Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2020年1月17日(金) あの時 私は若かった(*‘∀‘)

2020-01-17 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
1月になると、いつも思い出します。
旅の記事の執筆を始めたのは、まだ30代の1月でした・・・。

旅が好きで、『学びの場である』旅に夢中になり、
「旅の感動を、ぜひとも撮影・執筆したい」とドイツ政府観光局を辞めたのが30代の12月でした!
当時は『もう30歳を過ぎた!』と思っていましたが、今思えば、すごく若かった!

「年収(定収入)を捨てて、たった一人で始めるとは?! そんな事をして続く人は居ない。考えを変えなさい!」
などど大先輩たちが心配してくれました。
食事に誘って下さって、色々お話していただいたことは今もありがたく思っています。

でも、『自分が本当にしたいことをしたい!』という思いは変わらず、結局、勤めは辞めました。
そして、文筆業をスタート。

ありがたいことに、すぐに執筆依頼が舞い込み、自分でもびっくり!
ひたすら熱心に取り組みました。

写真家の先生に観光局時代から師事していたので、自ら撮った写真も使っていました。
その内に、ある編集担当の方から作家・写真家というタイトルで本を出したらと勧められて、
思えばこれまでに20冊以上の本を出すことになりました…。
日刊紙などにも何度も連載をさせていただき、国内や海外で講演・講座やTV・ラジオ出演もありました。

いつも1月になると改めて思います(*‘∀‘) 
常に、初心を忘れず、しっかりやらないと・・・
今年もたくさんの感動が待っていそうです。

何歳になっても、夢は広がるものですね。


2019年1月9日(水)兼高かおる様 ご冥福をお祈り致します

2019-01-09 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
1月5日逝去されました。
先ほど(1月9日)NHKのニュースになりましたが、
すでに何日か前に訃報をお聞きし、何だか言ってはいけないような気がして今日になりました。

何度かお仕事でご一緒させていただき、今も、思い出します。
心よりご冥福をお祈り致します。


兼高さんの右側にミヒャエル王子のお妃。
その後ろに王子、私。
横浜「人形の家」にて


旅行業界のパーティーで。

ドイツ政府観光局に勤務していた時に
***ミヒャエル王子夫妻が来日なさり、私が横浜の「人形の家」と港界隈をご案内することになり通訳しながらお供しました。
当時「人形の家」の館長でいらした兼高かおるさんを王子夫妻と三人で訪ねて、館内を見学。

その後、ジョーンズさんも加わって、五人で中華街で会食しました。
兼高さんは「相原さんくらいの時に、世界の旅を始めましたのよ」とおっしゃいました。

会食の後、横浜の家までジョーンズさんとお二人で車で送ってくださいました。
華やかな雰囲気の車中で、旅はワクワクするとか、そういう話をしていたような気がします。

ここに写真を載せてもいいのかと躊躇しましたが、
王子夫妻も兼高さんも公の方ですのでよろしいのではと思いました。
当時の業界紙などには写真もすでに掲載されていましたしね。

ミヒャエル王子は2014年に亡くなられました。
夫妻のお写真もウィキペディアに掲載されています。
https://de.wikipedia.org/wiki/Michael_Prinz_von_Preu%C3%9Fen
(Wikipedia)


「人形の家」入口にて。王子に通訳しているところ。


ミヒャエル王子と。


きちんと写っている写真は、ドイツ政府観光局のフランクフルト本局へ報告書と共に送ってしまいましたので、残りの写真しか手元にありません。いえ、ネガがどこかにあるかもしれませんが・・・。

その後も東京や大阪のパーティーで兼高さんにお目にかかると、
王子夫妻の会食や人形の家について雑談しました。

天国で、自由に各地を、宇宙を旅なさっていることと思います。
とても語りつくせないほどたくさんの見聞をなさり、
素晴らしい人生だったことと拝察しております。

何度もお目にかかりお話する機会があり大変光栄でした。
どうぞ、美しい蓮の花に囲まれて、天国で快い毎日をお過ごしください。

2019年1月1日(火) 恭賀新年 

2019-01-01 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
あけまして おめでとう ございます 

昨年中はありがとうございました。
本年も、どうぞよろしくお願い致します!
***皆様のご健勝とご活躍を心より祈念いたします。***

 私事になりますが、ドイツ政府観光局勤務/ドイツ語通訳を経て、今の仕事を始めて今年「二十五周年」を迎えました。

 思えば観光局時代は短いものでしたが、旅が大好きな私としてはやりがいのある職場でした。
ドイツや日本国内の出張は多く、ドイツ各地へのプレスツアーにアテンドして取材の通訳、北海道から沖縄まで各地でのドイツの夕べや観光PRのイベントで講演やトークショーや司会をしたり、ドイツから来日するミッションの通訳、経済大臣や運輸大臣の表敬訪問やレセプションに同行して通訳などをして、たくさんの方々に出会い、各地を観ることで得たものはたくさんありました。

Officeでは、雑用(地方発送のパンフレットの荷造りやお茶・コーヒー煎れ)から局長の秘書、旅行会社やマスコミへの広報、プレスの窓口や、パンフレットの翻訳などなど、要するに人手不足だったのか何でも屋。勉強にはなりました。(今の仕事に役立っています)

 それなりに楽しく働いたけれど、私は安泰なルーティーンよりも、何かもっと「コレ」という好きなことをしてみたかった…。さらに広い世界を見たかった…。若かったのですねー(笑)。

 かくして、退職して、行方もわからぬ、先の全く見えない道をただ黙々と進むことになりました。

 目の前に現れた事を大切に、自分に可能な限りできることを全うしようとひたすら熱心に取り組み、今ふりかえると『よく過労死しなかったものだ』と思うほど、夜を日についで仕事した時期もありました。そして、観光局時代よりも、さらにたくさんヨーロッパ各地、日本各地へ仕事で旅(取材、撮影、講演など)するようになりました。

 ゲーテも語っているように、旅は学びの場です!

