Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2012年2月27日(月) 事のきっかけ

2012-02-27 | ich 私

何か新たなことをするとか、
新たなことがおきる時、
自分の場合は、
必ず、どこかに、
人との出会いが必ずある。


それは伏線であることもあるし、
出合った人からインスピレーションを受けたり、
新たなことを考えるきっかけになったりする。

だから、
人との出会いは、
不思議であり、
ありがたく、
かけがえの無いものだ。
だが、自分の意思だけでは
出会いは生まれない。


たとえば、
ドイツ政府観光局に勤めることになったのは、
突き詰めれば、
あるドイツ人女性と出合ったことがきっかけだった。

そして、
観光局を辞めることになったのは、
もちろん自分が決めたことだが、
「ヘッドハンティング」と称する
アメリカ人男性が、
突然、勤め先へ電話をかけてきたことが、
伏線になっている。

ドイツ政府観光局の仕事は興味深かったし、
私は何よりも、旅が好きだし、
それについて考えることはやりがいがある。

そして、様々な人との出会いがあり、
勉強にもなった。
楽しいこともたくさんあった。

だがしかし、
その男性が
「年収アップの道は・・・」とか、
「・・・の仕事でキャリアアップを図れる」
などと、
あれこれ(良かれと思って)、
熱っぽくオファーしてくれるのを聞いているうちに、
  『私は勤めには向かない』
   という認識に至ったのであった。


そして、こうなった。



2012年2月26日(日) その昔・・・PCを使うことになったのは・・・

2012-02-26 | ich 私

PCを使い始めたのは、
確か、1996年だった。

最初の本
ドイツ地ビール夢の旅」(東京書籍)が、
刊行されて少しした頃、
ドイツの自動車会社(Mercedes)から、
HPに連載して欲しいとの依頼がきっかけだった。


テーマはドイツ・ビール紀行
まずは、「会社のHPを見てください」
との連絡があった。

まさに好きなテーマだし、ドイツ地ビールについては、
ブラウマイスターや地元の人たちの協力が、
予想を遥かに超えてたくさんあった。

だから、取材が非常に潤沢で、
まだ書いていない、
さらに書きたいことがたくさんあった。
「まさに渡りに船」。


だが、私はPCを持っていなかった。

その頃、次の本の取材の準備や打ち合わせで、
PCを早々に買って、繋いで、
マニュアルを読む余裕が無かったから、
『困ったな~』と思っていると、
  「早く見て、メール下さい!」。

まさに、外圧(?)のようだと思いながら、
結果的に、PCをアレコレ選ぶ暇も無いまま、
大投資(?)をして、すぐに買った。

これが良かった。
そうでもしないと、
私はワープロなるものを使い、
そのままで、仕事も友達付き合いも、
事が足りていたために、
グズグズしていたに違いない。

PCを使うきっかけを作ってくれた、
当時の担当者(女性)には、とても感謝している。
  ・・・そして、その後、彼女とはお友達になり、今に至る。





2012年2月23日(木) 仕舞「杜若」と謡「田村」

2012-02-23 | 邦楽・お稽古

今日は、
月に一度の仕舞と謡のお稽古。

仕舞「杜若」キリ
幻想的な女人、
杜若の精の美しさを想いました。
京都のお友達の家の近くの大田神社の朝、
杜若が幻のように咲く風情が目に浮かぶ。
シテが謡うのは、
『匂ひうつる。菖蒲の蔓の』
『蝉のからころも』

  言葉自体も深みがあって綺麗だが、 
  謡となると、さらに、一言一言を
  大事に声にする日本語の美しさが、素晴らしい。

次回は「巻絹」です。
熊野三社(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ
千疋の巻き絹を納めるべく、
都を出でて・・・。
『音無に かつ咲きそむる 梅乃花 匂はざりせば 誰が知るべき』
この歌のやりとりが良い。
熊野三社へは、縁あって、何度か出かけた。
クルーズ船「飛鳥II」に乗り、講演させてもらった時も、
お参りし、聖地の空気が快かった。


謡「田村」。
勝修羅三番。
今日は、後半の強吟、キリの舞、そして最後までをお稽古し、
後は、自助努力あるのみ。

次回は、「経政」となった。
 『これは仁和寺お室の御所に仕へ申す。大納言の僧都行慶にて候。・・・』
 という最初(ワキ)のところは(学生の時にお稽古したので)、
 今も覚えているが、その先はところどころを思い出すのみ。
 だが、マジメに稽古したとは言えないが、
 未だに部分的に覚えているのは、言葉の響きの良さの成せる業か、
 不思議である。

