Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2011年8月28日(日) 「相原恭子 展覧会」 おいでやす!

2011-08-28 | 講演/写真展 海外にて

ヨーロッパにおいやしたら、
観にきとくれやす!


ハンガリー/ブダペストにて

「着物との対話」
相原恭子展覧会 ~写真展・着物ドレス展・着物展~

場所: 「モホイ=ナジ芸術大学」付属「ポントンギャラリー」
期間: 2011年9月6日(火)~11日(日)
オープニング・セレモニー: 9月6日(火)17:00~18:00
  引き続き、18:00~19:30 講演「着物との対話」



写真展:
舞妓、芸妓、職方の写真(パネル)

着物ドレス展:着物の反物で作ったドレス
1、クレオパトラの裾引きドレス
2、お月見イブニングドレス
3、バラトン湖の夏
4、五ツ紋の聖夜
5、アールデコのアミューズ
 →これら、私のデザイン制作+ネーミングです。

着物展:
1、「都をどり」の着物(絵羽)
2、舞妓のだらりの帯 ①
3、舞妓のだらりの帯 ②
4、舞妓の裾引きの着物
5、総絞りの振袖
6、西陣で織られた振袖
7、花嫁の打ち掛け
8、京友禅の振袖
9、私の振袖

さらに、簪、花名刺など、小物の展示もあります。


2011年8月23日(火) 国立劇場

2011-08-23 | 邦楽・お稽古
今日は、国立劇場の<京のみやび>を観に行きたかったのに、
無理になってしまった。
とても残念であった。

観にいった知人がメールで、舞妓ちゃんが多数来てますよ、ですって。

2011年8月21日(日) 神護寺のかわらけ投げ

2011-08-21 | 京都府

弘法大師が高野山へ行く前、
神護寺にいらしたそうです。

今日、神護寺へ小雨降る中、お参りしました。

雨にぬれた緑が新緑のように美しくて、
遠くの峰が、霧にかすみ、深山を感じました。


連山を眺めながら、かわらけを投げると、
信じられないほど飛びました。

あたかも小さい白い蝶が羽ばたくように、
ひらひらと風に乗り、大きな弧を描きながら飛行し、
深い深い谷間へ
さらに弧を描きながら
驚いたことに、
うれしそうに楽しそうに飛び、
銀色に光る谷底の川の近くまで、
行き着いたのが見えました。


雄大幽玄の景色の中を、
けなげにひらひら、
緑の森を背景に
白く美しく飛んでくれた
小さな小さなかわらけさんに
ただただ感謝。

2011年8月19日(金) キマダラヒカゲが窓の中

2011-08-19 | 
カーテンと窓ガラスの間で、何かが動いている。
あっ、蝶だ。

白いレースのカーテンを通して、
現実にはよく見えなくい。

でも、
羽の先をチラと見ただけで、
私には、その色と図柄(まさに着物みたい!)全体が
頭の中で明確な映像と成り、
『ああ、キマダラヒカゲだ!』
・・・とすぐにわかった。


すると、見えないのに頭の中に現れた
キマダラヒカゲの映像が、
羽を畳んだキマダラヒカゲ
羽を広げて標本にしたときのキマダラヒカゲ
飛んでいるときのキマダラヒカゲ・・・

スライドショーのようにオートマティックに姿とアングルを変えて
ありありと全容が表現されるのであった。

1分程度の時間だったか、
私は
ただキマダラヒカゲを見つめ、
そして、
急いで、優しく
キマダラヒカゲが外へ飛んで行くように
窓を少し開けた。

キマダラヒカゲは
熱い空気と共に、
青空の戸外へ飛び立った。

その後、雷雨。
キマダラヒカゲはどこで雨宿り・・・。



2011年8月18日(木) ドイツ語のメンタリティー???