 気が付けば著書も三十冊近くなり、英語の著書はフランス語・ハンガリー語・ポーランド語に翻訳され、日本やヨーロッパの大学・美術館などで写真展&講演会、NHK、BBCなどテレビ・ラジオ出演もさせて頂いております。

 ヨーロッパも日本も各地に知り合いができて、各地の状況を詳しく知ることができます。

 これも、ひとえに皆様との出会い、ご支援のおかげと感謝の気持ちでいっぱいです。

 改元の今年、また「新たな気持ちで、いざ漕ぎ出でん広い世界へ!」 


                             作家&写真家 相原恭子

 



2018年12月10日(月) ドイツ語などのWEBページを追加中(*^-^*)

2018-12-10 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
なぜドイツ語のWebが無いのか??? と聞かれて、なるほどと思いまして、
ドイツ語、英語、私の本が刊行されているハンガリーを追加。ポーランドなどのページを作成中です。

さらに、各ページに、ドイツ語の記事や、スペイン、エストニア、ハンガリーなどでの写真展や講演会などの写真・現地プレスの紹介記事なども順次アップする予定です。

Kyoko AIHARA Website in German, Hungarian and English as follows.

http://home.att.ne.jp/green/K-starten/deutsch.html
ドイツ語 Deutsch/German

http://home.att.ne.jp/green/K-starten/hungarian.html
ハンガリー語/Hungarian

http://home.att.ne.jp/green/K-starten/english.html
英語/English


あっという間に年末!
舞妓さんがご贔屓さんからいただく福玉の季節です。
私もご贔屓筋(?)から今年もいただきました。
あらら、巨大な福玉でアップされてるみたい(*^-^*)




2018年11月16日(金) 祖父と「ヱ. カメロン商会」  『A. CAMERON & CO., LTD.』

2018-11-16 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
祖父が勤務していた英国の貿易会社
A. CAMERON & CO., LTD.
祖父は母が就学前に亡くなりましたから、私が知るはずもありません。
でも、この件を時々私は思い出します。

何年か前に、テレビ局の方々や横浜歴史関係の方々が見にいらして、コピーをとったりするうちに、写真の数々が見つからなくなっていたのですが、部屋の隅で発見。
念のために何枚かスキャンしました。

A. CAMERON & CO., LTD.は、横浜の居留地(居留地103番地)にありました。


左から7人目が祖父(安室富太郎)です。


パネルになったこの写真の裏に、大正6年12月22日夜『A. CAMERON & CO., LTD./ヱ カメロン商会』一同忘年会 於「福貴楼上撮影」と書いてあります。
半玉さん二人の間で腕を組んで座っているのがジェームズ社長(Ernest William James)。
その右斜め後ろにいるのが祖父です。社内ではウイリアム社長と呼んでいたそうです。

ところが、
英国人が関東大地震に驚き「こんなに危険なところ(横浜)には居られない」と神戸へ移転。

ジェームズ社長の元で経理をしていた祖父は、
長男ながら、横浜の家をすぐ下の妹に預けて、一家で英国人と共に神戸へ赴任しました。


前列右から6人目がJames社長。二列目(和服の女性から数えて5人目が祖父。横浜時代と比べると、年配になっているので時系列がわかる)

一家は4人(長男・次男)で神戸に暮らし、祖父母が40才過ぎてから
(今さら・・・)という時に、母が神戸で生まれました。


祖父が使っていたという英和辞典。よくも残っていたものです。



ちなみに神戸のジェームズ山は、ジェームズ社長がこのあたりにで外国人クラブを率いていたため、その名前が残っています。


何年か前、神戸へ旅した際に図書館や市役所などでカメロン商会や当時の様子を調べた事があります。その時、祖父一家が暮らした家の跡地は震災で更地になっていましたが、母の記憶にある近所の病院や商店などの建物はそのまま残っていました。
この英語の資料は、その時に資料コピーした[Climpses of Hyogo Prefecture 1932]です。



母より15歳年上だった長兄は、17~18歳になると、A. CAMERON で、倉庫番のアルバイトを始めました。
主な輸出品は「絹」や「陶磁器」(九谷、有田、四日市など)、主な輸入品は「鉄」だったそうです。

カメラマンを夢見ていると話すと、カメラをくださったそうです。

神戸の写真をたくさん撮影して、湊川神社で観光客の集合写真を撮るバイトも始めて、
毎日社務所で待機してかなりの枚数の観光客の写真を撮りました。

ところが戦争が始まり、
ウイリアム社長は昭和16年9月に日本を出国。

母の長兄はカメラマンへの夢は破れ・・・最初は南方へ、さらに中国へ出征。

頭に銃弾が入ったまま、命からがらの復員。それでもなんとか天寿を全うしました。

戦時下の若者たちは、多くの方々が亡くなられ、
将来の夢や希望に向かって努力する機会も奪われ、若い命を生きることさえも難しい状況に置かれていたのだと思うと、どうしようもなく悲しい気持ちになります。辛いです。

私はウイリアム社長が日本を出る際に、記念に置いて行ったグレーのブレザーの生地で仕立てたスーツを着て小学校入学。

ドイツ政府観光局時代から写真家の先生に師事して、国内外の写真を撮り、
「英国」の出版社から本を出すことになったのは、
祖父と英国とのつながりが「伏線」となっているのかもしれません。

祖父が京都の隅々までと言えるほど、多くの社寺の御朱印、京都の老舗のスタンプ、昭和9年清滝駅のスタンプなどなどたくさん集めており、奈良、高野山、琵琶湖周辺や関西各地の旅の記録が残っているのも、今考えると、これも私と京都とのご縁の「伏線」に思えます。

奈良、高野山、琵琶湖、関西各地は、私が好んで京都から旅を続けているデスティネーションです!


