、きっと、これから注目されると思う。


雪深い中、静かに、部屋の中・・・。
何かに集中したくなる気持ちがわく。
そこに、機織があったのかもしれない。
(これ以外に様々な要因は考えられるが、
「心情的に」そういう気持ちになるのを感じたのだ。)

ドイツのやはり雪深いエルツ山中。
クリスマスに訪ねた時を思い出した。
TVもない時代、夜暖炉を囲んでに座っていると、
暖炉にくべる木が目の前にある。
「それを彫りたくなるものだ」と、木工細工に携わる職人さんが話してくれた。

冬ごもり。
そういう時の流れを想像して、幸せな気持ちになった。

2011年2月20日(日) 長寿とミスコン in 十日町

2011-02-20 | 着物
居つづけ十日町。
雪を眺めて、時が過ぎる。
・・・美しい。


雪が重くて屋根が抜けることもあるから、雪の時期は本当に大変。
美しいなどと言っては、不謹慎かもしれないですが・・・。

今日は、お着物のスペシャリスト「万葉の館」のTさんと、ミスコンへ。
ミス十日町が選ばれる。
お着物も華やかに。


Tさんは今年米寿を迎えるというが、10歳以上も若く見えて、本当に元気元気。
着物姿も美しく、何事もテキパキと。
こういう人を見習いたい。



2011年2月19日(土) 十日町 雪国と着物

2011-02-19 | 着物
十日町雪祭りへ。
新幹線に乗る。

雪明りの情緒を求めて、
「かじか酒」と「地酒」と「お餅つき大会」を求めて???
心に雪が舞う車中。

子供の頃、「かまくら」の中でローソクを灯して、
小さな神棚かしら・・・、そういうのもTVで見た。

雪の中で、火鉢を囲んで、お汁粉や甘酒を飲んでいる子供を見ると、
「ああ、夢の世界。寒くても心温まるな~。そういうロマンチックな場所が、遠い遠いところにあるのだ」と
物凄く憧れたものだった。




2011年2月17日(木)  私の祖母 その2

2011-02-17 | ich 私


ここはどこか不明。ススキと眺望が開ける美しい場所。
座った背中の後ろに、無造作に置き、倒れてしまったたぶんワニ皮のバッグ(これは見覚えがある)。
思わず座って景色を眺めたと思われる。

たぶん、今生きていたら、
「あ~ら、みっともない!年寄りの写真なんて出さないでよ~」
と言うでしょう。

着物を着て、夜行列車に乗ったり、バスに乗ったり、電車を乗り換えたり、山道や海岸を歩いたり・・・
昔の人は、皆が自分なりの着方で、さらりと、毎日、着物を着ていたのだな~と思う。

祖母の旅が盛んだったのは、昭和30年代後半から昭和50年頃までだった。

私はまだ子供だったので、旅について、お酒や地方の料理について、三味線について、興味を持って一緒に話すような歳でなかった。
それが残念。
記憶をたどると、たとえば、京都のハモ、フグのヒレ酒、鴨川をどり、長楽館、円山公園、神護寺など、両親や叔母に話していたように思う。


如在」 
と書かれた書を、5年前に、京都のあるご住職がくださった。
(今はもういらっしゃらないので、教えていただくことが出来ません。ここにあなたが居ると思って、学ばせてもらいます・・・)という意味だと話してくださった。
まさに、そんな気持ちかな~と。

2011年2月16日(水) 私の祖母 その1

2011-02-16 | ich 私
昭和44年5月18日
日和佐海岸


日和佐海岸を歩く祖母・静子。旅が好きで、毎月一人であちこちへ旅していた。本を読み、行く先々の文化や風土や歴史を調べて、カメラをもって旅し、写真を撮って、たくさん旅の日記を書いた。地酒、郷土料理を楽しんだ。下は極簡単な、この写真の裏の記述。

