Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2017年9月17日(日) 恐山参拝

2017-09-17 | 日本の旅
***取材のヒトコマ***

下北駅から「恐山」へ
暴風雨の中、参拝。
あらら、晴れてきたので、また参拝。

各所で立ち止まりながら、二度境内を巡りました。


嵐の後、静かで透明な空気が満ちて。



モノすごい速さで回っていた風車も、
蓮華のの花がほほ笑むように顔をあげました。



長旅の疲れも手伝ってか、
宿坊では、ひどく深く眠りました。


広いお部屋に、『大吉祥』と書かれた掛け軸。


・・・ ここは、私には不気味ではなく、
「現世」を直視する場所に思えました。

つまり、「死」がある故に、「生」が輝くのではないでしょうか。
『生也全機現』(^-^)

2017年9月13日(水) 金沢寺町

2017-09-14 | 日本の旅
***金沢 取材のヒトコマ***
寺町散策・・・
武士文化を感じます。

「妙立寺」⇒忍者寺という名前で知られます。
案内の方によれば、寺町へお寺を集めて、
守りを堅くし、この地域がいわば金沢の町の「最後の砦」だったそうです。

そのため、追っ手の目をくらますために、様々な仕掛けがこの寺に施された・・・。
そして、忍者寺と呼ばれるようになりましたが、いわゆる「忍者」との関連はありません。
(砦と考えて設計されたものの、実際に戦いはなかったそうで、いわば「備えあれば憂いなし」)

一方で、茶室など「粋」な造りに金沢らしい武士文化を感じ、建築的に興味深いです。



愛らしいお地蔵さんのお守り
「西方寺」




お寺がたくさんある静かな佇まい。
しっとりとした金沢の情緒がありました (#^^#)

♥♥♥熱心にご案内くださった、ボランティアガイドさん、本当にありがとうございました!


2017年9月7日(木) 特別展 「横浜の元祖 寶生寺」 金沢文庫にて

2017-09-07 | ich 私
***8月後半は、京都、能登半島、金沢茶屋街(花街)、その他へ取材に出ておりました。京都でいつも温かく迎えてくださる皆様・お友達(時間が足らず、全員の方にお目にかかれないのが残念でした)、輪島へお土産を持って訪ねてくださった能登半島の方々、金沢の三茶屋街の組合長さん(女将さん、または女将さんであり芸妓さんでもある方々)を訪ね、芸妓さん、料理屋さん、商工会議所の皆様、熱心にご案内くださったガイドさん・・・取材とはいえ、たくさんの方々との出会いは、私にとっては“心からの出会い”です。これからも大切にしたいと思います。
更新していない間も多数の方々が閲覧下さり、ありがとうございました。
・・・さて、急に秋めいて、私の好きな“芸術、文化の秋”です (#^^#) ***


家の菩提寺の特別展が開かれ、お寺さんからご招待券をいただき、観に行きました。

横浜の元祖 
「青龍山 寶生寺」特別展

<金沢文庫>(横浜市金沢区)にて
9月1日(金)~10月29日(日)まで開催中。

1900点に及ぶ寶生寺聖教(=仏教の経典の尊称)が、横浜市文化財指定されたのを機に特別展開催の運びとなったそうです。
それほど多数の聖教が所蔵されていたとは、本当にびっくりです。

ご本尊「大日如来坐像」も展示されています。
学生のころから絵画、建築、彫刻だけでなく、仏像にも興味がありましたので、機会があれば各地でお寺を巡っておりますが、この「大日如来坐像」を“間近に”拝見したのは初めてで、強いインパクトを受けました。

生き生きとしたとした生気がみなぎり、不思議なことに血肉を感じさせる“生身のお姿”を見る思いがしたのです。仏様を観てこう感じたのは初めてでした。
意思に満ちた視線には、どこか西洋的なものを感じ、魅力的な御姿です。
(運慶作では?という見方も、その御姿から理解できると思いました。慶長6年(1601年)に現在の鎌倉市の覚園寺塔頭から移されたとされています)

➡ ご本尊は私が子供の頃すでに神奈川県指定重要文化財で、神奈川県立歴史博物館にお預けしているとのことで、博物館へ観に行きましたが、暗いお部屋で遠くに展示され、明確には観えませんでした。今回初めて間近に拝見しました。
その後、私が高校時代に、「蒔田城と吉良氏」という夏休みのレポートを書いた際には、博物館では公開していませんでした。(余談ですが、今思うと、写真を撮って、あれこれ取材して回るのが、当時から好きで、楽しかったみたいです。懐かしい)




このパンフレット写真の「ご本尊 大日如来坐像」の印象とはかなり異なります。当然のことかもしれませんが、写真からはそうした印象もインパクトも残念ながら感じられません・・・。

12世紀にさかのぼる寶生寺の歴史。
末寺は50を越えたといいますが、経済的にリッチな寺というよりも、
奈良の東大寺や和歌山の高野山との関係も深く、何百年もの間「学僧の寺」だったそうです。
そういう点に、私はとてもシンパシーを感じます。


「金沢文庫」の入口



♥ 先代のご住職様のご依頼で、私の父がこの石碑を書かせていただきました事、ありがたいご縁です ♥