Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer)/ 相原恭子(作家&写真家)の日記

欧州を中心に「海外」、「京都花街」「ビール」他美味しいものと美しいものをテーマに執筆、撮影、講演等。今日も良い日!

2019年7月1日(月) 取材の印象(1)  帰国しました

2019-07-02 | ヨーロッパ
こんにちは。
約一か月のヨーロッパ取材から帰国しました。
FBはスマホから簡単に、移動中などにアップできますが、
このブログはそうもいかずご無沙汰してしまいました。
にもかかわらず、
たくさんの方々がご覧くださったようで「ありがとうございます!}

毎年の取材でもあり、何十年も(笑)馴染んでいるヨーロッパではありますが、
いつも、どこかに自分なりの感動や発見を求めて取材を続けています。



ライン川沿いを走る列車の車窓より。
この路線、数え切れないほど何度も乗りました。いつも懐かしい!


ヴィースバーデン。街角に温泉を飲める施設がいつくかあります。
この建物の中に温泉が出ていて、毎日コップを持って飲みに来る人もいます。
ヨーロッパの社交場だったエレガントな温泉保養地です。
➡ この記事は朝日新聞デジタル&Travelの連載に掲載中です。

一か月余りの間には、私が一人でも多くの人と話そうとすることもありますが、たぶん200人以上(ドイツでは毎日10人近くの人と出会い、話しましたから、もっとかも)の人からお話を聞きました。

記事にするとか、記事になるということはさておき、私は常にその土地の政治情勢や言語状況(ヨーロッパでは一つの国の公用語が一種類とは限りません。たとえば、ルクセンブルクはフランス語とドイツ語、ベルギーもフランス語、フラマン語、ドイツ語)、大学など教育の状況などなど・・・、本当にたくさんの事を一言でも多く生の声に興味を持っています。

書くのは旅の記事としても、そうしたバックグラウンドを知ってから書きたいと思います。
また、自分の視野を広げたいと常に考えているためでもあります。

ガイドさんやインタビューの相手だけでなく、タクシーの運転手さん(この人達は中々スゴイ。話が面白い!)、ホテルのレセプションの人(色々であります。案外興味深い)、列車で隣り合わせた人(様々な国の人たちです)、レストランのウエイトレスさんなどなど、意外なところで興味深いお話が聞けます。

たとえば、ドイツ。
ドイツ語の新聞や雑誌、TVなどで見聞きし、多くの友達との交際から
よくよくわかっていることではあっても、「目の前の初対面の人はどう言うか?」質問してみます。まさに、Was sagen Sie dazu? であります。
それが取材ではないかと思っています。


さて、今回、印象に残った事の一つに
1989年のベルリンの壁崩壊の3か月前に両親が東ドイツから西ドイツへ逃れてきて、西ドイツで生まれたという女性のお話があります。

トランク一つで西ドイツに逃げてきたまだ二十代前半だったご両親。
(東ドイツではかなり早く結婚する人が多かった)
もちろん住む家もありません。
東ドイツ時代の預貯金など西へ来れば「蓄え」といえるような金額ではありません。

やっと見つけた小さなアパート。でも、近所の人からは冷たい目で見られ、仲間外れにされたことも。
東西ドイツの意識の違いから仕事の場でも想像もつかないような苦労の日々を送った父と母。

彼女自身も学校でいじめられたり、辛い思いをすることはしょっちゅうだったそうです。

年頃になって大学へ行きたくても、両親には言い出せないし、言っても家にそんな余裕があるわけがありません。
でも、彼女は大学へ行こうと、三か月働いて三か月大学へ通うという制度を使って大学を卒業しました。
学費は返済しなくても良いそうです(注:ドイツでは州によって、こうした制度が異なります。私立の大学も以前に比べて増えました)。

大学には学生寮があったけれど、働く三か月間は自分でアパートを探さなければならず
三か月ごとに引越し。「落ち着かない日々だったけどね!」と彼女は微笑みました。
(余談ですが、彼女はすごく美人!)

そして、この6月に結婚。
お相手は若いけれどもすでに大きな仕事を成し遂げた建築家です。
彼女も会社ではマネージャーの立場にあります。
将来が楽しみです。
➡7月7日 彼女は結婚式の写真を送ってきました。映画のワンシーンのように美しくて、幸せそうで、私は改めて感動したのです。二人の門出を心からお祝いします。この幸せがずっと続きますように!

