Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2010年11月30日(火) たぬき・吉原雀 晦日の月 (三味線)

2010-11-30 | 邦楽・お稽古
今日は長唄(三味線)のお稽古へ行った。
と書くと、毎日趣味ばかり・・・だと思われるかもしれないが、昼間こういうことをしてしまうために、一日が24時間では足りない。
かくして、夜中まで、午前3時頃まで仕事してしまうことになる。お肌に悪いけれどね。

さてお稽古は、「たぬき」をしているのだが、非常に難しい。
余裕をもって、遊びながら弾くものだから・・・。

でも、 “つなわたりぢゃえ スッ・チャ・チャッチャ・チャッチャ・チャッチャ  チャンラ・チャンラ・チャンラ・チャンラ …”というところは、お座敷で散財しているみたいでノッてしまいますねぇ。
先生と弾いていると本当に気分が高揚します。

その後、「吉原雀」と「吾妻八景」をおさらい。
「吉原雀」の“奥座敷でござりやす …”、
“女郎の誠と玉子の四角、あれば晦日に月が出る …”というところ、良いねぇ。

この文句から、「なぜ晦日に月が出ないのだろうか?」と疑問に思い、暦を見た。
すると、なるほど、旧暦朔日(1日)は新月。
ということは、晦日に遊んで午前様になって(つまり1日)帰り道、もしくは居つづけ吉原で、窓を開けて欄干から月を観ようとしても、新月だから出ないわけですね。納得。

昨夜、というより今朝になるけれど、午前2時過ぎに東を眺めると、美しい三日月がロマンチックに大きくみえました。



写真:私の本の出版記念会で、私が「祇園小唄」を弾き、祇園甲部の舞妓さんが舞ってくれた場面です。







2010年11月29日(月) 第二の故郷ドイツ

2010-11-29 | ドイツ・ベルギー
何気なくTVを見ていると、
ドイツのボンの風景が映り、ベートーヴェンのピアノソナタ109が流れた。
冒頭の音色が、哀しいほどに美しく響き、ベートーヴェンの家、ミュンスタープラッツなどをカメラが追う・・・。


Beethovenhaus, Bonn

私は急にドイツへの郷愁に駆られ、『ああ、どうして、こうして日本に居るんだろう?』と、一瞬、“ここに居る”ことの違和感にさいなまれた。と同時に、とても哀しくなった。

だが、私がここに居る現実は現実である。

ベートーヴェンとバッハを聴くと、その律動にドイツ語の波動を感じ、そして、私の思ういかにも“ドイツ”らしいエモーションが伝わってくる。
リリカルであったり、優しかったり、ダイナミックであったり、ロジカルに思えたりする。それがとても心地よく、心と体を巡るのだ。

Weihnachtsmarkt(クリスマスマーケット)の輝きが目に浮かび、グリューワインの湯気、ローソクや飾りを売るスタンドが並ぶその空気感が恋しい。



この写真は、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットの家。
取材に行くと、EUの音楽大学の学生たちと一緒に、ピアノを弾かせてくださった。


2010年11月28日(日)巨大ムカゴご飯

2010-11-28 | 美味しいわ!
この日記に書いた、茅ヶ崎・隠れ家で収穫した巨大ムカゴ。

見た目はジャガイモですが、ジャガイモみたいにホックリしないで、まさにムカゴの味わいと歯ざわりです。
巨大なので、一口に入る量が多いから、単純に言って、そのキャラクターのある味わいも倍増します。多少のほろ苦さがあり、野趣あふれ、何だか大地のエネルギーが宿っていそうな味です。

最初の収穫は、油揚げと含め煮にして、私が三保亭と名づけた家(“隠れ家”)に、34~35年住んだ叔父を呼んで、夕食に食べました。
(余談やけど、この家は叔父と叔母が設計しはって、心を込めて建てはったお家どす。子供の頃は、毎年夏に長居して2週間も泊めてもろうて、海へ行ったり、ドライブへ連れて行ってもろうたりして、幸せどしたなあ。今のところ、うちが使わせてもろうて、ホンマに嬉しおす。ありがたいことどす。)

そして、今日は二度目の収穫で、ムカゴご飯に。どう炊けるか、失敗するのでは・・・と思って、誰も呼ばなかったのですが、とっても美味でした!




