Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2020年元旦 恭賀新年 

2020-01-06 | オーストリア・ハンガリーと中欧
あけましておめでとうございます!

皆様にとって良いお年になりますよう
心よりお祈り致します。

旅(取材)は仕事ではありますが、最も好きな事でもあり、
それなりに興味深い楽しさを味わっております。

ヨーロッパのお友達や取材で知り合った方々からもたくさん新年のメールが届き、人との出会いにはいつも感謝です!

本年もどうぞよろしくお願い致します。




スロヴァキア(ブラチスラヴァ)の記事 今年連載第一回目



2020 年「ベートーヴェン生誕250 周年」
~現地ウィーンでゆかりの地を巡る《旅の楽しみ》「旅なかま」~


「醸界春秋」 醸界通信.com
 2019年11月号ハンガリー、2020年1月号ウィーン(オーストリア)






2012年4月23日(月) 登山家 ピット・シューベルト氏とアルプス登山の日々

2012-04-23 | オーストリア・ハンガリーと中欧



ピット氏のパートナーのグレーテルさんと。
Weisseespitze(4000m弱)にて。(イタリアとオーストリアの国境)


Amazonのお勧めメールで、
奇しくも、
Pit Schubert(ピット・シューベルト)氏の本の案内が送られてきました。
まあ、嬉しい偶然!

ピット氏(ドイツ人登山家。著書多数)とは、
彼が、国際安全対策委員長であった2000年に知り合い、彼の日本縦断講演会の通訳をしました。

あららと思って、彼の名でGoogleを検索したら、たくさんヒット!
画像も出てきて、
その中に、講演中の写真がありました。
これは当時、私の友人が撮影し、HPに掲載したものですが、
私はすでに失くしてしまったような気がします。
ネット上で、廻り合うとは・・・。



通訳のためには、私は登山用語や、登山の時の状況、危険回避の方策などを短期間に必死に勉強し、
膨大なドイツ語の資料を読みました。
大変でしたが、興味深いものでした。

すると、彼は、
『山は説明するものではなく、登るものだ』と、
アルプス登山ツアーに誘ってくれました。
パートナーのグレーテルさんと三人で出発。

オーストリアのカウナタールから登り始め、
山小屋(といっても、昔、貴族所有の山荘のようなもの)を4泊し、
毎日朝から晩まで、歩きました。

雲の上の世界は、町中とは別世界。
画期的!
今もありありと思い出します。



初めてアイゼンを履いた私。



先頭:ピット氏 / 手前:グレーテルさん / その手間で写真を撮ったのが私



2011年12月13日(火) チェコ共和国大使館 感謝とチャリティーの夕べ

2011-12-13 | オーストリア・ハンガリーと中欧

昨夜、
「感謝とチャリティーの夕べ」
於:チェコ共和国大使館
主催:チェコセンター観光部

にお招きいただきました。

チェコから、
東日本大震災への義捐金をすでにいただいており、
さらに被災地の子供たちをチェコへお招きくださるご予定とか。
本当にありがたいことです。

チェコへは1990年から、考えてみると5~6回旅しました。
1990年 ドレスデンから1人で夜行列車でプラハへ
 (壁の後の風情、興味深いこと多々あり)
ドイツの友達とフランクフルトからピルゼンへ
エルツ山地(ドイツ)の友達とカルロヴィバリへ
取材にプラハ、マリーエンバート、ピルゼンなど・・・。
「ヨーロッパお菓子紀行」(NHK出版)、共同通信、醸界春秋など、
いろいろなところに記事を書きました。




チェコ共和国駐日特命全権大使:
カテジナ・フィアルコヴァー閣下
のご挨拶

名誉親善大使委任状贈呈
大使閣下より岩崎宏美さんへ

チェコセンター観光部:
部長 沖中繁男氏
日本旅行業協会:
会長 金井 耿氏
のご挨拶

ミニコンサート:
エヴァ・ミクラス高嶺さん
佐藤達男さん

そして、「懇親会」


カテジナ・フィアルコヴァー特命全権大使と。
(昨夜は黒地に白牡丹の着物で寄せてもらいました)





大使館シェフ ヴラジミール・セフナル氏
が心を込めて造られた様々な料理は、
チェコを思い出し、美味。
単に食を愉しむのではなく、
プログラムには料理の説明書もあり、
「食文化紹介」もすばらしいアイデアだと思いました。


歯ごたえ、舌触りがすばらしく
ヨーロッパの食肉文化を感じた 
「切り出しプラハハム」

クネドリークは、中々日本で食する機会がないのが残念。
ドイツのゼンメルクネーデルに似ているが、ちょっと異なる。

ブランボラークは、まさに
ドイツのライベクーヘン(これはラインラントあたりの呼び名。)

ホットワイン(=グリューワイン)
ヴァーノチカとクリスマスのクッキーの数々・・・

忘れてはならぬのは
美味なビール!


