気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

けいおん!の聖地をゆく10 その1 豊郷町の飛び出しキャラ達

2017年07月16日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2017年6月4日、ふと思いついて、四度目の豊郷巡礼に行きました。京都西大路から豊郷までは車で一時間余りで行けます。電車利用でも所要時間はあまり変わりませんが、ねんどろいどの撮影をまたやってみたい、昼食は国道8号線沿いの寿司屋で食べよう、と考えたので車で行きました。

 前回と同じように、名神高速道路の八日市インターで降りて東近江市、愛荘町の各県道を走り継いで県道220号線に進み、南の目加田地区から豊郷町域に入りました。ほどなく、右側に最初の飛び出しキャラ看板が見えてきました。


 これは秋山澪ですね。背後に飛び出し坊やの看板もあります。この秋山澪は、豊郷駅前の交差点にあるものと同じデザインのようですが、真新しい感じがしましたので、最近に設置されたのでしょうか・・・。


 裏表とも同じ表情、同じデザインです。秋山澪はこのタイプしか無いのかもしれませんが、普通に目を開けている表情のタイプも見てみたいですね。
 後で酬徳記念館の観光案内所にて聞いたところによりますと、この秋山澪が、最も南に位置する飛び出しキャラ看板だそうです。


 中山道沿いの小川新聞舗の店先にも飛び出しキャラ看板が見えました。中野梓かと思いきや、違いました。


 これは鈴木純ですね。この位置にあるのは初めて見ました。どうやら、最近に飛び出しキャラ看板の入れ替えおよび配置替えが実施されたもののようです。


 小川新聞舗から少し東進した右手にある酒屋「藤べえ」の店先にも、真新しい飛び出しキャラ看板がありました。


 これは奥田直ですね。「玉屋」の平沢憂、カフェ「Shoko」の斉藤菫とあわせて、中山道沿いにわかばガールズの面々が並んでいるという状態になっています。なかなか楽しいです。
 残るは中野梓ですが・・・、はて、どこだろう・・・?


 酒屋「藤べえ」の向かいには、天稚彦神社への参道があります。今回も立ち寄ることが叶いませんでしたが、いずれは鎮守の杜に歩んで静かな祈りの歴史にも触れてみたいものです。


 中野梓の看板が見当たらないな・・・、と探しつつ走っているうちに、豊郷小学校に着きました。とりあえず駐車場に車を停めて、徒歩での探索に移りました。


 おおっ、校門前近くに平沢唯が居るではありませんか。パンを加えて登校するお馴染みの姿です。豊郷駅前の交差点にあるものと同じデザインのようです。


 さらに、駐車場東口の付近に琴吹紬が居ました。 後で酬徳記念館の観光案内所にて聞いたところによりますと、以前は「先人を偲ぶ館」の玄関口付近に置いてあったものだそうです。
 そういえば、以前に「先人を偲ぶ館」へ寄った時に、あるはずのムギちゃんの看板が無かったのでした。


 豊郷町の飛び出しキャラ看板は配置が時々変わる、と聞いていましたが、実際に目の当たりにしたのは今回が初めてでした。変化があると新鮮味が出て、看板巡りもまた楽しめますね。

 ガルパン大洗の場合は、キャラクターパネルが店舗の所有管理になって位置も固定されているため、一回巡ればオシマイになります。そこで、新たな魅力や目的や楽しみを見つけるという方向へ傾くのが大洗巡礼における一般的な傾向であるようです。
 これに対して、豊郷では、いまだに飛び出しキャラ看板巡りを楽しむファンが後を絶たないそうです。配置を変え、キャラ看板を新調し、さらに別アニメのキャラも増加しているのであれば、一度回ってオシマイ、ということにはなりにくいですね。リピート率を高めるための努力は、豊郷町においても精力的に続けられているようです。 (続く)
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琴吹紬グッズの数々など

2017年07月15日 | 洛中洛外聖地巡礼記
 既に何度か触れているように、「けいおん」ファンである私は、HTTの中でも琴吹紬が大のお気に入りです。日本のアニメキャラクターで最も大好きなキャラクターです。

 ですが、「けいおん」関連の商品としては、ねんどろいど関連、きゅんキャラ関連などのミニフィギュアばかり集中的に集めてきた歴史があり、それ以外のグッズに関しては、原作コミックとDVDと公式本の他は、劇中に登場した実用品が主でした。ラミーのシャーペンや月光荘の消しゴムやレペテのペンケース、トミーヒルフィガーのバッグ、ソニーのサイバーショットなどを買って、実際に使用して楽しんでいました。

 なので、琴吹紬の関連グッズは、今年2017年の3月時点では7点しか持っていませんでした。


 上図が、私の手元にある琴吹紬グッズの全7点のうちの6点でした。このうち、上図左下の豊郷限定木製コースターとムギちゃん缶バッジは、今年3月のナガシマさんとの豊郷巡礼の際に得たものです。

 左端のキャンデー缶と右端の缶バンクは、2011年頃にローソンキャンペーンで買ったものだと思います。コミック型ノートも、同じ頃に模型サークルのアニメ仲間に頂いたものです。一番くじ5thあにばーさりーのミニパネルは、2015年の夏にローソンの処分品セールで買ったものです。


 そして、残る1点が、私の最高の宝物とも言うべき、CASIOのコラボデジタルカメラ EXILIM琴吹紬Birthday Ver.です。もともとカメラが好きでしたので、予約して2012年の秋に購入しましたが、別売のメモリーカードを合わせて4万円ぐらいしました。けいおん関連の購入品としては最も高価でした。

 最近、久しぶりに使用しましたが、故障も無く、製品の最大の特長であるムギちゃんとのツーショット機能も健在でした。次の豊郷巡礼の機会に使ってみようかな、と考えています。


 今年の5月以降に、新たな琴吹紬グッズが次々に加わりました。上図はけいおん仲間のナガシマさんが数回にわたって送って下さった品々です。
 ナガシマさんはけいおんシリーズにハマって以来、中古ショップを回ってフィギュアやグッズを集めるのに熱中しているようで、琴吹紬の関連グッズも時々見つけるようです。ミニフィギュアの方でも、関西地区では入手困難な品を確保して送って下さいましたので、本当に有り難いことです。


 なかでもこの缶バンクは、実際に貯金箱として使わせてもらっております。500円玉専用にしているので、10枚もたまれば豊郷へ行けます。


 こちらは、最近にモケジョのミカさんにいただきましたミニフィギュア群です。有名なバンダイのプロッププチプラスシリーズで、1期の11点、2期の10点が出ていますが、私はこれを1体も持っていませんでした。それを知った先方が、以前のガルパン戦車プラモデル講座の御礼として下さいました。5体ですが、まだ色々あるから今度さらにあげます、との事でした。


 このプロッププチプラスシリーズ、造形があまり似ていないので集めなかったのでしたが、ミカさんに言わせると「1/35スケールの戦車にちょうど合うんじゃないですか、ハッチに入る大きさですし」ということで、なるほどと思いました。
 加えて、キャラクターに関連するアイテムが1点付属していること、台座に有名なセリフが書かれていることなどが面白いです。これ、意外に良いんじゃないか、と気づきました。