京都の高級料理屋で「ムカゴご飯どす」なんで、後生大事に出てくるご飯よりずっとおいしかったわ。
庭で取れたと思うから、多分に欲目があるけれどね。
(写真を冷静にみると、見た目はサツマイモご飯みたい!でも味は全く違いました。)




2010年11月27日(土) 国立劇場 <舞の会>  エッセイ「情念夢幻」

2010-11-27 | 邦楽・お稽古





今日は国立劇場へ。
赤坂の芸者さんSさんと待ち合わせて、午後1時から「舞の会 ~京阪の座敷舞」を観た。夕方からさとみさんはお花へ、私は続けて午後4時からの舞台を「庭のホテル」社長のKさんと観覧。

京都花街にかかわり、沢山の舞台を観たり、本を読んだり、お家元・井上八千代氏にTVや雑誌でインタビューさせていただく機会が何度かあり、私は急速に座敷舞に魅かれたのだ。
座敷舞の世界・・・京阪の四流(井上流、楳茂都流、山村流、吉村流)を代表する方々の舞。舞台を堪能した。

観ていて思うのは、
情念は舞う人の心の中、腹の中にあり、そこで泣いたり、笑ったりしている。
特にお座敷で観ると、舞い手の落ち着いた呼吸や、逆に、早い呼吸が伝わってくる。
呼吸でさえも心を語っているのだと感じることがある。
そんな緊張感を内包しつつ、いつか張り裂けるかもしれない物凄い情念に歯止めをかけ、ギリギリのところで静かに舞っているのだ・・・
舞の空間は小さいのに、ふとしたときに、その空間が解き放たれ、無限の空間に漂い出るように感じられるのは、見えていない部分、である情念の世界が限りなく大きな役割を果たしているからだと思う・・・

そんな、私の座敷舞への思いを、今日の舞台のプログラムに「情念夢幻 ~座敷舞に魅せられて~」と題して、書かせていただいた。私の本「京都 舞妓と芸妓の奥座敷」(文春新書)を、たまたまご覧になった国立劇場(日本芸術文化振興会)の編集係の方から、原稿依頼があったからだ。

今日、会場で初めてK氏とお会いした。
すると、大学の後輩で、何と専攻も同じ美学美術史、ということがわかってびっくり。

さらに、さとみさんと並んで席に着くと、偶然に私の隣に座った方が、Sさんの長らくのお友達で、「邦楽と舞踊出版社」のTさんだった。初対面だったが、三味線や仕舞のお話がはずみ、今度一緒にお仕事でも・・・ということになった。
さとみさんと一緒でなかったら、隣に座りながら、たぶん、お互いに話す機会は無かっただろう。
今日も、不思議な出会い。


2010年11月26日(金) 居続け・・・京都花街

2010-11-26 | 京都花街
お着物について、お話を聞きに祇園甲部のお茶屋さんへ。
これも次の本に掲載させてもらいます。

おかあさんはツーと言えば、カーと言う風に、本当に何でもス~とわかってくださる。
お話するのも楽しく、嬉しく、あらゆる意味で為になります。

今年、京都の某ロータリークラブでお話(卓話)させていただいた時、会員の方が「xxのおかあさんのところで、男を磨かせてもらいましたわ」と話しかけてくださった。

京都花街、本当にあらゆる側面を持っていると思いますわ。

2010年11月25日(木) 衿かえ 祇園甲部にて

2010-11-25 | 京都花街
今日はXXXさんの衿かえに寄せてもらいました。
結婚式のお支度のお部屋みたいに、華やいでおります。
ある大きいおねえさんが「衿かえして、やっと小学一年生どっしゃろねぇ」とお言いやした。