ちなみに、
ウイリアム社長の邸宅は今、レストランになっています。

2018年10月25日(木)自著のポーランド語版/著者インタビューが 「Torii」(ポーランド語の雑誌)に掲載

2018-10-25 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
ポーランド語の雑誌「Torii」マガジンに記事を書いているヨアンナ・シゲノブさんが、私の著書「Geisha - A living tradition」のポーランド語版を読まれて、
著者インタビュー(して下さいました。
「Torii」とは「鳥居」の意味だそうです。
文化や風俗、伝統など様々な視点から見た「日本」についての記事が掲載されています。
とても興味深い内容です。

初版が刊行された2000年以来、様々な国のジャーナリストさんや作家さん、写真家さんたちと知り合いました。
今に至るまでそうした出会いが続くとは全く予想していませんでしたが、とても嬉しいことです。
皆様、ありがとうございます。


表紙/ジャケットです。




京都花街とのかかわりの写真を何枚かとのことで、
左は。以前、交詢社で私の<出版記念とNHK/Eテレ「知るを楽しむ」講師&案内人出演記念>のパーティーの一枚です。京都の舞妓さんが私の三味線と唄で「祇園小唄」を舞ってくれた写真。

右は、京都国際会館で「ベルギー美味しい旅」(小学館)の出版記念にて。京都の老舗の方々、マスコミ関係の方々、旅行関係の方々はもちろん、京都花街の女将さん、芸妓さん、舞妓さんが多数お越しくださいました。写真は長いお付き合いの上七軒の芸妓さんと舞妓さんが花束を贈ってくださったところです。




お座敷で「おまわりよいやさ~」をしているところ。この夜は勝ち進みました!



私の著書の一部。



ドイツ人登山家ピット・シューベルト氏(DAVの代表で、当時、国際安全対策委員長を勤めて居らっしゃいました)の日本縦断講演会のドイツ語通訳をしてから、知り合いとなり、シューベルト氏と彼のパートナーと三人で、オーストリアからイタリアなどヨーロッパアルプス登山ツアー(山小屋に4泊)をした時の写真です。花街だけでなく、他の活動もとのことで掲載のようです。


先日の「オリオン絵画展」へヨアンナさんがご一家でお越しくださり、マガジンを届けてくれました。
マガジンにサインしているところです。本国・ポーランドへサインつきのマガジンを送るそうです。
ありがとうございました (*'▽')



この本のオリジナルは英語版「Geisha - A living tradition」です。英語の原稿と写真を私が出版社 Carlton Books London へ入稿したわけです。
ですから、この本の日本語版はありません。

英語版は、すぐにハンガリー語やフランス語に訳され、さらにポーランド語にも訳されました。この本に私は、多大な努力と労力を注ぎました。(途中で過労死しなくてよかったです。)

今でこそ、京都花街、芸妓さん、舞妓さんはFB,インスタにも、どこにでも登場していますが、2000年当時はまだタブーもありましたから、今とは状況が違います。

刊行の後、今でも、
英国、フランス、ハンガリー、エストニア、スペイン、ブルガリア、米国、メキシコ、南アジア(シンガポールなど)や、オセアニア(オーストラリアなど。以前日本に住んでいたオーストリア人の知人の一人が読書会で読んだそうで、「あっ、これKYOKOの本じゃない?」とびっくりしたとか)など読者の方々からご連絡いただいたり、各国各地のジャーナリストの方々から著者インタビューがあり、書評掲載があり、日本だけでなく、外国のTVやラジオにもずいぶん出演し、外国での講演や写真展の依頼もあります。

講演や写真展は、日本国内だけでなく、ヨーロッパからも多数あり、たくさんの方々との出会いがありました。そして、今も、国内や海外でも本を通して出会いが続いていることには、本当に感謝しています。

ヨアンナさん、ありがとう。

Topic 2018年10月15日(月)~21日(日) オリオン絵画展

2018-10-15 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
昨日(10月21日/日)終了しました。
お越しくださった皆様、お忙しい中、本当にありがとうございました。
(人物入りの写真は、掲載を控えています)

お仕事関係の出版社さん、新聞社さん、テレビ局の方々、写真関係の方々、また小学校、中学校、高校、大学の先輩や同級生たちも遠方から、ご近所から来てくれました。

思いがけず、色々な立場の方からお話や感想をお聞きすることができまして、
絵画についてだけでなく様々な勉強になり、かけがえのない一週間でした。

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2018年10月15日(月)~21日(日) 終了
「オリオン絵画展」 
於: 神奈川県民ホールギャラリー 第一展示室
 (山下公園向かい)
時間:09:00~18:00
 (初日は13:00から、最終日は15:00までです)




習い始めて数か月ではありますが、「撮る事」と「描く事」の類似的な局面と、全く異なる局面が日に日に見えてくるようで非常に興味深いと感じています。

また、こうした機会にたくさんの友人知人に会える事はもっと嬉しいです!
ありがとうございます(*'▽')

私なりにこれまでに出会った印象的な情景や心の動きを、これからたくさん描きたいなと思いました。

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2018年10月15日(月)
オープンしました。
仲川ゆかり先生の作品やベテランの方々の作品多数です。

大の仲良しのお友達がさっそく来てくれて、綺麗なお花。私の好きなピンク色尽くしです!
いつもありがとう(*'▽')


以下は私の作。

下左:「早秋 ~アンバリー城」(英国)
 → F15.旅の記事の連載の取材で宿泊したお城です。ホテルレストランになっていて、ロンドンから車で手軽に行けるので、週末にお食事に来る人も少なくないです。北ヨーロッパの9月は早い秋。朝晩は寒くて暖炉に炎が揺れていました。