 上図は、一番くじの「きゅんキャラわーるどSP けいおん!! パーティー時間」のI賞に配分されていたデスデビルバージョンの5体です。先月、モケジョのレイコさんにいただきました。琴吹紬だけは持っていたのですが、5人全員がセットになっているのは大変に嬉しかったです。


 これも最近モケジョのレイコさんにいただきました。一番くじの「プレミアム けいおん!~不思議の国deティータイム~」のD賞のプレミアムフィギュア「琴吹紬 不思議の国ver.」です。これも、以前のガルパン戦車プラモデル講座の御礼として頂きましたが、スケールフィギュアはこれが初めてです。


 安定のムギちゃんです。全く素晴らしいです。見ているだけで癒されます。


 ということで、6月にガルパングッズの大部分を「断捨離」して本棚の多くを空にしたため、その一画を使用して暫定的に「琴吹紬グッズ」仮陳列コーナーにしました。プレミアムフィギュア「琴吹紬 不思議の国ver.」がまるでご本尊みたいになっています。


 隣にはDVDの全部が、斜め下にはねんどろいどステージセット等のグッズの一部がおさまっています。これが自宅の「けいおん」エリアの全てです。ミニフィギュア群の陳列コーナーを除けば、の話です。 (苦笑)
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アンツィオ高校 P40重戦車 作ります!! その5

2017年07月14日 | ガルパン模型制作記

 ステップ8では、車体上部を組み立てます。戦闘室を組み付けてから、後部エンジンフードをはめ込む、という順序で進めました。


 ここまでの組み立て過程において、パーツごとに仮組みして様子をみながら、バリを除き接着面を軽くカンナがけするなどの下ごしらえを施してから接着してきたため、各所に歪みやズレは全く生じていませんでした。その甲斐あってか、戦闘室部分は気持ちよいほどにカチッと車体に組み合わさりました。


 御覧のように、後ろのかみ合わせ部分にも隙間が無く、ピッタリと組み付けられました。古いキットだから反りや歪みが多いかもしれませんが、本来は全てのパーツが破綻なく組み合わさっていた筈です。それを基本イメージとしながら、パーツ毎に合いを確かめ、一つ一つ丁寧に取り付けてゆけば、綺麗に組み上がるだろうと予想しましたが、その通りになりました。


 ピッタリと組み合わさりましたが、念には念を入れて、接合部全てに流し込み接着剤をひいておきました。


 戦闘室前面のドライバーズハッチは可動にしています。内部を全く作っていませんので、ハッチを開けても空っぽの内部が見えるだけなので、あまり意味がなさそうに思えました。


 後部エンジンフード部分の各パーツです。


 組み立てて一枚にしました。この状態で車体後部に貼り付けます。


 後部エンジンフードと吸気パネルを全て取り付けました。後部エンジンフードは、自然にカチッとおさまりました。吸気パネルは、両端を後部エンジンフードの両端にしっかり合わせて取り付ければOKです。後ろにズレたりすると、後で取り付けるボックス類に干渉してしまいますので、注意が必要です。


 最後に点検ハッチのハンドルB15を取り付けました。


 ステップ9では、左右のマフラーを組み立てます。カバーをエッチングパーツの2と3で成形する指示がありますが、劇中車はマフラーカバーをつけていませんので、エッチングパーツの2と3は不要です。


 各パーツを切り出しました。


 組み立てを終えました。


 劇中のワンシーンでも、マフラーにカバーが付いていないことが確認出来ます。マフラー本体の色は焼鉄色のようです。ミスターカラーの61番に相当します。


 マフラーを仮組みしてみますと、こんな感じになります。塗装後に組み付ける予定ですので、ここでは接着しませんでした。このマフラーに限らず、今回のP40のキットにおいては、サスペンションや履帯やサイドカバーや車外装備品など、多くのパーツが塗装後の組み付けになります。 (続く)

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けいおん!のミニフィギュアコレクション その6

2017年07月13日 | 洛中洛外聖地巡礼記
 周知のように、2012年2月から登場した「けいおん」のちびきゅんキャラのシリーズは、大部分がプライズ品として登場しており、ゲームセンターでキャッチして獲得する形でした。こういうのが大の苦手でしたので、ゲーセンには行かずに、付近のアニメショップ等で中古品を少しずつ買い集めました。
 一番くじで登場したセットの方も全部を当てることが出来ず、実施期間終了後のローソンの処分セールにて一個100円前後で売っているのを買い集めたりしました。ですが、2012年の11月にガルパンに出会ってからはそちらに熱中してゆきましたので、それ以降に出た2セットは1体のみを得たにとどまっていました。

 今年から「けいおん」ファンとしての動きを再開したのを契機として、また少しずつ集めてみることにしましたが、関西地域のアニメショップや中古ショップでは全く見かけず、在庫が払底していることに驚きました。もともと流通数が少なかったとされている2セットでしたので、中古品も出回っていないという状態であるのは当然だろうな、と納得したりしました。

 それで、もうこれ以上集めるのは無理かな、と諦めかけましたが、模型サークル活動で交流のあるモケジョさん、ガルパン以来の仲間であるナガシマさんからいただく形で、思いがけなくも全てが揃いました。この場を借りて、改めて感謝申し上げます。


 上図は、2013年7月に投入展開された、「『映画「けいおん!」』~I LOVE Tシャツ!~」の5体セットです。プライズ品としては最後のセットですが、私自身は中古ショップで秋山澪を100円で買ったにとどまっていました。
 あとの4体は、今年6月にナガシマさんが地元のホビーオフなどで購入して送って下さいました。関西地区では全く見かけませんでしたが、関東地区にはかなりあるようです。流通量や中古品在庫量に地域差があるのかもしれません。
 発売当時の案内情報はこちら


 平沢唯です。珍しく怒った表情です。ミニフィギュアで怒ってるのはこれが唯一だと思います。Tシャツの「UK」はイギリスの正式名称「United Kingdom of Great Britain. and Northern Ireland」の略です。「ユナイテッド キングダム」のことですね。


 田井中律です。りっちゃんならばでの「エヘッ」顔です。Tシャツのイラストはネッシーです。


 秋山澪です。Tシャツの字が小さすぎて読みにくいですが、意味も分かりません・・・。イギリスに関する言葉だと思いますが・・・。


 琴吹紬です。Tシャツのデザインは、見たことがありますが・・・、はて、何だったっけ?