・・・私はとても爽やかな「力」を感じ、生きてるって素晴らしいと改めてうれしくなりました。

<良かった!>








2019年5月21日(火)ギリシャのワイン

2019-05-21 | ヨーロッパ
ドイツで休暇を過ごすというと、
「地中海へ!アドリア海へ!エーゲ海へ!」とリーズナブルなチャーター便を予約して、
クレタ島、ロドス島、サントリーニ島などギリシャの島々、
トルコの当時の軍事空港ダラマンへ飛んで、バスでマルマリス(そこから路線バスでエフェソス、プリエネ、ミレトゥス、パムッカレなどへ)
イスタンブールからマルマラ海を巡るとか、
シチリア島へ、カプリ島へ!
などと思えば、全く個人で、一人で、たくさん旅したものです。
一人で居ると、五感でその国、場所に集中することになるのでたくさん知ることができます。

今、記事になっている「メテオラ」(ギリシャ)は内陸部。この記事の写真は最近出かけた時のものです。
岩山と紺碧の空も、目がチカチカするようなコントラストで迫ってきて、
これも魅力。
季節により、時間により、天気により、心のあり様により
色々にかわる「私が見た風景」が脳裏に保存されて行きます。
感動が大きければ、必ず記憶は保存されて行きます。
たくさん感動すると、膨大な量の光景がアルバムの様に貯まっていきます。

人の記憶は、何GBあるのでしょう?

暑い暑いと遅いランチに立ち寄ったタベルナにて
私の好きな「レツィーナ」


松脂入り(暑い気候でも保存よく!)
安価なワインといわれてます(本当に安価です)。

さて、ペロポネソス半島にある高級リゾートホテルにて、
ギリシャ人のレストラン・シェフ&ソムリエ氏とランチしたときのこと。

彼はシェフとなり、故郷ギリシャの小さな村からロンドン、パリ、ミュンヘン、チューリヒ、ミラノなど各地の有名レストランで経験を積んだそうです。
そして、料理というのは食材に行き着く、故郷へ帰って地元の食材を使って各地で研鑽を積んだ自分の腕を試したい、と戻ってきたそうです。

近年はキュリオシティということもあり、レツィーナが某品評会で高得点を取ったと
彼は話し始めました。このレツィーナを二人で飲みました。
「それは正しい!」私は我が意を得たりと、暑くて乾燥した日、照りつける太陽の下でギンギンに冷えたレツィーナを飲むと「あ~おいしいわね」と同感。
この高級な(?)レツィーナは、田舎町のスーパーで売っているような野趣あふれるものとは多少異なりましたが、やはりレツィーナです。

オーストリアのブルゲンラントのワイナリーへ行ったときも、
ソムリエで醸造責任者氏も同じことを言っていました。
「ただ、暖炉にあたりながら飲むと似あわないんだよ」と彼は言い、私もその通りだと思いました。
暑い気候に似あう。

飲み物も、食べ物も、気温や湿度、環境に似合ったものを楽しみたい。
となると、そうした条件に合う地元の食材が重要になってくるのでは?



2019年5月16日(木)ドイツへ (^^)/

2019-05-16 | ドイツ・ベルギー
こんにちは。
朝日新聞デジタル&Travel「人間ゲーテ」お読みくださって、ありがとうございます。

日本では教科書的というか、優等生的な哲人(?!)、1000年に一度の天才、とされたりしますが、ゲーテは人間的で魅力があります。
ゲーテ街道を何度も旅しましたが、各地で聞く浮き名や人生を楽しむ心、新たなことへの探求心、研究、どれも素敵です。
(イタリア紀行から、シチリア島へも私も旅しましたよ。)

今、今年のドイツ取材に思いを馳せているところです。
In die Welt hinaus !
広い世界へ (^^)/

そして足元も大切。
私のお庭







庭仕事の楽しみ(草取り、掃除、労苦がおおいけれども)


この愛らしいお家は、ドイツのワイン農家です。美しい毎日が送れそうです。
のどかで子供の頃の憧憬につながるような一コマ。
癒されませすね。



2019年5月6日(月・祝) 朝日新聞デジタル&Travel 「オーレスン ノルウェー」

2019-05-06 | ヨーロッパ
それは、忘れがたい数時間でした。
白夜は初めてではなかったのですが、
ふと感じた孤独から、詩的な気持ちがよみがえったのです。