下右:「印象 ~白夜のフィヨルド~」(ノルウェー)
 → F6.スカンジナビア取材の際、ウルネスの木造教会(世界遺産)のすぐ近くの小さなホテルに泊まりました。夕食後、一人で白い空、トワイライトの中を散歩した時の印象を描きました。高緯度地域の不思議な明るさが私にはロマンチックでした。





下右:「珊瑚草のかがり火」(北海道/能取湖) → F6.「釧路市立美術館」にて「マイセン」(磁器)の特別展があり、講演にお招きいただきました。講演の後、せっかく釧路まで来たので(こうした機会には常に自費で付近を旅して、講演料はもちろん飛び、さらに散財することになりますが、何物にも代えられない素晴らしい見聞となり、良い思い出になっています)、一人で釧路湿原から能取湖、サロマ湖、ラムサール条約登録湿地である濤沸湖(とうふつこ)の湖畔などを路線バスや電車、自転車で回りました。大自然、美しい大地と鏡のような静かな水の印象を描いたものです。北国の光は穏やかで優しいです。




展示の様子







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***今年6月から、趣味で習い始めた油絵です。
全くの初心者ですが、仕事でないですから!!!、気楽ですね。
屈託なく、楽しく、参加させていただきました。

県民ホールは、横浜中華街、元町、山下公園、赤レンガ、港の見える丘などに近く、
私が子供の頃から馴染んだ懐かしい場所でもあります。










2018年10月3日(水) 私を造った"旅”(3)

2018-10-03 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
また写真が見つかったのでスキャンしました。

時系列がつながりませんが、
自分としては、写真の撮影時期、場所、一緒に居た人、お天気までが鮮明によみがえります。


ドイツ/デュッセルドルフの「ベンラート城」にて。
「Ohne Apparat kommt sie nicht]」
恭子はいつもカメラを持ってるよ! と言われていました。
これは簡単な持ち歩きカメラ。父が買ってくれました。


学校の遠足/Ausflug
ベルギーの学生、Rさんたちと。


フィレンツェ。知らないうちに、二週間が過ぎていた。
町に魅了されて、時を忘れた日々。


フレンツェで出会った犬💛
二週間近くも毎日私について朝から夜まで歩き、昼間は美術館などの外で待っていて、夜はホテルの玄関で待っているという不思議な、充実ワンちゃん。
声をかけるイタリア男が追いかけてくると、小さな体でものすごい勢いで吠えまくり、飛びかかりそうになる誠実(?)なワンちゃんでした。
フィレンツェからペルージアへ向かう列車まで付いて来てくれたけれど、私は明日はどこへ行くかわからない旅人。
知らない駅や空港で置き去りにするわけにはいかないと思って、フィレンツェの駅でお別れ。辛かったわねぇ・・・。何だか涙がこぼれたものです。😿
私はペルージアから、さらにアッシジへ、思いつくまま、ラヴェンナへ向かいました。
当時は長閑でした。

2018年9月28日(金) 私を造った ”旅” (2)

2018-09-25 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
スイスのジュネーブからバルセロナへ夜行列車。
バルセロナで何泊かして、さらにどこへ行ったか???
二か月近く、ずっと一人でヨーロッパじゅうを列車、夜行列車、バス、自由に旅した日々。

それは、自分との対話。
自分の内面への旅、とも言えました。
思えば、危険なことも、困難なこともありましたが、
その時に考えた事や想った事は、今の自分の土台になっているように思います。

この写真はグラナダにて。


その後、コルドバでこのブーツのファスナーが壊れてしまいましたが、毎日あれもこれも、美術館、博物館、美しい景色に魅了され、新しい靴を探して買う時間が惜しくて、なんと、毎朝糸と針でブーツを縫って出かけました。夜はほどいて、ブーツを脱ぐ(笑)というわけ。

ドイツの友達に話したら[Das ist deine Passion!] と言われました。

一日中歩くので、中々歩きやすい靴が見つからなかったという事も理由の一つですが。


一人で歩いていると、木々の姿にも美を感じて感動したものです。


これは走っている車窓から一瞬のうちに見えた牧歌的風景。今も思い出します。


グラナダのサクロモンテにて。
2015年、グラナダ大学で講演をさせていただいた際にサクロモンテへ立ち寄りましたら、今や、住宅街ですよね。

・・・などなど、
写真はたくさんあったはずですが、今、見つかったのはほんの少しだけ。
一人で旅していたので、自分が写っている写真はほとんどないのが残念。

昔のプリント写真をスキャンしたので、酷い画質です。(ネガが見つからないので、さらに画質悪し)
インスタ映えとは程遠いけれど、私にとっては当時の感動が宿っています。


Topic: [ヴァイエンシュテファン] 世界最古の現在も醸造を続けるビール醸造所 Brauerei Weihenstephan

2018-09-05 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
Bayerische Staatsbrauerei Weihenstephan
Die aelteste Brauerei der Welt, die noch braut.

ドイツ バイエルン州 
フライジンクに1040年から醸造を続ける世界最古のビール醸造所「ヴァイエンシュテファン」があります。



そのヴァイエンシュテファン醸造所から
Marcus Englet氏(Sales Director Export)が来日。

2018年9月4日(火)「Toranomon HOP (虎ノ門ホップ)」でパーティーがありました。

ドイツビールファンの皆さんの熱気。
美味しいビールがさらに美味に!