 中野梓です。Tシャツのデザインは英国旗です。一番分かりやすいです。恥ずかしそうに頬を赤らめている表情も良いです。


 上図は、2012年12月に発売された「一番くじプレミアム 映画「けいおん!」」のG賞に配分された10体のうちの5体セットです。あとの5体セットは既に持っていて以前の記事で紹介しています。
 こちらの5体は、ロンドン旅行時の腰かけ姿のバージョンで、このうちの平沢唯はB賞の「平沢唯ちびきゅんキャラ&ステージセット」に表情違いの1体がつき、中野梓はラストワン賞の「中野梓ちびきゅんキャラ&ステージセット スペシャルver.」に表情違いの1体がつきますので、このセットは全部で7体が存在します。
 発売当時の案内情報はこちら


 平沢唯です。今年5月に大阪の中古ショップで偶然見かけて買いました。200円でした。立ち姿バージョンには無いショルダーバッグが造形されているのが特徴です。


 田井中律です。今年5月にモケジョのミカさんにいただきました。


 秋山澪です。今年6月に、けいおん仲間のナガシマさんにいただきました。


 琴吹紬です。今年5月にモケジョのエリさんにいただきました。やや大き目のアンゴラベレー帽は着脱可能です。


 中野梓です。今年6月に、大阪の中古ショップで偶然見かけて買いました。200円でした。


 B賞の「平沢唯ちびきゅんキャラ&ステージセット」です。今年5月に大阪の中古ショップで買いました。300円でした。安くなったものです。


 付属の平沢唯です。片目をつぶっています。


 ラストワン賞の「中野梓ちびきゅんキャラ&ステージセット スペシャルver.」です。今年5月に神戸の中古ショップで買いました。500円でした。さすがにあずにゃんの品は人気があって価格も落ちません。


 付属の中野梓です。片目をつぶっています。


 通常版と並べて比較しました。中央の2体が通常版、両脇が付属版です。異なるのは表情だけで、ポーズは全く同じです。

 今回の2セットが揃ったことにより、ちびきゃんキャラシリーズ全8セット34体が手元に揃いました。2012年の8月に最初の1体を中古ショップで買ってから5年目のことでした。
 参考までに、「けいおん」ちびきゃんキャラシリーズ全8セット34体の歴史を振り返ってみましょう。

 2012年2月 ちびきゅんキャラ「けいおん!!」vol.1の4体
 2012年3月 ちびきゅんキャラ「けいおん!!」vol.2の4体
 2012年7月 ちびきゅんキャラ「けいおん!!」vol.3の4体
 2012年10月 ちびきゅんキャラ「映画「けいおん!」」の5体
 2012年12月 一番くじプレミアム 映画「けいおん!」」B賞の1体
 2012年12月 一番くじプレミアム 映画「けいおん!」」G賞の10体
 2012年12月 一番くじプレミアム 映画「けいおん!」」ラストワン賞の1体
 2013年7月 ちびきゅんキャラ「映画「けいおん!」」~I LOVE Tシャツ!~の5体

 
 こうしてみると、きゅんキャラシリーズと同じように長く製品化が続けられたことが分かります。いかに「けいおん」シリーズの人気が高く、また持続したかが分かります。
 そして来年2018年は放送10周年にあたるわけですが、これに関連して新たなセットが登場する可能性も考えられます。果たして、どうなるでしょうか。
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ねんどろいどぷち けいおん!の全員が揃いました

2017年07月12日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 以前の記事にて紹介したごとく、2017年5月時点で私の手元にあるねんどろいどぷちの「けいおん」キャラクターは10体のみでした。「だいいっき」シリーズの大半を占める水着バージョンが琴吹紬しかなかったからです。
 しかし、6月中に京都や大阪のアニメショップやリサイクルショップなどで中古品を見かけたので、そのたびに少しずつ買っていました。価格が100円から150円でしたから、あまり大した出費にはなりませんでした。
 かくして、シークレット1体を加え、水着バージョンの6体全てが上図のように並びました。これによって、「けいおん」のねんどろいどぷち版は16体全部が揃いました。
 グッドスマイルカンパニーの案内記事はこちら


 平沢唯です。1期第10話「また合宿!」のワンシーンの再現です。これの頭部を制服タイプにつけるとさらに笑えます。


 田井中律です。イエーイ、という顔です。これの頭部を制服タイプにつけると、演奏姿にノリノリ感が加わって良いです。


 秋山澪です。これも1期第10話「また合宿!」のワンシーンの再現ですが、どうせならスイカを持たせて欲しかったですね・・・。


 シークレットの1体、秋山澪の「萌え萌えキュン」バージョンです。発売当時は476円プラス税でしたが、現在はこのシークレットさえも100円で買えました。10周年間近になると、さすがに関連グッズの多くは最底値に達するのでしょう。


 もともと持っていた1体。安定のムギちゃんです。これの頭部を制服タイプにつけるとさらに素晴らしくなります。


 ここは、一声で充分です。あずにゃああああぁぁぁん!!


 こげにゃああああぁぁぁぁんん!! (アホかお前は)
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けいおん!の聖地をゆく9 その9 京都修学旅行編 移転した絵馬掛所

2017年07月11日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 北野天満宮の拝殿です。奥の本殿と一つ屋根にまとめられて奥行きの深い社殿建築の重厚さをみせています。京都市内に僅か三棟しか存在しない国宝の社殿建築です。あとの二棟は上賀茂神社と下鴨神社の本殿です。


 劇中ではこんな感じで出ていました。前庭の地面をなぜかカットした構図になっています。


 このシーンですね。以前に紹介した今宮神社があまり似ていなかったのに対し、こちらは細部まで忠実に再現描写されています。


 西側廻廊です。このアングルも劇中に出ていました。


 続いて境内の絵馬掛所へ行ってみました。受付で位置を尋ね、教えられた方角と道順をたどってゆくと、上図の朱鳥居の列がありました。絵馬掛所の正面に位置しています。

 ですが、私の記憶では、絵馬掛所は境内地の南に位置する絵馬所の建物の西側にあったはずです。再び受付に行って、以前の絵馬掛所は絵馬所の建物の西側ではなかったか、と訊ねると、はいそうです、以前は絵馬所の西にありましたが、移転しまして現在の北西の隅になっております、という答えが返ってきました。


 劇中に登場する絵馬掛所は、やはり絵馬所の建物の西側に位置していた頃の姿でした。鳥居が東を向いているのが特徴で、現在の絵馬掛所の鳥居が南向きであるのとは違います。北野天満宮も少しずつ変わってきているようです。


 かつての絵馬掛所の場所に行ってみました。見覚えのある受付小屋がまだ残されていました。一度、ここで自分の書いた絵馬を奉納すべく手続きを取ったことがあります。その頃にずらりと並んでいた絵馬奉納掛台も、全て北西隅の現在地へ移されています。
 絵馬掛所の移転にともない、劇中に登場した案内板や位置表示板も、いまは本殿前庭と東門付近に移されていました。看板そのものも新たに書き直されていたので、写真を撮っても意味がないと思い、撮影しないままに退出しました。


 東門からは、上七軒の古い町並みを散策するのが一般的な観光コースですが、私は東へ直進しました。いつも通っている道であり、上図のような古民家が点在して上七軒に劣らぬ風情を楽しめます。