2011-08-18 | ドイツ・ベルギー
ヨーロッパで取材のガイドさん頼むとき、
できればドイツ語の人を頼む。

私には英語よりドイツ語のほうが話しやすいからだが、
ドイツ語のガイドさんの多くは、
熱心に、生真面目に説明を聞くドイツ人に対応すべく(?)
勉強熱心で、テキパキと説明し、
後日メールや電話で質問しても、
即座にきちんと対応してくれて、
フレンドリーでもあるからだ。
ガイドさんと長いお付き合いのお友達になる場合もある。:


不思議なのだが、同じ人でも
ドイツ語バージョンになると、急にきびきびとしてくるような気がする。

ドイツ語で知り合った人は、いったいに律儀である。

自分はどうか?

2011年8月17日(水) 高野山への旅

2011-08-17 | 日本の旅
高野山の記事を書いた。

確認したい事があって、
6月に泊まった高野山の宿坊や出会った人に
昨日と今日、お電話をした。

思えばちょうどお盆に当たり、なんだか不思議な気持ちだった。
下界は暑いけれど、高野山は涼しいようだ。

「空海少年の日好んで山水を渉覧せしに、吉野より南に行くこと一日、更に西に向って去ること両日(二日)にして平原の幽地あり、名づけて高野という。・・・」
・・・弘仁7年(816年)6月19日の『高野山を賜らんことを乞う』(上奏文)


なるほど、まさに幽地だと、寺と自然の調和する姿を思い出し、
猛暑の中、涼と清と静を想像した。


2011年8月16日(火) お施餓鬼

2011-08-16 | 季節の美と楽しみ
夕方から、お寺へ施餓鬼法会へ。

子供の頃から、夏休みになると、お施餓鬼へ行くのが好きだった。
寺の本堂は江戸時代に、お話を聞くお部屋は大正時代に建てられた。

ガラス障子は、透明度が高いピカッとした昔のガラス。
そのガラス越しに、芭蕉や山の緑が夕方になると色濃く見えて、
夏らしく、美しい。


横浜の町なかなのに、うっそうとした林を背負った場所だ。

子供の頃、インドへ来たみたいだ・・・と漠然と思った。
お釈迦様はインドの方らしいし、
芭蕉の葉は熱い国を感じさせた。


セミがなく中で、
響く読経。

そしてさらに、
般若心経や
オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラハリタヤ・・・。

2011年8月15日(月) お盆

2011-08-15 | 季節の美と楽しみ
今年も今は 休み時
しばしは 休め 人々よ ・・・


祖母が夏になると
つぶやくように歌っていた。
私が幼稚園の頃だった。

オルゴールにしたら似合いそうなメロディーだ。
たぶん、明治/大正の童謡と思われる。

三方に窓がある昔の洋館で、この歌のオルゴールを聞きながら
百日草、セミの声。
温かい気持ちになれそうね。

それにしても、
vernunftig な歌詞だわね。

2011年8月13日(土) 「京都花街ファッションの美と心」

2011-08-13 | 京都花街
時々、PCに向っていて辛気臭く(?)なると、
気分転換に 自分の名前を Google に入れて検索してみます。

今日はたまたま、
どなたかわかりませんが、あるブログに、
私の新刊 『京都花街 ファッションの美と心』(淡交社)
について書かれているのが目に入りました。

・・・写真集にちょこっと解説がついているお手軽な本かな?と思ったら、意外に踏み込んだ奥深い内容で考えさせられた一冊。著者は、英国の出版社から「ヨーロッパに造詣が深く外国人に日本を語れる日本人」に選ばれたそう。稀有な才能ですね。
今や、日本の伝統文化は日本人より欧米の趣味人の方が詳しいんですねえ。自国の文化を語れないのは、ちょっと、恥ずかしいかも……勉強だ!・・・


とあり、
熱心に読んでくださる方がいるというのは
著者としては嬉しいものです。

日本人の美意識の原点が、
今も、舞妓や芸妓のファッションに生きている。
源氏物語や、樋口一葉、泉鏡花、吉井勇や菊池寛などの作品には、
登場人物の人となり、立場や個性を描く際に、
盛んに着物や髪形について描写されている。
そんな時代の日本人の「姿」を支える職方の数は、減ったとはいえ、
今も続いている。

