2011年3月31日(木) 春の舞台 2011-03-31 | 京都花街 被災地や原子炉のニュースに、心を痛める日々。 何とか、様々なことが良い方向に向って欲しいと、毎日、祈り続ける。 そんな中、京都花街では、春の舞台が始まっている。 北野をどりは、3月25日~4月7日 都をどりは、4月1日~30日 京おどりは、4月2日~17日 の日程だ。 花街の舞台が始まると、京都では春を感じる。 大震災の後、寒い3月が続き、桜の開花も遅れているが、 暖かい春が、早く着て欲しい。 「都をどり」
2011年3月30日(水) オーストリアのハイキング 2011-03-30 | オーストリア・ハンガリーと中欧 オーストリア/バート・アウスゼーからハイキング 「グリュースゴット」(こんにちは)と、 行き交う人に挨拶しながら、歩く。 岩の上から手を振ってくれた一家。 一緒に歩こう! <人の和と輪>に満たされた。 爽やかな初夏だった。
2011年3月11日(金) Reiselust 旅好き 2011-03-11 | 仕事 来週からの英国取材で宿泊するホテルのディレクトリーがいくつか届いた。 旅が好きな私は、見知らぬ町のホテルの部屋に、一人で居る時間が非常に心地よい。 『ルレ・エ・シャトー』のページを、パラパラと食事しながら見ていると、 「このベルギーのホテル、泊まったことある。窓を開けたら、朝日が差し込み、木々を照らす光が神々しかった。忘れがたいな~」とか、 「アフリカ・・・、ぜひともサファリに行きたい!闇に光る動物の目・・・」とか、 「オーストラリアの海。地中海とは違うダイナミックさ。来年こそ行きたい」 「サントリーニの月夜。思い出すわ。海に映る月。波頭が輝く瞬間。ああ、旅っていいな~」 想像は尽きない。 だが、まずは、仕事の片付けと旅支度である。 あらら、目の前は散らかった机。
2011年3月10日(木) 写真と記憶 2011-03-10 | 仕事 昨日、ヨーロッパでの某写真展のために、サンプル写真を送った。 英語の「Geisha」以来、海外の出版社や著者から、写真貸出し依頼が時々あり、驚くとともに、「ありがたいことだ」と思う。 もっとも、、その都度の対応に関わる時間を考えると、 利益よりも労力の方が多いのだが。 だが、こういう仕事というのは、 (地道に糸をつむぐのに似ているかなと思う) どこか遠くで、関心を持ってくれる人が居ることは励みになるし、 後日、律儀に手紙と見本誌を送ってくれたりすると、小さな心のつながりを感じる。 日本では、不思議なことに、読者の多くが(ほとんどが?) 私の本の写真は別の人が撮っているのだと思っている風で、 「XXの写真を借りたいが、カメラマンを紹介してください」 と連絡が来ることもあるから、面白い。 さて、シャッターを切る瞬間は快い。 不思議にも、シャッターの音とともに、そのファインダーで区切られた情景、たとえば人の顔、物の姿が一枚の絵の様に、脳にプリントされてゆくような気がする。 カシャ、カシャ・・・ 写真を撮ると、撮らなかった場合に比べて、記憶力が何倍にも高まるように思える。 何年経過しても、写真一枚を見るだけで、 『あの日は**さんと一緒だった。写っていないがその横にはXXがあった、OOさんが居た、その少し後に雨が降ってきた・・・』 などと、糸を手繰るように記憶がスルスルと蘇る。 モノを書くにも、写真一枚が役立つものだ。 日本での写真展用に、この13年間に撮った 京都花街、舞妓さん、芸妓さんの写真をつらつらと眺め、選びながら、写真には写っていない、 様々なことまで思い出した。 さまざまのこと 思い出す 桜かな 芭蕉 には、時期が早いか・・・。
2011年3月9日(水) 断食・ビール・灰の水曜日 2011-03-09 | ドイツ・ベルギー 今日は、灰の水曜日。 ドイツ語で、Aschermittwoch。 四旬節が始まる日で、イエス・キリストが40日間断食したことに由来し、それに習って断食をする期間だ。 これが過ぎると、イースターが来る。 ちなみに、この日の前に、肉食して大いに騒ぐのがカーニバルである。 さて、ドイツ(特にバイエルン)では、断食用食事(Fastenessen)というのがある。 初めてそれに遭遇したのは、はるか昔だったが、 断食とは、「全く何も食べない」苦行だと思っていた私は、 「断食用の食事」があるとは これ如何に・・・?! と驚いた。 キノコ入りのダンブリング・クリームソースや、ほうれん草入りのマウルタッシェなど、野菜料理である。 