 400メートルほど歩くと、千本釈迦堂の寺名標が目立つ参道入口に着きます。


 参道を北へ進んで、千本釈迦堂こと大報恩寺の山門をくぐりました。近年の再建にて規模は小さいですが、格調ある構えです。


 私が個人的に大好きな京都の中世仏堂建築遺構である、大報恩寺本堂です。安貞元年(1227)の上棟になる真言密教系の常行堂形式の仏殿です。京都市内に残る遺構としては最古の例で、いまは国宝に指定されています。洛中一面が焼野原となった応仁文明の乱にて、唯一焼け残った建物として知られます。


 なので、応仁文明の乱の史跡巡りにおいても必ず立ち寄っていました。本来の専攻である仏教美術史学の面でも、この寺の貞応三年(1224)に慶派仏師の肥後定慶が作った六観音菩薩像に関心と憧憬を抱いて何度も通っていました。学生時代以来、20回ぐらいは訪れているはずです。懐かしい思い出の沢山ある古刹の一つです。


 境内の一角にある、北野経王堂の名残の小堂です。かつて北野天満宮の門前にあった北野三十三間堂の古材を寄せて建てられたとの伝承があります。その北野三十三間堂は、東山に現存する妙法院の三十三間堂の倍半という、大きな建物であったそうです。山名氏清をはじめとする明徳の乱の戦没者を供養すべく足利義満が建立したものですが、明治初年の神仏分離によって破却されました。

 かつての京都には、現存する各地の建築遺構よりももっと凄い建物、素晴らしい建築がいくつもありました。現在において最大とか最高とか言われて国宝などに指定されている建物を見慣れている身が、驚愕し茫然としてしまうような規模と結構を有した建物が、室町時代には幾つか建設されています。

 そのなかで、最も有名だったのが、足利義満が北山御所の一角に建てた北山七重大塔です。いまの鹿苑寺の境内地に遺構がほぼ確定しており、日本史上最も高い110メートルの木造塔であったことが文献史料から知られます。現存最高の東寺五重塔の高さが約55メートルですから、その倍であったわけです。
 そして日本史上最も長い建物が、前述の北野三十三間堂です。室町時代とはなんと凄い時代なんだ、調べて見たらもっと面白い発見が楽しめるかもしれない、と感動してまずは足利氏の歴史から学び始めたのが、私の畿内中世戦国史研究の発端でありました。応仁文明の乱に関する歴史なども、その過程で色々勉強しました。

 いま改めて考えてみても、いまの京都の古社寺の構えや文化財の数々、洛中洛外の地理は、ほとんどが室町時代に形成されています。平安時代からずっと続いてきたように多くの人々は錯覚していますが、そういう古いものは全て応仁文明の乱で根こそぎ失われています。
 平安京の街区も戦国期の再編を経て大半は失われ、豊臣政権期に御土居に囲まれた城塞都市としての姿に生まれ変わり、これを基盤として現在の京都市の街区が発展拡大してきているわけです。いまの京都は室町の都の子孫だ、といわれるのは、正しいと思います。

 なので、室町時代の歴史を知っておくと、京都はもっともっと面白くなります。けいおんの聖地巡礼コースがそれに重なってさらに楽しさを加えてくれるのは、けいおんファンにとっては素晴らしい現象です。これを存分に満喫してみるのも、良いんじゃないかと思います。

 以上で、「けいおん!の聖地をゆく9」のレポートを終わります。

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けいおん!の聖地をゆく9 その8 京都修学旅行編 北野天満宮境内

2017年07月10日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 国宝の本殿建築を見た後、引き返して正規の参道ルートに進み、本社区域の中門にあたる三光門に向いました。


 三光門の門前の左手に牛の銅像があり、覆屋が設けられています。


 劇中にも登場しています。


 牛の頭部のアップです。劇中アングルで撮ってみました。


 牛をなでると頭がよくなる、ということで平沢唯や田井中律が気合を入れてなでているシーンがあります。その後の受験を勝ち抜いて志願のN女子大に揃って合格しましたから、北野天神の牛の御利益はあったということでしょう。


 なので、私も気合を入れてなでておきました。 (アホかお前は)


 三光門は、国の重要文化財に指定されています。三光とは、日、月、星を指し、これらの彫刻が施される門を三光門と呼びます。ですが、北野天満宮の三光門には星の彫刻だけが無いので、「星欠けの三光門」と呼ばれます。星を彫らなかった理由はよく分かっていません。


 三光門は、このアングルで劇中に出ています。


 このシーンですね。つまらない真似をして山中さわ子先生に叱られるHTTの四人、やれやれと言った表情の真鍋和です。


 三光門の建築様式の大きな特徴が、上図の大きな獅子の透かし彫り入りの蟇股です。華美な装飾を好んだ桃山時代の気風をよく伝えています。脇に日、月の彫刻もあるのですが、写真を撮り忘れました。


 三光門の手前の東側に並び建つ灯籠群です。劇中にも出ている「絵馬書所掛所」の看板はここにあったような気がしますが・・・。


 このシーンですね。現在の参詣客の大半は受験祈願でやってきて、絵馬に願い事を書いて奉納しますから、絵馬を書く所、掛ける所の案内看板は必要不可欠であるはずなのですが、いまは撤去されていました。おかしいなあ、と思いましたが、後で撤去の事情が判明しました。


 三光門をくぐると、廻廊に囲まれた本殿の前庭エリアに入ります。左右の廻廊の右側部分は、上図のように受付や授札所、売店などになっています。


 劇中では、山中さわ子先生がひっそりと縁結びのお守りを買い求めていました。 (続く)

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けいおん!の聖地をゆく9 その7 京都修学旅行編 北野天満宮へ

2017年07月09日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 「さらさ西陣」で昼食をとったのち、北大路通へ北上して近くの「大徳寺前」バス停から101系統に乗り、西大路経由で今出川通へ回り、「北野天満宮前」バス停で降りました。徒歩でも行ける距離でしたが、市バス一日乗車券を持っていたので、それを有効に使って、時間の節約をはかりました。


 「北野天満宮前」バス停からすぐの所に、一の鳥居があります。俗に大鳥居などと呼ばれているそうです。


 一の鳥居は、境内地の南端を区画するかのように聳えたっています。


 ほぼ同じアングルで劇中にも登場しています。実物は最近に扁額が塗り直されましたので、劇中のはそれ以前の扁額の様子を伝えています。


 一の鳥居をくぐって参道を進むと、右手に参拝者用駐車場があり、観光バスなどが出入りしていました。その参道側に牛の銅像がありました。牛は、北野天満宮では神の使者と崇められています。


 劇中でも登場していますので、ファンにはおなじみでしょう。背後に見えるバスがいずれも京阪バスのカラーであるのが楽しいです。京阪グループが「けいおん」シリーズの協賛主力スポンサーであることをふまえての、さりげない宣伝であるのでしょう。
 なかでも京阪電車は、京津線にラッピング列車を数度にわたって運行し、ブームを大いに盛り上げてくれました。五周年記念でのラッピング列車も実現させていますので、放送十周年となる来年にもラッピング列車を出していただきたいところです。