高知駅より阿波池田乗換、徳島に向う。
途中大歩危の景色をみることができた。
これは吉野川の渓谷である。
牟岐線に乗換、日和佐に向う。

到着した宿の玄関前には大きな海亀が二頭飼われていた。
年齢は50~60歳くらいだという。
この海岸も、大きな岩に当たって砕ける波は豪快で素晴らしく、
見飽きない。


お琴や三味線を弾いて、詩吟、日舞を習い、美酒と美味を楽しみ、着物を楽しみ・・・。
まるで、今の誰か?みたい。

特に京都や奈良へは、新幹線のない頃にも夜行列車で、年に何度も行っていた。

2011年2月15日(火) 雪

2011-02-15 | Aspects of Nature
朝、起きると雪化粧。
豪雪地帯の方々は本当に大変で、どういう状態なのかしらと心配ですが、
横浜では雪が珍しい。

つかの間の雪化粧の美と情緒を楽しんだが、
強い日差しに雪がどんどん解けてゆく。

雪・・・といえば
舞の「雪」。
TVの番組で見た、宮川町の某おねえさんの舞を思い出す。
どこで舞を留めても、傘を持って舞う姿、その裳裾の動きも、
何もかも調った美は、凄かった。

長唄「都風流」の最後のところ
境内埋めし 雪の傘
ここで、トチチリ、トチチリ、トテテレテレテレ… とずっと続く三味線の音に、
雪がどんどん降り積もってゆく情景が目に浮かぶ。
三味線が弾きたくなってしまう。(どうも、道楽者であかんのどす)

長唄「鷺娘」
白鷺の羽風に雪の散りて、花の散りしく 景色を見れど、あたら眺の雪ぞ散りなん、雪ぞ散りなん…
雪の風景が広がる。

ところが、残念ながら、もう雪はほどんと私の視界から消えてしまった。
太陽が輝くばかりなり。

2011年2月14日(月) ホルガー・シュカイとの出会いと三味線

2011-02-14 | ドイツ・ベルギー
あれは1995年のことだった。
それほど前のことを今もありありと思い出す。
そんな経験は誰にでもあるのではないか。

CDで長唄(三味線)を聴きながら、
ドイツのケルンに暮らすロック・ミュージシャンで、サンプリング音楽界のマエストロといわれる Holger Czukay (ホルガー・シュカイ)にインタビューした日を思い出した。
「Seven Sees」のドイツ特集の時だった。


記事にした内容の何倍ものおしゃべりが続き、インタビューの後、私も「月曜日の朝」という彼が作曲した曲を歌い、さらに、彼にとっては非常に若い、私と同世代の奥さんと三人で、行き着けのケルンのXX広場近くの「寿司屋」へ行き、日本酒を楽しみ、さらに会話ははずんだ。

ホルガーは、1960年代「Can]のベースプレイヤーでデビュー。
70年頃だったか、若い時に、初来日。
その時に、非常に印象に残る音を聴いたと語った。
それは三味線の音だった。

彼は、極めて情緒的に語った。

「細い路地を歩いていると、夏の夕立。
埃っぽい匂いがして、亜細亜の夏を感じた。
そこに響いてきた三味線の音。
シャン、シャン、チャチャチャチャ・・・」


さすがミュージシャンだ。口三味線(くちじゃみせん)も的確に。

「雨と木の家々が続く日本の家並み、夕暮れ・・・
どこからともなく響く三味線の音。日本の原風景に思えたよ」


たった一週間程度の日本滞在でも、
観察の鋭さや、感性の豊かさで
物事を深く感じる人が居るものだ。

今思えば、その路地は祇園町あたりだったのではと想像する。

当時、私にとって花街とは、想像も付かない、知らない世界だったし、
三味線を持ったこともなかった。
取材の時のホルガーの言葉が、今の私に至る一つの伏線になっていたのかもしれない。

今、三味線持参でホルガーを訪ねたら、きっと喜んでくれるだろう。
ベースギターと「コラボだ~」と盛り上がるかもしれない。