Midnight
 一人でふらりとホテルを出て、
Twilight
 港をさまよい歩きました


写真をクリック ➡ 記事へ。


空と雲と水面のゆらぎ
織り成す色彩が濃くコクと変化する様に
ひきつけられました。



この色彩、水と光の動き、北国の空気感、内省的な時
そして、私は絵を描きたいと思いました・・・。

2019年5月1日(水)天皇陛下ご訪問・ご一緒に旅なさった貴族の城 ベルギー

2019-05-02 | ドイツ・ベルギー
令和
陛下の即位
連日の報道で、皇室に注目しますね。

いつもはあまり見ないTVをかなり長時間見ました。
品格を感じさせる上皇と陛下のお言葉や立ち居振る舞い、
凛としたケジメのある儀式の数々に、
久しぶりにとても快い気持ちになりました。

そして、
ベルギーのアンゼゲムにある「ヘルムスローデ城」を訪ねた日を思い出しました。


お城に飾ってあった天皇陛下の高校生時代のお写真。
左の白磁の壺は、紀宮さまがお城をお訪ねになりお食事をなさった時のお土産だそうです。


ドゥマーレ男爵夫妻。ご夫妻は、当時17歳でいらした陛下がヨーロッパを歴訪なさったときに、年の近いヨーロッパの貴族としてご一緒に何日か旅をなさったそうです。
陛下はとても感じの良い方、お気遣いのある方で、写真がお好きで、
いつもカメラをお持ちになり、たくさん写真を撮られたことが印象的だとか。

陛下がこのお城へいらしたのは、上皇后美智子様とのつながりから。
当時の皇太子様(現在の上皇)とご成婚なるか・・・という時期にマスコミに騒がれ過ぎては大変と、美智子様がヨーロッパへ出られて、ご滞在なさったのがドゥマーレ男爵のご両親のお城だったそうです。
当時、男爵は小さな子供でいらしたけれども、ご両親と美智子様は親しくなさっていらしたそうです。


現在のお城は写真(上)で、驛の部分だけです。
伯爵家の奥様のご実家のお城です。
城全体の写真はセピア色の下の写真です。ドイツ軍の占領下で、ドイツ兵がタバコの火の不始末から火災となり、驛以外が焼け落ちてしまったそうです。
大火事の前は、ひじょうに壮大なお城であったことがわかります。
戦後、伯爵家にお城は戻りました。
お城を再建しようかという議論もあったそうですが、伯爵(奥様のお父様)はこのまま、残った部分(驛を改装して)で暮らそうと決められたそうです。


奥様とご一緒に広大なお庭を散策しました。最初英語で話しましたが、途中からドイツ語になりました。ベルギーでは、ドイツ語も公用語です。

小鳥の声、緑の香に包まれて癒された快い時でした。
夕方からお庭でご子息たちがバーベキューをして下さり、とてもおいしいお食事でした。

「お城で日本の方の結婚式はいかがですか?」
と、外国で結婚/披露宴する日本人がいることをご存知だったご夫妻がおっしゃいました。
そして、
「あなたの結婚式はいかが?」とお聞き下さり、あらら、困るばかり・・・。
未だにそのままになっています。

写真は、「ベルギー美味しい旅」(小学館)文・写真 相原恭子 より。



2019年4月22日(月)連載四回目 スペイン バスク地方 オンダリビア 朝日新聞デジタル&Travel 

2019-04-22 | ヨーロッパ
今日の記事はオンダリビア。

(旅の記憶は、スペイン・バスクからアンダルシーア、さらに北米・マイアミへ。
頭の中の引きだしがす~と開きました。)

マドリードからサンセバスティアンへ。
さらにバスでオンダリビアに到着。

フランスとの国境の町。
海風が吹き抜ける大人のリゾート。
おいしいピンチョスや、あか抜けたレストランでも知られます。

シードルはやみつきになる爽やかな自然の味わい!
書いているうちに、また飲みたくなりました。

ボートでたった7分。
フランスのアンダイエへ気軽に行き来できるのも魅力。
地続きのヨーロッパに暮らすヨーロッパ人も、やはり「他国」へ行くと開放感を感じるようです。