私はそれを紐解くことが、
日頃私たちが忘れていて気づかない日本人の心や、
アイデンティティーを探る
一つの試みとなるだろうと考えたのだ。

2011年8月12日(金) 相田みつをさんの坐右銘

2011-08-12 | ich 私

もうずいぶん前、相田みつをさんの展覧会で買ってきたハガキがある。

「わたしの坐右銘」 相田みつを

あとでやらう
と思っても
やれた試し
がない
やるならば
いつでも
いまだ

未青浪人


その通りだ。




2011年8月10日(水) オートクチュール K.A

2011-08-10 | 着物
何でまた、ミシン?洋裁なの?」
と、お友達からメール。


実は、二十代半ば頃までは、時間があれば、
猛スピードでワンピースを縫い(4時間くらいで一気に仕上げる)、
すぐに着て出かけたものだった。
だから、昔からの友達は私がワンピースやドレスを縫うのが好きなのを、
よくよく知っている。


だが、その後、さらに旅に夢中になり、
仕事も忙しくなり、
洋裁とは全くご無沙汰だった。

お友達の結婚式にも、自分で縫ったドレスで出席。
学生時代のバイト先にも、出来立ての夏のワンピースで出かけたものだった。

すると、

そこの上司:「相原君、珍しい洋服を着てるね」

私:「あら、珍しいですか?自分で縫うので、思うように、作るんです」

そこの上司: 「エエッツ!自分で『針』持つの?」

私: 「そうです・・・」

そこの上司: 
「いや~、意外な人が意外だよ。大学へ通ってる子が、針仕事できるなんで、今時、大したもんだ!大したもんだよ。 お~い、みんな、『相原さん、今日の洋服、自分で縫ったんだって!』」

と、突然に評価が上がった。

・・・それまで、他に褒められるようなこと、なかったのかなぁ




2011年8月8日(月) Designers Maison デザイナーズ・メゾン

2011-08-08 | 着物
今月初めより、仕事場の半分は(見栄えはどうあれ)、
「Designers Maison」となりにけり。
糸や生地、型紙、メジャー、アイロン、ミシンその他、出ております。

着物の反物や、帯を素材にした
イブニングドレス、
リゾートドレス、
ワンピースが並び、やっぱりこっちがよいか・・・などと、
さらにアイデアが沸きます。


これだ!と思いついては、
絵を描き、
すぐに裁断。


今日は、助っ人現われて、
仮縫いやアイロンかけ、襟の周りを絎けたり、お手伝いしてもらい、
ブダペストで発表すべく、
かなり方向付けができました。

自分でブログを読むと、いろんな事が平行して行われているけれど
これが現状なので仕方がない。

このため、家に籠もって遊びにも行かず、
お稽古事も中断し

義理も欠き(?)
でも、原稿は書き、


少しの間、お友達とはメールのみの状況に陥り・・・。




2011年8月6日(土) 浅草芸妓さんの「ほおずき」会 今日だったとは・・・

2011-08-06 | 邦楽・お稽古
浅草の芸妓さんたちと地元の旦那衆が
一緒に舞台に立って
芸の競演・・・「ほおずき会」。

今日か、明日かしらと思って、ネットを検索したら
8月6日(土)と出ていた。

ああ、今日だったのね!!!
行きそびれて、非常に残念です。


最初に観たのは何年前だったか・・・。
たしか、5年くらい前だったと思う。

その時、不思議なことに、
ほおずき会の会長さんで、
Y社の社長さんとお話しする機会があった。

社長さんが、
「出版社の会長さんがお見えですよ」
と、ご紹介してくださっり、
そのご縁から弘文堂さんが、
『未知の京都 舞妓と芸妓』
を刊行してくださった。
この本は、自分でも好きな本で、
書いてある内容は、私の花街の本のなかでも、
最も多岐にわたる。
ぜひ、「読んどくれやっしゃ!」