エングレット氏/Sales Director Export
Mr.Marcus Englet, Sales Director Export, Bayerische Staatsbrauerei Weihenstephan
ビール関係の方々とは、すぐに気が合うというか、気持ちが通じ合いますね!
私のビールの旅が今も続いているのは、ブラウマイスターや醸造所の方たちとの出会いが嬉しく、素晴らしいからです(*'▽')


ドイツビールに関する私の著書。
「もっと知りたい!ドイツビールの愉しみ」(岩波書店)は、電子ブックになっています。

「ドイツ地ビール夢の旅」(東京書籍)の初版が出たころは、日本で地ビールが解禁になった矢先。ウァイエンシュテファンをもちろん第一章で取り上げました。
以来、話題になりビールの美味しさと、世界最古の醸造所(現在も醸造を続ける)ということで、知名度は一気にアップ。日本だけでなく、各国で人気上昇しています。

最初にヴァイエンシュテファンへ取材に行った時には、ブラウマイスターのザールマン氏にお会いして、丁寧にご案内いただきました。
まさに一流のブラウマイスターから講義を受けたわけで、勉強になりました。ありがたく、感謝。

ちなみに、その時の彼のおすすめは、Dunkelweiss(Weissbier Dunel) でした。
バランスよく、コクもあり、さわやか。まさにBraukunstです。
Sueffig und weitertrinken ! 
(ドイツビールに重要な言葉です)


ドイツ大使館主席公使フィーツェ夫妻もお見えでした。
Herr & Frau Vietze,Deutsche Botschaft waren auch dabei.


以下、近年バイエルン州(フランケン地方)のたくさんのビール醸造所を取材した際の記事です。
バイエルンの中でも、フランケン地方はビール消費量も多く、地ビールへのアイデンティティーが強いです。
長閑な風景の中、癒されて、ビールの旅は続く・・・。

今年「醸界春秋」に書いたバイロイト、フォルヒハイム、フランケンビール街道などの記事。

そして、私のビールの旅はさらに続きます。
Meine Bierreise geht immer weiter.

2018年8月30日(木) 私を造った ”旅” (1)

2018-08-30 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
猛暑の中、多少なりとも資料と写真の整理をしようと(片付かないのは承知ですが…)試みました。

ドイツを中心としたヨーロッパ各国、リゾートや遺跡を愉しんだタイ、インドネシア、マレーシア、スリランカ、インド、フィジーなどアジアとオセアニアの国々、京都、京都花街、日本各地・・・、夥しい数の本やコピーした資料、ポジフィルムの時代の写真、データの写真など。

片づけながら思ったのは、今こうしている、今こうなっているのは、
大学を卒業して、ドイツ(ケルン)でホームステイしながらドイツ語の勉強をし、
色々な国々の学生たちと知り合い、ドイツでの人間関係ができて、さらにふらりと
ヨーロッパ各地を一人であてどなく40日(いや50日だったか)あまりも旅したことが土台になっているのだと実感しました。

ケルンを出発して、あと一日、あと一日とばかりに
アムステルダム→オランダ各地→ベルギー各地→南ドイツ各地→オーストリア→スイス→イタリア→南フランス→スペイン・・・と旅は続き
毎晩、ベッドに座って翌日の日程を決めるという、明日をも知れない
まさに私らしい「夢の旅」でした。


街角で、美術館で、電車の中で、見聞きすることがすべて五感に訴えてきて、
スポンジのようにあらゆることを吸収し、毎日考えました。

不思議なことに
写真一枚を見ると、今も、ありありと『その日』を思い出すことができます。

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一か月のインターレイルチケットの期限も切れたその日。

ケルンの家にも連絡しなくてはならない。
(➡ケルンの家とは、二軒目のホームステイしたお家。そこのご夫妻と親戚のように親しくなり、まさにケルンの両親のようになり、おばさんとおじさんと呼んで亡くなられるまで毎年のように訪ねました。本当に大きな出会いでありました)

写真を載せても良いかどうか聞きたくても、もう亡くなられてしまいました。
記念の一枚、良いですよね。。。


でも、パリは面白い! 
時がたつのも忘れて、美術館、ギャラリー、古城を訪ねて
また数週間が過ぎました・・・。

***ケルンに暮らして、ふらりと出かけた“大”一人旅は、
今までの人生の短い一時期に過ぎませんが、思い出すと、
20年も、いやそれ以上の年月に値するほど深さと重さがあったように思われます。

毎日朝から夜まで、たくさんの事を見聞し、夜中に消化(?)して、また新たな日が始まる。

それは素敵なことでした。

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以下はたまたま見つかった写真をスキャン!


当時Rodenkiruchenにあった学校の教室で。撮ってくれたのはたぶん、Nさんだったか。



アッ、写真のせても良いかしら・・・と躊躇しましたが、もうずっと前に亡くなられました。
最初にホームステイしたRodenkirchenの町内の方です。
この画家のおじいさまがお誘いくださり、お友達と何度か訪ねました。
南アフリカの別宅の写真や、そこで創作した絵もたくさん見せれくださいました。
私は絵を観るのが好きなので、今も思い出します。



「ベートーヴェンの家」にて。
週末はボンを歩くのが好きでした。路面電車でRodenkirchenからアクセスが良い。
当時はボンが首都で、Bad Godesbergは邸宅街。お父さんが大使館員だったセネガルからのクラスメートの家を訪ねたことも思い出します。


続きは次回へ (#^.^#)









2018年6月5日(火)日独友好30周年 ロマンチック街道 (*‘∀‘)

2018-06-04 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
ドイツ大使館大使公邸のパーティーへお招きありがとうございました。
何人かの方々から写真もお送りいただき、嬉しいです。ありがとうございました。許可をいただき、掲載いたします。(自分の写真は余りないので、貴重です(#^^#))

「Das 30-jaehrige Jubilaeum der Partnerschaft der deutschen und japanischen Romanstischestrassen 」
ドイツロマンチック街道と日本ロマンチック街道 
友好30周年記念パーティー」 

ドイツ連邦共和国大使 Dr.Hans Carl von Werthern氏がお迎えくださいました。


右から、ドイツ連邦共和国大使 Dr.Hans Carl von Werthern氏、私、
日本ロマンチック街道より群馬県嬬恋村村長 熊川栄氏、
ドイツロマンチック街道代表 Juergen Wuenschenmeier氏