ここに別荘を持つフランス人は少なくありません。
自由時間の愉しみは、人生を豊かにしますね。きっと。


パラドールの窓から。

ーーー
スペインといえば、学生のころから何度も旅しました。
国際交流基金の主催、日本大使館の協賛で
「日本文化の豊かさ 舞妓と芸妓の世界」というタイトルで、
マドリード、バルセロナ、グラナダ大学、サンティアゴ大学、マラガ大学、セゴビア大学など七都市の大学や文化センターで講演もしました。
私の本「Geisha - A living tradition」が基になっています。

間借りというか、ホームステイで、
アンダルシーアのマラガに夏の間、数か月滞在したこともありました。
丘の上の美しいお家でした。

ところが、
毎日お祭りとパーティー騒ぎのアンダルシーア人について行くのは大変。
家のご主人(病院の勤務医)は、午後三時過ぎに帰宅して、
昼食。シエスタといっても、グーグー眠るのでもなく、ソファでうつらうつら。

そして、午後8時頃から午前3時、4時までパーティーやらへ出かけて、
なんと!朝の6時にはもうバイクで病院へ出勤。
(バイクが発進する音がするので、寝ている私にもわかる!毎朝起こされた~)
この元気は、闘牛への情熱とバイタリティーと根っこは同じと思われます。

バスクはまた別世界!
落ち着いた感じです。

そうそう、バスクといえば北米マイアミ取材中、
夜から始まる「ハイアライ」というスポーツ観戦を勧められました。
観戦して「賭け」るのです。

常に好奇心いっぱいの私は、一人でも、もちろん観に行きました。
ビギナーズラックで、ちょっとだけ勝ちました!
ホテルへ戻ったのは夜中の1時過ぎだったか・・・。
この「ハイアライ」のルーツはバスク地方だそうです。

カタルーニャ地方の独立の機運やら、各地でそれぞれの地域へのアイデンティティーの強さを感じます。






2019年4月15日(月)連載三回目 イタリア 聖地オローパ 「魅せられて 必見のヨーロッパ」 朝日新聞デジタル&Travel

2019-04-15 | ヨーロッパ
ドイツの雑誌で見た一枚の写真に魅かれて
イタリア ピエモンテ州へ旅した時、「聖地オローパ」へ足をのばしました。

一枚の絵、一枚の写真、一行の文章・・・
そんな小さなモノや事との出会いから、人は旅立つのかもしれません。


(写真をClickすると「朝日新聞デジタル&Travel」の連載記事
~ 大いなる静けさ 聖なる山「オローパ」イタリア・ピエモンテ~が開きます )

初秋。参拝客が少なく寂しいような日。
一人で階段を昇って行くと、
俗界と離れて、聖域に至るような気持ちになりました。

空も、霧も、色づいた木々も、
清く澄み切って見えました。

大いなる沈黙の中で、静かに、自分の中にあるもう一つの自分を発見して、
無意識のうちにその自分と対話しているように思えました。

貴重な旅・・・。
旅とは、時に、「自分の内面への旅」かもしれません。








2019年4月8日(月)連載二回目 クロアチア モトブン 「魅せられて 必見のヨーロッパ」 朝日新聞デジタル&Travel

2019-04-08 | ヨーロッパ

朝日新聞デジタル&Travel
<魅せられて 必見のヨーロッパ>
本日 連載・第二回 「美しい丘の町で特産のトリュフざんまい」
     クロアチア/モトブン です。



上の写真を「Click」すると、私の連載ぺージが開きます。

イストラ半島の美しい丘の町、モトブン。
360度の眺望絶佳な旧市街で、
おいしいワインやトリュフのお楽しみ!
絵に描いたモチ、でなくて
写真に撮ったトリュフですが、見てみてくださいね。

ーーーこぼれ話
モトブンの旧市街で出会った女性が、夕食の後で実家へ案内してくれました。
丘を降りて、25分くらいか(?)村の細い道をガンガン走りました。
そこもまだモトヴンです。
道沿いにお家が点々とあり、丘陵地帯や林が続く長閑な風景。
癒されるな~と思っていと、
彼女のお家で優しそうなお父さんが歓迎してくれました。
遠来の客、ですね、私はきっと。

かなり広い農家で、暖炉のあるお部屋へ三人で座りました。
自家製のオリーブオイルとワイン、パン、オリーブの実などでもてなしてくれました。
白ワインも、オリーブオイルも、おいしい!
この辺りの家々では、このように各家庭で色々なものを作っているそうです。
良い気分になって、英語で(モトブンの人たちはイタリア語も得意!)あれこれ冗談を言い合っているうちに、午後10時すぎ。
早く帰らないと!(明日はまた早起き。アドリア海へ出てプーラ、さらに沿岸を走り、ドブロブニクまで取材は続きます。) 

街灯もあまりないくらい道を、彼女の車はスゴイ勢いで走り、一路、
遠くに見える灯りのともった「美しい丘の町」へ帰還。

あの夜の漆黒の空と静けさと緑の香が、今もありありと思い浮かびます。
旅の出会いは新鮮に、いつまでも!