 さらに進むと、二の鳥居があり、その奥に楼門が見えました。


 神社の南門にあたる楼門です。桃山時代の建築で国の重要文化財に指定されています。参道両側の間に随神像を安置し、扁額には「文道大祖 風月本主」の語句が書かれています。祭神菅原道真への礼賛句で「ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ」と読みます。


 劇中にもそのまま登場しています。原作の修学旅行シーンでの行き先は、金閣寺しか出ていませんので、北野天満宮はアニメストーリーでの追加であることになります。京都の神社のうち、学問の神様として修学旅行団体にも人気が高いこの神社をチョイスしたあたり、京都アニメーションさんはよく分かっていらっしゃいます。
 実際の多くの修学旅行団体のコースも、金閣寺と北野天満宮がセットになっていますので、平沢唯らHTTの四人が班行動でこの二ヶ所を回っているのも頷けます。


 楼門をくぐると右手に灯籠と手水舎があり、その奥に宝物殿が建ちます。


 劇中でもそのままの風景が描かれています。京都を代表する著名な神社だけに、細部まできちんと再現する必要があった筈です。いい加減な描写で済ませたら、天神さんの祟りが落ちるかもしれませんね・・・。


 普通は楼門からまっすぐ歩いて本殿に行くわけですが、北野天満宮の社殿群の中心軸は西に寄っていますので、楼門から左に曲がらないといけません。初めて参拝する方はそれを知らずに、まっすぐ進んでしまうことが少なくありません。
 上図の場所も劇中に出ていますが、その頃にはあった本殿への参拝順路案内看板が撤去されているなど、様子がかなり変わっています。


 一度、そのまま真っ直ぐに進んでみました。正式な参拝経路からでは全く見えない本殿群の華麗な建築を横から拝めるからです。
 本殿群は、慶長十二年(1607)の建立になります。本殿と拝殿を石の間で繋ぎ、拝殿の左右に楽の間を配置する独自のレイアウトです。全てが一つの檜皮葺屋根の下におさめられて一棟と数えられ、その単位にて国宝に指定されています。
 上図は本殿の東面で、これを囲む透塀も国重要文化財になっています。京都屈指の神社建築遺構ですので、これを見るだけでも来た甲斐があるというものです。

 私自身の北野天満宮への参拝は、覚えている限りでは今回も含めて五回ぐらいだと思います。初参拝は高校二年の夏、一回は大学の学外研修古建築見学で訪れています。あと、西側に戦国末期の京都の外郭として築かれた御土居の遺構がありますので、それを見学に行ったついでに参拝する形もありました。色々と思い出がある神社の一つです。 (続く)

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アンツィオ高校 P40重戦車 作ります!! その4

2017年07月08日 | ガルパン模型制作記

 ステップ6では、左右のフェンダーおよびサイドカバーを取り付けます。私の製作においては、サイドカバーのA4とA5は塗装後に履帯を組み付けてから接着しますので、ここでは仮組みだけしてパーツの合いを確かめました。
 このキットにおいては、パーツに反りや歪みがある場合が多いようですが、私が使用した個体にはあまり反りが見られず、歪みも少なかったです。プラスチック製品としての出来具合に個体差があるのがプラモデル製品の常ですから、私が購入したのが、たまたま反りや歪みの少ないキットであった、ということでしょう。


 御覧のように、左右のフェンダーC1およびC28には反りも歪みもありませんでした。


 取り付けは、前端部の形や表面のモールドをしっかり合わせた上で行いました。まず前半分ほどを接着して様子を見て、問題が無かったので残り半分を流し込み接着剤にて固定しました。
 イタレリキットの常として、パーツの取り付け位置が少し分かりづらいところがありますが、仮組みして表面のモールドなどを合わせてみれば、自然に位置がつかめます。このあたりが、全てのパーツがカチッとはめられるタミヤ製品との相違です。


 続いて、エッチングパーツの5と6を瞬間接着剤で取り付けました。位置は溝がありますから分かるのですが、角度がガイド指示図からは分かりづらいので、公式設定資料図などを参考にして接着しました。垂直よりも僅かに内側、という感じに見えますので、いったん垂直に付けて、それから0.5ミリほど僅かに内側に向けて固定しました。


 ステップ7では、戦闘室部分を組み立てます。箱組みですので、一つ一つ丁寧に取り付けてゆきます。前面のドライバーズハッチは可動に出来ますが、軸部をおさえるパーツがありませんので、ブラ材で追加する必要があります。

 またC17には、本来ならばペリスコープが装備されているはずなのですが、劇中車ではペリスコープが明確にみえず、イタレリ製の実車写真集でもそれらしきものが見えません。キットのボックスアートではちゃんとペリスコープが描かれていますが、それと同じ描写が劇中車には認められません。暗い陰の部分ですので、本当はペリスコープがあるのに見えないだけかもしれません。
 キットにはペリスコープのパーツはありませんので、ペリスコープを追加再現する場合にはジャンクパーツや他キットのドイツ系車輌のパーツをもってきて、見える部分だけをカットしたうえで上からC17にはめ込むことになります。私の製作においても、いちおうペリスコープのパーツをジャンクから持ってきて準備しましたが、取り付けるかどうかについては迷いましたので、いったん取り付けずに保留としました。


 戦闘室部分を構成するパーツ群です。


 組み立ては、背面部のC24から始めました。取り付け位置が最もよく分かりますので、これを基準にして仮組みと接着を進めるのが良いと判断したからです。


 次に、左右側面板のA22、A23を貼り合わせました。接着剤が乾くまでの間、前面部のC22にドライバーズハッチのパーツを組み付けました。ハッチは可動にするので、C26はC22に接着していません。


 前面部のC22を貼りつけました。ズレもなくピッタリと合いました。


 ドライバーズハッチの軸部をおさえるパーツがありませんので、そのままでは簡単に外れます。そこで上図のようにブラ材で軸押さえを追加しました。


 ガルパン仕様への修正ポイントが一つあります。この前面ペリスコープのある凹み部分の形状が、キットパーツでは上図の状態になっています。


 劇中のワンシーンで同じ部分を見ますと、御覧のように斜めに切れ込んでいます。ドライバーズハッチ上端との間が詰まっています。


 劇中車の形状に合わせて斜めに削り込みました。問題はペリスコープの有無ですが、前掲のワンシーンで見ても、無いような感じです。キットのボックスアートにみえるペリスコープ上部の段差がハッキリと見えないのです。穴だけが陰の底に見える、という感じです。

 とりあえず準備しておいたペリスコープのパーツを見下ろしつつ、しばらく思案にふけりましたが、基本的には劇中車の状態に忠実に合わせる、というのが私の原則です。ペリスコープが明確に見えないのであれば、パーツも取り付けないでおく、という結論に落ち着きます。
 念のため、モデルグラフィックやアーマーモデリングのアンツィオチーム車輌特集記事も参照しましたが、いずれもペリスコープまでは再現していませんでした。それで、劇中車の前面ペリスコープは存在しない、と判断し、準備しておいたペリスコープのパーツは不要としました。 (続く)