ヨーロッパのクリスマスが恋しい恋しい。
チェコとの心の交流の夕べでした。



2011年10月19日(水) 旅の一コマ(その8) ベートーヴェンの恋人/ハンガリー

2011-10-19 | オーストリア・ハンガリーと中欧
ハンガリーのブダペスト中心部から車で40~50分。

マルトンヴァシャールという静かな町に、
広大な庭園を擁するブルンスヴィック伯爵家の宮殿にある
ベートーヴェン博物館を訪ねた。
(旅の前に、訪ねるので楽しみにしているとブログに書いた場所だ)





小雨降ったりやんだりで、あいにくの天気だったが
湿って木立の香りがたちこめる散歩道は、
さわやかな空気が流れていた。





ブルンスヴィック家の令嬢テレーゼとヨゼフィーネは、
ウィーンの社交界にデビュー。
母親が、ベートーヴェンに娘たちのピアノの指導を依頼した。
16日間、ベートーヴェンはピアノを教えたという。
二人の令嬢は、ビアノの名手。


(博物館内)

ベートーヴェンとお嬢様は、恋に落ちた・・・という。
永遠の恋人は誰か、というときに名前が挙がるのが、
この二人と
ブルンスヴィック家の親戚筋のジュリエッタである。

子息であるフェレンツはチェロの名手で、彼とベートーヴェンは親しくなり、
スポンサーとなった。
コンサートを開催したり、楽譜を印刷したりして
ベートーヴェンをサポートした。




家族ぐるみでのお付き合いが続いたが、
身分違いのため、ベートーヴェンの恋は実らなかった、といわれている。


「ベートーヴェンさん、本当はどうだったのでしょう?」
と彼の顔を覗き込む私。

理由は色々あるかもしれない。
当事者に聞いてみないことには、
こういう事の真相は
わからないもの、
ですよね・・・。






2011年10月11日(火) 旅の一コマ(その5) ホテルのバルコニー ブダペスト

2011-10-11 | オーストリア・ハンガリーと中欧

ブダペストのホテル「ダニュービウスホテル・マルギット島」
(Danubius Grand Hotel Margitsziget hotel)




温泉付きのSPAホテル。

到着したときは、
公園に面したバルコニーに出ると
輝くばかりの緑がいっぱい。


帰る頃には、
黄金色に色づき始めて、
時の移りを感じました。


島の公園は週末になると、
大賑わい。
プライベートな時間、
自分の生活や生き方を大切にするブダペストの人の生活が見えました。
オン(仕事)とオフ(プライベート)のコントラスト。

ジョギングする人、
家族連れで芝生で遊ぶ人、
カップルで散策する人、
一日中日向ぼっこする人、
カヤックを楽しむ人・・・

ブダペストの風景が懐かしい。



2011年7月20日(水) 人のつながり

2011-07-20 | オーストリア・ハンガリーと中欧
ある知人に、
「どうやって、外国の人を紹介してもらうのか?
自分もしてみたいので、教えて欲しい」

と聞かれました。

思えば、どの場合も、わざわざ紹介してもらったのではなかった。

ハンガリーとの縁は、
既に書いたとおり、大使夫人とベルギー大使館のパーティーで、
たまたま目があって、お話したことがきっかけでした。

そこから、1999年に取材ツアーをアレンジしてくださることになり、
ハンガリー一周・二週間ほど取材。
共同通信から10回だったか、かなり長く連載した
「ロシア東欧紀行」や、エアラインの機内誌
(当時は、サベナ、スイスエア、ユナイテッド航空など、何誌かに連載していた)
、単行本「ヨーロッパお菓子紀行」、長らく連載している「醸界春秋」などに、
ハンガリーの連載や記事を書くことになった。

そんな中、本当に突然のことだったが、
こうした背景とは全く関係なく、ある日、突然に
私の著書がハンガリー語に訳されたという連絡!!!