2019年4月1日(月) 連載一回目 マルタ共和国 バレッタ 「魅せられて 必見のヨーロッパ」 朝日新聞デジタル&Travel

2019-03-31 | ヨーロッパ
4月1日 から、
毎週月曜日、「朝日新聞デジタル&TRAVEL
<魅せられて 必見のヨーロッパ / 文・写真 相原恭子>
←←←クリック
連載中。

第一回(4月1日/月曜日)
「バレッタ マルタ共和国」です。
見てみてくださいね!

(ちなみに、ログイン不要・購読無料です。
上記リンク、または、以下の写真をクリック、
または 朝日新聞 相原恭子 でも検索できます)


イメージ

2019年3月18日(月) 今年のヨーロッパ

2019-03-19 | ヨーロッパ
ご無沙汰してしまいました。
それにもかかわらず、多くの方々がご覧くださり、ありがとうございます。

今年のヨーロッパ取材準備、夏の講演の準備、写真の整理、原稿、今月末からの「朝日移動教室」、さらに雑用などなど、あれこれするうちにあっという間に3月下旬です。

ーーーーーーーーー
写真を整理しながら・・・
旅の写真、取材の写真を見ると、街角の空気感、その時の天気、その時に考えた事、出会った人たちなど、多くのことがサーッとフラッシュバックします。
あたかも、PCで検索をしてダーッとデータが出てくるみたいに、頭の中で写真(旅のヒトコマ)から
あらゆる映像やデータが流れだします。
私の人生、すべてが「旅路」かもしれません。

写真は不思議。
シャッターを切るたびに、画像はもちろん、そのバックグラウンドまで頭の中に保存されてしまうみたい。

ーーーーーーーーー
そして、
陳腐ではありますが、百聞は一見にしかず。

「あなたが観たこと、聞いたこと、経験したこと、考えたことは、誰も盗むことができない。あなただけの財産です。それをお続けなさい!」
30歳のころドイツのボン郊外でたまたまお会いしたバチカンのカーディナルさんが、私にこの言葉をかけてくださいました。

近年、高野山のお坊さんからも、奇しくも、同じ言葉をいただきました。
大切にしたいです。

ーーーー



ベルギー、デュリュビュイの街角で。何度も訪ねた町。ザリガニがおいしかった。


ノルウェー、ウルネスの木造教会。6月朝夕の光が今も目に焼き付いています。


タリン。ここも何度も旅した町。

膨大な量の写真から、
いままでにひどく長い期間、自分でも驚くほど各地を旅していたのを実感。
お仕事の旅はもちろんですが、自費でもすご~く旅しています。
(どこから資金が?リッチでもないですから、「思う念力」の力ですね。)
そして、また今年も旅。



2019年1月9日(水)兼高かおる様 ご冥福をお祈り致します

2019-01-09 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
1月5日逝去されました。
先ほど(1月9日)NHKのニュースになりましたが、
すでに何日か前に訃報をお聞きし、何だか言ってはいけないような気がして今日になりました。

何度かお仕事でご一緒させていただき、今も、思い出します。
心よりご冥福をお祈り致します。


兼高さんの右側にミヒャエル王子のお妃。
その後ろに王子、私。
横浜「人形の家」にて


旅行業界のパーティーで。

ドイツ政府観光局に勤務していた時に
***ミヒャエル王子夫妻が来日なさり、私が横浜の「人形の家」と港界隈をご案内することになり通訳しながらお供しました。
当時「人形の家」の館長でいらした兼高かおるさんを王子夫妻と三人で訪ねて、館内を見学。