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けいおん!の聖地をゆく9 その6 さらさ西陣

2017年07月07日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 船岡山の東尾根端には、織田信長を祭神とする建勲神社が鎮座します。幾度も参拝した馴染みの場所ですので、今回は石段下より一礼したのみで通り抜けて下に降りました。そのまま船岡東通に出て、南へ進みました。


 船岡東通の南は鞍馬口通に接します。これを西に歩きました。このまま東へ行けば紫明通と交わり、さらに進んで烏丸通と交わりますが、その東側が上御霊社のエリアで、応仁の乱の発端となった御霊合戦の跡地です。また紫明通を南に行くと、山名宗全の邸宅のあった西陣の地です。学生時代以来、応仁の乱の史跡巡りを何度かやりましたので、この界隈の景色も記憶に鮮やかです。


 少し歩くと、右手に上図の立派な古建築があります。京都でも知られた人気の喫茶店「さらさ西陣」です。今回の昼食をここでとる予定でした。


 かつては銭湯だった建物を修復し、内装をなるべく生かしつつカフェとして営業しています。京都の古建築カフェの一つとして人気があり、ランチタイムには行列が出来るのが常ですので、今回は開店時間きっかりに入りました。


 内部には、銭湯だった頃の仕切り壁やタイル装飾などがそのまま残され、独特の雰囲気を醸し出しています。既に店内は満席に近く、若い女性や有閑マダムたちの笑い声があちこちで上がっていました。


 このお店は、1期第11話「ピンチ!」に登場します。上図のソファー席が、平沢唯、真鍋和、秋山澪らがついていた席です。


 このシーンですね。白壁の鏡やタイル模様など、ほぼそのままです。右手に階段があり、段差がある点も実際の店内と同じです。


 反対側の壁の掛け時計、これも見た事ありますね・・・。劇中ではこんな感じで斜めに出ていたんじゃなかったかな・・・。


 このシーンですが、アングルが逆でした。横に掛けられていたメニューの黒板は、現在は違う位置に掛けられてありました。


 奥のスペースの天井は、このように大きな吹き抜けになっています。銭湯だった頃の構造がそのまま生かされて明り取りの役目をはたしています。


 この和製マジョリカタイルがいい感じですね。マジョリカタイルとは、明治期の終わり頃に乾式成形法によってつくられたタイルの一種です。サイズは一般的に15センチぐらい、金型を用いて立体的なレリーフを施し、筆で一色ずつ数種類の色釉を載せて作るものです。
 とにかく手間がかかる手作りの装飾タイルですが、現代アートのモチーフとして割合に人気があるようです。京都造形芸大に通っていた時期、美術工芸学科の友人が、これを模したモザイクアートをやっていて、学園祭「瓜生山祭」で出品する作品が間に合わない、というので少し手伝ったことがあります。北野白梅町の彼の家に仲間と二人で行き、夕食まで御馳走になりつつ深夜までタイル作りに没頭し、そのまま泊めてもらったのでした。

 その際にタイルの元ネタを聞いたら、西陣の「藤の森温泉」という銭湯のタイルだと教えられ、参考までに見せてやると言われて翌日に皆でそれを見に行ったら、銭湯は廃業していてカフェに転じていました。2001年の夏のことでした。
 そのカフェが、今回の「さらさ西陣」でありますので、個人的にも思い出のあるお店です。


 あの時、三人で上図の席に陣取って何かを食べたのですが、メニューは覚えていません。その席が「けいおん」劇中で、田井中律、琴吹紬、中野梓が隠れるようにしてついた位置になりました。
 後でそれを知って、なんでこのアニメは、自分の知ってる場所ばかり出してくるんだろうなあ、と不思議に思い、半ば嬉しい気分になったものです。

 現在は、机や本棚等の配置が変更されているため、劇中の状態とはかなり異なっています。


 今回いただいたメニューです。サンドイッチのセット、ドリンク付きでした。このお店のランチメニューは週替わりで、事前にブログで案内がなされますが、いずれも好評ですぐに売り切れになるそうです。
 「さらさ西陣」の公式サイトはこちら。メニュー案内の公式ブログはこちら。 (続く)

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けいおん!の聖地をゆく9 その5 船岡山

2017年07月06日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 金閣寺を退出して、金閣寺道バス停より204系統に乗って船岡山バス停へ引き返しました。歩いても行ける距離でしたが、この日は時間が貴重でしたので、市バスを積極的に利用しました。


 バス停からすぐの所に、船岡山公園の北口があります。


 案内説明板です。応仁の乱の際に城が築かれ、攻防戦が展開されたほか、戦国期の永正年間にも戦場となった歴史が述べられています。一帯では唯一の高地であるだけに、ここを拠点とすれば゛戦いを有利に運べるはずなのですが、実際にはこの丘に拠った側が負けています。城塞としてはあまり堅牢ではなかったのかもしれません。


 遊歩道の傍らに建つ戦跡碑です。一帯は公園になっており、自然をめでながら散策する方が多いです。戦跡碑は植え込みの陰にあるため、気付かずに通り過ぎてしまう方が殆どでしょう。


 ですが、船岡山公園のほぼ全域に点在する平坦面は、かつての城塞の郭であったとされています。よく観察すれば、複数の平坦面が階段状に連なって、丘の斜面に並んでいるのが分かります。


 平坦面の一つは、1期番外編(第14話)「ライブハウス!」に登場します。


 劇中に登場する場所は、正確には特定出来ていませんが、東に向いていて初日の出が拝める平坦地は、上図の場所ぐらいです。眺望が良いので、ベンチが設けられています。


 初日の出の美しさに感動するHTTの五人。名シーンの一つだと思います。


 平坦地の背後は、このように段差となり、城塞の横堀と言われている大きな溝へと繋がります。この景色も劇中に出ています。この大きな溝については、いまだに分かっていないことが多く、城郭研究者の間では船岡山城の防御施設の遺構ではないかとする見解があるようです。
 現地で出会った地元の方に話をうかがったところ、下の公園に水が流れ込むのを防ぐための排水路だろう、と話しておられました。


 東の北寄りにのぞまれる最高峰が比叡山です。天台宗延暦寺の境内地となって平安京の鬼門を護る信仰の山です。


 北東に見える甍の波は、大徳寺のそれです。


 その奥にみえる低丘陵が松ヶ崎地区の背後の丘です。山肌が三角に表れる部分が松ヶ崎大黒天背後の五山送り火の位置です。


 船岡山の山頂にある露岩です。磐座として崇められた歴史があり、中世期には今宮神社の結界地に含まれて御霊会の儀式が行われた場所であるそうですが、いまでは山頂の展望所の一角に露出するただの岩、といった風情です。

 この船岡山を戦場とした応仁の乱に関しては、最近に再評価および新視点からの考察が進み、刊行物が次々に発売され、ちょっとしたブームになっていると聞きます。しかし、その歴史に対する考究の基本軸は従来と変わっておらず、同時期史料にみられる当時の人々の認識および証言から、応仁の乱の本質的な発生原因と経緯を読み取る作業が常に重要視されています。