ロマンチック街道(ドイツ)から、Kurt Foerster氏(ローテンブルク市長)ほか多数の方々が来日なさいました。


私が「ドイツ政府観光局」へ入ったばかりの時、日本にロマンチック街道という名を冠した姉妹街道をつくるということで、ドイツからデレゲーションが草津を中心とした日本ロマンチック街道の街々へ最初の表敬訪問と視察にいらっしゃいました。

新入り!の私が、通訳と付き添いで同行することになり、ドイツからバイエルン州運輸大臣、ロマンチック街道の各街の観光局長さんたちや、プレスの方々など重要な人達をご案内して、東京から新幹線で出かけました。

入局して半年余り。緊張していた私に当時の私の上司(ドイツ人の局長)はドイツ語で、
「アイハラさん、この訪問は両国の心が通い、長い友好関係への第一歩となることが目的です。ゲーテは語った。『素晴らしい、美しい、友好的だ!』とね。あなたもそういう気持ちでいればよい。あなたのドイツ語は充分ですからね」と励ましてくれました。


代表団/ドイツ各地の観光局長さんたちの中には、当時の私の父より年上の方々も少なくなくて、「こんなメートヒェンがたった一人で、通訳と引率? ドイツだけでなく日本のプレスやTVも集まるというのに、重要な式典は大丈夫だろうか?」と心配したそうです。
(自分では一人前のつもりでも、今思えば本当に見た目がMaedchen・・・でした(#^^#) 先日アップした白雪姫の衣装の写真よりも少し前ですから!)

それでも、両国のお歴々の皆様と大過なく、楽しく、和気あいあいと、予定をすべて遂行できたのはまさにお歴々の皆様のお力添えです。

行事を完了して、草津を中心に各地を視察しました。温泉へも入りましたね。
郷土料理、温泉まんじゅう、お蕎麦も、何もかも心がこもっていて快かったです。

両国の橋渡しとなり、ドイツについて多くを学び、ご研究され、大変なご尽力をなさった草津の重鎮でホテルのオーナーでいらした中澤兆三さんは、お子様より年下だった私ような若輩者と亡くなられるまで長いお付き合いをしてくださいました。感謝しています。
ドイツの温泉治療や観光について、私が観光局を退職して作家&写真家としてスタートした後も、よく一緒にお話しして、学ぶことがたくさんありました。


今も日独のロマンチック街道の友好関係が続いており、
こうしてパーティーがあったことを、
きっと、天国でご覧になっているでしょうね。

Ich hoffe sehr, dass diese freundschaftliche Beziehung weiter besteht !

これからも、素晴らしい友好関係がずっと続きますように!













2018年5月23日(水) 勤め人だった頃 (*‘∀‘)

2018-05-22 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
ドイツ大使館のパーティーへ、ドイツの友人たち(市長さん、観光局長さん、ホテルのディレクターの方々など)が出席するとの連絡が、ロマンチック街道のローテンブルクからありました!

再会が楽しみです❤ 

ドイツの友人たちと見ようと、私のドイツ政府観光局時代の写真を探していたのですが、
作家&写真家としてスタートして以来の仕事の写真や資料などが仕事部屋に山となり、
当時の写真はほとんどみつからず・・・。
それでも懐かしい2枚が! 


<東山魁夷先生ご夫妻とドイツ政府観光局局長と私> 
ホテルオークラのパーティーで。

東山先生は、ローテンブルクなどロマンチック街道をたくさんお描きになり、当時よくお目にかかりました。

私は通訳として、局長のお供でレセプションやパーティー、会合へ同席していて、
観光業界、経済界など数多くの多方面の方々(ドイツ政府の大臣や大使の方々、ドイツ各地の観光局長さんたち、在日本の政府観光局の局長さんたち、商工会議所会頭さんたち、旅行会社の社長さんたち、ホテル関係の方々、省庁の方々など)と、お目にかかる機会を得ました。

毎日のように色々な会やレセプション、パーティーがあり、楽しんで仕事させていただき(今も、楽しい仕事をしていますが/笑)、いつもとても勉強になりました。
今もお付き合いが続いて方々も少なくありません。

今があるのは、そうした素晴らしい方々との出会いと、あらゆる機会に見聞した事が「元」になっていると改めて実感しています。本当に感謝の気持ちです。

「ドイツの夕べ」や「観光国ドイツ!へようこそ (Willkommen Reiseland Deutschland)」など、様々なテーマで講演をするために、時に一人で、地方へ北海道から沖縄まで出張したこともたくさんありました。それも良い経験でした。

下の写真は旅行見本市会場で(何と、メルヘン街道「白雪姫のドレス」を着ているの!若かった) ありがとうございました。(#^^#)


そしてまた私は「今から、ここから、楽しく熱心に頑張ろう」と思うのです。




2018年4月23日(月) 去年の今日 「相原恭子写真展オープニングパーティー」 でした(#^^#)

2018-04-23 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
「一年前でしたね!」と言われて、びっくり。





昨年の今日は、写真展オープニングパーティーでした。
ご出席くださった皆さま、ありがとうございました!