その後、ジョーンズさんも加わって、五人で中華街で会食しました。
兼高さんは「相原さんくらいの時に、世界の旅を始めましたのよ」とおっしゃいました。

会食の後、横浜の家までジョーンズさんとお二人で車で送ってくださいました。
華やかな雰囲気の車中で、旅はワクワクするとか、そういう話をしていたような気がします。

ここに写真を載せてもいいのかと躊躇しましたが、
王子夫妻も兼高さんも公の方ですのでよろしいのではと思いました。
当時の業界紙などには写真もすでに掲載されていましたしね。

ミヒャエル王子は2014年に亡くなられました。
夫妻のお写真もウィキペディアに掲載されています。
https://de.wikipedia.org/wiki/Michael_Prinz_von_Preu%C3%9Fen
(Wikipedia)


「人形の家」入口にて。王子に通訳しているところ。


ミヒャエル王子と。


きちんと写っている写真は、ドイツ政府観光局のフランクフルト本局へ報告書と共に送ってしまいましたので、残りの写真しか手元にありません。いえ、ネガがどこかにあるかもしれませんが・・・。

その後も東京や大阪のパーティーで兼高さんにお目にかかると、
王子夫妻の会食や人形の家について雑談しました。

天国で、自由に各地を、宇宙を旅なさっていることと思います。
とても語りつくせないほどたくさんの見聞をなさり、
素晴らしい人生だったことと拝察しております。

何度もお目にかかりお話する機会があり大変光栄でした。
どうぞ、美しい蓮の花に囲まれて、天国で快い毎日をお過ごしください。

2019年1月1日(火) 恭賀新年 

2019-01-01 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
あけまして おめでとう ございます 

昨年中はありがとうございました。
本年も、どうぞよろしくお願い致します!
***皆様のご健勝とご活躍を心より祈念いたします。***

 私事になりますが、ドイツ政府観光局勤務/ドイツ語通訳を経て、今の仕事を始めて今年「二十五周年」を迎えました。

 思えば観光局時代は短いものでしたが、旅が大好きな私としてはやりがいのある職場でした。
ドイツや日本国内の出張は多く、ドイツ各地へのプレスツアーにアテンドして取材の通訳、北海道から沖縄まで各地でのドイツの夕べや観光PRのイベントで講演やトークショーや司会をしたり、ドイツから来日するミッションの通訳、経済大臣や運輸大臣の表敬訪問やレセプションに同行して通訳などをして、たくさんの方々に出会い、各地を観ることで得たものはたくさんありました。

Officeでは、雑用(地方発送のパンフレットの荷造りやお茶・コーヒー煎れ)から局長の秘書、旅行会社やマスコミへの広報、プレスの窓口や、パンフレットの翻訳などなど、要するに人手不足だったのか何でも屋。勉強にはなりました。(今の仕事に役立っています)

 それなりに楽しく働いたけれど、私は安泰なルーティーンよりも、何かもっと「コレ」という好きなことをしてみたかった…。さらに広い世界を見たかった…。若かったのですねー(笑)。

 かくして、退職して、行方もわからぬ、先の全く見えない道をただ黙々と進むことになりました。

 目の前に現れた事を大切に、自分に可能な限りできることを全うしようとひたすら熱心に取り組み、今ふりかえると『よく過労死しなかったものだ』と思うほど、夜を日についで仕事した時期もありました。そして、観光局時代よりも、さらにたくさんヨーロッパ各地、日本各地へ仕事で旅(取材、撮影、講演など)するようになりました。

 ゲーテも語っているように、旅は学びの場です!

 気が付けば著書も三十冊近くなり、英語の著書はフランス語・ハンガリー語・ポーランド語に翻訳され、日本やヨーロッパの大学・美術館などで写真展&講演会、NHK、BBCなどテレビ・ラジオ出演もさせて頂いております。

 ヨーロッパも日本も各地に知り合いができて、各地の状況を詳しく知ることができます。

 これも、ひとえに皆様との出会い、ご支援のおかげと感謝の気持ちでいっぱいです。

 改元の今年、また「新たな気持ちで、いざ漕ぎ出でん広い世界へ!」 


                             作家&写真家 相原恭子

 



2018年12月10日(月) ドイツ語などのWEBページを追加中(*^-^*)

2018-12-10 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
なぜドイツ語のWebが無いのか??? と聞かれて、なるほどと思いまして、
ドイツ語、英語、私の本が刊行されているハンガリーを追加。ポーランドなどのページを作成中です。