自分でも、なぜ、今、ハンガリー語に?・・・とありがたく、嬉しい気持ちだった。
その偶然に、ただただ、びっくり。

そして、ブダペストで、TV、ラジオ出演。
ハンガリと日本の合同コンサートと懇親会に関わったり・・・

人に聞かれてみると、無意識の内に、
様々な「縁」と「繋がり」が広がっていたのを実感する。

2011年6月15日(水) リンダウで買った登山靴

2011-06-15 | オーストリア・ハンガリーと中欧
昨日、ドイツのリンダウで登山靴を買ったと書いた。

その登山靴でのハイキングは、
取材の空き時間のことだった。
登山家ピット・シューベルト氏とパートナーのグレーテルさんに電話して、
キッツビュールで出会い、
近くの山へハイキングをしたのだ。

「疲れているので、ちょっと歩いて、景色の良いところでビールでも飲みたいわ」
という私の意見に、

「OK,OK! そうしよう」
とシューベルト氏。

ところが、登山家のスケールは異なり、
ちょっと歩く・・・というのは、
何と、6~7時間にも及んだのだった。



山小屋で、ランチとビール。


その後、さらに目の前のピークを目指した。
愛らしいお花もたくさん咲いていた。
だが、シューベルト氏の選んだ道は、まさに登攀の道であった。


そして、十字架まで。


疲れたが、空気が良かったので、元気になった。
そして、ホテルのプールで夕方、泳いだのだった。
このくらい元気でないと、ドイツ、オーストリア人と過ごすのは難しいなと・・・。

2011年4月24日(日) 新緑のバーデン

2011-04-24 | オーストリア・ハンガリーと中欧
オーストリアのバーデンに何日か滞在したことがあった。
ちょうど今頃、新緑が美しくなるかな~という時期。



とあるカフェ。
緑滴る窓辺は、美しく、座る前に何となくシャッターを切った。
日本建築とは異なった、生活への自然の取り入れ方だと思う。

バーデンは温泉保養地、といえばカジノだ。
カジノは見に行くだけでも何となく楽しい。

大枚を賭ける人、小さく確実な人、色々である。
私もルーレットなどをしたことがある。

成り行きに任せず、次はこうかな~、と予想すると多少当たることもあった。
だが、だいたい、30ユーロ程度チップを買って、
ちょっと増えたら(不思議なことに、最初の30分くらいで2割、3割は増える)
そうしたら辞めるという、超堅実(?)

だから、大体、タクシー代程度勝ったら、辞めて、タクシーで帰るというパターン。
マイアミで、「ハイアライ」というのがあるが、
この時は、案内の人と出かけ、ビギナーズラックで、50ドルが150ドルになった。

あらら、小さなお話・・・。


2011年1月30日(日) 世界遺産のホロケーとタイの奥地の鶏料理

2011-01-30 | オーストリア・ハンガリーと中欧
1月25日のブログにハンガリーの旅を書いた。
すると、今、京都の写真の整理をしているのだが、なぜかこのハンガリーの写真が出てきた。

2003年の旅で立ち寄った小さな村 ホロケー だ。
人里はなれ、林が続く丘陵地帯をかなり走った。
行き止まりではないか・・・と思った頃、この村に到着したのだ。


初めて見た村の家々なのに、なぜか郷愁を感じた。

マジャル民族に属するパローツ人が独自の文化を守りながら暮らす。
百数十軒の家々が続き、その一軒(レストラン)で昼食。

石窯で焼いた鶏肉とスープは、ひどく素朴な食器で出てきたのだが、何と味わいは抜群。
素材を盛り立てる塩・胡椒のオーソドックスでシンプルな味付け。美味しくて忘れがたい。パーリンカも味わいを引き立てた。
それまでに食した鶏料理で一・二を争った。

→(一・二を争うというは、タイでバンコクからゴールデントライアングルに向う途中、20年ちょっと前のこと、バスを下車し、名前も知らない河の河原を歩いていると、破れたようなテントを張った食べ物屋?が在った。その辺に落ちている薪で大きな鍋を炊いている。その若い夫婦の幸せそうな明るい笑顔に魅かれて、スープでも飲もうと思ったのだ。良い人が作るものは美味しい場合が多い。(普通、引いてしまうか。というのは、一緒だった友達はもちろん食さず、あきれて私を見た)ところがそれが、頭にガーンと響くほど超美味。まさに天然の地鶏のダシ。日本の美しい店で薀蓄つきで出てくる地鶏料理とは比較にならない。筋金入りのホンモノだ。グルメブームだが、味わいのみを追求し、鋭く評価したら、食材に行き着くか・・・。そうそう、ドイツの知人で20年近くも星付きを維持していたレストランのオーナーが、昨年、店を人に渡して食材研究とスローフードにのめりこんだ。===ところで、タイの鶏、鶏でなくて、まさか鳳凰だったなんて・・・ね!)