仁和寺の御室桜をほぼ毎年観るようになり、
お寺の方に、丁寧に案内してもらったりする
今になって、改めて謡ってみると、情景をうまく想像できる。

各地を旅すると、自然に、
謡跡に行き当たる。
それも、旅の愉しみの一つ。
  まさに、Bildungsreise である。



2012年2月21日(火) 「サンミケーレ物語」 Dream comes true in Italy

2012-02-21 | イタリア・クロアチア・マルタ

今の仕事を始めた年、
1994年、
勤めを辞めて、
「旅の感動を伝えたい」などと
自分が本当に思っていることを
様々な方々に書き送って早々に、
ヨーロッパへ何度か取材で旅する機会に恵まれた。
それは本当にラッキーなことであり、
今も、皆さんに感謝している。


その時、ドイツから夜行列車で
カプリ島へも足を伸ばした。
(余談だが、この列車の中で、以前ブログに書いたデンマークのティネと出合った。そして、10年後の2004年に彼女をコペンハーゲンに訪ねた。その時、別れ際にティネは、『次の再会まで、10年もかからないことを望むわ』と言ったが、今年、もう8年になってしまう。)

この写真は、カプリ島の「Villa San Michele」 にて



強い太陽光が容赦なく照りつける8月。
シャッターを押してもらおうと頼んだのだが、
あれこれ注文もつけられず、
フラッシュ作動せず、顔が真っ黒。
今や、小さな紙焼きが残るのみで、画像粗く、
ポジは見つからず。

だが、とても嬉しい記念写真なので、
スキャンして、即席に明るくしてみたのだが・・・。

「ヴィラ・サン・ミケーレ」は、
スウェーデン医師で、作家のアクセル・ムンテが建てた邸宅。

小説「サン・ミケーレ物語」で有名になった。

彼の美意識と夢を実現させた邸宅だ。
紺碧の海を臨む絶景の地。
眺望と景観を考えて、
自然に素晴らしく設計された建物。

イタリア語のパンフレットに、
イタリア語で
Dream comes true ...
と書いてあった。
(イタリア語の意味を理解できても、イタリア語で繰り返すことができない。不思議   だが、ヨーロッパ語というのはどこか通じるものがあり、ドイツ語やフランス語な   どがわかると、簡単な言葉は想像で読むことができる場合が多い)

彼の読者は、この邸宅をこぞって訪ね、
さらに本が売れて、
50ヶ国語に訳されたという。
まさに、「夢が現実に」なったのだ。


庭や室内を歩いてみると、
本当に夢が実現されているということが、
よくわかった。
アクセル・ムンテの感激、感動が強く伝わってきた。


イタリアの自然、
風景と建物の調和と美しさに、
私は気分がハイになった。


そして、記事用の写真ばかり撮っていたのに、
最も風景の美しい場所で、自分も写真に収まりたくなったのだった。

写真の
白く飛んでいる背景には、青い海と空が広がっている。


2012年2月19日(日) コンソメスープ+ヴォトカ

2012-02-19 | ビール・美酒

昨日、
“京もののある暮らし”
Special Lunch Party
(東京ミッドタウン)へ
お誘いあって、
出かけました。


ドレスコード着物。
華やかでした。

その帰り、
引き続きお誘いあって、
某ホテルのバーへ。

まずは飲んでみて下さい
という
カクテル(?
)。


テーブルに出てきたのは、

1、コンソメスープ
2、ヴォトカが入ったグラス
3、塩、胡椒
4、縦に八分の一ほどに切ったレモンが付いたグラス。

  4、にヴォトカを好みの量注ぎ、1のコンソメスープで割り、
  好みで塩・胡椒・レモンを加える・・・。

ロシアの極寒の朝、
熱いスープだけでは事足りず、
さらに熱く、温かく
ヴォトカを入れた、
という感じ。

けれども、
これはカクテル
らしい。

ロシアの寒さと、
お家の中で、
たくさんヴォトカを飲む人々を
思い出しました。


2012年2月17日(金) 「京都花街 舞妓と芸妓のうちあけ話」 ジャケットと目次どす

2012-02-17 | 京都花街

次の本、
「京都花街 舞妓と芸妓のうちあけ話」(淡交社)1400円
3月初めに店頭に出ます。



~京都花街と長いお付き合いを続ける著者ならではの一冊~


おかあさん、芸妓さん、花街にかかわる人々が
実名で人生を語ります。
(ノスタルジックな思い出の写真も多数掲載)
舞妓さんも、芸、お座敷、舞台など、日常を語ります。