確かに、舞妓さんは、芸妓さんになるための修行の身。
でも今や、舞妓さんが(芸妓さんより)全国的に有名になり、これ如何に・・・。

それはさて置き、芸妓さんになってカツラをかぶった瞬間、ホンマに「別嬪さんにならはりまっせ」。

2010年11月23日(祝) 祇園町の小物屋さんで

2010-11-23 | 京都花街
「おとうさん、おかあさん、こんにちは!」
そんなお店がある。

1999年に英語の本「Geisha - A living tradition」(Carlton Books/UK その他から刊行)の撮影執筆をすることになり、四条通を歩きながら、ふと立ち寄ったI屋さんだ、
まさに一見さんであったが、以来、ずっと親しくさせてもろうて、今日も寄せてもろうたのどす。

簪や小物類、帯留め、帯締め、風呂敷、手提げ袋、お座敷籠・・・何でもあって、都都逸の楊枝まである。芸舞妓さんのお店出しや衿かえのお支度も、このお店で何でも揃うのだ。

ガラス障子を開けると、何だか懐かしくて、本当にホッとしてしまう。
いつも、昔のお話や今のお話、おとうさんの兵隊さん時代、色々聞かせてくださって、とても興味深くて、どこか感慨があって、嬉しくなる。
いつもおおきに!


*この「Geisha -A living tradition」という本は、アメリカ、ヨーロッパなどネット検索で購入する人が大半とのことで、出版社の強靭な意向で、タイトルだけはGeishaとなってしまったが、タイトル以外はすべてGeiko、Maikoという言葉を使っている。

2010年11月22日(月) お着物・・・フフフ

2010-11-22 | 着物
着物、キモノ、きもの・・・とにかく着物が着たいの。
たくさん、沢山、美しい着物を見てみたい!
沢山沢山、着物が欲しい!そう思ったのは2002年の晩秋だった。

そして、亡くなった祖母の着物、叔母や母の箪笥(押入れ?)に数十年も眠っていた着物を引っ張り出し、まずは「着てみんと欲す」。
昔の人は、普通に(つまり、着付け教室にも通わずに)着物を着ていたわけだから、私もできるはず。

そうそう、屋形さんへ入った仕込ちゃんも、「毎日着る」という生活から、サッサと着られるようになったって、言うじゃない?

かくして翌年、2003年1月、お友達の祇園町の大きいおねえさんと某喫茶店で待ち合わせた。
(もちろん、私は着物姿よ!)
すでに奥の席にいらしたおねえさん、私の姿を見るや「???!!!・・・」あいた口がふさがらない様子。
今思えば、「何と言っていいのやら」とおねえさんは思ったに違いない。

振袖の草履、小紋の着物、留袖の帯、蛇皮のハンドバッグ・・・。つまり私は、家で見つけた帯や着物に合うだろうという小物で、単に「色を合わせた」わけ。だから、洋服的に考えれば、それほど変でもなかったと今も思うわ。
それに、着崩れはしなかったからねぇ。
家で朝から一人で、着物を着て、新幹線に乗ったのよ。

だけど、着物にはそれなりの格があって、それにある程度合わせる(今や、好みで自分らしく着る人も増えているけれど)ということは、当時の私には想像も付かなかったわけ。

で、おねえさんは、草履と帯締めでも変えればまだいいのかと無言のうちに思ったのか、喫茶店を出てた。おねえさんのお家へ一緒に行き、帯締めを下さり、白い草履を貸してくださった。ありがたや~。(今思えば、なるほど。それだけ変えるだけで、多少は真っ当になったと、当時の私も感じた)

そうか・・・着物の法則があるわけね。と悟った私は、突如、物凄い勢いで本を読みまくくった。すると疑問点が出てきて、知り合いのお茶屋のおかあさん、お友達の芸妓さんに電話で聞きまくり、もう、寝ても醒めても「着物」とさらに拍車が掛かった。十日町の呉服屋さんの奥様も、「着物を熱心に着ようとするのはエライ!」と、あれこれ教えてくださった。(よく、皆さんがお付き合いくださったものです。私は夢中だったので、人の迷惑顧みる余裕もなく・・・ホンマにすんまへん。)

その騒ぎの中、先斗町のおかあさんが若い頃の着物を出して、私に着せてくださり、それらの着物と一切の小物類をくださった!
最初あきれ果てた大きいおねえさんも、椿の帯や若い頃の鮫小紋や帯締めを下さった。祇園町のお茶屋さんのおかあさんは、私がブルーが好きと知り、美しいトルコブルーの源氏香と四君子が描かれた反物と西本願寺の天井画が織られている帯を下さった。私はそのブルーの着物で、茅ヶ崎の隠れ場へロケに来てくださった「美の壷」、[Begin Japanology]のインタビューに出た。

ああ、皆さんのご尽力のおかげで、今の私があるのだと思うと、感謝感激、身に余る光栄どす。おおきに!