さらに、各ページに、ドイツ語の記事や、スペイン、エストニア、ハンガリーなどでの写真展や講演会などの写真・現地プレスの紹介記事なども順次アップする予定です。

Kyoko AIHARA Website in German, Hungarian and English as follows.

http://home.att.ne.jp/green/K-starten/deutsch.html
ドイツ語 Deutsch/German

http://home.att.ne.jp/green/K-starten/hungarian.html
ハンガリー語/Hungarian

http://home.att.ne.jp/green/K-starten/english.html
英語/English


あっという間に年末!
舞妓さんがご贔屓さんからいただく福玉の季節です。
私もご贔屓筋(?)から今年もいただきました。
あらら、巨大な福玉でアップされてるみたい(*^-^*)




2018年11月16日(金) 祖父と「ヱ. カメロン商会」  『A. CAMERON & CO., LTD.』

2018-11-16 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
祖父が勤務していた英国の貿易会社
A. CAMERON & CO., LTD.
祖父は母が就学前に亡くなりましたから、私が知るはずもありません。
でも、この件を時々私は思い出します。

何年か前に、テレビ局の方々や横浜歴史関係の方々が見にいらして、コピーをとったりするうちに、写真の数々が見つからなくなっていたのですが、部屋の隅で発見。
念のために何枚かスキャンしました。

A. CAMERON & CO., LTD.は、横浜の居留地(居留地103番地)にありました。


左から7人目が祖父(安室富太郎)です。


パネルになったこの写真の裏に、大正6年12月22日夜『A. CAMERON & CO., LTD./ヱ カメロン商会』一同忘年会 於「福貴楼上撮影」と書いてあります。
半玉さん二人の間で腕を組んで座っているのがジェームズ社長(Ernest William James)。
その右斜め後ろにいるのが祖父です。社内ではウイリアム社長と呼んでいたそうです。

ところが、
英国人が関東大地震に驚き「こんなに危険なところ(横浜)には居られない」と神戸へ移転。

ジェームズ社長の元で経理をしていた祖父は、
長男ながら、横浜の家をすぐ下の妹に預けて、一家で英国人と共に神戸へ赴任しました。


前列右から6人目がJames社長。二列目(和服の女性から数えて5人目が祖父。横浜時代と比べると、年配になっているので時系列がわかる)

一家は4人(長男・次男)で神戸に暮らし、祖父母が40才過ぎてから
(今さら・・・)という時に、母が神戸で生まれました。


祖父が使っていたという英和辞典。よくも残っていたものです。



ちなみに神戸のジェームズ山は、ジェームズ社長がこのあたりにで外国人クラブを率いていたため、その名前が残っています。


何年か前、神戸へ旅した際に図書館や市役所などでカメロン商会や当時の様子を調べた事があります。その時、祖父一家が暮らした家の跡地は震災で更地になっていましたが、母の記憶にある近所の病院や商店などの建物はそのまま残っていました。
この英語の資料は、その時に資料コピーした[Climpses of Hyogo Prefecture 1932]です。



母より15歳年上だった長兄は、17~18歳になると、A. CAMERON で、倉庫番のアルバイトを始めました。
主な輸出品は「絹」や「陶磁器」(九谷、有田、四日市など)、主な輸入品は「鉄」だったそうです。

カメラマンを夢見ていると話すと、カメラをくださったそうです。

神戸の写真をたくさん撮影して、湊川神社で観光客の集合写真を撮るバイトも始めて、
毎日社務所で待機してかなりの枚数の観光客の写真を撮りました。

ところが戦争が始まり、
ウイリアム社長は昭和16年9月に日本を出国。

母の長兄はカメラマンへの夢は破れ・・・最初は南方へ、さらに中国へ出征。

頭に銃弾が入ったまま、命からがらの復員。それでもなんとか天寿を全うしました。

戦時下の若者たちは、多くの方々が亡くなられ、
将来の夢や希望に向かって努力する機会も奪われ、若い命を生きることさえも難しい状況に置かれていたのだと思うと、どうしようもなく悲しい気持ちになります。辛いです。

私はウイリアム社長が日本を出る際に、記念に置いて行ったグレーのブレザーの生地で仕立てたスーツを着て小学校入学。

ドイツ政府観光局時代から写真家の先生に師事して、国内外の写真を撮り、
「英国」の出版社から本を出すことになったのは、
祖父と英国とのつながりが「伏線」となっているのかもしれません。

祖父が京都の隅々までと言えるほど、多くの社寺の御朱印、京都の老舗のスタンプ、昭和9年清滝駅のスタンプなどなどたくさん集めており、奈良、高野山、琵琶湖周辺や関西各地の旅の記録が残っているのも、今考えると、これも私と京都とのご縁の「伏線」に思えます。

奈良、高野山、琵琶湖、関西各地は、私が好んで京都から旅を続けているデスティネーションです!