さらに、断食の頃には、強いビールの季節「Starkbierzeit」がある。 麦汁濃度が高く、カロリーも栄養価も高いシュタルクビア(Starkbier)が出回る。 (今では、年中醸造しているところもある。) 野菜料理や、ビールは、食べたうちには入らないのが、ドイツ流(?)ということになる。(だから、屈強な体格になったのでしょうね。) シュタルクビアは、寒い時期にはエネルギーが沸く。 美味である。 ちなみに、シュタルクビアのヒストリカルなネーミングは「・・・ator」とラテン語で人を現す語尾(アートア)が付く。 「ああ、シュタルクビアが飲みたい!」 ドイツへ行きたい。 ミュンヘンへ行きたい。 たい、タイ、鯛は目出度い。
2011年3月8日(火) クロッカス咲きにけり 2011-03-08 | 隠れ家・庭仕事 去年植えたクロッカス。 冬の間、「いかがお過ごし?」と思っていたら、 庭へ降りると、地面に落ちているかのように、ふと花をつけていた。 昨日の淡雪を乗り越えて、 目にしみるような美しい紫色だ。 春風に揺れる花弁。 律儀に美しく、今年も咲きました。 時は廻り廻り、再び花咲く。 春の日を浴びて 命の嬉しさを思う。
2011年3月7日(月) Rosenmontag バラの月曜日 ローゼンモンターク 2011-03-07 | ドイツ・ベルギー 今日はバラの月曜日だ。 ケルンでは今日、大行列があり、飲めや歌えや踊れやの大騒ぎである。 ケルンの友人からのメール。 行列は、現地時間の午前10:30 にクロードヴィヒプラッツを出発するらしい。 あちこちで、お化粧、仮装してお集まり。 『私も仲間に入れてくださいな...』 ケルシュを飲み飲み、ブラックフォースの唄も懐かしい。 ラン、ララララララ、ランラッラ・・・ ドン・ドン・ドンドンドン・・・ と鳴り物入り。 今日、この場に及んで、ケルンに居ないのがとても残念。
2011年3月6日(日) 犯罪の影に女あり でなくて 犯罪の影に入試あり 2011-03-06 | ich 私 携帯電話を使った、入試事件があった。 めまぐるしく事件が起こるので、もう随分前のような気持ちになってしまうが・・・。 犯罪の影に入試あり・・・ということか そこまで行き詰まって、とにかく合格したい・・・、ということか。 要領のよい人に利益がある・・・ そう思わせるような社会背景があるのだろうか、と想像すると、 何だか哀しい。 犯罪の影に女あり・・・ 「冥途の飛脚」~封印切り~ も哀しい。 ・・・身請けしようとしたことがもとで、ついに封印を切ってしまった、坂田藤十郎が花道を行き、その先には極刑が待っている。 その後姿を、玉三郎が縞の着物で見送る。 あのシーンは、行きどころのない「哀しみ」と、ドラマが生んだカタルシスから生じた「美」がありましたなぁ。 受験事件は美しさのかけらもないが 川端康成の「美しさと哀しみと」。 ああ、私が好む「美」は、どこかで哀しみに通じるのだろうか。 欧州の「真・善・美」とは異なる情緒が、日本にはあるのね。
2011年3月5日(土) 私の大学入試 2011-03-05 | ich 私 今は、受験シーズン、真っ只中。 いや、最後の追い込みか。 私が受験したのは、XX年前だった。 早朝から何度か東京へ出向くのは、それだけでエネルギーが必要だった。 (私は人ごみが、今も昔も、嫌い) 雪がかなり降った日もあった。 雪の中、遅れてはならじ。 某大学へ突進。試験会場へ、まさに駆け込まんと欲す・・・。 と、その時、 腕っ節のよさそうな、相撲部かレスリング部か(?) と思しき 体育会系男子学生が、突進してきて、 私の前に仁王立ち。両手を広げて、せき止めた ここは、安宅の関か、逢坂の関か・・・ 体育会系男子: 「あ~、ダメダメ。付き添いはあっちね!入れませんよ!ここから先は。受験生だけです」 私: 「エエッ? 私が受験するんです。早くしないと、遅れちゃう」 (私は必死であった) 体育会系男子: 「・・・受験票、見せてください」 私: (イライラしながら) 「これです!」 体育系男子: (写真付き受験票と、私の顔をよくよく見比べながら)・・・ 「なら、いいですよ!」 よっぽと老けて見えたのね。 現役・高校三年生というのに・・・。 今もそうだが、寒いと、私は頬がほてって困る時がある。 それを、若い頃はかなり気にしていた。 だから、ちょっと白くお化粧して、白いタートルネックのセーター、黒のタイトスカート、真っ赤なロングコートに、赤いエナメルの大きなバッグを持って、受験に出向いたわけだった。 、