小学校・中学校・高校・大学・ドイツ政府観光局時代のお友達、お仕事で知り合った出版社、新聞社、TV,ラジオなどマスコミの方々、ご近所の方々など100人近くが一堂にお集まりくださり、ありがたく嬉しい時でした。

レストラン「驛の食卓」の方々には大変お世話になりました。

松枝工務店の松枝社長のご尽力で、ギャラリーでない高いところや壁面にも、うまく展示できて、感謝。








朝日新聞 首都圏版のイベントガイド


乾杯の音頭。


ドイツ、イタリア、ポーランドの方々もご出席下さり、おしゃべりは外国語バージョンも有り・・・。

宴たけなわになると皆さんでお話も忙しく、写真が無いです。
また、お顔がはっきり写っている写真が多くて掲載控えますね。

以下の発起人の方々は学生時代やドイツ政府観光局時代の友人、ご一緒にお仕事させていただいた方々ばかりです。
全員がご出席くださいまして、ご多用中ありがとうございました。

<発起人代表>
プロモイタリー代表(元イタリア政府観光局)宮口香保里さん
<発起人>
元国立京都国際会館館長(元 ベルギー王国特命全権大使)中村順一さん
NHKチーフプロデューサー 渡辺幹雄さん
(株)IMAGICA代表取締役社長 大林克己さん
(株)朝日旅行 代表取締役社長 鶴田隆志さん
(株)日本旅行 特別顧問 瀧本勝一さん
多摩美術大学芸術学科教授 小川敦生さん
聖心女子大学教育学科非常勤講師 風巻 浩さん
静岡文化芸術大学文化政策学部教授 小針由紀隆さん
(株)松枝工務店 代表取締役社長 松枝成年さん
NTTテクノクロス アプリケーション・イノベーション事業部
  営業担当部長  高塚 肇さん
元トルコ大使館広報参事官室 秘書 菅より子さん
(注:タイトルは、昨年当時のものです)

司会:お馴染み(^^)/ 宮口香保里さん
受付:元トルコ大使館広報参事官室の菅より子さんと松村悦子さん、岩波書店編集部の賀来みすずさん、パステル画家の高木匡子さん
お世話様でした。








開始前、早くからお越しくださった方々もあり、お忙しい中ありがとうございました。

二次会を準備する間もなく当日になってしまい、
あっという間にお開き。
またの機会があればと思います!











2018年3月28日(水) ドイツツアー 今年9月28日から10月7日 (*‘∀‘)

2018-03-27 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー

ドイツビール 南ドイツ紀行
オクトーバーフェスト、カンシュタットの祭、世界最古の今も醸造を続けるビール醸造所「ヴァイエンシュテファン」、世界最古の今も醸造を続ける修道院醸造所「ヴェルテンブルク」、バイエルン王家直系の王子の醸造所「カルテンベルク醸造所とレストラン」、ヘッセの故郷カルフなど、見所満載の旅です
朝日旅行さんのパンフレット/超速報版 より  お問い合わせ:電話(03)6858-9822 


→→→ ドイツビールとなると、私は何だか熱がこもってしまいます(#^^#)


「カルテンベルク醸造所」にて、王子と著者・相原恭子氏 (画像提供:相原恭子氏)



「ホーエンツォーレルン城内部。今もヨーロッパ貴族のレセプションなどが行われる。



ビールを飲む修道女たち ヴェルテンブルク修道院のレストランにて 



著書「もっと知りたい ドイツビールの愉しみ」(岩波書店)文・写真 相原恭子



著書「ドイツ地ビール夢の旅」(東京書籍)文・写真 相原恭子


講師挨拶
20代の頃から暮らし、各地に友人知人がいるドイツ。今もドイツ各地を取材しながら、ビールや食文化、ドイツの歴史や美術、現代のライフスタイルなどを探求しています。今回は、現在も醸造を続ける世界最古の醸造所「ヴァイエンシュテファン」(ミュンヘン工科大学として、最新の醸造技術を研究)、絶景のドナウ溪谷に佇む世界最古の修道院醸造所「ヴェルテンブルク」、バイエルン王家の王子様が経営する「カルテンベルク醸造所」(お城のレストランでバイエルン王家の料理を味わいます!)など、ぜひ訪ねたい美しい風景に囲まれた醸造所を見学。各地の新鮮な地ビールと美味しい郷土料理も愉しみます。「カンシュタットの祭」と「オクトーバーフェスト」の2つの有名なお祭りを見物できる稀有なチャンスでもあり、ドイツの発砲ワイン“ゼクト”の最古の醸造所がある美しい街エスリンゲン、ヘッセの故郷カルフ、王様の壮大な城「ホーエンツォーレルン城」、大聖堂で知られるウルムなど、毎年ドイツを旅する私がお勧めするとっておきのデスティネーション満載です。いつも楽しいお仲間でよい旅です!お一人参加の方もお気軽に、ご一緒しませんか。(講師 相原恭子記)


予定段階の日程(変更の可能性あり)

第一日目 成田又は羽田(午前) ✈ 欧州経由 ✈ (夜)シュットゥットガルト  
午前:成田又は羽田より欧州経由にてシュトゥットガルトへ。
夜 :着後、専用車にてホテルへ。  〔シュトゥットガルト泊〕
 
第二日目 シュットゥットガルト  ホーエンツォレルン城  エスリンゲン シュトゥットガルト
午前:ロマンチックな古城ホーエンツォレルン城◎を見学します。その後、ブドウ畑に囲まれた可愛らしい街エスリンゲンへ。ケスラー・ゼクトの醸造所◎にてドイツの発泡ワインにて試飲と見学。
昼食:エスリンゲンの「ディッカートゥルム」にて昼食を。
午後:シュトゥットガルトへ戻ります。希望者の方は、カンシュタット祭りへご案内します。  
〔シュトゥットガルト泊〕  


第三日目  シュトゥットガルト  マウルブロン  カルフ  ウルム 
午前:マウルブロン修道院◎を見学した後、ヘルマン・ヘッセの故郷カルフを訪れます。
昼食:カルフのビストロ「マウルテッシュレ」にて昼食を。
午後:世界一の高さの塔を持つウルム大聖堂◎を見学後、散策を楽しみます。  〔ウルム泊〕
  
第四日目  ウルム  ミュンヘン
終日:ミュンヘンへ。オクトーバーフェスト祭りへご案内します。
夕食:ビール醸造所直営レストラン「シュナイダー」にて夕食を。      〔ミュンヘン泊〕