美しい風景とホンマに美味しい食べ物、まさに私の望むモノ。

2011年1月27日(木) ルーマニアの幸せな人々

2011-01-27 | オーストリア・ハンガリーと中欧
ミレーの「晩鐘」、「落穂ひろい」は、真摯な農作業と日常に感謝する祈りの美しさが描かれていて、ふと思い出す懐かしい絵だ。
これは、人が生きてゆくことの根源的風景ではないだろうか。

そんな風景に、ルーマニアのマラムレシュとブコヴィナで出会った。



夕陽に照らされて、小さな子供とおじいさん、若夫婦が馬車に乗り、畑から家路を急ぐ姿。鍬を背負って昼食に家へ帰る夫婦。
みなの顔に、労働の後の喜びが輝く。
(この国、なぜか美人が多い。心の在り様によるのだろうか)



豪華なアクセサリーも、星付きレストランも、ブランド物もなくても、
心が満たされ、衣食住が間に合い、美しい自然の中で生きてゆける…。
『生きるとは、どういうことか』、時々、根源に戻って考えてみたいなと思う。





***都合上、画像解析度を落としたら、落とし過ぎになり荒れてしまいました。再度調整する時間がなく、このママ、イキ。ごめんなさい。(*^_^*)


2011年1月25日(火) 美しい国 ハンガリーと心の交流

2011-01-25 | オーストリア・ハンガリーと中欧
ハンガリーは、ワインは美味、料理も美味、ブダペストの重厚な町並みは古典的なヨーロッパの美しさを感じさせる。プスタなどの大陸を思わせる大自然も本当に素晴らしい。

「美味しいものと、美しいものが好き」な私には、魅力の国だ。

もう13年も前になるかしら。
当時のハンガリー大使夫人シュディ・エリカさんと、当時のベルギー大使ノートン男爵(「ベルギー美味しい旅」(小学館)に、縁の古城を案内していただき、ご登場いただいている)のフェアウエルパーティーで知り合った。

エリカさんは、「ぜひハンガリーへ!」とご尽力くださり、
2000年にハンガリー各地の取材をアレンジしてくださった。ブダペスト、ヴィラニー、バラトン湖、ショプロン、プスタ・・・とても書ききれないほどの村や町を巡った。

その模様は、共同通信から各地方新聞、産経新聞、その他の日刊紙、お酒の雑誌「醸界春秋」、サベナベルギー航空の機内誌「カリヨン」(6~7年続けて、ヨーロッパ各地について文と写真で連載していた)などに記事を書き、その一部は、「ヨーロッパお菓子紀行」(NHK出版)となった。

今日、エリカさんからメールがきて、エストニアで写真展・講演会の後、ハンガリーでも同様の催ししてはとご連絡くださった。

不思議なことに、私はハンガリーとも縁が深く、気が付けば、英語の本「Geisha」は、ハンガリー語版も出ており、2003年にハンガリーのTV(チャンネル2)のブダペストのスタジオで、生番組に出演した。(朝5時前にスタジオ入り。日頃朝寝坊の私はただ眠くて、頭痛がして、大変だった。)
番組は「日本特集」で、ハンガリーの若い人たちも多数出演した。
日本語と漢字の研究者や、太鼓の演奏団体など、日本に熱心な方々が多く出演なさり、びっくりした。

このハンガリーへの旅は、エリカさんと私で、高知県の「いの混声合唱団」とエリカさんの故郷ミスコルツの「ミシュコルツ・バルトーク合唱団」との親善コンサートを企画遂行し、私がブダペストに戻った日に、出版社の社長たちがホテルに現われ、TVとラジオ(ラジオカフェなど、5局に出演した)で日本と著書について語ってほしいという出演依頼があったのだ。

さて、今年のブダペストの写真展と講演会は、スポンサーでも付かないと無理だが、実現したら、日本ファンのハンガリーの方々や、「Geisha」の読者にも会えるだろうし、素敵だなと思う。

エリカさんも私も、仕事ではなく、日本とハンガリーの交流をしたいという心からの計画だ。自分自身、得るものは多いと想うし、商業ベースに乗らない人と人との出会いは、貴重なものだ。微力でも、ハンガリーの熱心な方々に直接日本を知らせることができたら嬉しいなと思う。


2010年11月13日(土) オーストリアの本と名誉領事K氏、読者の方々

2010-11-13 | オーストリア・ハンガリーと中欧
本日、茅ヶ崎のお茶のお稽古の日、“炉開き”。炉開きには三部を取り入れるそうで、なるほどと何だか感激。お茶室には凛とした雰囲気が漂いましたな~。 そして夕方、オーストリアのお集まりで上京。 「オーストリー ロングステイの愉しみ」(東京書籍)の取材から、早くも五年が過ぎたが、オーストリア名誉領事のK氏のお招きで、お仕事+里帰りのMさん、MIさん、そして私のこの本を読んでくださって、オーストリアへいらした方々とお会いしました。皆が知り合う機会を段取りしてお招きくださった金井氏の粋な取り計らい。オーストリアへ行きたい、楽しみたい、勉強したい、「たい」がたくさんのお目出「鯛」お集まりだったと思いながら、夜の東海道線の帰路へ。 オーストリアに戻ったMさんが、早々に写真を送ってくれました。