「お金があれば何でも出来る」と言う時代は終わりました。今まで我々日本人は「便利で安い」ことをめざし、他人との信頼関係や義理人情をどこかにおいてきたようです。私の故郷鹿児島にも「水のペットボトル」が販売されていません、入荷が少なくなっているところにわずかに入手できたペットボトルを関東の親戚や知人に送っているとのことらしいです。10kg1200円の送料がかかっても安全な水を送る、と言う現象が起きています。人は皆、自分の立場で物事を考えがちです。東京では今まで便利な生活が送られましたが、今後の電力供給を考えるとどうなるのか。株価でもそうですが、予想できる事態は株価に織り込まれ準備します、今回の原発の問題は何がどうなのか、専門知識も無く情報も無い、悲観的なことを言うとまるで「非国民扱い」。これでは準備しようがありません。今まで米や野菜を生産者の事はあまり考えずに消費していました、今後は水も含めて食材の安心安全にはコストがかかる、という発想が必要です。東京を中心とする一極集中の崩壊が始まっているのかもしれません、また何もしない事が一番良い事であった時代も終焉に近づくと言う、本当に変革の始まりです。