そして、本日は、当時知り合った老舗の呉服屋さん「おか善」さんや田畑喜八先生のところで写真を撮らせてもらった。おか善さんは、今年9月に都ホテルで、盛大に「創業200周年記念」パーティーを開催なさり、私もお招きいただきまして、祇園町のおねえさん、おかあさん方とテーブルを囲ませてもろうたのどす。

日本の誇る工芸品「着物」。
“美しいものと美味しいもの”が好きな私は、着物を見れば、いつも感激どす。


2010年11月21日(日) サザエさんと

2010-11-21 | お友達
今日は、次の本の取材で京都へ。
まずは先斗町の屋形さんへ寄せてもらった。
先斗町といえば、「通いなぁれぇた~ぁぁる 細いぃ路地」。
食べ物やさんが年々派手になるけれど、暗くなると歩きたくなる好きな場所だ。

今日は日曜だから、夕方は仕事の約束もないので、京都のお友達・サザエさんと待ち合わせた。
会うのは一年半ぶり?前回は、節分の寒い日だった。
猛暑の中、人間にすれば100歳のワカメちゃん(ネコちゃん)が亡くなってしまったそうで、とても残念。悲しいなぁと。
杯を重ね、行く先々に友あり・・・何と幸せなことかしら。

2010年11月20日(土) ニコン・プロクラブから国立劇場へ

2010-11-20 | 邦楽・お稽古
今日は銀座のニコン・プロクラブでカメラをお借りし、数日間テスト撮影させていただくことにした。次の本(淡交社さんから京都花街の本。来年刊行どす!)の撮影に早速日曜日から使ってみることにした。
未知のカメラを触るのは、フフフ楽しみです。

夕方から、国立劇場へ藤間章作さんの舞台へ。ドイツ政府観光局時代からのお友達で、ギリシャ政府観光局勤務の荒木さんのお師匠さんだ。荒木さんが切符をくださった。おおきに!

藤間章作先生の踊りに、思わず引き込まれ、あっという間にお開き・・・でした。
所作、身のこなし、すべてが無駄なく、よどみなく流れて、自然に観る者の心と体に馴染んで入ってくる・・・そんな踊りでした。
芸とは、そういうものなのですね。実感しました。

来週27日は、同じく国立劇場で「舞の会」上方四流が出演なさる舞台があり、国立劇場・広報の方のご依頼で、私もカタログにエッセイ「情念夢幻」を書かせていただいた。機会があったら、見とくれやす。

2010年11月19日(金) 朝日がまぶしい私のフクロウ

2010-11-19 | 隠れ家・庭仕事
一夜明けて隠れ家の朝。昨夜というか今朝3時に床に就いた身には、まぶしい、まばゆい朝日。
入口の一隅のフクロウさん、「おはようさんどす」。彼もまぶしそうどすねぇ。

さてさて、例のムカゴさんは。生垣に絡まって夏を過ごした巨大ムカゴさん、今日が最後の収穫(最後といっても二度目だが)です。ジャガイモみたに大きくて、福々しいわ。
一つは来年の種芋に。その他は煮物にしようか、揚げ物に・・・。自然の恵みをありがとう。

この巨大ムカゴは、学生時代に泊った奈良の音羽山観音寺という山寺をXX年ぶりに訪ねて泊った際、そこの尼僧さんに談山神社へ送ってもらい、お参りの後に、バスターミナルの前のお土産屋さんで見つけました。形がUFOに似ている(?)ため、UFO芋とか書いてあった。2年前の秋だった。

ここに根を下ろし、今年で二代目。ムカゴさん、遥々ここまで来てくれて、ありがとう!