さらに、後に、Y社の社長さんが声を掛けてくださって、
浅草ロータリークラブで「スピーチ」をさせていただいた。

最初に行った「ほうずき会」は、
いろんなことが起こり、XX太夫さんと知り合い、
さらに、私の本を読んだという芸妓のNさんや芸妓のYさんとも知り合った。

その後、芸妓のYさんが
「鼓を打つので、(私が)三味線を弾いてはどう?」
と誘ってくれた。


その時は、ヨーロッパ取材で機を逸してしまった。
残念だった。

またもし、機会があれば、出し物は何がいいか。
考えるのは自由!
「連獅子」とか、「石橋」とか、そういうのがいいかな・・・
それとも「吾妻八景」とか、「雨の四季」、「都風流」が、江戸らしいかしら・・・。
夢は広がります。

ふらりと一人で観に行ったのに、
出会いが広がった「ほおずき会」でした。


私は毎年夏になると、「ほおずき会」がとても気になります。
毎年八月の第一日曜なのかしら?

今年はホントに残念!
来年こそ・・・。




2011年8月3日(水) 届いた記事 「おおきに!」

2011-08-03 | 仕事
新聞雑誌の掲載記事を、
担当の方々が送ってくださいました。

記事を書き終えてから、刊行され、それを集めて関係者に送ると言うのは、
私もすることがありますが、かなり手間のかかる作業なのです。
忙しい中、ありがとうございました。

奇特なお友達がその中のいくつかを、
スキャンしてくれたので、
掲載しますね。

7月30日の京都新聞・朝刊。 イケメン記者N氏より。



サンデー毎日 8月14日号 容姿端麗な記者Kさんからです。



観光局勤務の時からお付き合いのあった、私の興味あるお酒の雑誌
「醸界春秋」7月号どす。


7月13日 京都新聞・朝刊 


4月26日 産経新聞・京都



4月26日 毎日新聞・京都


「醸界春秋」 5月号

2011年8月2日(火) さらに広く深く 「個展」

2011-08-02 | 講演/写真展 海外にて
昨日も一昨日も、写真やら、最終的な講演原稿の準備やら、展示方法について、
こちらでの準備や、現地(タリン+ブダペスト)とのやりとりが続き、
息つく間もなく過ぎ、このまま9月に突入しそうな状況。

東京の皮肉な友人が常々言う、
「自分で書いてたら、あなた、もはや作家じゃないのよ!」
「自分で撮って、自分で整理してたら、もはや、カメラマンじゃないのよ!」
という声が、遠くから聞こえてくるような気分であった。

人にやらせて、大量生産して、売れ~・・・
今や外見が9割なのだから、調べたり書いてる閑があるのなら、
エステに通うなり、そっちへ時間を割くべきだ! という、
彼女の言うところの「世の常識」を、早く理解しろというわけである。
(もう一人の私である「伊達屋酔 狂子」によれば、「常識」といのは、いつの時代も、良識や論理性を求めるには非常に難しい意味合いを内包しているものである。)

さて、元の話に戻ると、
写真と一口に言っても、
1、美術館のスクリーンで流しておく写真、
2、講演の時に見せる写真、
3、カタログに使う写真、
4、A1以上おのパネルにして写真展に使う写真をそれなりに選び、
整理し、キャプションや原稿をつける。

ブダペストやタリンでは、
私の展覧会と講演会のために、
ボランティアで、
大使夫妻、大学の先生方、
キュレータやデザイナーの方々など、
地位のある方々がスタッフに頼まずに、
自らスポンサーを探したり、
オープニングセレモニーの準備をしたり、
招待状やポスターのデザインをしてくださっている


私以外は皆、地元の外国の方々である。
「いっしょにやりましょう!」
そういう一体感は、むしろ外国で感じる事が多い。
とても幸せな気持ちになる。


そして、二十代の大学生の頃からそういう外国の方々と出会い、
お付き合いさせていただき、
海外との交流がずっと続いているのだと改めて思う。