2011年3月4日(金) Wikipedia ...ウィキペディア 2011-03-04 | ich 私 時々、自分の名前を、Google で検索してみる。 とても読み切れないほどの記事が出てくるが、 2~3見てみようとクリックする。 熱心に本を読んでくださって、書いてくださったブログに遭遇すると、ひどく感激する。 締め切りまでに、徹夜してでも、取材、撮影、執筆をと、苦労したかいがあったと実感し、ありがたくなる。 不思議なのは、Wikipedia。 「この節の内容に関する文献や情報源が必要です。ご存知の方はご提示ください。・・・」 と書いてある。 去年の春だったか、その、自分のWikipedia を見た時、びっくり。 私の著書は一部のみ掲載。 そして、なんと、外国の方(私は全く知らない方)の著書、が私の著書一覧の中に掲載されていたのだった。 今、見てみると、その誤りは直っているし、プロフィールは、著書、新聞・雑誌の記事の著者紹介に書いてあるのと変わらない。NHK教育テレビに出演した時も、初回に私の紹介アナウンスが入っていたが、同じような紹介だったと思うけれど・・・。 さらに、交詢社やその他の紳士録などにも、私の経歴が載っている。 たとえば、情報源といえば、大学の教務部やドイツ観光局で、どうぞ調べていらしたらよいのでは? こういうの、どうなってるのかしらん?
2011年3月3日(木) 「お雛祭り」 2011-03-03 | お友達 灯りをつけましょ雪洞に お花をあげましょ 桃の花 宮口香保里ちゃん、隠れ家を訪ね来たる。 嬉し嬉し。 久々に盃を重ね、「今日は嬉しい雛祭り」。 残りの梅の花も寒々しく、 炉にチロリで熱燗といきたいが、 これだけは辞めておこう。 昔の某氏のエッセイだったか、インタビューだったか、 炉を切ったはいいが、 酒飲み集まり、チロリでお燗して、めざしを焼くばかりなり。 というのがあった。 「その気持ちも、わかるな~」なんて・・・。 つかの間の寛ぎ。 この10日の間に、十日町と京都へ出かけ、 さらに原稿を書き、写真の整理、仕事の段取り、英国取材の準備・・・。 それもまた、嬉し(?)
2011年3月2日(水) 茅ヶ崎 好き好き 2011-03-02 | ich 私 昨日、横浜に愛着を持っていると書いた。 祖先というか、根っこがあるわけだし、 高校まで近所の(歩いて行ける)学校へ通っていたということもある。 祖父が横浜の居留地にあった、英国貿易会社で働いていたということもある。 (この「カメロン商会」という会社と私との奇妙な縁は、書くと長くなるので、またいつかになるが) というように、故郷「横浜」、ご縁は数々あれども・・・。 私の生活になくてはならないのは、静寂だ。 静かに、口も利かずに働き、家の掃除と飾りつけをして、庭の手入れと庭掃除を黙々と。 筆で字を書いて・・・という、隠遁生活(?)には、 静かな茅ヶ崎しかない。 美しい静寂。 好き好き。 ここが、 好き好き。
2011年3月1日(火) 故郷 横浜 2011-03-01 | ich 私 横浜に生れ育って、今も暮らしている私。 父の家も母の家も、十代をはるかに越えて(いや、二十代近いか?) 住み続け・・・「横浜」。 その昔、 三代続けば「浜っ子」と言ったらしいが ええっ、たった三代(?) 私は「浜」に愛着を持っている。 だがしかし、今や、地方へ行くと必ず(というほど) 「東京の相原さんです」 と言われるようになった。 学生時代はそうではなかった。 ということは、人口増加と共に、 横浜は知名度(?)が下がったと思われる。 今や横浜市は東京都に次ぐ人口第二位の都市。 ところが、横浜という認識はどんどん弱まっているように見受けられる。 そういう横浜になったのは、 「今や三ヶ月住めば『浜っ子』と言いますからね~」 という妙な識者(?)の発言かいな? それとも、東京の真似をするのを好む、新入りの横浜新住民(?)のせいかいな? 東京の辺境地にでも、なりたいのやろか? 誤解されては困るから敢えて書くが、 「誰をも受け入れる横浜は素晴らしい。誰もが住みやすい横浜は良い。」 そうあって欲しいと、私は心から思っている。 だが、キャラクターをなくす気かいな? ここらで 「京都どっせ」 という京都人の心意気を見習った方が、ええんとちゃいまっしゃろか。 まさか、京都人に「大阪の人です」・・・なんて言うたら、叱られまっせ。