目次をご紹介しましょう。


第一章 芸 

「大正・昭和・平成の祇園に生きて」 ~うちが育った大好きな祇園町~
祇園甲部 元芸妓 桃子 (中西桃子さん)

「芸こそ人生」 ~見て学び盗むもの~
上七軒 お茶屋「大市」 四代目女将・芸妓 福鶴 (多 弥栄子さん)

◆ 舞妓さんに聞きました 芸のお稽古はどんなですか?
◆京都花街 歴史をつくった奥座敷(その1)
東京遷都の後 都を再生させた “芸妓と舞妓の芸”
博覧会で世界に日本の芸をアピールした“都をどり”


第二章 美・礼儀・作法

「十五歳で芸妓 三七歳で女将 可愛い舞妓を育てる日々」
先斗町 屋方・お茶屋「丹美賀」二代目女将 舛田和代さん

「祇園の文化を未来へ 舞妓を育てるおかあさん」
祇園甲部 お茶屋 「つる居」 二代目女将 田中泰子さん

「数え年九歳で奉公 芸妓生活五七年」
先斗町 芸妓 三代治 (岸田武子さん)

◆ 舞妓さんに聞きました 別嬪さんになるには?
◆ 京都花街 歴史をつくった奥座敷(その2)
西洋人をも魅了した美の化身 富豪に見初められたモルガンお雪


第三章 粋な遊びの世界

「花街と重ねた八五年の春秋」
幾岡屋 五代目店主 酒井小次郎さん

「愛される“お説教”のお茶屋」
祇園甲部 お茶屋 「岡あい」 二代目女将 檜垣美代子さん

「中学三年生で住み込み 女将となり先斗町に生きる」
先斗町 お茶屋 「井雪」 四代目女将 中西超子さん

「内側と外側からの人づくり」 
~芸を通したお客さんと芸舞妓との遊びの接点を大切に~
宮川町 お茶屋・屋方 「花傳」 女将 武田伊久子さん

◆ 舞妓さんに聞きました おもてなしで気をつけていることは?
◆ 京都花街 歴史をつくった奥座敷 (その3)
『一見さんお断り』が作る 粋な遊びの世界
お座敷遊び

第四章 恋・人生・文学

「数え年十三歳でお店出し 旦那さんと結婚して幸せな日々」
祇園甲部 元芸妓 加津代

「女学校を中退して芸妓に 
旦那さんが建ててくれた南禅寺界隈の邸宅」
祇園東 元芸妓 つね勇 (植村日出子さん)

◆ 舞妓さんに聞きました 好きなお客さんとは、どんな人?
◆ 京都花街 歴史をつくった奥座敷 (その4)
幕末の京都花街 明日をも知れぬ男たちと芸妓の恋
◆ 京都花街 歴史をつくった奥座敷 (その5)
明治・大正・昭和 文学の生まれ出る花街

あとがき

2012年2月16日(木) あとがき 「京都花街 舞妓と芸妓のうちあけ話」

2012-02-16 | 京都花街


淡交社より、
来月・3月初めに刊行されます。


「あとがき」
というのは、案外、読む人が多いそうで、
どの方向から書こうかと考えましたが、
文字通り、
入稿した後の印象を書きました。



あとがき より

 書き終わって、たくさんの人たちの顔が目に浮かびます。おあかさん、芸妓さん、舞妓さん、花街の人たちとの長いお付き合いなしでは、書くことのできない本でした。
 今回、皆さんとのおしゃべりの中で出たお話、様々な機会にふと聞いたお話など、様々なことをまとめました。
 大きいねえさんたちのお話の中に、吉井勇、谷崎潤一郎、水上勉、堂本印象、吉川観方などの著名な作家・芸術家や、おれん、松本佐多、磯田多佳など有名な芸妓さんも登場します。歴史上の人物とお付き合いがあったとは、まさに生きた歴史を感じました。
 「本に書いて、よろしおすか?」と何度も確認しました。プライベートなこと、旦那さん、結婚、辛かったこと、嬉しかったことなどが、たくさん出てくるからです。それでも、「どうもない」、「よろしおっせ」、「記念になりますわ」などと、答えて下さり、ここに公開することにしました。
 それぞれの人生を、その人らしく、熱心に生きてゆく姿に接し、美しい強さを感じました。当然のことながら、苦労ばかりの人生も、幸せばかりの人生もありません。そして、それが人生なのだと、改めて思いました。
 私も勇気づけられ、快い気持ちです。
 ご登場くださった皆さん、ありがとうございました。