ちなみに、
ウイリアム社長の邸宅は今、レストランになっています。

2018年10月25日(木)自著のポーランド語版/著者インタビューが 「Torii」(ポーランド語の雑誌)に掲載

2018-10-25 | 講演/写真展 日本国内にて &相原恭子同行ツアー
ポーランド語の雑誌「Torii」マガジンに記事を書いているヨアンナ・シゲノブさんが、私の著書「Geisha - A living tradition」のポーランド語版を読まれて、
著者インタビュー(して下さいました。
「Torii」とは「鳥居」の意味だそうです。
文化や風俗、伝統など様々な視点から見た「日本」についての記事が掲載されています。
とても興味深い内容です。

初版が刊行された2000年以来、様々な国のジャーナリストさんや作家さん、写真家さんたちと知り合いました。
今に至るまでそうした出会いが続くとは全く予想していませんでしたが、とても嬉しいことです。
皆様、ありがとうございます。


表紙/ジャケットです。




京都花街とのかかわりの写真を何枚かとのことで、
左は。以前、交詢社で私の<出版記念とNHK/Eテレ「知るを楽しむ」講師&案内人出演記念>のパーティーの一枚です。京都の舞妓さんが私の三味線と唄で「祇園小唄」を舞ってくれた写真。

右は、京都国際会館で「ベルギー美味しい旅」(小学館)の出版記念にて。京都の老舗の方々、マスコミ関係の方々、旅行関係の方々はもちろん、京都花街の女将さん、芸妓さん、舞妓さんが多数お越しくださいました。写真は長いお付き合いの上七軒の芸妓さんと舞妓さんが花束を贈ってくださったところです。




お座敷で「おまわりよいやさ~」をしているところ。この夜は勝ち進みました!



私の著書の一部。



ドイツ人登山家ピット・シューベルト氏(DAVの代表で、当時、国際安全対策委員長を勤めて居らっしゃいました)の日本縦断講演会のドイツ語通訳をしてから、知り合いとなり、シューベルト氏と彼のパートナーと三人で、オーストリアからイタリアなどヨーロッパアルプス登山ツアー(山小屋に4泊)をした時の写真です。花街だけでなく、他の活動もとのことで掲載のようです。


先日の「オリオン絵画展」へヨアンナさんがご一家でお越しくださり、マガジンを届けてくれました。
マガジンにサインしているところです。本国・ポーランドへサインつきのマガジンを送るそうです。
ありがとうございました (*'▽')



この本のオリジナルは英語版「Geisha - A living tradition」です。英語の原稿と写真を私が出版社 Carlton Books London へ入稿したわけです。
ですから、この本の日本語版はありません。

英語版は、すぐにハンガリー語やフランス語に訳され、さらにポーランド語にも訳されました。この本に私は、多大な努力と労力を注ぎました。(途中で過労死しなくてよかったです。)

今でこそ、京都花街、芸妓さん、舞妓さんはFB,インスタにも、どこにでも登場していますが、2000年当時はまだタブーもありましたから、今とは状況が違います。

刊行の後、今でも、
英国、フランス、ハンガリー、エストニア、スペイン、ブルガリア、米国、メキシコ、南アジア(シンガポールなど)や、オセアニア(オーストラリアなど。以前日本に住んでいたオーストリア人の知人の一人が読書会で読んだそうで、「あっ、これKYOKOの本じゃない?」とびっくりしたとか)など読者の方々からご連絡いただいたり、各国各地のジャーナリストの方々から著者インタビューがあり、書評掲載があり、日本だけでなく、外国のTVやラジオにもずいぶん出演し、外国での講演や写真展の依頼もあります。

講演や写真展は、日本国内だけでなく、ヨーロッパからも多数あり、たくさんの方々との出会いがありました。そして、今も、国内や海外でも本を通して出会いが続いていることには、本当に感謝しています。

ヨアンナさん、ありがとう。