そして、白菊さんも咲いてくれてありがとう。
「霜をおびたる白菊の 花降り残す 枝を廻り めぐり 廻るや~ 小車のぉ 法に引かれて仏果に至る 胡蝶も歌舞の 菩薩の舞の 姿を残すや春の夜の・・・」
来春には紅白の梅の花も咲きますよ。胡蝶さん、梅の枝で羽うちかわしてね!


フクロウさん、おはようさんどす。


巨大ムカゴさん、ようこそ!


白菊さん、胡蝶が飛んできますよ。

2010年11月18日(木) 庭仕事の苦楽

2010-11-18 | 隠れ家・庭仕事
今日は横浜で仕事先や友人との連絡を取ったのち、茅ヶ崎の家(隠れ家?)へ来た。電車ですぐなのだけれど、吹く風も快く、海を感じる。持ってきたのは、古いブラウスとGパン。庭掃除と庭の手入れの時に着るのだ。
私は何事も、始めると妙に熱中してしまう。草取りも、木の枝を飛ばすのも、心地良いものだ。自然との対話である。
かくして、ついつい時を忘れて庭仕事は続く。

こういう“楽しくもあり、過酷でもある庭仕事”に慣れていなかった去年は、新しいGパンやブラウス、セーターで何時間も草取りをして、気に入った洋服を汚してダメにしてしまった。「もったいない!」
というわけで、「捨てようか、どうしようか?」という衣類で庭にいるようになった。

だが、そういうときに限って、回覧板やら宅急便やら郵便が届いたり、ご近所の方に話しかけられたりして、“悲惨な姿”を見られてしまうのだ。
これから気をつけよっと・・・。
ということは、今日、わざわざ持ってきた衣類、明日捨てようか・・・。

2010年11月16日(火) お仕舞・お謡のお稽古

2010-11-16 | 邦楽・お稽古
AM11:00~仕舞とお謡(宝生流)のお稽古。「鶴亀」と「小袖曽我」。大坪先生がお稽古で一言二言教えてくださったこと、なるほど・・・。忘れないうちにと廊下ですぐに復習したものの、まだ覚えているかしら?
学生時代に「宝生流能楽研究会」へクラスメートに誘われて入部。以来XX年、能のお稽古から離れていましたが、去年の春、靖国神社の夜桜能で「嵐山」を香保里ちゃんと観ました。
桜の妖しいほどの美しさの中、そういえば、この仕舞、昔習った!と、大感激。心を動かされるとじっとしていられない私は、急遽、昨秋からお稽古を再開。今年の夏(8月28日)「宝生能楽堂」で、「慶應宝生会60周年記念大会」があり、行き掛かり上、私も出ることになり、何と無謀な・・・。
写真は仕舞「胡蝶」です。子供の頃から蝶が好きだったので、“春夏秋の花も尽きて・・・” 嬉しそうに舞う蝶に共感を覚えるものの、舞う姿は・・・。聞かんといてくれやす。


2010年11月13日(土) オーストリアの本と名誉領事K氏、読者の方々

2010-11-13 | オーストリア・ハンガリーと中欧
本日、茅ヶ崎のお茶のお稽古の日、“炉開き”。炉開きには三部を取り入れるそうで、なるほどと何だか感激。お茶室には凛とした雰囲気が漂いましたな~。 そして夕方、オーストリアのお集まりで上京。 「オーストリー ロングステイの愉しみ」(東京書籍)の取材から、早くも五年が過ぎたが、オーストリア名誉領事のK氏のお招きで、お仕事+里帰りのMさん、MIさん、そして私のこの本を読んでくださって、オーストリアへいらした方々とお会いしました。皆が知り合う機会を段取りしてお招きくださった金井氏の粋な取り計らい。オーストリアへ行きたい、楽しみたい、勉強したい、「たい」がたくさんのお目出「鯛」お集まりだったと思いながら、夜の東海道線の帰路へ。 オーストリアに戻ったMさんが、早々に写真を送ってくれました。