    
第五日目  ミュンヘン  カルテンベルク  ヴァイエンシュテファン  レーゲンスブルク
午前:バイエルン王家の末裔ルイポルド王子の醸造所◎を見学し、昼食は王家のレシピを再現した「スペシャル料理」をお楽しみください。
午後:世界最古のビール醸造所ヴァイエンシュテファン醸造所◎と古城醸造所ブラウアライ・ラウ◎を訪問し、試飲を楽しみます。その後、レーゲンスブルクへ。
夕食:「ビショフスホーフ アム ドム」にて夕食を。        〔レーゲンスブルク泊〕

  
第六日目  レーゲンスブルク  ヴェルテンブルク  レーゲンスブルク
午前:ドナウ遊覧船に乗り、ヴェルテンブルクへ。世界最古の修道院ビール醸造所◎を訪問します。
午後:レーゲンスブルクに戻り、自由散策をお楽しみください。   〔レーゲンスブルク泊〕

  
第七日目  レーゲンスブルク  フォルヒハイム  バンベルク 
午前:フォルヒハイムへ。散策を楽しみます。
昼食:ツム アルテン ツォルハウスにて昼食を。
午後:バンベルクへ。シュレンケルラ醸造所◎を訪問し、旧市街の散策を楽しみます。
夕食:ビアガーデン「シュペイツィエルケラー」にて夕食を。       〔バンベルク泊〕

  
第八日目  バンベルク  ニュルンベルク 
午前:ニュルンベルクへ。フラウエン教会◎や、マルクト広場●、聖ローレンツ教会◎などの散策を楽しみます。高台のカイザーブルク●からの眺めも楽しみます。
午後:自由散策をお楽しみください。   
夕食:「アルトシュタットホーフ」にて夕食を。    〔ニュルンベルク泊〕

  
第九日目  ニュルンベルク (午後) ✈ 欧州経由 ✈ 
午後:欧州経由にて、帰国の途へ。                       〔機内泊〕

第十日目  ✈ (午前) 成田または羽田
朝:成田又は羽田空港着後、入国通関手続をし、解散。  


ーーーーーーーーーーー

以下、簡単なご紹介。
(本や記事にさらに詳しく書いてあります)

【修道士の“飲むパン”ビール】
ドイツ、特にバイエルン地方では『ビールは飲むパン』、『飲む栄養源』と言
われます。カトリックが盛んな南ドイツで、修道士の飲むパンといえばビール!
「シュタルクビア(強いビール)」は、修道士が寒い断食の時期に「少しでも栄養のある飲み物が欲しい」と考案したのが始まりです。バイエルンには春夏秋冬のほかに、もう一つの“第五の季節”があるといわれており、それがStarkbierzeit(=シュタルクビアの季節)です。ちなみにドイツ全土には、約1500近くものビール醸造所があります。オクトーバーフェストは、1810年10月にルードヴィヒ二世の祖父(当時皇太子。後のルードヴィヒ一世)と王女テレーゼとの婚礼のお祝いが起源です。王家の伝統もビールなしには語れません。今回は、バイエルン王国最後の王・ルードヴィヒ三世のひ孫にあたるルイートポルト王子(王家の家系を受け継いでいます)が経営する「カルテンベルク醸造所」を訪ね、醸造所見学の後は気品あふれる併設のレストランで王家に伝わる伝統のレシピで造った特別な料理をいただきます。世界遺産の美しい街並みが欧米人にも大人気を博するバンベルクはビールの街。できたての燻製ビール「ラオホビア」はぜひ一度は飲みたい格別な味わいです。できたてのビールを地元で!輸入されたビールとは一味も二味も違います。ヘルマン・ヘッセの故郷カルフも一見の価値がある素敵な街です。彼はノーベル文学賞を受賞するまで、故郷では『なまくら者』、『地元の恥』とまで言われていました。そんな大人物への思いを馳せて散策しませんか。
旅行中は、ビールはもちろん、ドイツについて、文化・芸術・ライフスタイル、知られざるドイツの局面などを様々な視点から、お話させていただきます。皆さんで本場ドイツのビールを現地で味わい、美食も教養も愉しみましょう。


【“ビール純粋令”と“ホップとモルトに神の加護あれ!”】
「ホップとモルトに神の加護あれ(=Hopfen und Malz Got erhalt’s.)」。
これはドイツビールにとってキーワードです。醸造所の壁に書かれていることが多く、目にした方もいらっしゃることでしょう。さらに、“ホップとモルトと水だけで醸造されたものをビールとする”と定義づけた条例「ビール純粋令(Reinheitsgebot)」がドイツにあります。1516年4月23日にバイエルンのヴィルヘルム四世とルードヴィヒ十世が公布した事は日本でも知られ、この日をビールの日として日本ではビールフェティバルもあるようですが、これより前に同様の規制をしていた歴史があります。
例えば、赤ひげ王として知られる神聖ローマ皇帝フリードリヒ一世(1122-1190年)が都市権を与えたアウグスブルクでは1156年、ニュルンベルクでは1303年、ワイマールで1348年などが挙げられます。
ドイツビールは、単に飲み物としてではなく、キリスト教や生活、文化、歴史や伝統に根差しており、文化史としても興味がわきます。

ここにはとても書ききれませんので、実際にドイツ各地でお勧めのビールを飲み、現地の美しい風景や快い実りの秋の風情を楽しみながら、たくさんの謂や興味深いエピソードもお話します。ご参加の皆さんで、楽しく語り合いましょう。

(追伸:私はドイツ政府観光局時代から25年以上もドイツビールについて取材を続け、著書や記事を書き、テレビやラジオで語り、ドイツの新聞にも取材風景が掲載されました。気が付けば、何百ものドイツ各地の醸造所はもちろん、ホップ畑やモルトをつくるメルツェライなども取材しておりますのは、簡単に語れないほどドイツビールの世界が奥深く広くて興味が尽きないためです。

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