2012年2月 京都にて       相原恭子


(本書の内容は、あとがきに書いたことよりも、
さらに広がっており、
明日のブログに、内容紹介(目次)を掲載します。)



2012年2月14日(火) 私の大事な七匹のメダカ 

2012-02-14 | Aspects of Nature

水槽をお掃除して、きれいな水を張り、
数日が過ぎたので、
七匹のメダカを買ってきました。


金魚屋さんで、
そのメダカたちは、
小さな陶器の洗面器に、
ぎっしりと、
佃煮になりそうになって、
それでも、
元気に泳いでいました。
その中から、運命の七匹を選びました。



家に帰ってきて、
ビニールの袋から、
私の水槽に放すと、
メダカたちは、大海へ出たと思ったのか、
皆、びっくりしていました。


なんだか、放生会みたいだなと思いながら、
小さな生き物を、大切に眺めました。


少しの間、
底の方でジッとしている一匹、
その他、群れになってしばし留まる六匹。

少しすると、今度は、
透明なガラスの水槽が珍しいのか、
全員が、さらに広い世界を目指して、
ガラスの向こうへ
まさに、泳ぎ出でんと欲す…。
鼻先でガラスをつついていました。


そうよ、メダカさん、
「In die Welt hinaus!(広い世界へ!)」
  →注:ゲーテの詩より
ですよ。


広い世界、
広い水槽を自由に泳ぎまわってね。
気持ち良さそうな彼らに、
私も満足したのです。

さて、メダカたちが入っていた
ビニール袋を捨てようとすると、
赤い字で
「捨てないで!」。

・・・?
『ええっ、この袋を取って置くのかしら…?』
と私は、ゴミ箱の中の袋を改めて、
手にとり、
よく読むと、
小さい字で、
生き物は最後まで飼いましょう」。

あらら、そんな悲しい事、書かないで!

こんなに大切にしているのですからね。


2012年2月13日(月) 京都三花街 & 百段雛まつり in 目黒雅叙園  

2012-02-13 | 季節の美と楽しみ

先日、2月10日(金)に、
「目黒雅叙園」で、
京の雅 京都三花街(上七軒、祇園甲部、先斗町)芸の世界 
というディナーショーがありました。


今までは、先斗町、祇園甲部、などそれぞれの花街が別々に受け持っていましたが、
今年は、三花街が一堂に会しました。

なじみの舞妓さん、芸妓さん、おかあさんたちが、
たくさん来ていて、
テーブルのお話も楽しく、
東京で会うのも嬉しいものです。

長唄でお稽古した「吉原雀」や、
人気の「祇園小唄」など、
盛りだくさんの舞台。

毎年開催されるので、
いらしてみては?


美しいものと美味しいものが好きなので、
「目黒雅叙園」の「百段雛まつり」
楽しみにしています。

会期:2012年1月27日(金) ~ 3月4日(日)
   10:00~18:00 (最終入館17:30) 会期中無休

立派な百段階段と、
それぞれのお人形が魂を持つかのように、
凛として、
日本の華を感じます。







2012年2月8日(水) 機を得た「贈り物」

2012-02-08 | 京都花街

夜、ホテルで仕事していると
行き掛かり上、
たまたま
お話しましたら、


某お茶屋のおかあさんが、
ホテルへお寿司を差し入れてくださいました。

びっくりするとともに
そのお気持ち、
嬉しくありがたく
感謝感激


そして、
もともと美味しい
そのお店のお寿司が
さらに、何倍にも美味に感じました。




2012年2月5日(日) 「舞妓さんと芸妓さんのうちあけ話」

2012-02-05 | 京都花街

次の本のタイトルは
京都花街 舞妓さんと芸妓さんのうちあけ話」(淡交社)
となり、3月初旬に刊行予定。

立春が過ぎ
寒さ和らぐ。


それでも
比叡山は残り雪。
根本中堂の前には、
木の枝に登り竜と星の形した
つららが輝く。

吐く息白く、
鐘が山中に響く。

三面出世大黒天へ
お参りすると
今日は「法楽会」。
ありがたい偶然。