 私は学生の頃から畿内の中世戦国史に関心があり、図書館で数多くの専門書や史料をひも解いて調べ、関連史跡も大体回って見学しています。応仁の乱は、その後の戦国時代に繋がる日本最大の内戦であるわりには実態がつかみにくく、その謎めいた歴史が知的好奇心を大いにかきたててくれます。当時は奈良に住んでいたので、奈良県の中世戦国史を勉強しつつ、京都との関係や応仁の乱の様相とリンクさせるようにして学びましたが、意外にもそれが正しかったようで、分かりにくかった応仁の乱の構図が、次第に分かってきたのでした。

 端的に言えば、応仁の乱とは、もとは管領畠山氏のお家騒動が、やがて幕府や御家人や地方の守護勢力を巻き込んで拡大発展した騒乱です。当時の知識階級の代表格とされる興福寺大乗院門跡尋尊が、その日記「大乗院寺社雑事記」にて、成身院こそが応仁文明乱の元凶であると罵っていますが、確かに、筒井成身院光宣が応仁の乱を引き起こした張本人の一人であるのは間違いありません。この筒井成身院光宣が、畠山氏のお家騒動に無用の加担を成して結果的には御霊合戦を誘発させ、この戦闘が応仁の乱の発端となりました。

 ですが、張本人はもう一人いると思います。戦争とは二つの勢力が争う出来事ですから、双方にキーパースンが居なければ応仁の乱のように激化拡大しません。筒井成身院光宣は、細川勝元側について東軍の大将に連なりましたが、対する西軍にて山名持豊側についた大将が畠山義就であるのが重要です。
 この畠山義就こそ、管領畠山氏のお家騒動の元凶でありますが、当時の武将のなかでは抜きんでて戦上手でした。戦闘を自らしかけて状況を複雑にしている場面が多く、要するにこの畠山義就がいなければ、畠山氏のお家騒動も起こらず、御霊合戦なども発生し得なかった筈ですので、この人物もまた応仁の乱の元凶の一人であると言って良いでしょう。

 従来、応仁の乱は、細川勝元と山名持豊との争いが中心であるとする史観が大勢を占め、いまだに教科書でもその見解が述べられますが、室町幕府の体制をふまえて考えると、これほどおかしな構図はありません。細川氏は三管領家の一、山名氏は四職の一つとして侍所頭人となった有力御家人です。共に将軍より任命され、将軍を補佐して幕府体制を担う立場です。
 したがって、この両人が敵味方に分かれると、それだけで室町幕府は瓦解してしまいます。そんな愚を両人が果たして犯すでしょうか。畠山氏のお家騒動は畠山氏の家の内情に過ぎず、本来ならば、細川勝元と山名持豊が協力して騒動の調停を進める、というのがあるべき姿でした。
 もともと細川勝元と山名持豊は親交があり、長らく碁敵として楽しんでいたぐらいなので、応仁の乱に至るまでの一連の騒動を、ともに内心では苦々しく思っていたはずです。筒井成身院光宣が余計な画策をしなければ、畠山義就があそこまで暴れまわったりしなければ、あんな成り行きにはならなかっただろう、と時勢を客観的に判断出来ていた筈です。ともに乱の総帥に担がれつつも、最後まで煮え切らなかった両人の動きに、それぞれの内心の葛藤と悔恨が垣間見えるようです。

 そんなことをつらつら考えつつ、山頂からの景色を眺めて休みました。時計を見ると、船岡山に登ってから一時間が経とうとしていました。 (続く)

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アンツィオ高校 P40重戦車 作ります!! その3

2017年07月05日 | ガルパン模型制作記

 ステップ3では、サスペンションや車輪類を車体に取り付けます。私の製作においては、車輪類の大部分は塗装後に取り付ける予定ですので、このステップで取り付けるのは上部転輪のB21およびB22のみになります。また、幾つかの修正が加わります。
 ステップ4では、履帯の一部のパーツを組み立てます。ガイド指示では「4個作ります」となっていますが、これは片側の分ですので、両方合わせて8個を作ります。


 劇中のワンシーンをご覧下さい。劇中車は起動輪の内区にある「FIAT・ANSALDO・」の字がありません。


 キットパーツには、上図右のように「FIAT・ANSALDO・」の字がモールドされています。これを劇中車に合わせて削り取り、上図左のように仕上げました。細い環状の溝の中の文字を削るのはけっこう難しく、専用の工具があればいいな、と考えつつもアートナイフで少しずつ削ってゆきましたが、当然ながら綺麗に仕上げられませんでした。まあ、文字が消えればいいか、と割り切りました。


 起動輪および誘導輪のパーツです。起動輪の方は接着せずに回るようになっていますが、誘導輪は軸にはめこんで固定する形ですので、回りません。


 起動輪および誘導輪が組み上がりました。


 背面部分の各パーツの取り付けに移りました。パーツごとに仮組みして合いを確かめ、違和感があればパーツをヤスったりして微調整しておきました。


 連結器のパーツA20は、チェーンフックの取っ手のモールドが省略されたように小さくなっていて、取っ手に見えませんでした。


 そこで、パーツA20を車体に取り付けた後、取っ手部分をカットし、上図のようにジャンクパーツでそれらしく作り直しました。


 最後に、上部転輪を取り付けました。これらはフェンダーカバーに大部分が隠れますので、塗装も最低限で済みます。それで、塗装後に取り付けるよりは、この段階で取り付けた方が良いと考え、ガイド指示通りに接着しました。


 続いて、ステップ4の履帯の組み立てにとりかかりました。6コマずつ連結したものを8個作ります。


 完成しました。


 ステップ5では、履帯を取り付けます。私の製作においては、履帯は塗装後に取り付ける予定ですので、ここでは仮組みして履帯が起動輪および誘導輪に接する部分を作り、テープで留めて乾燥させました。


 上図のように仮組みしてテープで留め、形を作ってゆきました。


 塗装後の組み付け手順を考慮して、上図のように三分割としました。


 左右の二セットが組み上がりました。ベルト式の履帯パーツに慣れていますので、こうした組み立て式の履帯パーツにはちょっと苦労しました。 (続く)

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けいおん!の聖地をゆく9 その4 京都修学旅行編 お抹茶とお菓子

2017年07月04日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 金閣寺は、京都観光の人気ナンバーワンだけあって、大勢の観光客で賑わっていました。その大部分を修学旅行団体と外国人が占め、かつその人数が劇的に増加しているため、ただでさえ狭い境内見学路が大混雑となっていました。折角の鹿苑寺庭園も、ゆっくりと鑑賞していられませんでした。けいおんスポットの撮影もあまり出来なかったので、時期を改めてもう一度来よう、と決めました。


 金閣のすぐ横では、たいていの見学客が立ち止まって撮影をするので、渋滞がさらに酷くなっていました。スマホの自撮り棒が外国人客を中心に流行っているようで目立ちましたが、人込みの中で長い棒を扱っているわけですから、邪魔ですし、うっかりすると接触しかねない危うさがあります。


 舎利殿の棟上に輝く鳳凰です。中国の伝説上の霊鳥で、「鳳」は雄鳥を、「凰」は雌鳥を表します。古くは「朋」と呼ばれ、中国では聖徳をそなえた天子の兆しとして現れると説かれました。
 しかし、日本においては仏教の守護神としてのイメージが先行して採り入れられたため、仏教建築の屋根に配されて堂塔伽藍の守護を担うものとされているケースが多いです。経典においては迦楼羅「かるら」とも訳され、その起源はインド神話に登場する神鳥ガルーダであるとされています。

 平安時代から鎌倉時代にかけての日本において、天竺の造物神と崇められた毘首渇磨「びしゅかつま」(ビシュヴァ・カルマンの和訳)が生んだ奇跡の鳥として鳳凰が挙げられ、崇拝されたため、当時の仏教建築には鳳凰が飾られていたと記録類にありますが、その大部分は失われました。現存する当該時期の建築遺構は、平等院鳳凰堂と銀閣寺舎利殿の二件のみとなっています。


 見学路を北へ回ると、足利義満北山殿の前身であった藤原公経北山第の推定範囲に入ります。藤原公経は承久の乱後の朝廷で活躍した公卿で、正二位大納言、東宮大夫を務め、西園寺家の祖となりました。それで一般的には西園寺公経とも呼ばれますが、鎌倉幕府四代将軍藤原頼経、関白二条良実の祖父にあたり、四条天皇、後深草天皇、亀山天皇の曾祖父でもあるため、その権勢は大変なものでした。
 その藤原公経が、もとは皇室御料地であった北山野を神祇伯仲資王より譲り受けて、菩提寺の西園寺を建立したのが、現在の鹿苑寺庭園の起源です。

 その西園寺は、足利義満の北山御所建設にともなって移転し、現在は上京区の高徳寺町に境内を構えますが、その本尊阿弥陀如来像は、かつての北山西園寺創建時の本尊像です。他にも幾つかの遺品が知られますが、現地鹿苑寺庭園においては、上図の石仏群などが西園寺の関連遺品ではないかとされています。しかし、本格的な調査が行われていませんので、真相はいまだに明らかになっていません。


 西園寺の跡地は、このように金閣を下に見下ろせる高台に位置し、鹿苑寺庭園よりも眺望がきく好地です。ただ、面積的には狭いので、足利義満の北山御所の建設には適しなかったようです。


 奥には安民沢「あんみんたく」と呼ばれる古池が静かに水を湛えます。西園寺の庭園の園池であったもののようで、現在は池の中島に石造五層塔が祀られています。


 石造五層塔を望遠機能で引き寄せて撮影しました。俗に「白蛇の塚」と呼ばれ、藤原公経以来の西園寺家の鎮守とされています。その史的価値を鑑みれば、国重要文化財クラスの石造遺品でありますが、未指定のままです。京都にはこんな凄い石造遺品も沢山あるので面白いです。


 見学路の終点には売店や茶店などが並びます。大混雑の中にもまれて疲れたので、休憩することにしました。劇中に出てきた場所でもあります。


 このシーンですね。細部がやや異なりますが、全体的にはほぼ一致します。


 で、この縁台に座りました。


 位置や周辺の状況からみて、劇中でHTTの四人が座っていた縁台にあたるとみられます。


 そしてHTTの四人は、劇中でお抹茶とお菓子をいただいています。


 実際に同じものがいただけますので楽しいです。菓子の浮絵と金箔までそのままです。琴吹紬のアドバイス通り、菓子を少しかじって口に含んで味わいつつ、抹茶をゆっくりとすすりました。茶道の基本ですね。 (続く)

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モデルグラフィックス 2017年8月号

2017年07月03日 | ガールズ&パンツァー

 去る6月24日に発売された、モデルグラフィックスの2017年8月号です。昨日買ってまいりました。


 お目当てのガルパンクルセイダーの製作記事は、前回に続く中編として位置づけられています。タミヤイタレリの新製品の組み立て手順、ガルパン仕様の工作ポイントなどが紹介されています。

 これを参考にすれば、それ以前までのイタレリ旧キットの改造および修正のポイントもだいたいおさえられることでしょう。モールド等が完全に新規フォローされている部分については、該当部品をタミヤカスタマーから取り寄せて応用するという手もあるでしょう。


 それよりも驚いたのが、上図のガルパンデカールVol.6の発売予定の案内記事でした。前回は黒森峰女学園一色でしたが、今度はプラウダ高校と聖グロリアーナ女学院のセットです。

 とりあえず、手持ちの他のデカールセット群をざっと見たところ、サンダース大付属高校もVol.4までにある程度の数が出ています。あとは、アンツィオ高校あたりのデカール群がもう少し充実すればよいかな、と思いました。
 ファンによっては継続高校や知波単学園や大学選抜のデカール群への要望もあるはずなので、さらにVol.7が出るかもしれませんね。
 あと、「最終章」の内容をふまえたVol.8も、可能性としては高いと思います。モデルカステンさんがどこまで取り組んでくれるか、期待して待ちましょう。

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7月2日は琴吹紬の誕生日

2017年07月02日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 7月2日は、「けいおん」の琴吹紬の誕生日です。日本のアニメにおいて最も大好きなキャラクターですので、その誕生日を祝いたいと思います。ムギちゃん、おめでとう!


 上画像は、1期の後半の放送期間中に自分のパソコンの壁紙に使用していたものです。


 1期オープニングのこのカットも、一時は壁紙にしていました。この絵柄がけっこう良いので。


 1期の放送終了後に壁紙にしていた画像です。KORGのショルキーRK100Sがさりげなくのぞいているのが良いです。ものすごく欲しかったのに、予約瞬殺で買えませんでした・・・。


 一番気に入っているムギちゃん画像です。アニメ本編では、こういうラフな姿にはお目にかかれませんでしたね・・・。


 2期の公式画像の一つだったかと思いますが、これのマグネットステッカーをアニメイトで買いまして、当時の愛車エテルナZR-4のリアに貼りつけていた時期がありました。しかし、吸着力が弱くてズレてくるので、一ヶ月ももたなかったように覚えています。


 2期の放送が終わった頃に、壁紙にしていた画像です。キーボードを直接膝の上に乗せての練習スタイルは、そのまま高校生の頃の私のそれでした。


 2期でマリンスタイルを披露してくれたムギちゃんです。HTTの中では最も海が似合いそうな雰囲気なので、日本海軍の制服も似合うんじゃないかと思います。(アホかお前は)


 5周年記念のKORGとのコラボ商品発売時の案内画像です。限定仕様ケース入りショルキーRK100S、欲しかったんですよね・・・。今でも中古品すら見かけません・・・。

 とにかく、ムギちゃんは最高です。もう一度言います。誕生日おめでとうー!




琴吹紬Birthday記念品の予約受付は7月24日までです。
コメント (2)
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